リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

独立宣言

2014-03-30 08:49:00 | オヤジの日記

今年も4月5日がやってくる。

16年前、独立を決心した日。

私は、一人でバーに入るという冒険をした。
自由が丘のバーだった。

俺は、このままでいたら、ただ消耗するだけの人生を過ごしてしまうのではないか。
絶えず、思っていた。

今までバーに一人で入ったことはなかった。
何か特別なことをしなければ、何も変わらないという投げやりな気持ちで、バーのドアを押した。

心臓は、バクバクだった。

「ボヘミアン」という名のバーだ。
一昨年、13年ぶりに行ってみたら、店が変わっていた。
だから、今はない。

入ってすぐ、ジャック・ダニエルのストレートを頼んだ。
恰好をつけたわけではない。
テネシー・ウィスキーを水割りで飲んだりロックで飲むのが嫌いだったからだ。

ショットグラスに95パーセント注がれたジャック・ダニエルを一気に飲んだ。

それで落ち着いた。

落ち着いたせいで、店に客が1人しかいないことに気づいた。
相手に目礼をした。
そして、音楽が流れていることにも気づいた。

キラー・クイーン。
言わずと知れたクイーンの曲だ。

次は「レディオ・ガガ」。
さらに、「フラッシュ」「ユア・マイ・ベストフレンド」。

それで、わかった。
店の名「ボヘミアン」は、「ボヘミアン・ラプソディ」から取ったのだということを。

要するに、クイーンの曲しか流さないバーだった。

3杯目のジャック・ダニエルを頼んだとき、40歳前後の誠実そうなバーテンダーに「ちょっとペースが早すぎませんか。楽しまないと損をしますよ」と諭された。
3杯目のウィスキーは、一気飲みをせずに、チビチビと飲んだ。

バーテンダーと目が合うと、優しい笑顔で頷いてくれた。
その笑顔を見て、さらに落ち着いた。

カウンターの椅子が木で出来ていることにも、そのときやっと気づいた。
壁にフレディ・マーキュリーのポスターが貼ってあったことにも初めて気づいた。
よほど緊張していたらしい。

そのとき、「ザ・ショー・マスト・ゴーオン」が流れた。


ショーは続けなければいけないんだ

多分 俺は何かを学んだだろう
俺は 前よりも穏やかだ
そして あの角を曲がり
「今」に向きを変えるだろう

夜が開けようとしている
でも 心は闇で 自由に飢えている

ショーは続けなければいけない

心は闇で 仮面は 剥がれ落ちるかもしれないが
俺は それでも微笑んでいるだろう

ショーを続けるために


その歌を聴いたとき、「俺は独立すべきだ」と思ったのだ。

前から思っていたことだが、臆病が故に、踏ん切りがつかなかった。

心は闇ではなかったが、自由には飢えていた。

どんなことでもいい。
誰かが背中を押してくれたら、俺は自由を選ぶだろう。

ずっと、そう思っていた。

そのきっかけが、そのときの「ザ・ショー・マスト・ゴーオン」だった。

体に電流が走る、という言い方があるが、そのときの私は、まさしくそれだった。
陳腐なほど、わかりやすい電流が、背中を走った。

曲が終わったとき、放心状態だった私に、バーテンダーが「最後の一杯は、僕が奢りましょうか」という信じられない提案をした。

ショーを続けるために?

「そうです」とバーテンダーが、私の前にグラスを置いた。

一気に飲んではいけないんですよね。

「それは、ご自由だと思います」

一気に飲んだ。

独立します、と初めて会ったバーテンダーに宣言した。

バーテンダーは、笑っただけだった。


独立したのは、「独立宣言」から半年後の10月だった。


その独立が良かったか悪かったかは、私にはわからない。

ただ、ヨメ、長男、長女を世間と同じレベルで食わせているという現実は、自分でも納得いけるものだと思っている。

俺にはまだ、伸びしろがある。
そんな「うぬぼれ」も持っている


だから、私のショーは、まだ続いている。


ベビーシッターにすがる

2014-03-23 08:52:00 | オヤジの日記
ベビーシッターが死体遺棄の容疑で逮捕されたという事件。

まだ全容が明らかになっていない段階で大騒ぎするのは、マスメディアとネット社会の常だとしても、少ない情報で、よく騒げるものだと感心する。

起訴もされていない案件で、罪名も確定していない事件を推測だけで語ることは、私にはかなり無謀なことのように思える。

たとえ、その道のスペシャリストに聞いたとしても、彼らも少ない判断材料では、「推測の推測」程度のことしか言えないだろう。

だから、まともな報道機関は、ベビーシッターの実情に的を絞って報道をしていた。
それは、ゴシップ的な軽薄なものにならず、わかりやすかった。

突然我が子を亡くされた母親の心情を思うと、少ない情報で軽々しいことは言えない。
若い母親が、懸命に2人のお子さんを育て上げる。
そのことに関しては、尊敬の念しか浮かばない。

私も2人の子を持つ身だから、子どもを預けて働かねばならない現実は、「痛切に」とは言えないまでも心ではなく、「肌で」感じ取っている。


ネット経由でベビーシッターを頼めるというのは、今回の事件で初めて知った。

ネット社会は、なんでもあり、だ。

便利の裏には、予測不能の闇が潜んでいることもある。
しかし、困っているときは、その便利が「神」に思えるときがある。

すがりたくなる。

それは、私にはわかる。
他の人は、どうか知らないが、私にはわかる。

その行為が、不幸な結果になるなんて、誰にも予測がつかない。
困っているとき、何かにすがるのは、人間として当たり前のことだ。

すがれるものだったら、何にでもすがる。

今の辛さを少しでも軽くしてくれるなら、そして、それが少々の金で解決できるものなら、金を払ってすがってみようか、と思う。

誰もがそう思うかは、その人の環境や経済状況によって違うだろうが、私は、確実にそう思っている。

だって、そこに「救いの神」がいるのだから。
その種の人に頼むことに、私は罪悪感を持たないだろう。

フリーランスという立場の私と、午前中だけ花屋でアルバイトをしているヨメが、子育てをするとき、子どもの諸々の行事を消化しなければいけない場合、子を託せる人がいたら、どれだけ楽だろうか、と考えたことがある。

フリーランスは、すべてにおいて自由な存在だが、いただいた仕事を全うしなければ、次の仕事は来ないという「宿命」のようなものがある。
その「宿命」を全うしようとしたとき、子どもをないがしろにしていいかと言えば、それに対して、私は「否」と答える。

仕事は、他に得る機会はあるが、子どもの行事は、ただ一度だけの場合がある。
その一度だけの機会を逃したら、俺は絶対に後悔するだろう。

だから、子どもの行事をいつも優先してきた。

それは、恰好をつけた言い方だということは、自覚している。

ヨメの協力があってこその私の「わがまま」だ。

だから、私は恵まれていたのだと思う。
子どもの成長を五感で感じ取ることができたのだから。


しかし、若い母親の中で、幼い子どもたちを育て上げようとしたとき、障害はたくさんあると思うのだ。

環境や周囲の目。
そして、現実に立ちはだかる経済的な状況。

恵まれた人たちはきっと、「なんで見ず知らずの人に、子どもを預けることができるの」と言うかもしれない。

しかし、恵まれた人たちの「選択肢」と生活優先の人たちの「選択肢」は、まったく違う。

金が、この世のかなりの分野を支配していることは間違いがない。
そして、多くのことは金で解決がつくのも真理だ。

そして、金に縁のない人は、私も含めて、金の消費が少ない方を選ぶ。
なぜなら、生活を優先しなければいけないから。


事件は、不幸だったと思う。

誰も他人に預けた子が、不幸な終焉を迎えることなど想像ができない。
それを想像できる人は、神がかり的な能力を持った人だろう。

「見ず知らずの人に大切な我が子を預けるなんて、私は想像できません」という人は、数多くいると思う。


だが、想像しなければダメだ。


恵まれた環境にいる人には理解できないかもしれないが、恵まれた人が多くを占める社会ならなおさら、「その想像力」を研ぎすませば、あるいは共有すれば、必ず不幸は防げる。

恵まれた環境にいる親の「優越感」は、感覚を鈍くする。

子育てに身を削る親たちの現状に、優越感は邪魔になるだけ。
黙っていてくれた方がいい。

顔の見えないネット社会に、大事な子どもを預けなければならなかった親の現実にこそ目を向けるべきだ。


便利すぎるネット社会に、すがらなければならなかった親の現状こそが、今回の事件の本質だと思う。


幼い子どもが亡くなった代償は大きいが、安心して子どもを託せる社会が確立されたとき、’それは確実に供養になると私は思っている。


鈍感な時代

2014-03-16 08:25:00 | オヤジの日記
浦和のサポーターが、人種差別的横断幕を掲示したことが問題になっている。

人種差別がいけないことは、常識的な大人ならわかる。

当事者は、「ゴール裏はサポーターの聖地だから、外人に入ってほしくない」と言っているらしいが、それが非論理的だということに気づかないのは、きっと数多いサポーターの中でも、自分だけは特別だと思っているからだろう。

Jリーグとしては、差別撲滅のために厳しい対処をして、再発防止に努めたいこともあって、思ったよりも早く処罰が決まった。
ただ、拙速に処罰して、解決方法をチーム側だけに委ねただけでは、根本的な治療にはならない気がする。

差別に関して、人は鈍感だ。

誰でも差別意識を持っているから、意識せず、悪意も感じないで、差別をすることがある。
もちろん、私もある。

指摘されて初めて気づき、罪悪感に苛まれることがある。

差別に敏感すぎる社会は嫌だが、鈍感すぎる社会はもっと嫌だ。


話は違うが、マタニティマークというのがある。
自分が妊婦さんだということを、世間に告知するためのものだ。

ついこの間まで知らなかったのだが、このマタニティマークでトラブルになることがあるらしい。

故意に腹を蹴られたり、足を引っかけられたり、「妊婦が電車になんか乗るなよ」と罵倒されたりすることがあるらしい。
どこにも、一部ではあろうが、危険な感情を持った人はいる。

99パーセントの人のマナーが良くても、残りの1パーセントの人が要注意人物だった場合、明らかに、1パーセントの人たちの方が目立つ。

ただ、マタニティマークの記事を読んだとき、本当にこんなことをする人がいるのかな、という軽い疑問を持った。
それは、マナーや常識以前の「犯罪者予備軍」の行為ではないかと思った。
いくらなんでも、あちこちに、そんな人がいるわけがない。

だから、都市伝説の一種ではないか、と勝手に判断した。

しかし、先日山手線に乗ったら、7人の男子高校生の集団と居合わせた。
私は立っていたが、全員が、一列に座っていた。
そんなに柄の悪い高校生ではなかった。
話す声も大きくなかった。

常識的な子たちだな、と思った。

そのとき、妊婦さん2人が電車に乗ってきた。
高校生たちは、妊婦さんの存在を認識していたが、誰も席を立たなかった。

他の席に座っていたサラリーマンが立ち上がって二人を呼んだので、妊婦さんは、頭を下げながらそちらに移った。
それを見ながら、高校生の一人が、「でっかい腹して恥ずかしくないのかね」と言った。
その言葉につられるように、他の高校生が、「前なんか、車内が、そこそこ混んでいたから、邪魔になって押してやったよ」と得意げに言った。

それを聞いても、他の高校生は、ただ笑っていただけだった。

つまり、ネットで読んだ記事のようなことが、現実に起きているということだ。
しかも、罪悪感がない。

鈍感な犯罪者予備軍。

心の中の鈍感の面積が大きくなったら、ひとは他人の尊厳を傷つけることは、平気でやる。

鈍感だから、人の痛みを想像できない。
なぜ人が嫌がるのかも想像できない。

怖いことだ、と思う。


浦和レッズは鈍感だった。
だから、何年も前からサポーターがトラブルを起こしても、鈍感なままのチーム経営で、一部サポーターをのさばらせた。

たった数人の行為でも、悪は目立つ。
そして、悪いことは、真似しやすい。
いいサポーターが大勢いたとしても、それは簡単に駆逐されてしまうこともある。

スポーツに限らず、それは、どこでも起こりうる現象だ。

おそらく、STAP細胞に関わった研究員の方々も、鈍感だったのだろう。
頭脳明晰でも鈍感な人はいるということだ。


偉そうなことを言っても、私もかなり鈍感になっていると思う。
だから、自分の鈍感さを意識しながら、少しずつマナー、モラルに敏感な自分を形成していこうと思う。


そうとう時間がかかりそうな気がするが。


小銭のない生活

2014-03-09 08:12:00 | オヤジの日記
消費税が上がると、小銭が面倒くさいなあ、という感想は多くの人が持っていると思う。

私は、消費税増税が決まった日から小銭を持ち歩くのをやめた。
だから、1年近く財布の中に小銭がない。

軽くていい。

買い物には、カードを使っている。

VISA、VISAデビット、SUIKA、PASMO、ナナコカード、ワオンカードの6枚だ。
ただ、VISAカードは、20年以上前に取得したが、10回も使っていない。
後払い形式というのが怖くて、よほどのことがない限り使う気にならないからだ。

だから、現実として使うのは5枚だ。
これで、すべてが間に合う。

私がよく行くスーパーでは、VISAデビットカードが使える。
コンビニや大手の居酒屋、ドラッグストア、家電量販店、ドン・キホーテでも使える。

電車やバスは、当然SUIKA、PASMOだ。
バスなどは、乗った分だけ安くなる特典があるから、嬉しい。
SUIKA、PASMOは、スーパーやコンビニ、書店でも使えるところがあるから、これは持っていて損はない。

ナナコカード、ワオンカードは、当たり前のことだが、系列店では確実に使える。
二つとも系列店の数が多いから、使い勝手がいい。
ワオンカードは、宅急便のヤマトでも使えるから、私は荷物はヤマトで出すことにしている。

つまり、ほとんど困ることはないが、たとえば、ラーメン屋やカレーショップ、定食屋などでは対応していないことが多い。
だから、必然的に、この手の店には行かないようになった。

ファミリーレストランでは、最近使える店が増えたので、外出先でメシを食いたくなったら、そちらに行く。
それに、駅などの立ち食いそば屋では、ほとんどがSUIKA、PASMO対応なので、急ぎのときは、そこで食う。

他に困るのは、切手を買うときだ。
この場合は、小銭がでないように、現金で買う。

たとえば、80円切手を12枚と40円切手を1枚という具合だ。
40円切手というのは、なかなか使う機会がないが、2枚集まれば80円切手になるのだから、損ではない。


先日、よく行く近所のスーパーで買い物をした。
ここは、小さいスーパーだが、パスタの種類が豊富だ。
パスタ好きの私には、たいへん都合がいい。

数種類のパスタとパルメザンチーズ、ガーリック・ソルトを買った。

買い物かごをレジに持っていったら、あり得ないことに、二つのレジのICカード読み取り機が点検中になっていた。
ここでは、いつもVISAデビットで支払っていた。
現金は、まさかのときのために持っている千円だけだ。

そうか。
こんなこともあるのか。

まるで夜道で、脇道から無灯火の自転車が走ってきたような唐突な驚きがあった。

ヤバいと思ったが、時すでに遅し。
レジのお姉さんが、手際よくPOSシステムに買い物を読み取らせていた。
「2382円でございます」

VISAでは、払えませんよね。

「申し訳ありません。ただいま点検中でございます。現金かワオンカードでお願いします」と言われた。

そうだった。
このスーパーは、イオン系列だったのだ。

ワオンカードを持っていてよかった、と思った。
誇らしげに、ワオンカードを提示した。

しかし、「申し訳ありません、お客様。残額が足りないようです」。

いくら、足りませんか。

「残額は、1645円でございます」

要するに、700円以上不足しているというのである。

焦った。

しかし、すぐに、千円札を持っていたことを思い出した。
チャージしてもらった。

それで、無事に支払うことができた。


カードは、便利である。
しかし、残額を確認しないで使うと、恥をかく。


これが、今回の教訓。


皆様も、お気をつけ下さい。


店員の態度

2014-03-02 08:07:00 | オヤジの日記
ラーメンは好きだが、最近は、あまり店に行かなくなった。

友人で年に5百杯はラーメンを食う男がいて、年に2、3回、彼に連れられて行く程度だから、おそらく日本人の平均としては少ない方ではないだろうか。

先日友人に連れられて行ったラーメン屋では、スープを残したら舌打ちをされた。

ラーメン屋というのは、そこまで偉くなったのか、と思った。

お偉い彼らは、「まずいから残した」とか「口に合わないから残した」という想像はできないのだろうか。
「俺のスープ」を残すのは、悪の所行だとでも思っていらっしゃるのだろうか。

店に入った途端、頭にハチマキ、眉間に皺を寄せた店員が、「いらっしゃいませー!」と怒鳴る。
しかし、勘定を払ったときに「ありがとうございました!」と怒鳴ることはない。

むかし、厨房で眉間に皺を寄せたお兄さんに、「ねぎラーメンをください」と言ったら、あごをクイッと店員の方に振って、「あいつに言って」と言われたことがある。

相当お偉い人なのだろう。
下々のものが声をかけてはいけないくらい、おそらく客よりも遥かにお偉い人なのだ。


昨日、息子がバイト先近く(品川)のラーメン屋に入ったのだが、そこのラーメン屋も「お偉い人」がやっていたようだ。

息子がとんこつチャーシューを頼んだら、他の人のは10分以内に運ばれてきたが、息子のは10分待っても20分待っても出てこなかったらしい。
恐る恐る「あのー、まだでしょうか」と店員にお伺いを立てると、店員に「え! だったら、早く言って。予定が狂うじゃないですか」と逆ギレされたのだという。

さらに10分ほど待って、やっとラーメンが運ばれてきたが、店員は謝りもせず、「お待たせしました」さえも言わなかったらしい。


ただ、こんな例は、おそらく稀なのだろう。
多くのラーメン屋さんは、良心的な営業をしていて、だからこそ行列ができたりリピーターがたくさんいるのだと思う。

ラーメンを年に5百杯食う友人は、10年ほど前まで静岡でラーメン屋を営業していたが、4年半で店を畳んだ。
店主と客や客同士が和気あいあいとおしゃべりをする、まるでサロンのようなラーメン屋だった。

誰もが笑顔で、ラーメンを食べ終わっても会話が弾んで、客が腰を上げないという回転率の悪い店だったから、おそらく儲からなかったのだろう。

しょう油ラーメンとつけ麺、餃子だけのシンプルな品揃えだったが、味は平均点以上だった。
さらに和やかな会話というのが付加されるから、食い終わったあとの余韻が良かった。

店の前に行列ができたのを一度も見たことはないが、話の行列はできていた。
ただ、どんなに心地いい店でも、つぶれてしまったら何にもならない。


店主が無愛想で、どんなに店員の態度が横柄でも、長く続いている店がいい店だ、という真理もある。

年に5百杯ラーメンを食う私の友人は、決してラーメン屋の悪口を言わない。
味に関しては、辛口の意見を言うことはあるが、「一回食べただけではわかりませんからね。今度来たときは、違うメニューを試してみましょう」と、必ずフォローすることを忘れない。

一度、店員に舌打ちをされただけで腹を立ててはいけないのだろう。
温厚な彼を見習わなければいけない。

今度もう一度行って、また堂々とスープを残してみようか。


また舌打ちされたら、丼をひっくり返すかもしれないが………。