リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

ハンドタオル

2019-09-29 05:32:03 | オヤジの日記

よりによって、ミーちゃんの大事な日に台風17号が来るなんて。

 

風が強い。台風だから当たり前だが、少しは遠慮して欲しいと思った。風クン、鬱陶しいよ。

金沢駅の改札の外に、ミーちゃんの旦那確定の若ちゃまが待っていた。

君にも支度があるだろうから出迎えはいらぬ、とLINEで断ったのだが、「男は支度なんか大したことないですから」と迎えにきてくれやがった。

でも、迎えにきてくれてよかった。タクシー乗り場が驚くほど混んでいた。強風の中あそこに並ぶことを考えたら、若ちゃまのお節介なほどの気配りがありがたかったたかった。

駅近くの駐車場まで行くと、ボディの横に屋号が書かれたワゴン車が停まっていた。いいね、生活感あるね。

荷台にみんなのバッグを置き、後部の二列に4人のケツが乗った。車内は、とても綺麗だった。我々を乗せるために最大限綺麗に掃除してくれたとみた。ありがとね、若ちゃま。

 

「ここで、皆様にお伝えしたいことがあります」改まった口調だった。固いぜ、若ちゃま。

「ミーが言い出しにくいと言ったので、僕からお伝えします」固いな。solidだね。

「今回の披露宴では、皆様にはミーの家族のポジションに座っていただきたいのです」

つまり、ミーちゃんのご両親は、来ないということだな。わだかまりがあるのは最初からわかっていたが、まさか、それほどこじれているとは。

娘の結婚式は、和解のいいチャンスではないか。それを逃すなんて親の資格なしなしなし梨汁ブシャー!

しかし、それは第三者が立ち入るべき問題ではない。

私は答えた。

俺たちは、ミーちゃんの親だし兄弟だから、俺たちが一番、その席にふさわしい。当たり前のことですよ。

若ちゃまが下を向いた。そして、左手で両目をゴシゴシこすった。

「すみません。最近涙もろくなって。今日の披露宴はボロ泣きすると思います」

充血した目で振り返った。

いや、俺の方が泣くね。それだけは自信がある。

「ミーも言ってました。パピーは、みっともないくらい泣くぞって」

さすがミーちゃん、いや、我が娘は私のことを本当によくわかっている。だから、ハンドタオルを10枚用意してきたもんね。

 

披露宴会場であるホテルに着いた。ご立派な入れ物だ。恐れ多いことに、我が家族はこの日このホテルに泊まることになっていた。ありがたいことに、若ちゃまが用意してくれたのだ。4人が泊まれるセミスイートなんて、贅沢すぎて足が震えるわ。ちびるわ。

室内探検をしたら、トイレが2つ、バスルームの他にシャワールームもあった。ありがたいことに、ベッドまであった。ライトもテレビもでっかい鏡、でっかいクローゼットまであったぞー。三方が広い窓で、高級そうなカーテンがかかっていた。まるでセミスイートみたいじゃないか。

 

着替え終わったとき、ホテルの結婚コーディネーターの方が呼びにきた。「新婦様のお支度ができました」。

右手と右足を同時に運びながら、控室まで行った。勇気が出なかったので、娘をまず部屋に入らせた。次にヨメ、息子、だいぶ遅れてひょっこりはんのように、私は半身だけ部屋に入った。

とても綺麗になったミーちゃんが、ヤマイモを抜くように、私を引きずり入れた。

「パピー、会いたかったよぅ!」

抱きつかれた。照れた。そして、どこか寂しくもあった。

このとき私は、おめでとうよりも先に、酒はないのか、という白痴的なことをミーちゃんに言った。

機転を利かせたコーディネーターさんが、ワインをお持ちしますと言って、風速10メートルで部屋を出て行った。

「パピー、手が震えてない?」

は、は、恥ずかしながら。

心臓ばくばくではあったが、綺麗だね、と心の声をそのまま口にした。本当に綺麗だったからだ。

「お父様」という誰かの声が、耳に入ってきた。「バカ親父」と呼ばれた方が気が楽なんですけど。振り返るとコーディネーターさんがワイングラスを持って立っていた。本当に持ってきてくれたのね。

グラスを受け取って、一息で飲んだ。マナーなんて、関係ねえ。

落ち着いた。

やっと、おめでとう、が言えた。

ミーちゃんと我が家族4人の姿をコーディネーターさんに撮ってもらった。最高の一枚だ。た・か・ら・も・の。

長くお邪魔をしては進行の邪魔になるので、じゃあ後で、と言ったとき、ミーちゃんが神妙な顔をして、私の前に立った。

「ねえ、パピー、『今まで育ててくれて、ありがとう』って言ったほうがいいのかな」

目が少し潤んでいた。

いやいや、その手には乗らないよ。いま泣かせようとしたって俺は意地でも泣かないから(泣いてもよかったが、ハンドタオルがなかったので我慢した)。

「だよねー」とミーちゃんは舌を出して、イタズラ娘そのままの顔で笑った。泣き笑いではあったが。

 

披露宴の様子を細かく描写するほど、私はまだ現実と向き合えていない。

空っぽに近いと言っていい。

現実に真正面から向き合えたとき、書けるかもしれない。しかし、書けないかもしれない。

 

ここでは、披露宴での娘のことを書こうと思う。

14歳から10年以上、娘とミーちゃんは、実の姉妹のような濃密な時間を過ごしてきた。

東方神起のコンサート。少女時代のコンサート。東日本大震災の時は、抱き合いながら恐怖に震えた。苗場のスキー場での初スキー。中学高校の卒業式。大学は別々だったが、土曜日は必ず我が家に泊まりにきて、夜遅くまで語り合った。大学3年の後期、娘が韓国に留学していたとき、「夏帆ロスが我慢できん」と言って、ソウルまで飛んだミーちゃん。お互いに彼氏ができたとき、真っ先に相手を紹介した2人。

姉妹以上の姉妹だった。もちろん、今も。

披露宴での娘のたくさんの涙は、ミーちゃんへの祝福と感謝の涙だ。

 

お祝いに、娘は歌を披露した。

ミーちゃんが一番好きな歌。東方神起の「Forever love」だ。

夜中に、電子ピアノを毎日弾いていた娘の心の中は、ミーちゃんのことしかなかったと思う。

カラオケにも行った。そのうち2回は、私も付き合わされた。

「自信はないが、頑張るしかないよな」

頑張る必要はない。思いが伝わればいい。

弾き語り。

最初のうちは、緊張とミーちゃんへの思いが高ぶりすぎて、ぎこちなかった。しかし、サビの部分からは、娘は無心になったように見えた。

声もよく出ていた。声が透き通っていた。その透き通った声は、間違いなくミーちゃんの心に入り込んでいた。

まばたきもせず、ミーちゃんは、娘の歌声を聴いていた。そして、歌い終わると同時に立ち上がって拍手をした。若ちゃまも立ち上がって拍手をした。ミーちゃんが泣いた。そして、驚くことにミーちゃんよりも若ちゃまの泣きっぷりの方がすさまじかった。嗚咽という言葉が控えめに思えるほど、若ちゃまは唸り泣いた。

 

披露宴が終わって、二次会があった。参加したのは娘だけだった。他の人が2人に気を使って、二次会は後日という取り決めがあったようだ。

若ちゃまも遠慮した。

つまり、2人きりの二次会だった。

ホテル近くの居酒屋で10時まで語り合った。

何を話したか、などという無神経なことは私は聞かない。10年以上の年月なのだ。それを数時間で凝縮するのは難しい。

だから、友として、姉妹としてお互いの存在と絆を確かめ合ったのではないか、と私は勝手に推測している。

 

台風から逃げるように、我々は次の日、観光もせずに朝早く金沢を立った。ミーちゃんと若ちゃまが、見送りに来てくれた。

抱き合う姉妹の横で、若ちゃまが気持ちの悪いことを言った。

「僕もお二人のことをパピー、マミーと呼んでもいいですか」

体じゅう鳥肌まみれになりながら、い、い、い、いいよと答えた。

じゃあ、俺も君のことを「若ピー」と呼んでもいいかい。

 

「いやです」キッパリと否定された。

息子が撮った君の唸り泣きの動画をツイッターにアップしてやろうか。

 

ところで、私が持っていったハンドタオル10枚が、どうなったかというと、ホテルの部屋に置き忘れるという痛恨のミスをしでかしたため、一枚も使わなかった。

 

そのかわり、紙ナプキンは、数え切れないくらい使った。

係りの人が気を利かせて、私の足元に小さなゴミ箱を置いてくれた。

恥知らずで汚い親父だ。

 

だが、最後にいいこともあった。

金沢駅のホームで、ミーちゃんが言ったのだ。

「パピー、正月に里帰りするよ。若ちゃまが許してくれたんだ」

初めて、ハンドタオルを使って、目から流れ出た水を拭いた。

 

 

やるねぇ、若ピー。

ありがとね。

 


アホと国立で

2019-09-22 05:44:01 | オヤジの日記

アホがメルセデスでやってきた。

 

国立のバーミヤンで、テクニカルイラストの達人・アホのイナバと打ち合わせをした。

9月16日だった。店に行ったら行列ができていた。なんで? 普段の1時半は、いつも空いていたのに。

なにか重要な催し物でもあるのだろうか。

平日に、こんなに混むなんて、珍しいよな、とアホのイナバに話しかけた。

すると行列の1つ前で待っていた3人家族のうちのお母さんが振り向いて、「今日は敬老の日ですよ」と教えてくれた。

あー、そういうこと。これはフリーランスあるあるだ。祝日など念頭にない暮らしをしているから、祝日を忘れることが多い。

敬老の日だってさ、とアホのイナバに言った。

「え! 慶応の日ですか。じゃあ、ここにいるのはみな慶応関係の人たちなんですか。僕、慶応じゃないから入れないんですか」

前の3人家族が、振り返ってイナバ君の顔を見た。

すみませんねえ、今年47歳のこの男は、アホですが、とてもピュアでいい男なんですよ。

 

そうだ、イナバ君、ムーンウォークをしてみようか。

「はい」と素直にイナバ君が動いた。狭い空間での8の字を描くような完璧なムーンウォーク。最後に「ポー」までやりましたよ。

前の家族3人と後ろでお待ちの人たちから拍手喝采を受けた。スターだね、イナバ君。

ちなみに、イナバ君は奥さんから「ビリー君」と呼ばれていた。それは、付き合い始めたころ、イナバ君がマイケルジャクソンの「ビリージーン」の踊りを完全コピーしたのが、きっかけである。

イナバ君のいいところ3つ。

心が綺麗なところ。私の息子と同じで、人の悪口は絶対に言わない。

2つ目。ダンスが上手なところ。

3つ目。絵が超人的に上手なところ。

この3つさえ揃っていれば、アホなんか関係ない。というより、イナバ君がアホでなければ、私とは友だちになってくれなかっただろう。

イナバ君が、アホでよかった。

 

幸いにも10分も待たずに席に案内された。窓際の席だった。ラッキー。

打ち合わせの前に、まずはメシ、ということで、イナバ君はとんこつラーメン、わたしはお馴染みW餃子と生ビールを頼んだ。

外の景色を見た。午前中は激しく雨が降っていたが、今はやんでいた。日も差してきた。

日が差してきた、と私は言った。

すると、イナバ君は、こう返してきた。

「日傘は僕はささないですね。最近男の人でもたまに見かけますけど、僕はささないです」

日が差してきた、がアホの脳内では、日傘してきた? に変換される。さすが天才は違う。

 

昼メシを食いながらのお話。

「Mさん、ヤフーのコメント欄とか見ます?」とアホのイナバが聞いた。

イナバ君、それは「ヤフー」ではなく「ヤホー」だよ。いつも俺が言っているではないか。

「ああ、でも奥さんは、僕がヤホーって言うと『違うよ、それヤフーだよ』って訂正するんですよね。どっちが正しいんでしょうか」

それはね、楽しい記事のときは「ヤホー」で、面白くない記事のときが「ヤフー」ってことだよ。

とんこつの麺を一気にすすったイナバ君は、口の中を麺だらけにして嬉しそうに「あー、そういうことですかぁ、納得しました」と言いながらむせた。

ピュアだね、イナバ君。

 

「僕の同業者が、たまたまヤホー? ヤフー?のコメント欄に、コメントしたんです。すると、2日間で、40以上の過激なコメントが寄せられて、慌てて削除したんですよ。怖いので、アカウントも削除したそうです。もうノイローゼになりそうだって、その人は言ってました」

イナバ君、よくノイローゼなどという難しい言葉を知っていたね。進歩したのかな。

俺は、ヤホーのコメント欄は、かなり前から非表示にしているんだ。あれは異次元の世界だから俺には現実感がない。あの欄は「ヤホーコメント国」という特殊な世界なんだよ。あの国が理解できる人だけが利用すればいいと思う。俺は、その国の人ではないから、立ち入らないようにしているんだ。

「Mさん、異次元って次元が違うって意味ですよね。つまり、2次元とか4次元? ってことですか。まるでアニメか映画みたいですね」

そうだね。そういうことにしておこうか。

 

「ところで、ウチの奥さんの友だちが、首都高で『あぶり運転』を受けたんですって」

あぶり運転? バーナーで攻撃されたのか。ニュースでは、やってなかったけど。

「いや、バーナーは危険でしょう。だから、あぶり運転ですよ」

あぶるんだよね。バーナーが必要だよね。

「いや、バーナーなんか使ったら、燃えちゃうじゃないですか。犯罪ですよ」

もちろん、あおり運転は、犯罪だよ。あぶったら、もっとすごい犯罪になると思うけど。

「そうですよね。『あぶり』は怖いですよね。僕も気をつけます」

うん、あぶられないようにね。特に、メルセデスの場合は大損害だから。

 

「最近、アリモリマスミちゃんテレビに出ないですね。僕、好きなんですけどね」

有村架純ね。

CMとかには、出ているんじゃないかな。女優さんは、テレビだけが活躍の場じゃないからね。

「でも、僕はテレビドラマのアリモリマスミちゃんを見たいんですよね。ウチの奥さんもアリモリマスミちゃんのファンなんですよ。残念がってました」

奥さんは、そのアリモリマスミを認めているのか。有村架純だと訂正しないのか。もう諦めているのか。

「アリモリマスミちゃんのドラマ、早く見たいですよ」

有村架純ね。

 

打ち合わせが終わった帰り道。

イナバ君がメルセデスをとめた駐車場まで並んで歩いていった。

途中にロイヤルホストがあった。

その看板を見たイナバ君が言った。

「そういえば最近『ロイアルポスト』に行ってないですねえ。あそこのハンバーグは美味しいですよねえ。ねえ、Mさん、知ってました? ハンバーグって、ドイツのハンブルグが由来なんですって」

おお、進歩したねえ、イナバ君、俺は嬉しいよ。

「アメリカでは、ハンブルグがハンバーグになるんですね。言葉って面白いなあ」

ところで、イナバ君、知っているかい? アメリカでは、ハンバーグと言っても料理だとは思わないんだ。

「え? 嘘ですよね」

君も言ったように、ハンバーグというとハンブルグという地名になってしまうんだ。アメリカ人に「ハンバーグ」というとドイツの「ハンブルグ」しか出てこないんだな。料理がイメージできないんだ。

「でも、ハンバーガーはあるんですよね」

そう。ハンバーガーとなると「ハンブルグ」とは別物だからね。だから、ハンバーガーは、彼らにとって明確に認識できるんだよ。

「アメリカには、ハンバーグはないってこと?」

料理自体はあると思うけど、アメリカ料理ではないんだな。アメリカ人は、ハンバーグを見たら、ミートローフって言うらしい。

ミートローフは、厳密に言うとハンバーグとは違うんだけど、アメリカ人には、その方がイメージしやすいんだろうね。

「ミートソース?」

だいぶ違うね。ミートローフ。

「ミートロース?」

ああ、だいぶ近ずいてきた。

「ミートローク?」

ミッキー・ロークみたいだな。

「何ですか、ミッキー・ロークって」(そこは普通に聞こえるのかい)

君はミッキー・ロークを知らんのか。ミッキーマウスのお父さんじゃないか。

「ああ、お父さんでしたか。僕、ディズニー好きですけど知らなかったです。帰ったら、奥さんに聞いてみます。彼女もディズニーが好きですから」

そうだね。ぜひ、聞いてみてほしいな。

 

アホがメルセデスで帰っていった。

 

その日の夜、9時過ぎにイナバ君の奥さんからLINEが来た。

「お世話になります。お久しぶりです。

ミッキーローク、懐かしいですね。いい俳優さんです。

ビリー君には、ミッキーロークは、ミッキーマウスのお父さんということにしておきました。

また、混乱するので、我が家でも「ヤホー」で通すことにしました。そちらの方が楽しそうですし。

これからもビリー君をよろしくお願いします(すみっコぐらしの動くスタンプ)」

 

よかったね、イナバ君。理解のある奥さんがいて。

 

 

 

今日は、大食いのミーちゃんの結婚式。

朝の8時に国立を出て、新幹線で金沢に行く。家族4人だ。

 

今の「ミーちゃんロス」を思うと、私はミーちゃんの父親だったと錯覚してもおかしくはない、と最近思うようになった。

 

・・・と、ここまでキーボードをカチャカチャしていたら、目と鼻から大量の水が流れ出てきた。画面もかすんでるし。

 

もう、無理!

 

 

気を取り直して、これから、たくさんの思い出を背負いながら、ミーちゃんに会いに行きます(as tears go by)。

 


いきなり

2019-09-15 05:55:01 | オヤジの日記

はじめに、台風15号で被災された方、停電で難儀をされている方たち、私には物資を送ることしかできません。くれぐれも健康にはお気をつけください。命を守ってください。

 

 

さて、今回も前回に続いて、韓国のお話を。

私の娘は、KPOPや韓国文化が好きということもあって、韓国にはよく行く。

だが、娘は盲目的な韓国びいきではない。韓流ドラマや映画には、ときめかない。そして、すべての韓国人がそうというわけではないが、話をしているとき、突然態度が豹変して大声でまくし立てる人が少なからずいるのが理解できない。店員の態度もあまり良くない。そこは、好きではない。そして、絶えずケンカ腰の韓国政府のことも好きではない。論理的でない記事をバラまくメデイアも好きではない。

では、なぜ韓国に何度も足を運び、留学までしたのか。

「韓国料理はうまい。もちろん、日本料理も美味いけど、種類が多すぎて疲れちゃうんだよな。その点、韓国料理は単純明快。味もデザインもわかりやすくていい。ボクは、おまえと同じでグルメじゃないから、凝った料理は敬遠しちゃうんだよね。単純に焼いたり煮たり茹でたりして香りがいい料理がボクは好きだ」

「距離が近いから、一番近い外国っていう感じで行きやすいしね」

「街も活気があって好きだな」

「それに、あとは化粧品だな。質は日本製の方が絶対にいい。でも高いんだ。韓国製は質は少し落ちるけど、とにかく安い。種類も多い。それを目当てに行っているようなもんだな。今回も買い込んだぜー。満足したぜー。ワイルドだろー」

「そういえば、男物の化粧品も豊富なんだぜ。今度買ってこようか」

 

私が、これ以上美しくなって、どうするというのだ。

新宿2丁目でしか需要がないではないか。源氏名は「スケルトン・ビューティ」か。でもダメだ、俺は歌えない踊れないガイコツだ。ノーエンターテイメントだ。美しいだけでは、ダメだろう。

そもそも私は、自分を飾ることに、まったく興味がない。アイシャドウもチークもルージュも子どものころから使ったことがない。

整髪料も使ったことはないし、髭剃り後のローションも塗りたくったことがない。

シャンプーやリンスの類いも使わない。ガキのころから、頭を洗うのは石鹸だけだ。石鹸1個で全身を洗う。そして、呆れるほどの量のシャワーで、全身を洗い流すのだ。そのあと、ワンちゃんのように高速で頭を振って乾かす。タオルドライとかドライヤーなどというものは使わない。自然乾燥だ。乾いたら一度だけ櫛を入れる。

そんな雑なことをしているから、40歳を過ぎてから白髪が増えだし、今では「シラガオヤジ」という称号をいただくまでになった。8割がグレーヘアーでございます。

でも、ハゲてないもんね。それは、石鹸のおかげかもしれない。何の根拠もないが(ちなみに石鹸はなんでもいい)。

あとは、洋服にも興味がない。子どものころから、母が買ってきたものを文句を言わずに着ていた。こういう服が着たいなどという大それたことは言わない。内面が綺麗なら何を着ても美しいはずだ(嫌なガキだ)。

結婚してからは、朝ヨメが用意したものを着て、会社に行った。今もそれは続いていた。たまに娘が用意したものを着ることがある。私のセンスより、ヨメや娘のセンスがはるかに上なのはわかり切ったことだ。

 

「なんか、話が脱線しておらんか」と娘がハンドルを正常に戻した。

 

戻った。

KPOPは今、世界的に認知された文化となった。これは、凄いことだ。KPOPのどこが世界の人々の心を打ったのか、それは娘にも私にもわからない。

そこで、私はいい加減な仮説を立ててみた。

「いきなり始まって、いきなり終わる」

何年か前から、売れているKPOPの曲は、いきなり始まって、いきなり終わることが多い。前奏も間奏も終奏もなく、いきなり始まっていきなり終わる。

同じ歌詞を何度も繰り返し、同じメロディ、リズムで突っ走って、ストンと終わるのだ。

たとえば、アメリカンポップス、ヒップホップやラテン系の歌にも、その傾向はある。つまり、それは今の世界の流れの1つなのかもしれない。

軽快でわかりやすい歌と統制されたダンス。そのリズムとダンスを間奏で途切れさせないために、KPOPはいきなり始まって、いきなり終わるのではないか。

それが心地よくて、世界の人たちはKPOPを認めた。

「こじつけに聞こえなくもない」と辛口の娘。

 

万延元年に生まれた古い人間の私は、曲にはドラマがあったほうがいいと思う派だ。

たとえば、イーグルスの名曲「ホテルカリフォルニア」。

叙情的なアコースティックギターのアルペジオから曲は始まる。そのあと、アコースティックギターの長いソロからエレキギターとドラムスが叙情を盛り上げるように、控えめにかぶさる。そして、ドン・ヘンリーの甘いボーカルが入る。切実な表現で歌い上げた余韻に浸る間もなく、ギターが終奏を奏で始める。ツインギターだ。哀愁をたたえた2つのギターが長く絡み合いながら、フェイドアウトして終わる。とても美しい歌だ。

エリック・クラプトンの「レイラ」。

クラプトンのストラトキャスターが強烈なリフを奏でる。そして、狂おしいほどのクラプトンのシャウト。ストラトキャスターとシャウトが渦を巻くようにして、愛する人への思いをぶつけるのだ。そして、ぶつけたあとはフェイドアウトしてピアノソロに入る。ソロではうって変わって、流麗な落ち着いたメロディーになる。高まった感情を冷ますように、ピアノは同じメロディを奏でて終わる。構成力がすごい曲だ。

クラプトンは、このとき恋をしていた。相手は、友人の奥さんだった。その友人は、世界的に有名な人だった。クラプトンは、どうしても堪えられぬ思いを歌に託したのだ。

 

娘が、ハンドルをクィッ。

 

戻った。

このあとも韓国話が続く。

私の友だちにもご両親が韓国人の男がいた。彼は子どもの頃に日本国籍を取得して日本人になった。

大学時代は、誰がどう探ったのか、彼の素性を吹聴するやつがいた。窮屈な大学生活を送ったが、卒業後中堅の旅行会社に就職することができた。

これは、今から10年以上前の話だ。彼は、30年ぶりに韓国を訪問した。父母は健在だった。彼の父母は長らく日本で暮らし日本国籍を取得していたが、訳あって韓国に帰国して定住した。父母に会うのは20年ぶりだった。彼の結婚式に父母が韓国から来て以来の再会だった。

80を過ぎた父母は、1人で歩けたし、言葉もはっきりしていた。

だが、そこで彼は驚いた。父母が慣れ親しんだ日本語を全く話さなかったからだ。そのとき父母は韓国語だけで彼に話しかけ、日本の悪口しか言わなかった。新聞を取り出して、大声で日本に関する記事を読み、日本を罵倒した。

以前は、そんなことはなかった。節度のある父母だった。政治的な発言も聞いたことはなかった。穏やかな誰にも誇れる父母だった。

 

その場には、彼の奥さんもいた。奥さんは韓国語が話せないから、言われている内容はわからない。だが、日本に対して怒っているのはわかる。ショックだったそうだ。

スーパーに買い物に行ったとき、夫妻が日本語を話しているのを聞いて、2人の中年の女が、道を塞いだ。

「ここには、日本人に売るものなんてないよ!帰んな!」となんの前触れもなく「いきなり」罵られたという。

父母の家に帰ったら、大勢のご近所の老若男女が来て彼らを待っていた。そして、「いきなり」怒られた。大勢で早口で怒るものだから、韓国語から遠ざかっていた彼には、よく理解できなかったが、相当憤慨していることはわかった。

それに対して、スーパーの出来事があったせいか、彼は「いきなり」キレた。100キロの巨漢がテーブルをドン! と叩いた。そのあと、みんなの顔を1人ずつ睨み回した。周りが静かになった。皆さんおずおずと帰っていった。打たれ弱い人たちのようだ。

彼の父母もそのあと日本の悪口はやめた。

「俺は生まれも育ちも日本で日本国籍だが、父母は韓国人だ。そんな俺がなんで日本を代表して怒られなきゃならないんだ。理不尽だろうが。とは言っても、そんな仕打ちを受けても俺は韓国のことが嫌いになれないんだよな。血ってやつかな」

 

帰国して、日本の整然とした街並みと穏やかに暮らす日本人の姿を見たとき、「暮らすのはやっぱり日本だな」と彼は思ったという。

 

だが、そのとき、彼に別の「いきなり」の悲劇が襲いかかってきたのである。彼の人生最悪の「いきなり」だった。

彼の大学1年の娘が「いきなり」結婚すると言い出したのだ。

その「いきなり」には、私も衝撃を受けた。

そのショックで私は、いきなりいなり寿司を立て続けに6個食ったほどだ。

 

 

その「いきなり娘」は、つい最近3人目の子供を産んだ。

 

その出産は、「いきなり」ではなかった。

 


三人娘の韓国旅行

2019-09-08 05:51:51 | オヤジの日記

娘が、遅い夏休みを取った。

 

大親友の大食いのミーちゃんと7歳年上の韓国人の親友ユナちゃんと3人で旅行したのだ。

ユナちゃんに関しては、ソウルから来た娘に書いたことがある。

行き先は、韓国。チャレンジャーだな。

今回の旅行は、ユナちゃんの初めての里帰りに2人が便乗する形で実現した。

そして、ミーちゃんと私の娘との独身最後の旅行という意味合いもあった。

はじめ日本大好きのユナちゃんは、帰らなくてもいいと思った。それに、昨今の日韓関係を思うと、むしろ帰らない方がいいと思ったという。

だが、ユナちゃんのご両親が会いたがっていた。かつてガチガチの反日だったご両親は、ユナちゃんが日本で働くようになってから、ガチガチが多少軟化したようだ。

私の娘が韓国に留学していたとき、ご両親は、日本と日本人は「嫌い」だった。しかし、最近は「好きではない」という表現に変わった。

好きにはなれないが、嫌いだと断定することはなくなった。

ユナちゃんのご両親は、頭の固い人だと思っていた。しかし、そうではなかったようだ。2人は、韓国政府も好きではない、と言っているという。

日韓基本条約を結んだ国交のある国をまるで仮想敵国にして、国民の支持を得る韓国政府のやり方が「下品」だと言うのだ。

「話し合いのできない人を政治家とは言わない。あのトランプだって話し合いの場を設けているのに」とお父さん。

だから、同じ理由で安倍政権も「下品」と断定している。

筋は通っているように思える。

 

今回の旅行は、不測の事態を考慮して、2泊3日という短いものになった。

往復の飛行機は、奮発して大韓航空を使った。娘曰く「LCCとは離着陸の快適さが段違いなんだよな」とのことです。

娘からは、「鬱陶しいから付いてくるなよ、付いてくるなよ、付いてくるなよ」と言われたので、成田まで見送りに行った。私は間違っていないと思う。

 

泊まるところは、ユナちゃんのご両親が強く勧めたので、ユナちゃんのご実家にした。

お父さんが言った。「ここなら、あなたたちを守ることができる。安心しなさい」

そして、用心棒としてユナちゃんの従兄弟も泊まった。従兄弟は193センチの大男だ。極真空手をやっていた。日本の大学に4年間留学して、腕を磨いたらしい。さらに、親日家でもある頼もしい人だ。

出歩くときは、ユナちゃんのご両親が前を歩き、娘たちを挟むようにして極真男子が後ろを歩いた。完璧なディフェンスと言えるだろう。

外での会話は日本語は禁止。韓国語か英語だ。3人とも英語が話せる。ミーちゃんは韓国語が苦手なので、ミーちゃんが何か提案するときは、英語を使う。娘とユナちゃんとの間は韓国語だ。複雑ではあるが、会話は円滑にできたという。

ちなみに、極真男子は日本語を流暢に話す。だから、留学時代の癖が出て、店の中で「うわ! これうめえな」とか「安っすいぜ、これ!」などと叫んでしまったことがあったようだ。その度に、ユナちゃんのお父さんに腕を叩かれていた。

 

反日行動は、どうだったのか。

世間の関心は、「タマネギ男」に向かっていたらしく、メディアの取り上げ方も、そちらが中心だったようだ。

お父さん曰く「下品だ」。

そして、行ってみて、繁華街に思いのほか日本人女性が多いことに驚いたという。チャレンジャーだな(政治と文化は別物だもね)。

 

食べ物は、ユナちゃんが韓国料理が苦手なので、朝はお母さんがパンを焼いてくれた。昼は、外で2日続きでチーズタッカルビを食べた(ユナちゃんは初めて食べたらしい。美味しいと感動していた)。夜はお父さんの友人の焼肉屋でご馳走になった。

ここでの主役は、大食いのミーちゃんだった。チーズタッカルビ3人前、焼肉とご飯は何人前食べたかわからないくらい消費して、周りを唖然とさせた。

極真男子も体に比例して大食いだったらしいが、ミーちゃんに向かって「まいりました」と日本語で言って頭を下げ、みんなの笑いをとった。この日本語は、お父さんも見逃してくれた。

帰りの空港では、みんなボロ泣きだった。その中で一番泣いたのが、極真男子だった。娘曰く「ひいたわ〜」。ハグをして、お別れをした。

 

「日本語解禁」

帰りの飛行機の中で、ユナちゃんが堰を切ったように日本語を話し始めた。

「2日以上日本語話せないなんて無理だから!」

ユナちゃんのご実家では、3人とも意地でも日本語は話さなかったという。そうしないと、外でも何かの拍子で出てしまうかもしれないから。ただ、極真男子が空気を読まずに日本語で話しかけてくるのには、参ったらしい。3人で「ウザい!」と怒ったらシュンとして黙ったようだ。かわいそうに。

空の上では、3人とも飢えたように1時間以上喋り続けたという(まわりに迷惑じゃなかったか)。

「おかげで顎が痛くなったな。でも楽しかったぞい」

帰ってきた娘3人は、その夜、我が家に泊まった。ユナちゃんと娘は、次の日の朝には仕事。ユナちゃんの荷物は宅急便で送った。ミーちゃんは、朝早く出て新幹線で金沢に帰る。

朝の4時に起きて、4人分の弁当を作った(息子の分も)。7時半に、3人の娘は出て行った。

 

 

2週間後の日曜日。

ミーちゃんとワカちゃまの結婚式がある。金沢だ。

思いがけなく、家族4人招待された。

そして、ミーちゃんの追っかけ隊、金持ちのミズシマさん夫妻も招待されたようだ。

楽しい結婚式になりそうだ。

 

 

断断断大断言するが、私はミーちゃんの結婚式では、千パーセント泣く自信がある。

 

ハンカチを10枚くらい用意しておこうか。パンツは2枚でいいか。

 



14000がお蔵入り

2019-09-01 05:21:00 | オヤジの日記

幅広の長い緩やかな坂道を上っていくと正面に神殿のような建物があった。

公共のホールだという。

そのホールの左裏に回ると30メートルほどの短い並木道があった。突き当たりは階段。20段くらいの短い階段だ。

その階段の上から二番目に灰色の猫が佇んでいた。眠っているのかと思ったが、薄く目を開けていた。よそ者を検閲しているのかもしれない。

わきを通っても猫は逃げなかった。薄く目を開けたままだった。

階段の上まで上がったとき、猫が「ニャー」と言った。猫は猫同士の喧嘩や求愛行動以外では鳴かないという。人間に対してだけ鳴くのだ。

つまり、あの「ニャー」は、私に向けられたもののようだ。

しかし、私は猫語を理解していないので、猫を振り向くことはしなかった。

 

上りきったところの右手にテニスコート一面ほどの公園があった。ありきたりの遊具の向こうに、横浜の街並みが浮かび上がってきた。思った以上に高台だったようだ。

ランドマークタワーと観覧車。観覧車には灯が点っていた。9月中旬の6時前。もうすでに薄暮と言ってよかった。

薄いシルエットの横浜の夜景が、眼下にあった。

平和を感じた。しかし、その平和は私の今日の役目を考えたら、一瞬の平和と言ってよかった。

公園の正面に、住宅が連なっていた。

紅葉が丘ニュータウン。

60戸が無個性の姿を晒していた。

私は、この中で、ありふれた姓の「田中」の表札を探しにきたのである。

無個性な家と無個性な姓。そして、無個性な俺。

ただ、今夜の私の目的は無個性ではなかった。

 

ニュータウンは10個のブロックに分かれていた。その中で田中の家は4ブロックに入っていた。号は2だった。

それさえ間違えなければ、田中の家にたどり着くのは簡単だろう。

実際、ニュータウンに入り込んで、私は5分足らずで、田中の表札を見つけることができた。

無個性な家の1つ。ただ、一箇所だけ無個性ではなかったのが、他の家のほとんどは、部屋の窓から明かりが漏れ、門灯が付いていたのに、田中の家だけには灯がなかったところだった。

あらかじめ「6時に伺います」と連絡はしていた。

6時5分前。家には、人の気配が感じられなかった。

ただ、それも理解できないことではなかった。田中のいない家。いるのは、奥さんと10歳の息子。そして、1つの特殊な事情。

その事情を解決するために、私は田中の家の前に立っていた。ためらうことなく私はインターフォンを押した。

「はい」という声が、すぐに聞こえた。約束通り、待っていてくれたようだ。「山神です」と名乗った。

しばらくして、ドアのチェーンが解かれる音が聞こえた。開いた。

田中の奥さんが顔を出した。玄関内は相変わらず暗かった。窓を見ると部屋の明かりも暗いままだった。

田中の奥さんは、目が見えなかった。ただ、全盲ではない。ある程度の光は感じるらしい。

奥さんが、「ごめんなさい」と言って、玄関の電気をつけた。奥さんの菜摘の顔が、はっきりと認識できた。

やつれているようには見えなかった。黄色い上下の部屋着も小柄な菜摘の雰囲気に似合っていた。

そして、その顔は、夫を信じている顔だった。信念が感じられた。

廊下を歩いた。廊下の壁には、無数の小さなライトが埋め込まれていた。おそらく菜摘は、この光を頼りに生活しているのだろう。

廊下の突き当たりに、左右のドアがあった。菜摘は、右側のドアを開けた。壁際のスイッチを押した。ドアの中から灯りが漏れてきた。

「どうぞ」

そこは、リビングだった。そこの壁にも無数のライトが埋め込まれていた。明るいライトではない。菜摘が最低限感知できるほどの主張の少ないライトだ。

「何か飲まれますか」

飲みたい気分ではなかったが、「ウィスキーのストレートがあれば」と答えた。

迷うことなく、菜摘はキッチンに向かい、奥のキャビネットから洋酒を取り出してグラスに注いだ。自分はミネラルウォーターを注いで、私が座るダイニングセットまで運んだ。

目が見えないとは思えないほどの自然な動きだった。

菜摘が視力を失ったのは、このニュータウンの家を買った一年後のことだった。4年前だ。

ストレスで視力を失う。そんなことがあるのか、と思ったが、現に菜摘がそうなのだ。疑うのは、馬鹿げている。

そのストレスが何なのかは、重要なテーマだが、それは今解明する問題ではない。

 

「田中と会うことはできませんでした。ただ弁護士とは話をしました」と私は告げた。

今会えるのは、弁護士だけだ。それは、わかっていたことだ。

「しばらくは、取り調べが続くようです」

菜摘は、意志のこもった目で私を見返して頷いた。まるで、目が見えているかのようだった。

殺人の疑いで逮捕。

田中に一番ふさわしくないのが犯罪だ。

物事を全て理詰めで判断し行動する田中が、感情に任せて人を傷つける姿を私は想像できない。

もちろん、感情が勝ちすぎる人はいる。おそらく、多くの人はそうだ。私もその部類に入る。

だが、田中ほど冷静に行動できる人間を私は知らない。

己れの感情を正確にコントロールできる人間を「人格者」と呼ぶのなら、彼はまさしくそうだ。

ウィスキーを一息で飲み干したのち、私は「田中は無罪です」と断言した。

「直人はいますか」と私は言った。

菜摘は頷いて、リビングを出て行った。出て行く前に、私のグラスにウィスキーを足していった。

その仕草は自然だった。平静を保っているように見えた。

 

しばらくして、息子の直人が姿を見せた。

直人は、何の力みも感じさせない動作で母の菜摘をエスコートするように、リビングに入ってきた。

そして、菜摘を椅子に座らせると自分は私の正面に座った。

きっと直人は、菜摘の目と菜摘の代役になろうとしているのだと思う。

10歳。

華奢だが、菜摘と同じく、意志を感じさせる目をしていた。

私は、その目に向かって、「親父は絶対に無罪だ。俺がそれを証明する」と告げた。

直人の表情は動かなかった。

 

 

これは、私が22年前から書き続けているミステリー小説の冒頭部分だ。

なぜ、こんなものを書いているのかというと、当時タイピングが苦手だった私が、それを克服するためには、何がいいかと考え続けた結果、小説を書くことを思いついたのだ。

最初は、2000字程度の小説にするつもりが、書いているうちにタイピングが上達して、文字数がどんどん増えた。

今現在、14000字。

一体いつ終わるのだろう。

 

日本チャンピオンだった元プロボクサーが、友人の無実を証明するために奔走し、2つの複雑に絡み合ったトリックを暴くが、とんでもない結末が待っているというお話だ。

タイトルは、「ダブルノックアウト」(陳腐だ)。

登場人物設定、物語の背景、トリック、結末はすでに考えてあるから、その気になれば、一年もかからずに完成してもおかしくはない。

しかし、その気にならない。仕事が忙しいということもあるし、タイピングも上達したから、当初の目的は果たしたということもある。

それに、どこにも誰にも発表する気がないから、完成はいつでもいい。

唯一、娘には読んでもらったが、「時代設定が古すぎるだろう」と笑われた。

そうなのだ。22年前に書き始めたから、連絡方法は、固定電話、公衆電話とメール。頻繁にテレフォンカードが出てくる。車は日産スカイライン、待ち合わせ場所は、横浜ルノアール、ビデオはVHSだ。カーステレオから流れるのは、柳ジョージ、エアロスミス、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ。

しかし、今さら時代を進めるわけにはいかないから古いままで通している。

 

ところで、以前冗談で娘に、とうちゃんが死んだらホームページで公表してくれないか、と言ったら、「なんてことを言うんだ。バカヤローが!」と泣いて叱られた。

 

 

つまり、間違いなくお蔵入り。

いつか、オンラインストレージの肥やしとなって、消滅するでしょう。

 

最後に、ど素人のくだらない文で目を汚してしまったことをお詫びいたします。