リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

幸せな誕生日

2017-11-26 06:28:00 | オヤジの日記

五反田の小料理屋。

カウンターには、長年の友人の尾崎の妻・惠実がいた。

恵実の友人の店だが、友人が海外旅行に行っている間だけ、惠実が店を任されているのだ。

和服を着た恵実は、年季の入った女将にしか見えなかった。

決して美人ではないが、どんな洋服や和服でも着こなすセンスは持っていた。

着物姿の恵実を見て、大旅館の女将と言っても、誰も違和感は持たないだろう。

 

カウンターには、40歳くらいの板前さんがいた。

まずは、アンコウの煮こごりを出された。

いきなり高級料理じゃないですか。

食ったことねえぞ。

食い慣れないものだから、美味いとも思わなかった。

生ビールを飲んで、ただ胃に流し込んだ。

味には感心したが、2度目を食いたいとは思わなかった。

人生で1回だけでいい、と思った。

俺って、貧しいのかな。

 

次は、アンコウの唐揚げだった。

美味かった。

でも、これも1回だけでいいかな。

あん肝も出された。

これも、1回だけでいいかな。

だが、一応、美味いなあ、これ! と感激したふりだけはしておいた。

ご馳走になっているのだから、それくらいの演技は必要だろう。

生ビール2杯目。

今度は、アンコウ鍋を出された。

「コラーゲンたっぷりですから」と板前さんが言った。

白髪のガイコツに、コラーゲンは必要なのか。

いまさら肌だけプルプルになって、何の意味があるのだ。

まあ、美味かったけど。

 

3杯目の生ビールを頼んだとき、尾崎が子ども3人を連れて入ってきた。

そして、いきなり、子どもたちが手に持ったクラッカーを放射しやがった。

「サトルー、誕生日おめでとう!」

 

ああ、どうもありがとうございます。

 

そのあと、尾崎が手に持った包みを私に渡した。

「FENDER」のベースだった。

大学時代、陸上部に所属していた私は、大学3年の後期、膝と腰を痛めて、陸上部をやめた。

そのとき、中学から走ることを生き甲斐にしていた私は、突然生き甲斐がなくなったことに戸惑った。

戸惑った結果、ジャズ研究会という怪しい同好会に顔を出した。

そして、ベースを弾き始めたのである。

なぜベースだったのか、というと当時住んでいた東京中目黒のゴミ捨て場に、ウッドベースが捨てられていたのを拾ったことがあったからだ。

かなり傷んではいたが、応急処置を施せば、音は出た。

そのツギハギだらけのウッドベースをジャズ研究会に持ち込んで、ど素人の私が、上級者の人たちとセッションをした。

 

「筋がいいね」と褒められたが、それがお世辞だということを痛いほど知っている21歳の私は、苦笑いで左頬を歪めるだけだった。

ベースは、それからも続けていた。

尾崎はトランペットとサックスが吹ける。

いつか、セッションをしたいな、と言いながら一度もセッションをしたことはない。

 

今回、尾崎はYAMAHAのトランペットを持ってきていた。

そして、ROLANDのミニアンプだ。

ベースをアンプに繋げて、二人でセッションをした。

「On green dolphin street」

私のベースはお遊びほどのキャリアだが、尾崎は23歳の頃からずっとペットを吹いていた。

だから、まったく腕が違う。

しかし、つたない私に尾崎は合わせてくれた。

一応、形にはなった。

演奏が終わって、尾崎の子どもたちは、どこで覚えたのか「ブラボー!」と拍手をしてくれた。

恵実も拍手をしてくれた。

板前さんも。

 

今まで感じたことのない高揚感があった。

立ち上がって、ありがとう、と頭を下げた。

俺なんか、誕生日を祝ってもらう価値などない男なのに、こんなにも華やかに祝ってもらった。

それが、嬉しかった、

 

家に帰ったら、私の子どもたちがお手製のケーキを作って祝ってくれた。

寒がりの私のために、ヒートテックの手袋とネックウォーマーもプレゼントしてくれた。

 

俺は幸せだなあ、とそのとき強く思った。

 

幸せな誕生日だった。

 


私のブログ作法

2017-11-19 06:20:00 | オヤジの日記

ブログをやり始めてから何年たつかは、はっきり憶えていない。

最初は、むかし付き合いのあったハウスメーカーのホームページのオマケのような形で、住まいに関するお得な情報を提示するだけのブログだった。

そのブログのタイトルは「ハウスメーカーの良心」と言った。しかし、そのハウスメーカーが経営危機に陥り、私に対しての請け負い代金4か月分を踏み倒して夜逃げをしたので、ブログは閉鎖することにした。

私は、ほかに営業用にホームページを持っていて、その中に自身のブログを載せていたから、「ハウスメーカーの良心」は、ずっと閉鎖でも構わないと思っていた。

ただ、一点だけ、私には気に食わないことがあったのだ。「ハウスメーカーの良心」のアクセス数が思ったよりも少なかった。1日平均50足らずのアクセスだった。

もう一つの営業用のブログは、平均すると一日千以上のアクセスがあった。

だから、ハウスメーカー用のブログを、このまま閉鎖するのは癪に障る、と負けず嫌いの私は思った。負けたまま終わりたくはない。そこで、タイトルを変えて、再会することにした。

「リスタートのブログ」として。

 

得意げに言うことではないが、ここ数年の私のブログには特徴があった。

なるべく人を特定されないような書き方をしているのだ。

それは、むかし得意先のことをありのままに書いたら、「おまえは、自分の得意先を馬鹿にするのか」「誰にメシを食わせてもらっていると思っているんだ」などという批判コメントが、たくさん寄せられたことがあったからだ。

さらに、7~8年前に、ヨメの認知症の母親を引き取ったとき、義母の行動をブログに載せたことがあった。

すると、「おまえは年寄りを馬鹿にしているのか」「もっと年寄りを敬え」などという批判が多数寄せられた。

 

そのとき、事実をありのままに書くと批判される、ということを私は学習した。

学習したとともに、ブログを書くのが面倒くさくなった。

その結果、両方のブログを休載した。

しかし、思いがけず、「ブログ、やめたんですか」「楽しみにしていたのに」という温かいコメントが、日に日に寄せられるようになった。

ありがたかった。

人間は単純だ。それが、とても力になった。

 

再開するにあたって、私は当時まだ白髪の比率の少なかった頭髪の内部を最大限働かせた。

要するに、「ありのまま」が良くないのだな、と思った。

たとえば、真実を書いたとしても、それを面白おかしく、フィクションのように書けば、読む側は勘違いするのではないか、と考えたのだ。

たとえ得意先のことを書いたとしても、「こんなことアリエールか」と思わせれば、穏便に済ませてくれるのではないだろうか、と思ったのである。

 

それには、登場人物を外部から特定されない努力が必要だ。

「杉並の建設会社の顔デカ社長」では、人物の特定は難しいだろう。顔のでかい社長は、いくらでもいる。態度の横柄な社長もたくさんいる。

「神田のイベント会社の中村獅童氏似の担当者」と表現すると中村獅童氏を想像するかもしれないが、実は、この中村獅童氏似は、ちっとも中村獅童氏には似ていない。

そんな風な表現をするようにした。

他に、「リブロースデブのスガ君」というのが出てくるが、実は彼は「スガ君」ではなく「ス○君だ」。一文字変えているのだ。

「アホのイナバ」も「イナ○」だ。

新宿で、いかがわしいコンサルタント会社を経営する「オオクボ」は「オ○クボ」。

人物を特定されないようにしながら、事実を書いている。名前以外が事実だ。

 

この方式を取るようにして、私の気持ちは楽になった。

いくらでも好きな表現で、勝手に人を茶化すことができるようになった。

そして、その結果、批判コメントが劇的に少なくなった。

更新回数は多くはないが、続けていけるようになった。

免罪符を得たと思った。

 

ただ、例外もある。

「極道コピーライターのススキダ」は、そのままだ。

どこから見ても極道にしか見えないススキダが、たとえば横浜の街を歩いていて、「あ!極道だ」と石をぶつけられても私は気にしない。

ススキダは、人から石をぶつけられる価値のある男だ。気を使う必要がない。

ほかに「人類史上、最も馬に激似のお馬さん」に関しても、馬にしか見えないから、特定されてもいい。だって、馬は馬だから。

 

長年の友人の尾崎も、そのままだ。

尾崎に関しては、少しの嘘でもつきたくはない。

10年くらい前のことだった。

南青山のバーで飲んでいたとき、尾崎が言ったのだ。

「俺は、おまえと母ちゃん先生がいなくなったら、壊れるだろうな」(尾崎は、私の母のことを当時『母ちゃん先生』と呼んでいた。今は『母さん』だ)

それを聞いて、俺も、尾崎がいなくなったら壊れるだろうな、と思った。

私にとって、尾崎とは、そんな存在だ。

尾崎のことだけは、ありのままを書きたい。

 

何度か登場させた「長谷川七恵」も、そのままだ。

大学時代の女ともだち長谷川邦子の養女。

七恵の名前を変えてしまったら、死んだ邦子の存在が薄れる気がした。

七恵は、「七恵」のまま、邦子の夢を追い続けていって欲しいと思っている。

だから、これからも、ありのままの七恵を私は書くだろう。

 

最後に、厄介な女のことを取り上げたいと思う。

大学時代の2年後輩であるカネコの娘「ショウコ」だ。

27歳の人妻。2人の子を持つ女。

ショウコには、気を使う。ショウコは、私のブログを絶えずチェックしているのである。迂闊なことは書けない。

その内容が真実だったとしても自分にとって気に食わない内容だった場合、ショウコは会ったとき、関節技をかけてくる。

合気道歴20年の関節技だ。痛いよ!

それが怖いので、ショウコの名前にもフィルターをかけていた。

「カネコの娘ショウコ」は、実は「カネ○の娘○ョウコ」だった。

 

いま、このブログの毎日の平均アクセス数は170くらいか。

 

真実をバラしてしまった結果、アクセス数が減るのは覚悟の上だ。

 

でも、私は、このブログ作法を変える気は、毛頭ありませんから。

 

 

だって、関節技が怖いんだもん! 痛いんだもん!

 

 


人数合わせの招待客

2017-11-12 07:11:00 | オヤジの日記

結婚パーティーに招待された。

会場は、港区白金台のイタリアン・レストランだ。

平日の午前11時。

招待してくれた男に関しては、コチラのブログに書いたことがある。

本当は9月の予定だったが、新郎のジェームズが、職場の階段から転げ落ちて、右ひざを割るというヘマをしたので延期になったのだ。

一度しか会ったことがないのに、パーティーに招待する変なガイジン(そのあと一度、婚約者と一緒に食事をしたから、厳密に言えば2回)。

入り口で「会費」という名のボッタクリにあった。

「1万円の会費をお願いします。あとは、心付けはおいくらでも」と、堂々とボッタクリを宣言した招待状が、あらかじめ届いていた。

最近の結婚パーティーって、こんな感じなんですか。

オジさんは、ビックリしましたぞ。

 

会場には60人くらいの招待客がいた。

立食形式のパーティ。

ほとんどが30歳前後の若い人たちだ。

体に重くのしかかるアウェー感。

その光景を見て、ジェームズと新婦さんと新婦さんのご両親に挨拶をしたら、とっとと逃走しようと思った。

ジェームズに近づいた。

すると、私を認めたジェームズに力強くハグされた。

「ブラザー、来てくれて、ありがとう!」

ブラザーというより、年の差を考えたら、ダディの方が相応しいのでは。

ハグしているところを何人かに、見られた。

(なんじゃ、この白髪のガイコツは? きっと、新婦の父親の知り合いだろうな)

そんなアウェー的な不審感丸出しの目がメニーメニー。

新婦さんのご両親も不審な視線を私に突き刺した。

 

さあ、帰ろうか。1万3千円払って、何も食わず何も飲まずに帰るのは心残りだったが、アウェーの場からは、早くゴーアウェイするに限る。

そんなことを考えていたら、司会者が突然「さあ、皆さんで乾杯しましょう!」と叫んだ。

ワインの入ったグラスをジェームズから渡された。

そのあと、司会者は、恐ろしいことを言ったのだ。

「そこの年輩の方!」と私を指さしやがったのである。

「乾杯の音頭をお願いいたしまーす!」

何という空前絶後の出来事だろう。

 

では、みなさま、新郎新婦のお幸せを祝って、カンパーーーイ!

 

ヤケクソで、一気飲み。

ジェームズ、お代わり!

「ワインですか、ビールですか、ウィスキーですか?」

全部!

ジェームズは、本気に受け取って、お盆に3つのグラスを乗せて運んできてくれた。

立食形式ではあったが、会場の隅っこに椅子が用意されていたので、そこに座って、膝にお盆を乗せ、代わる代わる飲んだ。

まわりから、また不審者の目で見られる招待客・ガイコツ。

合計4杯の酒を飲んで、心が落ち着いた。

落ちついたあとで、改めて会場を見回してみた私は、大いに合点がいった。

会場にいるお客さんたちの9割近くは、新婦さん側の知り合いのようだった。

ジェームズ側は私も含めて7人程度しかいなかった。

 

つまり、私は人数合わせで呼ばれたようなのだ。

 

確かに、自分の側の招待客が少なかったら、寂しいと思う。

納得した私は、ジェームズのために、途中で逃走する考えを捨てた。

たった3時間のアウェー状態など、ジェームズの心細さに比べたら何でもない。

開き直ろうではないか、と思ったら、司会者が空前絶後の第2弾を飛ばしてきやがった。

「さあ、ここからは、皆さまから、お祝いのお言葉をいただきたいと思います。全員にしてもらいたいので、スピーチの時間は1分以内でお願いします。さて、見たところ、ここでの最年長は、そちらに座っておられる方だと思いますので、スピーチのトップバッターをお願いいたしまーす!」

何を言っているのだ、コイツは!

久しぶりに、人をグーで殴りたいと思ったぞ。

 

ジェームズ君、モモコさん。おめでとうございます。

人生には、3つの坂があるとよく言われます。

上り坂、下り坂、そして、ツサカ。

末永く、お幸せに。

 

ジェームズとモモコさん、モモコさんのご両親には、ややウケだったが、会場はシーーーーーン。

アウェーだということを、すっかり忘れていた。

ちなみに、ツサカと言うのは、モモコさんの旧姓だ(津坂と書く)。

なぜ通じなかったのだろう? ダンスしながら言った方がよかったのか?

ヤケクソでジョッキを2つ持って、椅子に座った。

他の方たちのスピーチは、程よくウケていた。そりゃあ、トップバッターが、大きく空振りしたのだから、何も言ってもウケますよ(スネ夫状態)。

 

順調に全員のスピーチが終わって、最後は、なんとゴスペルだった。

ジェームズ側の招待客に、黒人さんが1人、白人さんが3人いた。

その4人が、アカペラでゴスペルを歌ったのだ。

それも、驚くほど本格的なゴスペルだった。

特にメインボーカルの黒人さんが、際立っていた。声量、リズム感、声の伸びやかさ。圧倒された。

2曲歌ったが、みんなも感激したのか、普通は、結婚パーティーでアンコールなど、ありえないはずなのに、アンコールの手拍子が止まなかった。

ただ、残念ながら、2曲しか練習していないということで、アンコールには応えてくれなかったが。

 

しかし、そのあと、驚くべき出来事があった。なんと主役が手を挙げたのである。

ジェームズだ。

「僕が歌います!」

深呼吸したあとにジェームズが歌いだしたのは、「AMAZING GRACE(アメージング・グレイス)」だった。

淡々と、そして、しっとりと歌い始め、新婦の手を取りながら、列席者の一人ひとりにお辞儀をしていった。

「すばらしき恵み」

神への感謝の歌だが、ジェームズは、列席者一人ひとりに感謝をしているように思えた。

でかい体に似合わぬ透き通った歌声が、会場に浸透していった。

新婦の友だちのほとんどが泣いていた。

実は、私の目からも水が流れた。

ジェームズが私の前に来た。ジェームズの目からも水が落ちていた。

うなずき合った。

 

ブラザー、最高にカッコいいぜ。

 

入ってすぐ逃走しなくてよかったと思った。

こんなにいいものを見ることができたのだ。

最後に、係の人からクラッカーを渡された。

サン・ニィ・イチ! パーーーーーン!

 

おめでとう、ジェームズ。

 

最高のパーティーだったよ。

 

 

ジェームズの歌声を聴いて、私は、心に決めた。

私に「アメージング・グレース」をくれた人に、これから会いに行くことを。

 

それに関しては、すでにコチラにアップしてあります(駄文長文ですが)。

 

 

あとになって考えたら、酒を飲むのに夢中になりすぎて、メシは、ピザとガーリックチキンソテー、タラのフリット、ベノジェーベソースのパスタ、タコとキュウリのサラダしか食わなかった。実にもったいないことをした。

 


チャハーンとオルゴールでオイシイ

2017-11-05 06:27:00 | オヤジの日記

楽しい友人がいる。

 

テクニカルイラストの達人、通称「アホのイナバ」だ。

私より14歳下の究極のアホ。

「Mさん、衆議院議員ギーン選挙には行きましたか?  俺は、投票所を間違えて、迷って、結局午後8時を過ぎてしまったので投票できなかったです。これって、犯罪ですかね」

もちろん、犯罪だろうね。罰金300円は覚悟しないといけないな。

「300円ですか。そんなに安くていいんですか」

毎日300円を永遠に払い続けるんだよ。1年間で、いくらになるかわかるかい?

「想像もつきませんよ」

これは、想像ではなくて、計算だ。300円×365日だよ。電卓があれば、簡単だろ。

「デンタク?  デンタクって、なんかの略ですよね?  何の略なんだろう」

電光石火で計算するタクシーの運転手のことだろ。

「ああ、確かに、タクシーの運転手って、計算が速そうですもんね」

(お疑いでしょうが、アホは、本気で言っているのですよ)

 

アホのイナバからは、年に3回、同人誌の仕事をいただく。

多摩地区の郷土史や面白話を集めたものだ(部数は400程度)。

執筆者は、14人いた。

全員が毎回寄稿するわけではないが、最低10件の文章は載せることにしているようだ。

ただ、中には、とても依存心の強い方がいて、「原稿が書き上がらない。誰か助けて!」と泣きつくことがあった。

最近は、1~3人の方が、原稿が間に合わないという「無法地帯」に陥っている。

その度に、私が、その方たちに事情聴取をし、何が書きたいかを聞き出し、代筆をするのである。

多摩地区の歴史に詳しくない私は、図書館に通い詰め、資料を漁り、何とか同人誌らしい文章に仕立て上げるのが、ここ4年ほどの習慣になった。

ご老人方、お願いですから、ちゃんとやってください。言いたくはないけど、結構大変なんですから(言ってしまったが)。

 

アホのイナバと国立のバーミヤンで打ち合わせをした。

LINEで「バーミヤンで」と指示すると、アホのイナバは、いつも「バーミンガムで」と返信する。

これは冗談ではなく、アホのイナバの頭では「バーミヤン」イコール「バーミンガム」に変換されているのだ。

しかし、「バーミンガム」と思っているのに、ちゃんと「バーミヤン」に到達できるのだから、これは奇跡と言っていい。

試しに、ここの店の名前は?と聞いてみると、「バーミンガム」と真面目に答えるアホのイナバ。

天才の脳内構造は、凡人にはわからない。

 

イナバ君は、20年近く中央線沿線に住んでいる。

独身のときは、高円寺。結婚してからは、国分寺。

そして、8年前に中央線日野に一戸建てを買った。

中央線には馴染んでいるはずなのに、いまだに「国立(クニタチ)駅」を「コクリツ駅」と言うのだ。

そして、バーミヤンに行く途中に「紀ノ国屋」という高級スーパーがあった。

かの山口百恵さんが、たまに買い物に来るという噂のあるスーパーだ。

その紀ノ国屋の店のロゴは「KINOKUNIYA」となっている。

アホは、ローマ字を全部読むのが面倒くさいのか、あるいは、そもそも能力がないのか、キノクニヤのことを「キノコヤマ」と呼ぶのである。

「いつも思うんですけど、キノコヤマってオッシャレですよねえ!」

 

はいはい。

 

バーミヤンでは、私はW餃子とライス、生ビールを頼むのがルーティンだった。

そして、私は人と同じものを食うと下痢をするという特技があった。

しかし、そのことをイナバ君は、すぐに忘れる。

「ああ、俺も同じものを。ビールはいりませんけど」と言うのだ。

イナバ君・・・大変申し訳ないけど、違うものを頼んでくれないかな。いや、俺が違うものにしようか。

「え? でも、Mさんは餃子が三度のメシよりも大好きじゃないですか!」(ちょっと日本語がおかしい)

では、提案しよう。イナバ君はライスではなく、チャハーンを頼んだらどうかな?

「ああ、チャハーンですね.了解です」

昔、私が、日本ではチャーハンと言っているけど、あれは日本向けの言葉だ。中国ではチャーハンとは言わない。本格的な中国語では「チャハーン」と言うんだよ、と言ったのをアホのイナバは、真に受けて、いまだに「チャハーン」を貫いているのである。

何と、ピュアな男なのだろう。

 

餃子と生ビールを堪能しつつ、仕事の打ち合わせを終えた。

最後にかみ合わない世間話をしたあとで、お会計になった。

イナバ君が「ここの支払いは・・・あれ? あれ? あれ?」と言葉に詰まった。

どうしたんだい?

「あれ? あれ?」

アレアレ音頭を踊りたいのかい?

「アレアレ音頭なんかあるわけないでしょう!」

アホに突っ込まれた。屈辱だ。

 

「Mさん、人の分までお金を払うことをなんて言うんでしたっけ?」

ああ、それは「オルゴール」と言うんだよ。

「ああ、そうでした.オルゴールでした。ここは、俺がオルゴールしますから」

ありがとう。いつもオルゴールしてもらって悪いね。

「だって、Mさんには、いつもお世話になってますから、オルゴールするのが当たり前じゃないですか」

(これも実話です)

 

イナバ君が愛車のベンツを停めた駐車場まで、並んで歩いた。

そのとき、イナバ君が言った。

「Mさん、誕生日が近いんじゃないですか」

アホはアホには違いないが、私の誕生日はなぜか覚えてくれているのだ。

「どうですか、今度、Mさんの好きな『オイシイ・バー』に行きませんか?」

ああ、オイシイ・バー、いいねえ。冬は、やっぱり、オイシイがいいよね。

「そうでしょ! Mさん、本当に大好きですからね。何日がいいですか? 俺、予約しておきますから」

わかった、じゃあ、LINEで連絡するから。

「わかりました.俺も楽しみだなあ。オイシイは、これからの季節、本当に美味しいですからね」

 

賢明な方は、おわかりでしょうが、「オイシイ」は「オイスター」、つまり牡蠣のことです。

むかし私が、牡蠣は美味しいよね。偶然にも、英語では牡蠣のことを「オイシイ」って言うんだよ、というのを信じきって、アホのイナバは、牡蠣のことを英語で「オイシイ」と言うと思い込んでいるのである。

なんと、ピュアな男なのだろう。

去年、アラフィフになったアホのイナバ。

こんなアラフィフが、世間にもっと増えたら、日本はあと百年平和を維持できることだろう。

 

アホのイナバは、いい!

 

私は、そんなイナバ君のことが大好きだ!(ホモではありませんけど)