自民党というのは、面白い集団だ。
菅総理が辞めるなら、協力する。
しかし、辞めたあとの確かなビジョンは持っていない、のだと。
反旗を掲げた小沢一郎も、新党をつくる、と予測されていたが、いつもながら感情だけが先走りする虚構の政治家に、確かなビジョンあったとは思えない。
本人とその子分たちだけはあると思っていたかもしれないが、今はただのピエロでしかない。
例えば、メジャーリーグで、文句ばかり言っている選手がいるとする。
「俺は、やろうと思えばできるプレーヤーなんだよ。内野も外野もこなせるから、ポジションを与えられたら、絶対活躍する自信はあるよ。
でもな、監督があれじゃ、やる気が起きないね。だから、監督、代えてよ。そうしたら、活躍するからさ。
ポジション? どこでもいいよ。任せるよ。とにかく、お願いだから、監督だけ、代えて。
あの監督以外だったら、俺はやる気が出るから。まあ、他の選手をまとめろ、と言われたらまとめる努力はするよ。
どうやってまとめる? それは、わからないな。監督が代わってから、考えるよ」
あるいは、中学校のガキ大将。
「俺さあ、小学校までは、成績良かったんだよね。やれば、出来る子なんだよ。でも、セン公があれじゃあ、どうしようもないね。
クラスは違うけど、オザワ? あいつは、捉えどころがないやつだけど、セン公に刃向かう根性は買うよ。
だから、密かに、あいつと組んで、セン公を懲らしめようと思っているんだよね。
うまくいったら、あいつ、クビだぜ。セン公が辞めたら? ああ、そこまでは、考えていなかったな。
まあ、そうなったら、そうなったで、そのときに考えるよ。まだ、よくわかんねえけどな」
監督が、代わったら活躍する選手は、確かにいる。
イチローが、そうだった。
イチローの新人時代の監督は、土井正三監督。
土井監督は、イチローの個性を認めようとせず、彼のフォームを改造しようとしたらしい。
新人といえども、独特のバッティング理論を持つイチローは、自分のスタイルを守ったため、レギュラーを勝ち取ることができなかった。
しかし、監督が仰木氏に代わったとたん、彼は本来の能力を発揮して、今に至る。
仰木氏は、イチローを一人前のプロとして扱い、彼のバッティング理論を尊重して、無理に手を加えることはしなかったという。
では、先生が代わったら、子どもは、変わるか?
私の息子の場合は、変わった。
小学4年までは、担任から「マイペースすぎる」というお小言ばかりいただいていたが、5年で担任が代わると「それもマッちゃんの個性。個性が違うのは当たり前。だって、マッちゃんは、誰からも嫌われていないじゃない」と言われて、息子は伸び伸びした小学校生活を送ることができた。
6年の時の担任も、5年時の担任からの引継ぎが上手くいったせいか、息子を「ひとつの確立した個性を持つ児童」として扱ってくれたから、彼の独特の個性が否定されることはなかった。
そして、伸び伸びとした個性のまま、息子は、成長した。
(すみません。完全に親バカ目線の話題でした)
自民党の総裁や小沢氏が、イチローになれるか、という話は、もちろん非現実的すぎて、比較するのも恥ずかしい話だ。
小沢氏は、名前だけはイチローだが、彼が政界に、かろうじて名を残すのは「デストロイヤー」というヒールの存在としてだけだ。
感情だけが肥大して、ビジョンのない政治家を崇め奉る風潮が否定された今回の結末は、極めて理性的であると言える。
小沢が「僕のことを忘れないでー」と言えば、鳩山も「僕もいたんだよー」、谷垣は「茶番」と知りつつ「僕だって、党首なんだからー」とアピール。
公明党とたちあがれ日本の存在は、クラス委員の陰に隠れて、印象が薄い。
要するに、小学校のホームルームの光景と同じだ。
結局は、意外でもなんでもない小学校の教室と同じことが、永田町で起こったということ。
小学校的茶番劇を見せられた国民こそ、いい迷惑。
そして、時間の無駄。
菅総理が辞めるなら、協力する。
しかし、辞めたあとの確かなビジョンは持っていない、のだと。
反旗を掲げた小沢一郎も、新党をつくる、と予測されていたが、いつもながら感情だけが先走りする虚構の政治家に、確かなビジョンあったとは思えない。
本人とその子分たちだけはあると思っていたかもしれないが、今はただのピエロでしかない。
例えば、メジャーリーグで、文句ばかり言っている選手がいるとする。
「俺は、やろうと思えばできるプレーヤーなんだよ。内野も外野もこなせるから、ポジションを与えられたら、絶対活躍する自信はあるよ。
でもな、監督があれじゃ、やる気が起きないね。だから、監督、代えてよ。そうしたら、活躍するからさ。
ポジション? どこでもいいよ。任せるよ。とにかく、お願いだから、監督だけ、代えて。
あの監督以外だったら、俺はやる気が出るから。まあ、他の選手をまとめろ、と言われたらまとめる努力はするよ。
どうやってまとめる? それは、わからないな。監督が代わってから、考えるよ」
あるいは、中学校のガキ大将。
「俺さあ、小学校までは、成績良かったんだよね。やれば、出来る子なんだよ。でも、セン公があれじゃあ、どうしようもないね。
クラスは違うけど、オザワ? あいつは、捉えどころがないやつだけど、セン公に刃向かう根性は買うよ。
だから、密かに、あいつと組んで、セン公を懲らしめようと思っているんだよね。
うまくいったら、あいつ、クビだぜ。セン公が辞めたら? ああ、そこまでは、考えていなかったな。
まあ、そうなったら、そうなったで、そのときに考えるよ。まだ、よくわかんねえけどな」
監督が、代わったら活躍する選手は、確かにいる。
イチローが、そうだった。
イチローの新人時代の監督は、土井正三監督。
土井監督は、イチローの個性を認めようとせず、彼のフォームを改造しようとしたらしい。
新人といえども、独特のバッティング理論を持つイチローは、自分のスタイルを守ったため、レギュラーを勝ち取ることができなかった。
しかし、監督が仰木氏に代わったとたん、彼は本来の能力を発揮して、今に至る。
仰木氏は、イチローを一人前のプロとして扱い、彼のバッティング理論を尊重して、無理に手を加えることはしなかったという。
では、先生が代わったら、子どもは、変わるか?
私の息子の場合は、変わった。
小学4年までは、担任から「マイペースすぎる」というお小言ばかりいただいていたが、5年で担任が代わると「それもマッちゃんの個性。個性が違うのは当たり前。だって、マッちゃんは、誰からも嫌われていないじゃない」と言われて、息子は伸び伸びした小学校生活を送ることができた。
6年の時の担任も、5年時の担任からの引継ぎが上手くいったせいか、息子を「ひとつの確立した個性を持つ児童」として扱ってくれたから、彼の独特の個性が否定されることはなかった。
そして、伸び伸びとした個性のまま、息子は、成長した。
(すみません。完全に親バカ目線の話題でした)
自民党の総裁や小沢氏が、イチローになれるか、という話は、もちろん非現実的すぎて、比較するのも恥ずかしい話だ。
小沢氏は、名前だけはイチローだが、彼が政界に、かろうじて名を残すのは「デストロイヤー」というヒールの存在としてだけだ。
感情だけが肥大して、ビジョンのない政治家を崇め奉る風潮が否定された今回の結末は、極めて理性的であると言える。
小沢が「僕のことを忘れないでー」と言えば、鳩山も「僕もいたんだよー」、谷垣は「茶番」と知りつつ「僕だって、党首なんだからー」とアピール。
公明党とたちあがれ日本の存在は、クラス委員の陰に隠れて、印象が薄い。
要するに、小学校のホームルームの光景と同じだ。
結局は、意外でもなんでもない小学校の教室と同じことが、永田町で起こったということ。
小学校的茶番劇を見せられた国民こそ、いい迷惑。
そして、時間の無駄。
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