リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

セキトリのモテ期

2018-08-26 05:29:00 | オヤジの日記

最近、我が家が猫カフェ化してきた。

 

我が家に、猫は一人しかいないが、土日になると入れ替わり立ち替わり、人がやって来る。8人全員が娘のお友だちだ。

我が家のはなはだしいほどのブス猫・セキトリと戯れに来るのだ。猫のおやつや遊び道具をお土産にして、嬉々としてやって来る。

こんなブス猫が、何でこんなに人気があるのだろう。娘のお友だちは、変わった子ばかりなのだろうか。まあ、娘が変わっているから、お友だちが変わっているのは当然か(『おまえに言われたくないわ』と娘のツッコミ)。

お友だち全員が、口をそろえて言う。

「だって、癒されるんだもの!」

しかし、大抵の猫は癒してくれるものではないのか。よりによって、こんなブス猫を選ばなくても。

私がそう言うと、みんなから「顔は関係ないんだよね。この子は偉大だよ。偉大な猫だよ。飼い主なのにわからないの。セキトリは、ブスカワイイんだよ」と抗議された。

 

お友だちが言う。

「だって、セキトリは全然怒んないでしょ。シャーなんて絶対に言わない。爪もたてない。大声で鳴かない。機嫌が悪いところを見たことがない」

確かに穏やかな猫だ。そして、人懐っこい。初対面の子の膝に当たり前のような顔をして乗るのである。

「でも、最初見たときは驚いたわ。子牛かと思うくらい大きいんだもの」

そう、セキトリは、でかい。普通の成猫が、頭のてっぺんから尻尾の付け根まで40から50センチあったとしよう。セキトリは61センチあるのだ。尻尾を入れたら、87センチある。体重は6.7キロ。ノッシノッシと悠々と歩く様は、まるで進撃の巨猫だ。

このでかい体のお陰で、ノラ猫時代のセキトリには敵がいなかったのではないだろうか、と私は考えている。まわりの野良くんたちは、その巨体を見て、喧嘩をふっかけるのを諦めたのだと思う。

それは、まるで吉本の池乃めだか師匠が、千原せいじ氏に挑むようなものだ。勝ち目がない。

敵がいないから、セキトリは穏やかでいられる。大声で鳴いたり威嚇をする必要がない。それが態度に染みついているのだ。

 

8人のうち、一人だけ猫が苦手な子がいた。コトちゃんだ。コトちゃんは、動物全般が苦手で、その中でも猫は見るのも嫌という子だった。「あんな獣に癒されるなんて、みんなおかしいよ。どこから見ても可愛くない!」

我が家では、娘のお友だちが集まって、よく餃子パーティーをするのだが、コトちゃんが来たときだけ、セキトリは、娘の部屋に隔離されることになっていた。

しかし、3週間前の餃子パーティーのとき、突然のことだが、ドアのレバーに掴まって、ドアを開ける技をセキトリが覚えてしまったのである。慌てて、また閉じ込めたが、一度覚えた技は、忘れるわけもなく簡単に開けて出て来るのだ。

青ざめるコトちゃん。そして、「ごめん、私帰る」と言って、コトちゃんは帰ってしまった。

だが、そのときコトちゃんはバッグを忘れたのだ。コトちゃんが、戻ってきた。しかし、よりによって、バッグの一番近くに座っていたのが、セキトリだった。

コトちゃんの顔が引きつっていた。バッグに近づくことができない。「誰か、バッグをとって!」

 

そのとき、コトちゃんの顔を見つめながら、セキトリが正しい日本語で「アワ」と鳴いた。え? と固まるコトちゃん。次に、セキトリは、これもとても正確な日本語で「オワン」と鳴いた。さらに、「オワン」の2連発。

それを聞いたコトちゃんの顔が、ほころんだ。「え? 猫がそんな風に鳴く?」

いいチャンスだと思った娘が、コトちゃんに言った。

「だから、猫だと思わなければいいんだよ。ただ毛が生えている生き物だよ。そして、この生き物は、コトちゃんが怖がることは、ゼッタイにしない」

そのときはもう、コトちゃんの顔は、全くこわばっていなかった。そればかりか、セキトリが体を擦り寄せてくるとセキトリを抱えて自分の膝に乗せたのだ。「重いね。大きいね。ブサイクだね」。最後の「ブサイク」は余計だと思うが。

セキトリは、背中を撫でられて、ウットリとしていた。ただ、誰の膝の上でもそうだが、体がでかいから必ず体の三分の一は、外にはみ出す。しかし、猫はバランス感覚がいい。眠ったとしても決して落ちない。一度、落ちて慌てている姿を見てみたいものだが。

 

それからのコトちゃんは、この3週間で頻繁にやって来るようになった。コトちゃんの家は、国立駅の隣の立川だから、距離的に近い。さらに、ご自宅で、お母さんとピアノの教師をしているので、自由な時間が多い。

週に3回は来ているかもしれない。今では猫が苦手だったとは思えないほどだ。

これで、苦手を克服したね、と私が言うと、コトちゃんは首を傾げながら、「まだダメだと思う。セキトリ以外は触れないかな。セキトリとは信頼関係ができたから、もうなんの抵抗もないけど、他の子と信頼関係を作る勇気はないな」と言った。

コトちゃんは、音楽大学時代の4年間で、20人以上の男から言い寄られ、2人の社会人からプロポーズをされたこともあると言う。

そのモテモテのコトちゃんに、惚れてもらえるなんて、セキトリ、おまえ、完全にモテ期だな。ブス猫の時代が来たな。

 

そんなことを考えていたら、いま想像を絶するモテ期に入った芸人さんを思い出した。

出川哲朗師匠だ。

今ほとんど国民のアイドルと言っていいほどモテまくっていた。

出川師匠の凄いところは、決して虚勢を張らないこと。何をしてもどんな状況でも手を抜かないこと。そのピュアな姿勢が、やっと世間に浸透してきて、出川師匠は1つの時代を作ろうとしていた。

我がセキトリも決して虚勢を張らない。ブスで巨猫だから、虚勢を張っても様にならない。セキトリは、ただただ穏やかな日々を生きていた。

その姿が、娘のお友だちに受けて、セキトリはいま人生初のモテ期を満喫していた。

 

たとえば、出川師匠が、猫カフェの猫だったとしよう。

出川猫は、すぐにお客さんの膝に乗ってくるだろう。

しかし、その後がうるさい。「ギャーギャー、ヤバイよヤバイよ、リアルガチ!」と鳴きわめくに違いない。

最初のうちは、ブスでも人懐っこいからいいか、と思っていたお客さんも、うるさ過ぎて持て余すのではないだろうか。

 

その点、うちのブス猫はおとなしい。確実にお客さんを癒すに違いない。

 

 

ということで、尊敬する出川師匠には申し訳ありませんが、この勝負、セキトリの勝ちといたします。

 

 


旦那様は何者?

2018-08-19 07:08:00 | オヤジの日記

ブライアンが、いきなり「おひさしブリーフ」で出迎えてくれた。

土俵入りの型は、私が教えた通りだった。

 

ブライアンは、極道コピーライター・ススキダの一人娘の旦那だ。

カナダ人。モントリオールで警察関係の仕事をしていた。

私は、彼のことを「ブラちゃん」と呼んでいた。ブラちゃんは、私のことを「サトルゥ」と呼んだ。

私が「おひさしブリーフ」返しをすると、ブラちゃんは、格闘技選手のようなゴツイ体を寄せてハグをしてきた。

一年ぶりの再会だ。

 

ブラちゃんに初めて会ったのは、5年前の暮れのことだった。武蔵野のオンボロアパートで家族の晩飯を作っていたら、ススキダから電話があったのだ。

「いま新宿の料理屋で忘年会をしているんだが、出てこないか」

私は即座に、断る、と答えた。

しかし、ススキダから「店の人がな・・・いい牡蠣が大量に入荷したって言ってるんだ。今年一番の上物らしい」という話を聞いて、態度を変えた。

行ってやることに、やぶさかでない。

 

料理屋の仲居さんに、部屋に案内された。戸を開けると、白人の姿が、すぐに目に入った。それも、筋肉質のキン肉マンだ。

「紹介しよう。俺の娘の旦那さんだ。ブライアンという」とススキダが、私をキン肉マンの隣に押し込んだ。背は6フィートの私と変わらないが、体全体から溢れ出す圧迫感が半端ない。こんな奴とハグはしたくない。壊される。

そう思ったら、0.2秒で抱きしめられた。優しいハグだった。しかし、この程度のことじゃ、惚れないぜ。

このときの面子は、ススキダ夫妻と娘さん夫妻、そして、娘さんのガキだった。

ガキは、日本でも海外でも通用するような名前を付けたという。キラキラネームに近いかもしれない。

キラキラネームに関しては、批判的な人が少なからずいる。だから、ガキの名前は伏したい。

私にとっては、ガキよりもカキ。

おかわりの連続。ススキダたちは、コース料理を食ったが、私はこのとき、牡蠣しか食わなかった。絶品でした。

 

ススキダの娘さんは、五流大学出のススキダと違って、大学はアメリカのボストンに入った。そして、卒業後、カナダの大手セキュリティ会社に就職した。1年後、そこで、警察から研修に来ていたブライアンと知り合った。

ブライアンの一目惚れだったという。娘さんも好青年のブライアンを好ましく思っていたから、結婚までの道のりは、一年足らずの短さだった。

ブライアンは、警察関係の仕事をしているといっても警官ではないらしい。ススキダ夫妻は、ブライアンが何をしているか知っているようだが、私には教えてくれない。他人には教えられないヤバイ仕事なのかもしれない。

ミッション・インポッシブル?

 

5年前のブラちゃんは、カタコトの日本語しか話せなかった。そして、私の英語もカタコトコストコ。

我々2人の会話は、カタカタコトコトしか通じなかったが、それでも不思議なもので、コミュニケーションは成立した。

ブラちゃんがカタコトで言う。ブラちゃんは、7年前(その時点では2年前)に結婚式を日本であげるために、初めて来日した。花嫁は、すでに日本に帰っていて、成田空港に迎えに来ることになっていた。

入国ゲートで、ブライアンは花嫁の姿をすぐ見つけ、花嫁をハグした。しかし、花嫁に「キャー!」と叫ばれた。

「誰よ、あんた!」

人違いだったのだ。よく見ると、全然違う人だった。ブライアンは、とても目が悪かったのだ。おバカなブラちゃん。

「なげらるそに、なました」(注)「殴られそうに、なりました」

 

そのとき私は、おバカなブラちゃんに、日本のギャグを伝授した。

バイキング小峠英二氏の「なんて日だ!」とイヤミ氏の「シェー」だ。

「なんて日だ」は、すぐに覚えた。しかし、「シェー」は、手と足の動作が、なかなか覚えられなかった。手は合っていても足が合わない。今度は、足が合ったら、手が合わないというループ状態。見かねて、ススキダの娘さんが、英語で丁寧に説明したら、一発でできた。

おや? 私の英語がダメだたたたたてことすかい?

 

それ以来、ブラちゃん一家が、日本にやって来ると、必ず私も食事の席に呼ばれるようになった。2年目からは、ブラちゃんが、夏の方が休暇が取りやすいというので、8月の開催になった。

場所は、いつも新宿の料理屋だった。ススキダのフランチャイズは横浜だが、横浜は私にとっては距離的な負担がある。そこで、私が行きやすい新宿にしてくれたのだ。

優しすぎるススキダ。おまえ、まさか賞味期限が37年過ぎた、みたらし団子を食ったんじゃないだろうな(酒の飲めないススキダは、甘いものが大好きだ。特にみたらし団子が。好きすぎて、みたらし団子専門店を出すことを考えているようだ)。

 

という、どうでもいい話は、すっ飛ばして、私は、毎回ブラちゃんに日本伝統のギャグを教えた。

2年目は、オードリー春日氏の「おにがわら!」とダンディ坂野氏の「おひさしブリーフ」。3年目はタカアンドトシ氏の「欧米か!」とツッコミの「なんでやねん!」。4年目は、近藤春菜氏の「マイケル・ムーア監督じゃねえよ!」とスギちゃんの「ワイルドだろ〜」。昨年は、三瓶氏の「三瓶です」と大西ライオン氏の「心配ないさー」だった。

勉強熱心なブラちゃんは、真剣に覚えて、ものにしてくれた。「おひさしブリーフ」は、カナダの同僚にも受けたという。土俵入りのポーズが面白いらしい。だから、これは、ブラちゃん一番のお気に入りギャグだ。

 

今年は何を伝授しようか迷ったが、王道をいくことにした。

ビートたけし氏の「コマネチ!」と志村けん師匠の「だっふんだ!」だ。

コマネチは、手の角度が大事だよ。「その角度は何?」とブラちゃん。最近のブラちゃんの日本語は、急速な進歩を遂げていた。ほぼ日本語で会話が成立するレベルだ。若いっていいな。ちなみに、ブラちゃんの年は、サーティシックス。

ところで、話はやや脱線して・・・。

ススキダ一家は、トライリンガル一家だ。ススキダ夫妻は、日本語、英語、中国語が話せる。ススキダの娘さんは、日本語、英語、フランス語が話せる。そして、ブラちゃんは、英語、フランス語、スペイン語が話せる。日本語を加えたら、クァドリンガルになる。

極道一家は、インターナショナルなのだ。

私は、猫語と日本語しか話せないから、チョット足りない。

 

話を戻して・・・私は、ブラちゃんに、その角度は、体操着の股の角度なのだ。この角度は一定でなければならない、と教えた。

「どんなときに使うの?」

人の話を遮りたいときとか意表をつくときかな。

「意表をつく? ホワット?」

アネスペクテッ。

「ダッフンダ」は、顔が重要である。両目を寄せて下唇を出し、人をバカにしたような顔で言うのだ。

「どんなときに使うの?」

人に悪さをして、人から責められたときに、人を一瞬にしてパニックに陥らせる魔法の言葉だよ。

6回目となると、ブラちゃんの飲み込みも早い。すぐ覚えてしまった。

少々物足りなさが残った私は、ブラちゃんに、もう1つの言葉を教えることにした。

だが、これはギャグではない。安室奈美恵先生のご引退を惜しみつつ、ブラちゃんに伝授しようとしたのだ。

 

「安室ちゃ〜ん!」

 

いいかい、ブラちゃん。これは偉大なアーティストが引退するときに叫ぶ言葉だ。

たとえば、アリアナ・グランデが引退するとしよう。そうしたら、みんなで「安室ちゃ〜ん」と叫ぶのだ。それが、日本のしきたりだ。

私がそう言うと、ブライアンが、柔和な目を作って言った。

「サトルゥ、それは、間違っているヨー。それは、歌手の安室奈美恵のことだよね。まりあ(ススキダの娘さん)は、昔から安室奈美恵が大好きで、それにつられて、僕も大ファンになったんだ。東京ドームでのラストライブには、2人で行ってきたよ。感動したね」

あら? そうなん? カナダからわざわざザワザワ?

 

しかし、よく、チケットがとれたね。まさか、特別なコネクションを使ったとか?

 

私がそう言うと、ブラちゃんが、不気味なウインクを投げかけ、人差し指を口の前に立てた。

 

 

ブライアン、あんた、いったい何者?

 

(聞かない方がいいか)

 

 


浴衣のふたり

2018-08-12 06:49:00 | オヤジの日記

6月のことだった。娘に「今年の誕生日プレゼントは、浴衣を2枚くれたらありがたい」と言われた。

そのときは、まだそれほど浴衣が店頭に並んでいなかったので、7月中旬に娘と一緒に店に行って、浴衣を2枚選ばせた。

なぜ、2枚も欲しがったのかと思った。いつもは、1枚なのに。今年は、何度も浴衣を着る予定があるということだろうか。

そう思っていたら、今週になって、その理由がわかった。

「ミーちゃんが、金沢から帰ってくる。4日間の夏休みだ。2人で浴衣を着て出かけたいんだ。着付けを頼んだぞ」

わかった。任せなさい。薄い胸を叩いた。

 

今でこそ、薄い胸を叩けるが、最初は大変だった。

娘が小学3年のとき、仲良しのお友だちが、2学期で転校することになった。そこで、思い出づくりに夏祭りに浴衣を着て行く運びになった。

「浴衣を着せろ」と言われた。

(我が家の息子と娘は、頼みごとがあるとき、ヨメではなく必ず私に頼む。その理由は聞いていない)

さー、困ったぞ。浴衣といえば、私の中にあるイメージは、旅館の浴衣だ。しかし、女の子が夏祭りに出かけるときの浴衣は、絶対にそれではないはずだ。

私は、娘を連れて着物屋に行った。幸い娘の気に入った柄の浴衣があったので、一式を買った。そのとき、店員さんに、浴衣の簡単な着付け方を聞いた。

「お父さまが、やられるんですか?」と店員さんが、まんまる目で私を見た。

もしかしたら、父子家庭だと思われたのかもしれない。憐れに思われたかもしれないが、そのあと丁寧に教えていただいた。

一応教えていただいたが、世界で2番目に不器用な私には、かなりハードルが高かった。30分間の悪戦苦闘があった。結果的に、ごまかせる程度のレベルにはなったが。

 

夏祭りの日。

娘に浴衣を着つけた。着物の上下を慎重に整えてから、上半身を紐で固定する。これで、20分以上。帯は、ひねったり止めたり、微調整しながら、最後にリボンを作った。リボンが左右対称にならず、しかも曲がってしまったが、もう時間がないので、ちょっとブサイクだけど、我慢してな、と娘に謝って送り出した。

きっと途中で、着物がはだけたり、帯がほどけたりすると思ったから、着替え用の普段着も持たせた。

夏祭りから帰って着た娘は、普通に浴衣を着ていた。着物の襟がややはだけていて、帯はさらに曲がっていたが、完全崩壊はしなかったようだ。

安心した。

 

それからのち、娘には、なるべくキレイに浴衣を着てもらいたいと思った私は、翌年、市民センターで開催された「浴衣の着付け方講座」に通った。先着10名様で、受講料は千円。時間は2時間。私は、その講座をビデオに撮った。そして、それを家のパソコンでキャプチャーして、Adobeプレミアという編集ソフトで15分にダイエットした。それを毎日見てイメージトレーニングを重ねた。

その努力の甲斐あって、娘が小学4年から高校3年までの着付けは、恥ずかしくないものになった。

娘の大学時代は忙しくて、浴衣を着る機会がなかった。だから、今回5年ぶりの浴衣になる。着付けを忘れていないか、心配だ。

一応、イメージトレーニングは何度もした。

しかし、それは杞憂だった。5年くらいでは、人間は覚えたことを簡単に忘れない生き物のようだ。

 

ミーちゃんは、木曜日の夜にやってきた。いきなり夜食(焼き塩鮭一尾で、3杯のどんぶりメシを食べた。ミーちゃんは、お腹がすくと眠れないタイプだ)。

金曜日と土曜日は、朝の10時から着付けにかかった。ミーちゃんには、中学三年のときに浴衣を着せたことがあったから、8年ぶりだ。「パピー、腕を上げたね」と褒められた。

ふたりは、金曜日はお台場、土曜日は、六本木、麻布十番をぶらついた。六本木では、外国人観光客に「写真を撮ってもいいか」と聞かれたらしい。英語の得意なふたりは、ここぞとばかりに、自分の語学力を試した。

外国人に「エクセレント、アンド、ソーキュート」と感嘆されたという。お世辞だろうが。

 

夕方に、恵比寿で合流した。ミーちゃんが、恵比寿でラーメンが食べたいと言ったのだ。

どこで食おうが、ラーメンはラーメンだと思うよ。

「でも、私、恵比寿に行ったことがないから。このまま金沢に永住なんてことになったら、一生恵比寿には行けないからね」

わかりました。だが、私は外でラーメンを食う習慣がないので、ラーメン屋のことは何も知らない。ただ、恵比寿自体は中目黒に住んでいた昔から、庭のようなものなので、路地は熟知していた。

4分歩いて、ラーメンを食わせてくれそうなラーメン屋さんをすぐに見つけた。ラーメン屋さんにしか見えないラーメン屋さんだった。

入った。

券売機でチケットを買った。ミーちゃんは、とんこつラーメン。娘は、チャーシューメン。私は、餃子と生ビールを頼んだ。ミーちゃんの好きな大盛りライスは、その都度頼んで、最後に清算するシステムだった。

最近、ミーちゃんは、ラーメンをおかずにしてメシを食うことにはまっているらしい。インスタントラーメンをつくって、その上に茹でたもやしをのせる。そして、小皿にはハム。

ラーメンを一口二口食って、メシをかきこむ。ラーメンの塩加減が米に絶妙に合うというのだ。あとはラーメンすすって、メシの繰り返し。味を変えたいと思ったら、ハムをかじって、またメシ。その方式で、どんぶりメシを3杯食うという。

本当は、メシはもっと食えたが、食い過ぎると赤字になるので3杯で我慢しているらしい。

しかし、今日は、心置きなく食っていいぞ。

 

「いえーい、幸せ!」

 

1杯目は、瞬く間になくなった。2杯目おかわり。2杯目は、1杯目よりも盛り方が大きかった。おそらく、1杯目は店の人が華奢なミーちゃんを見て、調整してくれたのだと思う。

しかし、1杯目の食いっぷりを見て、普通の大盛りにしてくれたのだ。

ラーメンをすすったあとで、ご飯をガツガツ。たまに味を変えるために、娘が自分のチャーシューをミーちゃんのどんぶりにのせる連携プレー。そのとき、娘が、普段は食べないチャーシューメンを頼んだわけがわかった。娘は、ミーちゃんのサポーターだったのだ。

そんな風にして、ミーちゃんは、6杯の大盛りライスを食った。本当は、もっと食えたが、浴衣の帯がきつくなりそうなので、諦めた。

ライスの勘定をしようとしたとき、厨房の男の人から、「お代はいただきません。いいものを見せてもらいました。そのお礼です」と言われた。

ゴチになります。

そのあと、娘ふたりを見て、店の人が聞いてきた。「双子さんですか」

我々3人は、躊躇することなく、「そーです」と答えた。

(ふたりは、本当によく似ていた。ただ、本田圭佑氏とじゅんいちダビットソン氏ほどの違いはあったが)

 

今日の昼間の北陸新幹線で、ミーちゃんは帰る。

新幹線の中で食うために、普通の3倍以上の大きさの握り飯3つと、でかいメンチカツ2つを持たせることにした。本当は握り飯はもっと作れたが、荷物が重くなるので、ミーちゃんが「3つ」と言ったのだ。

 

昨日の夜、ミーちゃんが、とても嬉しいことを言った。

「最近、軽いホームシックなんだよね。でもね・・・このホームというのは、自分のうちのことじゃないから。パピーのうちのことだから。また正月休みに帰ってきてもいい?」

 

 

泣いた。

 


脳天に金だらい

2018-08-05 06:34:00 | オヤジの日記

「マヌケなオチだったな」と娘と2人で笑った。

 

娘は、青リンゴの缶チューハイ。私は、クリアアサヒを飲んでいた。つまみは、柿の種と暴君ハバネロだ。

それは、1ヶ月以上前の土曜日のことだった。

これに関しては、話のオチが出来すぎているので、話の真偽を疑われるかもしれないと思って、書くのをためらった。

しかし、今回、ブログネタが尽きたので、遅ればせながら書くことにした。

 

娘は今年の春、東京の私鉄会社に就職した。そして、2ヶ月の研修を終えたあと、広報部に配属された。若手の多い部署だという。

お決まりの新人歓迎会では、「おー、いい飲みっぷりだねえ」と周りから言われ、あおられてチューハイを何度も勧められそうになった。

しかし、そのとき、1人の男性が立ち上がった。「無理強いはダメだよ。こんな細い子が、そんなに飲めるわけないんだから」と周りを制したのだ。

(娘は、心の中で、5杯くらいならチョロいぜ、と思ったそうだが)

その男性は、カトウくんと言った。年は、27か8。見た目は華奢に見えたが、声に力があって、よく通る声をしていた。そして、とても清潔そうに見えたという。

歓迎会が終わったあとで、娘は一応、「さっきは、ありがとうございます」と礼を言った。

カトウくんは、微笑みを返しただけで、何も言わなかった。

 

それ以来、娘はカトウくんのことが気になりだした。チラチラと観察してみると、カトウくんは、人の世話を焼くのが好きなようだ。そして、人を笑わせるのも好きなようだ。ただ、絶えず冗談を言ってはいても、仕事に関しては堅実にこなすタイプだ。さらに、娘が気に入ったのは、カトウくんのことを悪く言う人がいないというところだ。

 

「好きになる確率、99パーセントォ!」

 

娘は、私に、そう宣言した。

頭に、金だらいが落ちてきたようなショックを受けた。ドリフターズのコントなら、話は、そこでおしまいになるが、残念ながら、これは、むしろ始まりだった。

その後、娘は、よく飲み会に誘われるようになった。メンバーは、大抵は7人。カトウくんの他に、娘と同期のサヤちゃん。あとは、広報部の25〜32歳までの男女だ。

 

娘が、3回目の飲み会に参加したときのことだった。私と同じで、回りくどいことが嫌いな娘は、その席で直球を投げたのだ。

「彼女は、いますか」

娘がカトウくんに、そう聞いたとき、娘とサヤちゃん以外の4人の間に変な空気が流れた。時間の流れが遅くなった気がした。その後、4人は、遠慮がちにカトウくんを見た。

ただ、その視線を受けても、カトウくんの表情は変わらなかった。そのあと、カトウくんは、娘の目を真正面から見た。真摯な目だった。

「僕は、2年以上前に、カミングアウトをしました」と言って、今度は他の人たちを見回した。4人は、まるで機械仕掛けの人形のように頷いた。

そのあと、カトウくんは、また娘に目を移して、よく通る声で言った。

「僕は、女の人に興味がないんですよね」

 

あーーー、そっち?

 

今度は、金だらいが娘の頭に落ちた。

娘と私のコントは終わった。

「脳天直撃だったな」と娘は、自分の頭をさすりながら、豪快に缶チューハイを飲み干した。

 

そのマヌケなオチのあと、同期のサヤちゃんから誘われた。サンシャイン水族館に4人で行かないか、というものだった。

「4人?」

「私の彼の友だちと行くということ」

まさかのダブルデート?

「いえ、気楽な娯楽だから」

サヤちゃんは、娘に気を使ってくれたようだ。

断るのも悪いと思ったので、「ありがとう」と頭を下げた。そして、「サヤちゃんの彼氏って、どんな人」と娘は聞いた。

サヤちゃんは、嬉しそうに「ヌーっとしてて、ヒョロっとしてて、甘えん坊タイプ」と答えた。

ちなみに、サヤちゃんは、可愛い子だった。娘に画像を見せてもらったが、小動物のリスっぽい顔をしていた。

こんなタイプの女の子を好きになる男は多いかもしれないと思った。ただ、サヤちゃんには、若干天然なところがあるらしい。ペットの柴犬の名前が、「自転車」というのだ。

なぜ、そんな名前になったのかというと、商店街を自転車で走っていたら、自転車の後輪がパンクした。幸い近くに自転車屋があったので、直してもらおうとした。しかし、先客がひとりいたので、30分以上かかると言われた。

では、ちょっと買い物を、と思って歩き出したら、自転車屋の斜め向かいにペットショップがあることに気づいた。入ってみた。

すると目の前のケースに、サヤちゃんの顔をまっすぐに見て、尻尾を懸命に振る犬の姿が目に入った。目が釘付けになった。これは、運命だと思った。サヤちゃんは、その場で衝動的に、クレジットカードで、その柴犬を買ってしまったのだ。

そして、名前をつけるとき、自転車がパンクしなければ、この柴犬とは絶対に出会えなかったということを忘れないために、「自転車」と名づけたのである。

変な子だ。たとえば、出産したとき、助産婦さんに助けられたとしても、その子の名を「助産婦」にする人はいない。せめて、「助さん」くらいなものだろう。変わっている。

 

先週の日曜日、娘たちは、池袋駅で待ち合わせをした。サヤちゃんの隣に、男が2人いた。

しかし、娘は迷った。どちらがサヤちゃんの彼氏かわからなかったからだ。なぜなら、2人とも、ヌーっとしていて、ヒョロっとしていて、甘えん坊タイプだったからだ。

自己紹介で彼氏が判明したが、そのとき娘は、心の中で、サヤちゃんの彼氏を「ヌー1号」、もう1人を「ヌー2号」と名付けることにした。

サンシャイン水族館は、それなりに楽しかった。そのあと、イタリアンレストランで食事となった。

このとき、食事を選ぶ段階で、娘はモヤモヤすることになる。3人が「メニューが決められない星人」だったからだ。

私のヨメも息子も、「メニューが決められない星人」だった。メニューの最初から最後まで見て、次に最後から最初に戻る。しかし、決められないのだ。何度か行きつ戻りつした結果、無駄な10分を費やすことになる。

そして、メニューを決めて、食い終わったあとで必ずこういうのだ。「他のにしておけばよかった」。

 

それに対して、娘と私は即決だ。娘はハンバーグ、私はパスタのページの中で、一番先に目についたものを選ぶ。

なんで、自分の食いたいものが、スパッと決められないのだ。その時の欲求に従えばいいだけではないか。

だから、娘は無断に時間を費やす3人には悪いと思ったが、「あたし、先に頼むけど、いい?」と断った。「いや、もう決まるから」と3人は言ったが、全然決まる気配なし。

娘は、初対面で、こんなことはやりたくなかった。しかし、10分以上、食い物で悩み悶えるのは異常だ。だから、娘は単独で料理を頼んだ。当たり前のことだが、ハンバーグとパン、サラダが先にやってきた。

その頃、3人の注文は、やっと確定した。娘は、気を使ってゆっくりと食った。だが、どんなにゆっくりと食っても時間には限度がある。結局、娘が食い終わったころ、やっと3人の食事がやってきた。

そのあと、3人は食べ終えたあとで、口を揃えて言った。「他のにしとけばよかった」。

 

しかし、世間一般的に言ったら、悪いのは娘の方だと「奈良判定」が出るはずだ。だから娘は、「ごめんなさい」と全員に謝った。それに答えるように、サヤちゃんも「私もごめんね」と謝った。

それからのち、娘とアヤちゃんは、今まで通り、今も良好な関係を保っていた。

だが、そのとき同席した男たちは、娘に対して、そのあと一言も発しなかったという。

そればかりか、娘がトイレに行くために席を外したとき、ヌー2号が、「俺、あんな子、絶対に無理」と激しい拒絶反応を示した。

 

「まあ、やっちまったのはボクだから、仕方ないよな。メニューを決める楽しみを奪ってしまったんだから、嫌われて当然だ。ただ、あの2人に、カトウさんの半分くらいの男らしさと気配りがあったら、話は違っていたかもしれないな」

 

まさか、未練があるとか。

 

「それはないけど・・・しかしなあ、普通はゲイの方たちって、喋り方や態度でなんとなく想像できるよな。でも、カトウさんには、全然そんな匂いはしなかったんだ。やっぱり、ボクの経験不足かな。そこは、反省しないといけないな。

ということで、経験を積むために、今度からは、ボクもターゲットに、女の人を加えようかなと思ったりして。道重さゆみちゃんタイプだったら、ボクは全然オッケーだぞー、ヘッヘッヘ」

不気味に笑う娘であった。

 

 

キミ、本当に反省してるのか?