リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

女性大統領

2013-02-28 05:49:57 | オヤジの日記
韓国では、新しい大統領が就任したようだ。

近隣諸国・・・韓国、中国、台湾では、指導者が変わると、必ずと言っていいほど、「日本は過去の歴史を直視して、謝罪を」などというのが決まりごとになっているように思える。

そして、日本でも指導者が変わると、その人の主義によっては、過去を謝罪する場合もあるから、日本の指導者は、過去に何度も近隣諸国に対して謝ってきた経緯がある。


謝っているのに、また謝れ、と言う。

要するに、謝り方が足りない。
誠意が感じられない、ということなのか。

しかし、英国は、過去に中国などに対して、相当な仕打ちをしたが、かの国が謝ったというのを聞いたことがない。
私の知識不足かもしれないが、中国側が英国に謝罪を要求したのも聞いたことがない。

米国が己が蹂躙した国に対して、謝った姿も見たことがない。


核保有の白人世界は、やりたい放題でも、許されるものらしい。


たとえば、中国、韓国、台湾の子どもが、小学校に入学したとする。

そこで担任から「お前のお父さんは、過去に学校に多大な迷惑をかけた。窓ガラスを何枚も割ったし、花壇も壊した。校庭の桜の木を切り倒した。お前のオヤジが迷惑をかけたのだから、子どものお前も謝れ。お前にも責任がある」と言われたら、その子どもは、謝るだろうか。

これが稚拙な喩えなのは承知だが、大雑把に言えば、近隣諸国の要求は、ニュアンスとしては、これに近いと私は思っている。


日本に謝罪を要求することで、指導者としての「強気度」をアピールする。

強い政治家であるという自己アピール。

しかし、強気なポーズを向けるのは、日本に対してだけ。

敗戦国に対する重石は、戦後68年経っても、一向に外れる気配がない。

短い期間に経済を隆盛させ、世界に貢献したとしても、断固として許さない国がまわりに多々あるという状況は、過去の人類の歴史に存在したろうか。

敗戦国は、たいていは惨めなもので、壊滅的な打撃を受けた国は、消滅する運命にある。

消滅せずに隆盛したから、叩かれる・・・・・のか。
金を持っているから、叩かれるのか。

無償援助、ODAで多額の金が近隣諸国に渡ったとしても、その国の国民は、おそらくその現実を知らされていない。

道路や橋、その他のインフラは、自分たちで構築したと思っている。

度重なる謝罪の要求は、その現実を覆い隠すために、これからも続けなければならない政治家の儀式のようなものなのか。
そうしないと、指導者として「失格」の烙印を押されてしまうから。


もし日本という国が消滅していたら、彼らは、何を拠り所に国を保っていっただろうか。

責任をなすり付け、自らの失敗を覆い隠すためのスケープゴートがなかったら、彼らはどうしたろうか。

仮定の話をしても意味はないが、少し気になる。



ところで、東アジア初の女性指導者の誕生は、単純に喜ばしいことだと私は思っている。

女に指導者が務まるわけがない、という考え方は、好きではない。

性別に関係なく、機会は平等に与えられるべきだ。

日本の国会における女性割合(衆院)は、187カ国中121番目。

これで、先進国と言えるのか、と私はずっと思っていた。

政治家に限らず、既得権にしがみついた日本の男社会の歪みは、国の体制、進歩を硬直化させる。

韓国の女性大統領が、政治家として高い評価を得たら、男尊女卑が蔓延る日本の政界にも多少の影響はあるかもしれない。


いや、男であることが最大の既得権だと思っている政治家、企業家、有権者(女も含めて。日本では女の敵は女だから?)の意識が、そう簡単に覆るわけがないか。


聞くところによると、戦国の武将に男色家が多かったのは、女を卑しむ意識と同時に、女を畏怖する気持ちも強かったからだという意見もあるようだ。


そろそろ女性を畏怖する(既得権を犯す)対象ではなく、尊敬する対象に変換してもいいときが来ているのではなかろうか。


そういう意味で、韓国の女性大統領には、頑張っていただきたいと思っている私です。


ノムラぎらい

2013-02-21 06:05:56 | オヤジの日記
私が野球を嫌いになったのは、野村克也氏のせいである。

人が誰かのことを「嫌い」というとき、興味がない、知らない、などと表現する人がいるが、その表現は嫌っている相手に失礼な言い方だと私は思う。

「興味がない」「知らない」というのは、「嫌い」というのとは違う感情だ。
それは、無関心である、ということを殊更に強調して言っているに過ぎない。

それなら、わざわざ「興味がない」「知らない」などとは言う必要はない。
(ただ、「興味がない」「知らない」という感情の裏には、興味は大いにあるが、そう言うことによって、相手に対して優越感を感じたいという意識もあると思う)


興味があるから、嫌いになる。

私の野村氏に対する感情は、それである。

野村氏には、大変興味があって、彼の言動を私はいつもチェックしている。
その上で、その表現方法が気に食わないから、「嫌い」だと公言している。

自虐的かつ劣等感丸出しの表現を使いながら、どこか他人に対して歪んだ優越感も持っているような屈折した彼の物言いが好きではない。

相手に面と向かって言わずに、報道陣などを通して、他人を批判する方式も好きではない。
(野村氏をおだてあげて、その種の言動を積極的に取り上げるマスメディアも程度が低いが)

野村氏の采配を、どういうわけかID野球などと言って評価する向きがあるのも気に食わない。

近代野球はデータ収集が主流である。
ただひとり野村氏だけがデータを駆使しているわけではない。
多くの指揮官が、データを元に戦略を練っていると思う。

それなのに、殊更にデータをアピールする野村氏の自己主張が好きではない。

私も、スポーツに限らずデータを解析するのは好きだ。

だから、ここでは、純粋に野村氏の監督としてのデータを基準に、私がなぜ彼が嫌いなのかを説明したいと思う。

彼は、本当に世間が言うほどの名監督なのか。
それは、誰かが誘導した「世論イメージ」だけなのではないか。
あるいは、夜郎自大のご本人が、懸命に自己アピールした結果か。

たとえば、純粋に成績だけを見てみると、彼は歴代監督の勝率30傑には、入っていない。
(1位は、鶴岡一人氏の23年で.609。30位が、別当薫氏の20年で.517)

野村氏の場合、24年間の監督通算勝率が、ちょうど5割。
Aクラスが12回、Bクラスが12回。
つまり、勝ったり負けたり。

歴代勝利数は、第5位。
唯一これは評価できるが、長いことやっていたのだから、当たり前と言えば当たり前。
彼より長く監督をやったのは、29年の藤本定義氏、26年の三原治氏だけだ。
つまり年数、試合数ともに、歴代3位。

しかし、勝利数は、歴代5位。
要するに、勝率が悪い。

リーグ優勝回数は5回だが、特別多いわけではない。
同じ5回の監督では、上田利治氏は、20年で5回。長嶋茂雄氏は、15年で5回。

日本一の回数は、3回。
上田利治氏は、20年。広岡達朗氏は、8年。古葉竹識氏は14年で3回。
(ちなみにリーグ優勝回数、日本一回数が一番多いのは、川上哲治氏の11回)

つまり、データだけで見ると、同じような監督経験を持つ上田氏と、実績はそれほど変わらないことになる。

ただし、上田氏の場合、勝率は.538。

ID野球というイメージ戦略だけで、名監督の称号を得ているが、勝率5割の指揮官が「名監督」と言われることに、私は相当な違和感を持っている。

それなら、上田利治氏は、野村氏を超える評価を得てもいいはずなのに、彼も名監督と言われてはいるが、野村氏ほど評価は高くないように、私には思える。


そして、何と言っても、タイガースを3年連続で最下位にしたという「実績」。

長いタイガースの歴史の中で、3年連続最下位だった監督は一人もいない。
他には、中村勝広氏の2年連続があるだけだ。

最初の一年目が最下位なのは仕方ないにしても、2年目、3年目も最下位というのは、「名監督」としては、いかがなものか。


ゴールデンイーグルスの時は、初年度は最下位。
2年目が4位。3年目が5位。
4年目が2位だから、4年目は評価できる。

ただ、2位と言っても、勝率は.538だから、それほど高いわけではない。
(1~3年目の平均勝率.422よりは、ましではあるが)


この実績で「名監督」と言われるプロ野球界の常識が、私には理解できない。

人は、野村氏に寛大かもしれないが、私は、このデータを見る限り、寛大になれないのだ。
この程度の成績の監督を「名監督」と評価する世界に、私は馴染めない。

だから、プロ野球に対する興味が徐々に薄れていって、野村氏がいなくなった今でも、その興味が復活することはない。

そして、勝率.488、Aクラス3回、Bクラス7回の実績を持つ監督が、日本代表監督に選ばれるというデータ無視、行き当たりばったりの方針にも呆れている。


そして、その選考に関して、野村氏は、「彼に代表監督は無理だよ」と、大上段から一刀両断するのだ。

「実績もキャリアも実力もないのに・・・」

要するに、「俺にやらせろ」という傲岸不遜。

勝率5割の「名監督」が、勝率.488のBクラス監督を批判する。


そのあからさまな「俺様」ぶりを聞いて、私は、さらに彼のことが嫌いになったのである。



ダンミツ

2013-02-14 06:00:28 | オヤジの日記
ネットを見ていたら、「女子アイホケ」という表現が目にとまった。
「アイホ娘」と表現しているところもあった。

これは、すぐに意味がわかった。
おそらく「女子アイスホッケー」のことだろうと思った。

意味はわかったが、私の周辺で、女子のアイスホッケーを知っている人はほとんどいないし、まして、「アイホケ」「アイホ娘」などという表現を使う人はいないから、初めてその文字を見たとき、相当な違和感を持った。

たとえば、フィギア・スケートのことを「フィスケ」とは言わない。
スピードスケートのことも「スピスケ」とは呼ばない。

世界陸上のことを、たまにメディアでは「世陸」と略すことがある。
これも、見てすぐにわかったが、その雑な略し方には、苦笑を禁じえない。

それを見て「世界大陸」と間違えた人もいるのではないか(いないか)。

むかし、お笑いタレントの志村けんさんのことを「しむけん」と略して言っている人がいた。

「ら」しか、略されていない。
それなら、普通に「しむらけん」でいいではないか。

世陸は、意味合いが違うが、それと同じように、雑な略し方だと思う。


では、「世界水泳」は、「世水」というのか。
おそらく、そう略して言う人がいるに違いない。
「世田谷水道局」と間違える人はいないのか。


「世界柔道」は、「世柔」ですか。
これも、きっと、そう言うのだろう。
「世界柔軟体操倶楽部」と間違えることは・・・・・。


女子のアイスホッケーが、オリンピック出場により日本中に認知されて、ひとりアイドル的な子がいて人気が出たら、きっと世の中の人の多くは、アイスホッケーのことを「アイホケ」と言って、さも「最初から応援していたんだよ」的な雰囲気を撒き散らして、自慢するんでしょうね。

そして、オリンピックが終わって、数ヶ月もすると、簡単に熱は冷める。

結局、選手たちだけがいいように弄ばれて、ブームは消え去る。

そんなことの繰り返し。

そう考えると、勝手に略されてブームを煽って、使い捨てにされる方こそいい迷惑、という気がしないでもない。


今の話とは意味合いが異なるが、野球チーム代表を「さむらい」、サッカーチーム代表を「なでしこ」という呼ぶ方式にも、私はいまだに馴染めない。
スポーツチームに、「さむらい」「なでしこ」って、いったい何の関係が?

たとえば、「ザック・ジャパン」、「王ジャパン」という言い方の方が、私にはわかりやすい。
すぐにイメージがわく。
(この私の意見には、仲間内でも異論の方が多いので、無理に主張はしないが)


はなし変わって、壇蜜さん、という方がいる。

今は、それが誰のことを言っているのか知っているが、最初、漢字を知らずに「ダンミツ」という語感を聞いて、これは、絶対に何かの名前を略して言っているのだと思った。

ダンドウ ミツゴロウ

ダンダ ミツノスケ

ダンゴヤ ミツベエ

歌舞伎役者の流れをくむ人か、和菓子屋さんの五代目ではないか、と想像した。

しかし、みんなから一斉に「馬鹿だなあ、グラビアだよ、グラビア!」と、軽蔑の眼差しで見られて、無知な勘違いを諭された。


まさか、「ダンミツ」が芸名だなんて、語感を聞いただけでは、想像できませんよ。

皆さん、本当に、すぐわかったんですかね。

私が特別無知なのかもしれないが、そんな日本語は、一度も聞いたこともなければ活字で見たこともない。


しかし、その言葉を知ってから、しばらくは「壇蜜」という言葉が、私の頭を離れなくなった。


ダンミツ・・・・・壇蜜・・・・・。


電車に乗っていて、年配の方たちの会話の中で「あそこのアンミツは、美味しくて・・・」というのを「壇蜜が美味しくて」と聞き間違えて、苦笑いしたことがある。


ちょっと、「ダンミツ」という言葉が、いまクセになっているかもしれない。



スッテンコロリンと不公平

2013-02-07 08:53:17 | オヤジの日記
東京の昨日は、少しだけ雪が降った。

大雪注意報は出たが、積もるほどではなかった。


「大雪注意報って、いったい何十センチ積もったんだよ」

「スッテン、スッテン転んで、みっともねえな、転ぶくらいなら外に出るなよ」

「東京のやつは、学習能力がないのかよ」

「雪で電車が止まるなんて、だらしねえ」


数センチの雪で、都市機能が麻痺する首都圏を揶揄して、そんな風につぶやいている人のご意見を目にした。

つぶやきの主は、おそらく雪国に住んでいらっしゃるのだろう。
だから、俺んところなんて、そんなの慣れっこだよ、という小さな優越感でつぶやいているのだと思う。

しかし、豪雪地帯にある空港だって、大雪が降れば、閉鎖されることもある。

要は、インフラ設備が、どの程度の雪を見込んでいるかによるだろう。

東京で10センチ近い積雪があるのは、数年に1回程度だ。
その程度の頻度なら、完全雪シフトのインフラを整備するのは、経済的に割が合わない。

東大大学院の教授なども、東京の雪に対する脆弱性を上げているが、世界中の人口密度の高い大都市の現状は、ほとんどが、こんなものである。
東京だけが例外ではない。

都市機能が麻痺したとしても、麻痺しっぱなしではない。
一時的な現象で大騒ぎするのは、学者先生の悪い癖だ。

このような大都市と比べて、豪雪地帯は、雪のためのインフラを完全装備しなければ、日常生活に支障が出る。
ただ、それでも想定外の大雪が降ったら、インフラが間に合わなくなって、豪雪による「災害救助法」が発動されることもある。

そして、人口の対比というものもある。
豪雪地帯の人口密度と都会の人口密度は、明らかに違う。

短い間隔で沢山の乗客を運ばなければいけない東京の鉄道は、地方とは運送能力が格段に違う。
安全を期すために、点検に関して、より慎重にならなければ、致命的な事故につながる危険がある。

だから、「雪で電車が止まるなんて、だらしねえ」と言われても、点検を怠るわけにいかない。
「だらしねえ」と言われようが、安全が一番大事だからだ。

逆に、豪雪地帯で空港や駅が閉鎖されたという報道があっても、都会人の多くは、それを見て「大変だ」とは思っても「だらしねえ」とは思わないものだ。

「転ぶくらいなら外に出るなよ」と言われて、「はい、うちで休んでいます」と気楽に答えられる人は、おそらく社会的に信頼を失っている人だ。

雪道で転ぶのは、ただ単に雪道の歩き方に慣れていないから。
そして、道路事情が、雪を想定した作りになっていないから。

さらに、東京と北国の決定的な違いは、雪の質だ。

ベチャベチャの雪とパウダー・スノウ。

雪がやんだあとの翌日朝の道路事情が、明らかに違う。
雪の凍結の仕方が違う。

私の友人で、福島県郡山市出身の男がいる。

東京の大学に入って、初めて東京の雪を体験したとき、「何だよ、この水っぽい雪は! 傘がすぐ重くなって気持ち悪いな」と文句を言った。
「郡山の雪はサラサラだよ。あれが本当の雪だ」

東京の雪に馴染めない彼は、過去に2度、転んで大怪我をしたことがある。
一度は、タクシーから降りて、歩道に上がろうとしたとき、転んで尾てい骨を打って、全治3週間。

もう一度は、コンビニのドアの横で勢いよく滑って、コンビニの看板に激突。転んだときに、看板の角で手のひらを切って、7針縫う大怪我をした。

郡山は、豪雪地帯ではないらしい。
しかし、東京よりは、雪が降る確率は格段に高いだろう。

つまり、ある程度は雪に慣れているはずだ。
しかし、そんな彼でも、東京ではスッテンコロリンするのである。

それを聞いた私は、彼のことを「みっともねえ」とも「だらしねえ」とも思わない。

災難だった、と思うだけである。
そして、東京のスッテンコロリン事情は、東京に住んでみないとわからない。

私たちが、豪雪地帯の雪の怖さを映像でしか知らず、その大変さを乏しい想像力でしか理解することができないのと同じだ。

大切なのは、「みっともねえ」「だらしねえ」ではなくて、普通の想像力と思いやり。


話変わるが、以前ニュースの街頭インタビューのようなもので、北海道出身の若い男が、こんなことを言っているのを見た。

「東京の人はいいよね。冬は暖房費がかからないじゃない? そのくせ、給料は北海道の人よりも多く貰っているんだから、ずるいよ。北海道は、暖房費が、すごくかかるからね。不公平だと思うよ」

最初は、冗談で言っているかと思ったが、表情からすると、どうやら真面目に言っているらしい。

彼が北海道のどこに住んでいるかは知らないが、東京と北海道では、まず物価が違う。
土地の価格も違う。
だから、給料が違う。
これは、経済理論に則れば、当たり前の話である。

確かに、冬の温度差が違うから、北海道では暖房費は多くかかるだろう。

しかし、夏の温度差も違うはずである。
涼しい所では、夏の冷房費は東京よりも抑えられるのでは?

それに私の友人は、10年以上前に札幌に転勤したが、彼が言うには、彼の会社では、東京にいた頃にはなかった「暖房手当」というのが支給されているという。

もちろん、北海道の企業に勤める会社員全員が「暖房手当」をもらっているわけではないだろうが、東京の企業で「暖房手当」を支給しているところは、おそらくごく少数派だ。

寒いから「暖房手当」が出る。
それは、理にかなっている(金額にもよるが)。

それに対して、寒くない東京は「暖房手当」が出ない(猛暑が続いても『冷房手当』さえ出ない)。
だからと言って、東京人は、「暖房手当」「冷房手当」が貰えないから「不公平だ」とは、まず思わない。

寒冷地というのは、それほど大変なんだ、と思うだけである。


東京のスッテンコロリンが「みっともねえ」と思う人は、5センチの積雪があった次の日の朝、六本木アマンドの横にある芋洗坂を歩いて下りてみてください。

楽しく滑ることができます。


あるいは、「東京は暖房費がかからなくて、不公平だ」と思っている方。
新宿から立川あたりの中央線沿線のどこかのアパートを借りて、ひと冬、過ごしてみたらいかがでしょうか。

「暖房手当」のない生活をしてみたら、どうでしょうか。


それでも、不公平だと思えるかどうか。