リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

我が家の卒業パーティ

2018-03-25 06:42:00 | オヤジの日記

木曜日に、娘の高校時代のお友だちが6人やって来た。

 

それぞれ、食材を持ち込んできたのだ。

「パピー、卒業パーティをやろうよ」(私は笑えることに、娘のお友だちから『パピー』と呼ばれていた)

6人のうち、4人は今年大学を卒業した。1人は、短大を出て2年前に就職していた。1人は、フリーターだ。

野菜、肉、魚、米、ワイン、シャンパン。

5キロの米を持ってきたのは、一回に3合のメシを食べるミーちゃんだ。

2時過ぎにやってきたから、作る時間は充分にあった。

まずは、ハンバーグをこね、餃子のアンをこねた。そのあと、鶏肉を一口大に切り、塩麹、ニンニク、ショウガで味付けしたものをもみ、少し寝かせてから片栗粉で包んだ。

カレーは、朝から煮込んでいた。カボチャとベーコンブロックのカレーだ。

その間に、娘とお友だちは、互いの近況を語り合っていた。

 

ハンバーグ出来ました。カレーも、餃子も、唐揚げも、サイコロステーキも、アジのたたきも、海藻サラダも出来ました。

シャンパンで乾杯したあとに、ミーちゃんが、自前のでかい丼にご飯を大盛りにして餃子を食べ始め、サイコロステーキをつまみ始めた。

みんなで拍手だ。大食いのミーちゃん。見事な食いっぷりだ。

色々な話題が出た中で、森友学園のことも出た。今の若い子は、とても保守的だ。6人のお友だちは、みな自民党のファンだ。おそらく、親の影響を受けていると思われる。

ただ、他の政党のことをまったく知らないから、という理由もあるかもしれない。

その子たちが、「アベって最低だよね。見損なったよ」と憤っていた。

どこが最低なの? と聞くと、「嘘つきだから」と口を揃えた。

でも、嘘かどうかは、まだわからないと思うけど。

「あら? パピーはアンチアベなのに、アベをかばうの、へー!」と批難された。

 

まあ・・・世論って、こんなもんですよね。

 

他には、反抗期の話もあった。

大抵は、一年二年で終わるものだと思うが、短大を出て就職したミワちゃんは、今でも親への反発が続いているという。

「断絶ってほどではないけど、あの人たち、私の話は聞いてくれないで、弟のことばかり構うからね。壁が出来ちゃったんだ」

それを聞いて、娘以外が「わかるー」と同調した。

専門家の意見によると、反抗期がないというのも、若年期の人格の発展には悪いらしいので、それはそれで正常なのではないだろうか。

「でも、夏帆には反抗期がなかったんだよね」とミーちゃん。

娘は、「あったけどな」と答えた。「ただ、パピーに対しては、なかったようだ」と他人ごとのようなお答え。

 

私は迂闊にも気づかなかったのだが、中学2年の一時期、母親とはほとんど口をきかなかったというのだ。

理由を聞くと「ぜんぜん相談に乗ってくれなかったから」と娘は答えた。

そのとき、ヨメは、認知症の母親の世話と巨大宗教の活動で忙しくて、おそらく余裕がなかったのだろう。

だが、娘には、そんなことは関係ない。相手をしてくれないから嫌った。それは、わからないでもない。

その話を聞いて、ヨメは「ギャハハ」と笑っていた。

では、なぜ私に対して反抗しなかったというと、「こいつは、ボクの話をどんなに忙しくても聞いてくれたからな。反抗する理由がなかったんだ」と答えた。

子どもたちの話を聞いといて、よかったわー。

子どもに反抗されたら、心が痛くなって泣いちゃうもん。

・・・などと言っているうちに、メシがまたたく間になくなったので、手早にできるチャーハンとサラダスパゲッティを追加した。

6人は、最初だけ酒を飲んでいたが、途中から強炭酸水に変えた。

酒を飲み続けていたのは、娘と私だけだった。

「あんたら、化け物だね」とみんなに褒められた。

これからは「モンスター親子」と呼んでくだされ。

 

そんな楽しい時間が4時間。

5人は帰ることになった。

サイナラ~。

ただ、大食いのミーちゃんだけは、残った。

これには、理由があった。

ミーちゃんは、大手の飲料メーカーに就職が決まった。営業職だ。

最終面接のとき、「転勤は大丈夫ですか」と聞かれたらしい。ミーちゃんは、母親と折り合いが悪いので、家から離れたい。だから、「はい、大丈夫です!」と力強く答えたらしい。

「でも、あったとしても2、3年後ですけどね」と面接官。

しかし、予定が変わったのだ。金沢支社の営業職に欠員が2人できたため、3か月の研修後、急遽金沢に飛ばされることが決まった。

4月からの新生活。家を離れて、一人暮らしをしようとしたが、金沢行きが決まったのなら、東京で新居を探しても無駄になる。

そこで、3か月間、我が家で暮らすことになったのだ。

15歳の時、ミーちゃんは、我が家で1年1ヶ月暮らしたことがあった。だから、7年ぶりの居候だ。

「お米代は、全部私が持ちますから」

まあ、そんなことは気にしなくていいんだけどね・・・。

そんな経緯があって、ミーちゃんは、木曜日から我が家で6月29日まで暮らすことになった。

娘の部屋で、2人暮らし。まるで、姉妹のように、仲良く暮らしている。

そして、ほーーーーんとうに、メシをよく食べてくれる。

 

だから、毎日のメニューを考えるのが、楽しくて仕方がない。

総勢5人だが、8人分を作らなければいけない。

昨日の土曜日は、我が家は「サタデーカレー」の日だった。3回、おかわりしてくれた。惚れ惚れする食いっぷりだった。

 

米は30キロストックしておいた。

 

ミーちゃん、いくらでも、召し上がれ~。

 

 

今日は、昼から5人で花見に行く予定。昭和記念公園だ。

おにぎり20個、唐揚げ20個、 タコ焼き50個、焼き鳥10本を作る予定。この6割をミーちゃんが食べる。

 

召し上がれ~。

 

 

ちなみに、いま国立駅前の桜は、こんな風になっております。春爛漫ですね~。

 


愛しさと切なさと心強さと

2018-03-18 06:18:00 | オヤジの日記

金曜日、朝起きたら、な~~んか変だなと思って、かかりつけの医者に行った。

 

ヘモグロビンの数値が9まで落ちていた。

「救急車を呼びましょうか。病院で輸血をしてもらった方がいいと思います」

医者に行って診てもらって、救急車を呼びますかって、おかしくないですか~。

 

大丈夫です。タクシーで行きますから。

 

そう嘘をついて、娘の大学に行った。

卒業式だったからだ。

私は息子と娘の学校の行事を休んだことはない。

すべて参加した。

だから、大事な卒業式を欠席するなんて無理。

 

娘の晴れ姿を見たとき、こみ上げて来るものがあった。

「夏帆のお父さん、泣いてない?」「他の人は誰も泣いてないよ」「変な親父だねえ」

娘のお友だちに笑われた。

え? 卒業式は泣くものではないのか? 泣いて何で笑われなければいけないのだ。

だてに白髪が増えたわけではないぞ。この日のために、白髪を蓄えたのだ。大学の卒業式は、親父の白髪と親父の汚い涙が必須だろう。笑うんじゃない。

 

「おまえ、顔色が・・・」と娘に言われたが、「シー」と言いながらウィンクをして黙らせた。

子どもの一生に一度の大学の卒業式。出なかったら、一生後悔する。

 

娘は手間のかからない子だ。

高校3年のとき、担任から「MARCHレベルか、その上も狙えます」と言われたが、レベルを落として受験した。

「ボクは特待生を狙っているんだよね」

我が家が超絶なほどのビンボーだと理解していた娘は、親に学費を出させるのを遠慮して、授業料が無料になる方法を選んだのだ。

娘の目論み通り、1年のとき一度も授業を休まず、Sのフルマークを取った娘は2年から特待生になった。だから、2年以降の授業料はかからなかった。

「授業料がないって、いいよな」

本当にありがたい。

娘には感謝しかない。

 

「ただなあ、ひとつ残念なお知らせがあるんだ」と娘。

娘の通う大学では、卒業時に、学部で一番の成績を残した人を表彰するらしい。

4年間、Sのフルマークを取った娘だったが、学部で一番にはなれなかったというのだ。同じゼミにSのフルマークを取った子がいたという。

同じフルマークだが、娘は大学3年の後期、協定留学で韓国に行ったため、1位の子より単位が4少なかった。だから、同じフルマークでも2位扱いだったのだ。

それは、仕方ないんじゃないのかな。1位と同じだよ。俺は、そう思うぞ。俺が表彰するぞ。

「まあ・・・おまえなら、そう言うと思ったけどな」

 

卒業。

 

尊敬する祖母の世話をしたいと願った娘は、社会福祉学部のある大学に入った。

しかし、祖母は先日亡くなった。祖母は、生前言っていた。

「夏帆ちゃんには、好きな生き方をしてほしいの。私は、夏帆ちゃんの気持ちだけで充分だからね」

介護関係の会社の内定を貰った娘は、4月から、もう一つ内定を貰っていた鉄道関係の会社に勤めることに決めた。

「いいんだよな、これで」と娘に聞かれた。

いいともー!

「おまえ・・・・・それは、痛々しいぞ」と呆れられた。

 

卒業、おめでとう。

酒でも飲もうか。

 

「それより、他にやることがあるだろ。病院に行けよ。顔、真っ白じゃないか」(メイクを頑張りすぎたか?)

 

病院に行きました(笑)。

点滴と輸血。鉄剤の補給。

今日は朝から牡蠣フライを食う予定。

 

少し良くなったら、娘とカラオケボックスに行って「愛しさと切なさと心強さと」を熱唱するつもり。

これは娘とバカ親父のテーマソングだ。

 

 

早く歌いたいなあ。

 

 

昨日、大親友のミーちゃんと香港に卒業旅行に行った娘。

「おまえ、鬱陶しいから付いて来るなよ」と言われたけど、羽田まで見送りに行ったもんね~。

 

父ちゃんは、飛び立つ飛行機を見ながら、「愛しさと切なさと心強さと」を口ずさんでいたぞ。

 

 


「俺」から「奥さん」へ

2018-03-11 05:36:00 | オヤジの日記

仙台市に、大学時代の同級生が住んでいた。

 

友だちにはなりたくないタイプの男だったが、友だちになった。

きっかけは、一番最初のフランス語の授業だった。

私は生意気にも第2外国語に、フランス語を選んでいた。

6号館の641号室に入ったとき、同じ机の並びに、フランス語の教科書を机に置いたヘチマに似た顔の男がいた。アゴが顔の上部より太かったのだ。

もし、こいつが同じクラスだったら、あだ名は絶対に「ヘチマ」と名付けようと心に決めた。

ヘチマも私の方を横目で見ながら、私の教科書と辞書を確認したようだ。ただ、お互い声は掛け合わなかった。お互い「こんなやつと友だちになりたくない」と思っていたからだ。

そして、講師が入ってきた。講師は黒板に突然、漢詩を書き始めた。

そして、言ったのだ。

「中国語は、日本語のルーツと言ってもいいでしょう。これから一年間、中国語を学んで、中国をもっと身近に感じてください」

え? 中国語?

ヘチマと顔を見合わせた。ここって、641号室だよな。

すると、後ろに座っていた女子学生が「631号室」と、ぶっきら棒に囁いた。

階を間違えていたのだ。

ヘチマとの出会いは、そんなおバカなシチュエーションだった。

 

ヘチマの名は、ノナカと言った。

ノナカは、私と同じく協調性のない男だった。クラブにも入らず、クラスの仲間とも打ち解けることをせず、我が道を行くタイプだった。

クラスの友だちと言えば、ポンコツな出会いをした私と、4浪をして入ってきたクラスで最年長のオオタだけだった。

「俺ファースト」が強すぎて、同級生たちは、絶えず辛辣なことを他人に言うノナカとは距離を置いて接していた。

私もノナカとは決して気は合わなかったが、変な場面では、よく会った。

春休みにアルバイトをしようとして、銀座の「ニュートーキョー」というレストランの面接会場に行ったとき、ヘチマの姿が目の前にあった。

長野県野沢温泉での陸上部の長い夏の合宿が終わったとき、気分転換に陸上部員3人と木曽馬籠宿の民宿に泊まった。そのときも食堂にヘチマがいた。

友人とふたり京都に旅をしたときも、西本願寺で出くわした。

どうやら、ノナカとは、どこかで何かが繋がっているようだ。

 

ノナカは、大学を卒業したのち、ノナカに一番似合わない教師という職業を選んだ。都立高校の教師になったのだ。

そのあと、33歳の時、仙台のご両親の具合が悪くなったので、仙台に帰り、そこで学習塾を開いた。

ノナカは、教師の時も学習塾の経営者の時も「俺ファースト」の姿勢を貫いた。そのブレない態度はアッパレと言ってよかった。

そして今、ノナカは、仙台に2つの学習塾を持ち、東京で4つのミニパソコン塾を持つまで事業を広げていた。

つまり、それなりに成功した男と言っていい。

だが、10年前に、ノナカに不幸が襲った。胃に腫瘍が見つかったのだ。その結果、胃の3分の2以上を切除した。

ノナカに変化が表れたのは、その頃だった。

死を覚悟したノナカは、そのころ、自分の感情を殺すことを覚えたようだ。

人に対しての辛辣な言葉が、少なくなった。

そして、ノナカを決定的に変えたのは、4年前の出来事だった。

ノナカの奥さんが、がんを患ったのだ。余命宣告を受けた。

「手術は、もう無理です」

だが、そのとき、ノナカは諦めなかった。

セカンド・オピニオン、サード・オピニオン、フォース・オピニオンを求めて、全国の医師を訪れたのだ。

そして、手術をしてくれる医師を探し当てた。

「ただ、勘違いしないでください。治るわけではありません。治ることを期待しないでください」と医師には釘を刺された。

 

手術後の奥さんは、一進一退を続けたが、余命宣告を受けた時期を過ぎても、奥さんは生きた。

「俺ファースト」だったヘチマが、奥さんのために、仕事を他の人に任せ、奥さんだけを見て、毎日を生きる姿を目の当たりにした私は大きな希望を持った。

今、ノナカの奥さんは、家事が出来るまでに回復した。そればかりか、週に1回スポーツジムで水泳が出来るまでになった。

ただ、治ったわけではないという。ガンを飼いならしながら、生きている状態だという。

 

「でもな」とノナカが言う。

「女房が、目の前にいて動いているだけで、俺は満足なんだよな」

 

7年目の311。

毎年311が来る度に、実際に被災したノナカと奥さんは、「ああ、またこの日を迎えられた」と深い感慨に浸るのだという。

「俺たちは、まだ確実に生きている」

 

ノナカの奥さんが病気になったとき、私は私のヨメにお願いをした。

ヨメは、巨大宗教の信者だった。

目に見えるものしか信じない罰当たりの私とは違って、ヨメはとても信心深い人だ。

そのヨメに「ノナカと奥さんのために祈ってくれないかな。時々でいいから」と都合のいいお願いをした。

信心深いヨメは、毎日祈ってくれていたようだ。

それを聞いたノナカが、ヘチマ顔で泣き笑いの顔を作った。

 

「ありがたいことだな」

「でも、俺のことは、どうでもいいから・・・女房には来年も再来年も、その先もずっと生きて311を迎えてもらいたいものだな。おまえの奥さんに言っておいてくれないか。俺は外してくれていいって。俺の分は女房に回してくれって」

 

 

いつの間にかノナカは、「奥さんファースト」の男になっていた。

 

 


「ありがとう」が聞こえない

2018-03-04 05:43:00 | オヤジの日記

嫌なことは続く、という法則が、人生にはある。

 

東京三鷹駅近くの機械式駐輪場に自転車を格納しようとしたときだった。首のあたりに生暖かい鼻息を感じた。

振り返ると17センチほどの近さに男が立っていた。40歳前後の鈍い表情をした小太りの男だ。

おそらく駐輪した自転車を取り出しにきたのだろう。相当急いでいたようだ。

その鼻息に負けた私は、男に、お先にどうぞ、と順番を譲った。

それに対して、男は「あっそう」と言って、私を軽く押しのけるように、機械式駐輪場のゲート前に立ちはだかった。

おや? ありがとう、はないんですかい?

期待した私が、バカだったか。

 

そのあと、三鷹駅のコンコースに行く階段を上ろうとしたとき、女性の小さな鞄から小銭入れが落ちるのが見えた。

「あのー、落ちましたよ」と7段ほど前をいく女性に声をかけた。

そのとき、わざわざ階段を下りるのは大変だろうと思った私は、その小銭入れを拾って女性に渡そうとした。

しかし、恐ろしいほどの剣幕で、女性に「触らないで!」と怒鳴られた。50歳くらいの細身の女性だった。しかも、私のことを睨んだのだ。

あのー・・・・言いたくはないですが、財布と一緒に、ありがとう、を落としましたか?

 

度重なる無礼に対して、眉間に皺を寄せたまま、中央線国立駅に着いた。

やや腹を立てながらも、冷静に財布に金がないのに気づいた私は、駅前のみずほ銀行のATM前に並んだ。

私の前に4人並んでいた。そして、すぐに私の後ろにも並ぶ人が増えた。私の後ろには、50年輩のくわえ煙草の男の人が並んだ。

その男が、「なんだよ、遅いな、どんだけ時間がかかるんだよ」と並んだ途端文句を言い出した。

キミ、まだ並んだばかりで何をイライラしているのかね。鬱陶しいやつだな、と思った。並ぶのが嫌なら、並ばなければいいのに・・・。さらに、俺の首筋に煙草の煙を吐きかけるなよ。気の短いやつなら喧嘩になってるぞ。条件は皆同じなのに、何でキミだけ、あからさまに不機嫌にイライラしているんだ。

しかし、私は、菩薩のように慈悲深い男である。

私の順番が来たとき、お先にどうぞ、と男に順番を譲った。少しくらい時間がかかったとしても長い人生の中では何の影響もない。どうぞ、どうぞと快く譲った。

だが、男は、無言で私を押しのけるように、ATMにダッシュしたのである。

おい、チミ、ありがとう、という日本語は、こんなときに使うものではないのか。

 

右手の拳がグーになったが、私は懸命に堪えた。

こんなときの私は、腹立ち紛れに、無差別に人の脇をコチョコチョとくすぐりたくなる衝動に駆られる。

だが、もちろん、今そんなことができるわけがない。駅前の交番の5頭身の警官に捕まるに違いない。

こんなときは、娘とコントをするに限る、と私はイラつく気持ちを必死でなだめた。

娘は大親友のミーちゃんと卒業旅行に行くために、いま必死でアルバイトで稼ぎまくっているところだった。

駅前のコンビニで働いていたのだ。

大学3年の前期に、娘が中央線武蔵境駅前の大手スーパーで夜間アルバイトをしていたときも、私は週に3、4回そのスーパーを訪れて、スーパーの売り上げに貢献していた。

今回も国立駅前のコンビニを週に3、4回訪れ、店の売り上げに貢献していた。毎回、おにぎり一個と炭酸水を買うのである。

娘がいるレジの前に、その2つを置くと娘は必ずこう言った。

「おにぎりと炭酸水、温めますか?」

はい、もちろん。

その度に、娘は電子レンジにおにぎりと炭酸水を入れる。

ただ、電子レンジのスイッチは入れない。指で20数えたのち、取り出すのである。

「お客様、お待たせしました。ちょうどいい具合に温まったようです」

どうもありがとう。今日も美味しくいただけそうです。

 

あのお・・・ボクの友だちのハヤシ君が、ライスを忘れてしまったようなんですけど。

「申し訳ございません、お客様。ハヤシライスは本日売り切れです。また明日お越し下さい」

カレー君もライスを忘れました。

「お客様、カツ君が横たわったものならございますが」

ああ、それをください。

「かしこまりました」(バカ親子か?)

 

そんなコントをやろうとして、コンビニの列に並んだ。

だが、そのとき、40から60歳くらいの男が娘のレジの前に立ったのだ。

「ネエちゃん、週刊文春をくれないか」

ルール通り並ぶということを知らない、ただのバカだった。

娘が言うには、一日に7、8人は、こんなバカがいるらしい。

「お客様、申し訳ありませんが、あちらに並んでいただけますか、順番になっておりますので」

娘は、そのコンビニで、一番接客態度のいいアルバイトに与えられる「グッジョブ賞」というのを頂くほど手慣れた接客をするアルバイトの鏡だった。

だが、その接客態度は、男には通じなかったようだ。

「いいじゃん、だって、週刊文春を買うだけなんだから。すぐ終わるから」

週刊文春は、こんな一部のバカに支えられているのだな、という偏見を申し訳なくも持った娘と私だった。

 

そのあからさまなバカさ加減が楽しくなって、私は思わず手を叩きながら声を出して笑ってしまった。

その拍手と笑い声に気づいたのか、男が、眉間に皺を寄せて、私の前にやってきて、私を見上げた。

身長165センチくらいの上下ジャージ男が、180センチの私を下から睨みつけた。

その日、色々なことが重なっていら立っていた私は、近づいてきた男の胸ぐらを右手で優しく掴んだ。そして、全力で相手の体を優しく引き寄せた(私はヒョロヒョロだが、ベンチプレスで70キロを持ち上げられる力はあった)。

もちろん、男を殴るためではない。神の左手で男の脇をコチョコチョするためだ。

だが、私の偽りの怒り顔にたじろいだ男は、「あ、ゴメンナサイ」と言って、素晴らしいスピードで逃げていった。

 

ああ、そうですか・・・最近の大人は、「ありがとう」は言えないが、逃げ腰の「ごめんなさい」は言えるのだな、と悲しい感情が私の胸を満たした。

 

 

最近の日本の大人は変わっている人が多い、と私は思った。

 

 

そのとき、遠くから風に乗って「おまえに言われたくないわ」という娘の正しいつぶやきが、唯一聞こえる私の左耳に入ってきた。