よりによって、ミーちゃんの大事な日に台風17号が来るなんて。
風が強い。台風だから当たり前だが、少しは遠慮して欲しいと思った。風クン、鬱陶しいよ。
金沢駅の改札の外に、ミーちゃんの旦那確定の若ちゃまが待っていた。
君にも支度があるだろうから出迎えはいらぬ、とLINEで断ったのだが、「男は支度なんか大したことないですから」と迎えにきてくれやがった。
でも、迎えにきてくれてよかった。タクシー乗り場が驚くほど混んでいた。強風の中あそこに並ぶことを考えたら、若ちゃまのお節介なほどの気配りがありがたかったたかった。
駅近くの駐車場まで行くと、ボディの横に屋号が書かれたワゴン車が停まっていた。いいね、生活感あるね。
荷台にみんなのバッグを置き、後部の二列に4人のケツが乗った。車内は、とても綺麗だった。我々を乗せるために最大限綺麗に掃除してくれたとみた。ありがとね、若ちゃま。
「ここで、皆様にお伝えしたいことがあります」改まった口調だった。固いぜ、若ちゃま。
「ミーが言い出しにくいと言ったので、僕からお伝えします」固いな。solidだね。
「今回の披露宴では、皆様にはミーの家族のポジションに座っていただきたいのです」
つまり、ミーちゃんのご両親は、来ないということだな。わだかまりがあるのは最初からわかっていたが、まさか、それほどこじれているとは。
娘の結婚式は、和解のいいチャンスではないか。それを逃すなんて親の資格なしなしなし梨汁ブシャー!
しかし、それは第三者が立ち入るべき問題ではない。
私は答えた。
俺たちは、ミーちゃんの親だし兄弟だから、俺たちが一番、その席にふさわしい。当たり前のことですよ。
若ちゃまが下を向いた。そして、左手で両目をゴシゴシこすった。
「すみません。最近涙もろくなって。今日の披露宴はボロ泣きすると思います」
充血した目で振り返った。
いや、俺の方が泣くね。それだけは自信がある。
「ミーも言ってました。パピーは、みっともないくらい泣くぞって」
さすがミーちゃん、いや、我が娘は私のことを本当によくわかっている。だから、ハンドタオルを10枚用意してきたもんね。
披露宴会場であるホテルに着いた。ご立派な入れ物だ。恐れ多いことに、我が家族はこの日このホテルに泊まることになっていた。ありがたいことに、若ちゃまが用意してくれたのだ。4人が泊まれるセミスイートなんて、贅沢すぎて足が震えるわ。ちびるわ。
室内探検をしたら、トイレが2つ、バスルームの他にシャワールームもあった。ありがたいことに、ベッドまであった。ライトもテレビもでっかい鏡、でっかいクローゼットまであったぞー。三方が広い窓で、高級そうなカーテンがかかっていた。まるでセミスイートみたいじゃないか。
着替え終わったとき、ホテルの結婚コーディネーターの方が呼びにきた。「新婦様のお支度ができました」。
右手と右足を同時に運びながら、控室まで行った。勇気が出なかったので、娘をまず部屋に入らせた。次にヨメ、息子、だいぶ遅れてひょっこりはんのように、私は半身だけ部屋に入った。
とても綺麗になったミーちゃんが、ヤマイモを抜くように、私を引きずり入れた。
「パピー、会いたかったよぅ!」
抱きつかれた。照れた。そして、どこか寂しくもあった。
このとき私は、おめでとうよりも先に、酒はないのか、という白痴的なことをミーちゃんに言った。
機転を利かせたコーディネーターさんが、ワインをお持ちしますと言って、風速10メートルで部屋を出て行った。
「パピー、手が震えてない?」
は、は、恥ずかしながら。
心臓ばくばくではあったが、綺麗だね、と心の声をそのまま口にした。本当に綺麗だったからだ。
「お父様」という誰かの声が、耳に入ってきた。「バカ親父」と呼ばれた方が気が楽なんですけど。振り返るとコーディネーターさんがワイングラスを持って立っていた。本当に持ってきてくれたのね。
グラスを受け取って、一息で飲んだ。マナーなんて、関係ねえ。
落ち着いた。
やっと、おめでとう、が言えた。
ミーちゃんと我が家族4人の姿をコーディネーターさんに撮ってもらった。最高の一枚だ。た・か・ら・も・の。
長くお邪魔をしては進行の邪魔になるので、じゃあ後で、と言ったとき、ミーちゃんが神妙な顔をして、私の前に立った。
「ねえ、パピー、『今まで育ててくれて、ありがとう』って言ったほうがいいのかな」
目が少し潤んでいた。
いやいや、その手には乗らないよ。いま泣かせようとしたって俺は意地でも泣かないから(泣いてもよかったが、ハンドタオルがなかったので我慢した)。
「だよねー」とミーちゃんは舌を出して、イタズラ娘そのままの顔で笑った。泣き笑いではあったが。
披露宴の様子を細かく描写するほど、私はまだ現実と向き合えていない。
空っぽに近いと言っていい。
現実に真正面から向き合えたとき、書けるかもしれない。しかし、書けないかもしれない。
ここでは、披露宴での娘のことを書こうと思う。
14歳から10年以上、娘とミーちゃんは、実の姉妹のような濃密な時間を過ごしてきた。
東方神起のコンサート。少女時代のコンサート。東日本大震災の時は、抱き合いながら恐怖に震えた。苗場のスキー場での初スキー。中学高校の卒業式。大学は別々だったが、土曜日は必ず我が家に泊まりにきて、夜遅くまで語り合った。大学3年の後期、娘が韓国に留学していたとき、「夏帆ロスが我慢できん」と言って、ソウルまで飛んだミーちゃん。お互いに彼氏ができたとき、真っ先に相手を紹介した2人。
姉妹以上の姉妹だった。もちろん、今も。
披露宴での娘のたくさんの涙は、ミーちゃんへの祝福と感謝の涙だ。
お祝いに、娘は歌を披露した。
ミーちゃんが一番好きな歌。東方神起の「Forever love」だ。
夜中に、電子ピアノを毎日弾いていた娘の心の中は、ミーちゃんのことしかなかったと思う。
カラオケにも行った。そのうち2回は、私も付き合わされた。
「自信はないが、頑張るしかないよな」
頑張る必要はない。思いが伝わればいい。
弾き語り。
最初のうちは、緊張とミーちゃんへの思いが高ぶりすぎて、ぎこちなかった。しかし、サビの部分からは、娘は無心になったように見えた。
声もよく出ていた。声が透き通っていた。その透き通った声は、間違いなくミーちゃんの心に入り込んでいた。
まばたきもせず、ミーちゃんは、娘の歌声を聴いていた。そして、歌い終わると同時に立ち上がって拍手をした。若ちゃまも立ち上がって拍手をした。ミーちゃんが泣いた。そして、驚くことにミーちゃんよりも若ちゃまの泣きっぷりの方がすさまじかった。嗚咽という言葉が控えめに思えるほど、若ちゃまは唸り泣いた。
披露宴が終わって、二次会があった。参加したのは娘だけだった。他の人が2人に気を使って、二次会は後日という取り決めがあったようだ。
若ちゃまも遠慮した。
つまり、2人きりの二次会だった。
ホテル近くの居酒屋で10時まで語り合った。
何を話したか、などという無神経なことは私は聞かない。10年以上の年月なのだ。それを数時間で凝縮するのは難しい。
だから、友として、姉妹としてお互いの存在と絆を確かめ合ったのではないか、と私は勝手に推測している。
台風から逃げるように、我々は次の日、観光もせずに朝早く金沢を立った。ミーちゃんと若ちゃまが、見送りに来てくれた。
抱き合う姉妹の横で、若ちゃまが気持ちの悪いことを言った。
「僕もお二人のことをパピー、マミーと呼んでもいいですか」
体じゅう鳥肌まみれになりながら、い、い、い、いいよと答えた。
じゃあ、俺も君のことを「若ピー」と呼んでもいいかい。
「いやです」キッパリと否定された。
息子が撮った君の唸り泣きの動画をツイッターにアップしてやろうか。
ところで、私が持っていったハンドタオル10枚が、どうなったかというと、ホテルの部屋に置き忘れるという痛恨のミスをしでかしたため、一枚も使わなかった。
そのかわり、紙ナプキンは、数え切れないくらい使った。
係りの人が気を利かせて、私の足元に小さなゴミ箱を置いてくれた。
恥知らずで汚い親父だ。
だが、最後にいいこともあった。
金沢駅のホームで、ミーちゃんが言ったのだ。
「パピー、正月に里帰りするよ。若ちゃまが許してくれたんだ」
初めて、ハンドタオルを使って、目から流れ出た水を拭いた。
やるねぇ、若ピー。
ありがとね。