加藤ミリヤの曲をよく聴いている、というと不思議がられる。
私と同世代では、圧倒的に「誰?」という人が一番多い。
名前だけは知っている、という人の反応は、「ふーん」か「あっそう」。
曲を聴いたことがある人は、「若者ぶるなよ」「無理するなよ」という人が多い。
そして、「あれって、女子高生のカリスマ、とか言われてなかったか? あんなの若い女が聴くもんだろ。人前でそんなこと自慢気に言うなよ。馬鹿にされるぞ」と、ご忠告してくれる親切な友だちもいる。
しかし、私は歌に、若い子が聴くものや年寄りが聴くものなど、ないと思っている。
いいと思ったものが、その人にとっての「いい歌」なのだ。
「ジョウネツ」というのを聴いたのは、6、7年前だ。
気に入って、すぐにiTunesに入れた。
まず声がいいと思った。
ジョウネツはUA(ウーア)の名曲だが、未熟な若さが歌のポイントをうまく捉えて、デビューしたてにもかかわらず見事に「ミリア節(ぶし)」を確立していた。
この「ミリア節」と私が勝手に名付けた彼女独自の表現方法が、私はとても気に入って、加藤ミリヤは、それ以来、ずっと私のお気に入りアーティストの一人になっている。
ウィキペディアで調べると、加藤ミリヤの項目では「楽曲の特徴として、ヒップホップのサンプリングという手法を使うことが挙げられ、この手法を日本のマーケットに浸透させたとされる。しかし、サンプリングに関しては、有名曲を使い加藤ミリヤに興味の無い人に印象付けるためと、自分の音楽性に力のないことを認めているようなものだ」と、やや批判的なことが書かれている。
これを見解の相違、という。
サンプリングだろうが、カバーであろうが、そのことで音楽性云々を語るのは、お門違いだ。
作・編曲家はいざしらず、歌手に一番大事なのは、表現力である。
自分の感情が、そのメロディラインに、どれだけ乗り移ったかで、歌手の優劣が決まる、と私は思っている。
あるいは、歌手のその表現方法に共感できる度合いの強さで、その歌手が「好き」か「嫌い」かが決まるとも思っている。
誰もが、サンプリングの方法論などという評論家的な感性で歌を聴くわけではない。
その考え方は、むしろ音楽を曲解していると私は思う。
逆に考えれば、それは「通ぶった」音楽劣等人種の思考方法だ。
音楽論は、聴く人それぞれの脳内にあればいい。
ご大層で押し付けがましい音楽理論は、ただ邪魔なだけだ。
私は、演歌と矢沢永吉、長渕剛、中島みゆき、松任谷由実、TUBEが嫌いだが、その音楽を否定はしない。
ただ、私の脳内で音楽認識されない、というだけのことだから、それはある意味、私の脳に大きな欠陥があるということだ。
加藤ミリヤの曲は、私の脳で、正常に音楽認識されているから、彼女の歌が好きだということ。
ただ、それだけのことだ。
「ソツギョウ」や「Love is...」「19 Memories」「TOKYO STAR」は、私のiTunes、iPodの中で、ヘビーローテーションで繰り返されている。
オジサンだって、加藤ミリヤを聴くんです。
私と同世代では、圧倒的に「誰?」という人が一番多い。
名前だけは知っている、という人の反応は、「ふーん」か「あっそう」。
曲を聴いたことがある人は、「若者ぶるなよ」「無理するなよ」という人が多い。
そして、「あれって、女子高生のカリスマ、とか言われてなかったか? あんなの若い女が聴くもんだろ。人前でそんなこと自慢気に言うなよ。馬鹿にされるぞ」と、ご忠告してくれる親切な友だちもいる。
しかし、私は歌に、若い子が聴くものや年寄りが聴くものなど、ないと思っている。
いいと思ったものが、その人にとっての「いい歌」なのだ。
「ジョウネツ」というのを聴いたのは、6、7年前だ。
気に入って、すぐにiTunesに入れた。
まず声がいいと思った。
ジョウネツはUA(ウーア)の名曲だが、未熟な若さが歌のポイントをうまく捉えて、デビューしたてにもかかわらず見事に「ミリア節(ぶし)」を確立していた。
この「ミリア節」と私が勝手に名付けた彼女独自の表現方法が、私はとても気に入って、加藤ミリヤは、それ以来、ずっと私のお気に入りアーティストの一人になっている。
ウィキペディアで調べると、加藤ミリヤの項目では「楽曲の特徴として、ヒップホップのサンプリングという手法を使うことが挙げられ、この手法を日本のマーケットに浸透させたとされる。しかし、サンプリングに関しては、有名曲を使い加藤ミリヤに興味の無い人に印象付けるためと、自分の音楽性に力のないことを認めているようなものだ」と、やや批判的なことが書かれている。
これを見解の相違、という。
サンプリングだろうが、カバーであろうが、そのことで音楽性云々を語るのは、お門違いだ。
作・編曲家はいざしらず、歌手に一番大事なのは、表現力である。
自分の感情が、そのメロディラインに、どれだけ乗り移ったかで、歌手の優劣が決まる、と私は思っている。
あるいは、歌手のその表現方法に共感できる度合いの強さで、その歌手が「好き」か「嫌い」かが決まるとも思っている。
誰もが、サンプリングの方法論などという評論家的な感性で歌を聴くわけではない。
その考え方は、むしろ音楽を曲解していると私は思う。
逆に考えれば、それは「通ぶった」音楽劣等人種の思考方法だ。
音楽論は、聴く人それぞれの脳内にあればいい。
ご大層で押し付けがましい音楽理論は、ただ邪魔なだけだ。
私は、演歌と矢沢永吉、長渕剛、中島みゆき、松任谷由実、TUBEが嫌いだが、その音楽を否定はしない。
ただ、私の脳内で音楽認識されない、というだけのことだから、それはある意味、私の脳に大きな欠陥があるということだ。
加藤ミリヤの曲は、私の脳で、正常に音楽認識されているから、彼女の歌が好きだということ。
ただ、それだけのことだ。
「ソツギョウ」や「Love is...」「19 Memories」「TOKYO STAR」は、私のiTunes、iPodの中で、ヘビーローテーションで繰り返されている。
オジサンだって、加藤ミリヤを聴くんです。