リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

ダメダメ親父

2019-10-27 05:50:02 | オヤジの日記

どうでもいいことだが、気がつけば、28年間ケーキなどの甘いものを食っていなかった。

甘いものを欲しない体に、いつの間にかなっていた。

 

28年前、最初の子どもが生まれたとき、当時住んでいた横浜日吉本町のご近所の知り合いに報告にいった。

昨日、男の子が生まれました。

「Mさん、嬉しそうだね。とっさのことで今は何もあげるものがないけど、これ食べなよ」

ミスタードーナツのナントカ言うドーナッツをくれた。

おれ、甘いものはダメなんですよ、と断るほど私は人格ができてはいない。同時に出されたインスタントコーヒーを飲みながら、ドーナツを食った。

その味は、今でも鮮明に覚えていた。フニャフニャして甘くて真ん中に穴が開いていた。真ん中に穴が開いていたから、きっとゼロキロカロリーに違いない。

 

それ以来、甘いものは食っていない。

ただ、甘いものが異常に好きな男を私は知っていた。

私の息子だ。

朝メシを食ったあとでも、彼はケーキが食えるのだ。晩メシを食ったあとでもケーキが食える。日曜日などは、ケーキのホールを買ってきて、オヤツに一人でかぶりつくのが最高の幸せだと彼は言う。

ちょっと何言ってるかわからない。

息子は優しい。穏やかだ。嘘をつかないし、人の悪口は絶対に言わない。信じられないくらいの人格者だ。

だが、彼の親父はダメだ。ダメダメ親父だ。

 

このダメ親父は、息子が21歳になるまで、彼が発達障害だということに気づかなかった。

ときどきトンチンカンなことを言ったが、それは彼の個性だと思っていた。

俺なんか、毎日トンチンカンなこと言ってるし。

ある日、ダメ親父は息子の通う大学のゼミの先生から召喚を受けた。

なんで、ゼミの先生がダメ親父を呼ぶのだ? まさか説教?

行ったら、説教に近いことを言われた。

「あなたの息子さんは、私の息子と言動や態度が似てるんですよね」

41歳から46歳に見える大学教授は、神経質そうに髪を右手でいじりながら、身を乗り出して言った。

「僕の息子は発達障害なんです」

はったつしょーがい?

ダメ親父は、そのときまで、発達障害という言葉を知らなかった。

教授は、紙を取り出して、自閉スペクトラムやADHDやらナンヤラを図に書いて丸で囲んだ。

そして、得意げに言ったのだ。

「この丸の中に入る人が発達障害です」

「マッちゃんは、うちの子どもと違って笑顔が多いですが、その他は同じように見えます。一度診断を受けた方がいいと思います」

それって、日本語で「余計なお世話」って言うんじゃないですかね。

ダメ親父は気乗りしない態度で、あー、そうですかぁ。よくわかりませんけど、と首を傾げた。

「いや、息子さんのことですよ、もっと真剣になってください!」

怒られました。

ご親切な忠告を首を傾げながら聞いて、ダメ親父は大学をあとにした。

 

ダメ親父には、とてもよくできた娘がいた。当時、高校1年生だった。

彼女は福祉に興味を持って、真剣に勉強していた。

ダメ親父は、娘に聞いた。

はったつしょーがいって知ってる?

「知ってるぞい。最近は、大人になってから、それが発覚する例も多いらしいぞ。おまえも、そうなんじゃないか」

バ、バレていたのか。でも、そもそも発達障害って何?

娘は、まるで大学教授のように紙に図を書いて説明してくれた。

大変、わかりやすかった。合点がいった。

娘の方が説明がうまいじゃないか。

 

そのあと、息子を中野のメンタルクリニックに連れて行った。4回、面談やらテストを受けた。

5回目。47歳から51歳に見える医師に結果を聞かされた。

「難しかったです。ボーダーラインです。経験の浅い医師なら正常だと言うかもしれません。ですが、おたくのお子さんは、一定のことにこだわりが強いです。そして、何回かに1回、こちらの意図とズレた答えを返します。知能はいたって普通ですが、僕は発達障害の診断を下しました。これから社会に出るに当たって、障害者ということを意識して、障害者手帳を得て障害者枠で就職した方が息子さんにメリットがあると考えたからです」

 

頭の中、真っ白。

そのとき、すでに髪の毛は真っ白だったが、まさか頭の中まで真っ白になるとは思わなかった。

息子の手前、ダメ親父は平静を装ったが、心の中はトイレでボロ泣きしたい気分だった。

なんてダメな親父なんだ。人に指摘されて初めて気づくなんて。家族の健康には絶えず気を使っていたのに、こんな大事なことに気づかなかったなんて。

 

だが、ダメ親父と違って、息子は強かった。

「俺は構わないよ。障害者でもいいよ。障害者でも社会の役にたつよね。俺は、パパとママを安心させたかったけど・・・・・ごめん、本当にごめん」

息子に、頭を下げられた。

謝らなければいけないのは、俺の方なのに。

 

そのあと、幸いにも息子はお菓子メーカーの研究所に就職することができた。

もう6年が経つ。

1年に1回。息子の上司に挨拶に伺う。

上司が言う。

「真面目で穏やかで優しくて、みんなマッちゃんのことが好きですよ。そして、彼の抜群の記憶力にみんな頼りきっています。彼のいない現場は考えられません。ご心配なさらないでください」

お世辞で言われていることはわかっていても、毎回ダメ親父は涙を流す。

 

余談だが、息子の記憶力はすさまじい。息子は、名探偵コナンが大好きだ。単行本は、1巻からすべて揃えていた。たとえば、テレビのアニメでコナンを放映していたとすると、その話は第何巻の第何話かを即座に言い当てることができた。

世界史の年表も完璧に頭に入っていた。小さなことで言えば、米国大統領のニクソン氏がいつ就任し、いつ辞任したかも言い当てることができるのだ。すごくないですか。

 

親バカですか?

 

毎年、12月の誕生日には、バースデーケーキを2つ用意した。

 

そのケーキを息子はいつも一人で平らげるのである。

 

その幸せそうな笑顔を見るのが、ダメ親父の最高の喜びだ。

 

 

そして、ダメ親父は、いま君に言うぞ。

 

生まれてきてくれて ありがとう。

君は、私の誇りだ。

 


ガラスが苦手

2019-10-20 05:48:00 | オヤジの日記

ランニング仲間に、フリーランスの医師がいた。

私は彼を「ドクターT」と呼んでいた。

 

ドクターTとは、小金井公園で知り合った。

東京武蔵野に住んでいたころの私のフランチャイズは、小金井公園だった。

週に1、2回、昼間に小金井公園内を10キロ程度走った。

そのとき、たまに遭遇したのが、ドクターTだった。

向こうも私が気になっていたようだ。「ガイコツが走っているぞ」。

あるとき、唐突に「なんで、走っている足音が聞こえないんですか」と聞かれた。

それは、私が幽霊だからです、と言って両手を胸の前でだらりと下げた。

「ハハハ」

真面目な話をしましょう。ただ足に力を入れれば早く走れるというものではない。膝と足首の角度が大事なんです。それを意識すれば、力を入れなくても早く走ることはできます。ドタバタと走るのは、無駄な力を使っているからです。

「ああ、それ、わかるような気がします」

(テキトーに言っただけですけどね)

それ以来の付き合いである。

小金井公園で出くわすたびに、一緒に走るようになった。

 

ドクターTは、私より20歳近く若い。しかし、走力は私の方が上だった。ドクターTに合わせて、ゆるいスピードで一緒に走った。

「Mさんと走ると何時間も走れるような気がしますよ」とドクターTが言った。

フリーランスの医師って、そんなにヒマなのか。私は1時間で十分ですよ。

 

そんなゆるい関係が続いたあと、我が家族は武蔵野から国立に引っ越すことになった。

小金井公園が遠くなった。

私のランニングフランチャイズは、私を振った一橋大学がある大学通りに変更を余儀なくされた。

ドクターTとは、疎遠になった。

だが、引っ越して一年も経ったころ、ドクターTから電話があった。

「やっぱり、Mさんと走らないとモチベーションが上がりません。どうでしょうか、僕が車で送り迎えをしますから、また小金井公園で一緒に走ってくれませんか。ご飯も奢らせてもらいます」

しかるべく。

 

またドクターTと走ることになった。1ヶ月に1度程度だ。

ゆるいスピードで1時間走り、そのあと、隣接する「おふろの王様」で汗を流し、2人でそばを食った。

裸の付き合い? 気持ち悪くて、毎回えずいてますよ。

先月末も走ったあと風呂に入り、そばを一緒に食い、えずいた。

そのとき、ドクターTが、「相談があるんですが、よろしいですか」と、まるで医者歴18年のような雰囲気を漂わせて言った。

まさか、俺を手術の実験台にするつもりか。

 

違った。

ドクターTには、弟がいた。フランス人女性と結婚して今はフランスに住んでいる遊び人だ。

この弟は、フランス人女性が2度目の奥さんだった。つまり、初婚ではない。

初婚の相手は、日本人だった。その人との間に、9年前1人の命を授かった。女の子だ。今年9歳になる。

弟がフランスから日本に帰ってきたときは、娘の母親の許可があれば、弟は娘に会うことができることになっていた。

昨年の娘の誕生日。弟は娘から「犬が欲しい」とおねだりされた。彼にとって、ただ1人の子どもだ。離れて暮らしていたとしても愛おしくて仕方ない。彼は、その要望を叶えた。

犬に娘をプレゼントした。

娘は、涙を流して喜んだという。弟は、父親の役目を果たせて安堵した。

しかし、その娘から、今年の7月に電話があった。

「ねえ、パパ、犬に飽きたから、なんとかして」

 

はあ! 秋田きりたんぽなまはげ男鹿半島いぶりがっこ? はあ! 犬に飽きたって何?

 

まだ8ヶ月しか経ってねえじゃないか!

そうは思っても弟は娘に甘かった。「わかった。犬好きの人に引き取ってもらうよ」

 

それを聞いた私は、犬はおもちゃじゃねえぞ、とドクターTを睨んだ。

「すみません、きっと本当の愛情を知らないのだと思います。だから、自分も人や動物に愛情を注げないんですよ」とドクターTは神妙な顔で頭を下げた。

俺に、頭を下げられてもね。下げるのは、ワンちゃんにだよね。

そのあと、弟もドクターTも引き受け先を探したが、引き取ってくれる人は見つからなかったという。

それはそうだ。犬猫じゃないんだから、簡単には見つからないだろうよ(イヌ?)。

 

「Mさん、動物が好きでしたよね。いかがでしょうか、助けてもらえませんか」と言いながら、勝手に生ビールを注文しやがった。

安いなあ、俺を生ビールで買収できると思っているのか。まあ、生ビールは素直にいただきましたけどね。

しかし、私は追加の生ビールを飲みながら、毅然として言ったのだ。

我が家には、俺と強い運命で結ばれたブス猫がいる。俺は彼だけを見ていたい。無理だ。

 

強く言ったが、ドクターTはしつこかった。「では、お知り合いに犬好きの方はいませんか。Mさんの頭にそんな方は思い浮かびませんか」

 

浮かんだ。

犬好きのアホが。

その犬好きは、ボルゾイ犬を2人家族にしていた。しかも金持ちだ。

彼なら、犬はおろか、馬や鹿やアホウドリだって家族にできるに違いない。

私は、結果はすでにわかっていたが、テクニカルイラストの達人・アホのイナバにLINEを送った。

「犬を譲りたいという人がいる。彼はいま大変困っている。引き受けてくれるか」

アホからすぐに返信が来た。

「いいですよ」

ほらね、犬種も聞かずに即答ですよ。いさぎよいくらいアホな人格者だ。

引き取り手が見つかった、と言ったらドクターTは、もう一杯生ビールを注文してくれた。

ありがたくいただきました。

 

授与式は、ドクターTがイナバ君の家に直接行って行われた。ちなみに私はノータッチ。

メルセデスでドクターTが、犬を運んだ。金持ちだね。そして、イナバ君もメルセデスが愛車だ。

君たちは、「富の分配」という経済学の理論を知らんのか。どーでもいいけど(あ! 私は2人から分配を受けていた。毎回メシを奢ってもらっていた、前言撤回)。

ワンちゃんは、イナバ家にすぐに馴染んだ。2人のボルゾイ犬も歓迎してくれたという。

めでたしめでたし。

 

木曜日、イナバ君と国立のバーミヤンで打ち合わせをした。

メシを食ったあとで打ち合わせ。そして、打ち合わせが終わると、いつも通り噛み合わない世間話に移った。

どうだい、新しいワンちゃんは元気かい。名前はハピハピだったよね。

「はい、マピヨンはとっても元気ですよ」

パピヨンね。何度訂正しても直らないねえ。

たとえば、LINEで、パピヨンちゃん、何してる?、と送ると「マピヨンは寝てますね」と返してくる。

こちらが、パピヨンと言っているのに、答えはマピヨンだ。ほかに、バーミヤンで1時に打ち合わせ、と送ると「バーミンガムで1時ですね」と返してくる。それなのに、きちんとバーミヤンにやってくるのである。

最初は、わざとかと思ったが、過去の諸々のことを検証すると、わざとの可能性はゼロパーセントだ。

本気で頭がねじれているようだ。

 

「でも、マピヨンってへんな名前ですよね」

パピヨンね。

パピヨンは、フランス産の犬なんだ。フランス語でパピヨンは、蝶々を意味するんだな。耳が、蝶々みたいだから、そうつけられたらしい。

「え? 蝶々ですか。でも、ハピハピは飛びませんよ」

当たり前だ、ダンボじゃあるまいし。

「ああー、ダンボは飛べますもんね。ハピハピも飛んでほしいなあ。訓練してみましょうか」

これ以上掘り下げるのはやめよう。大きく脱線する気がする。

 

そのとき、アホが「あ! ガラスだ」と言った。

私は窓ガラスを見た。窓ガラスに異変があるのだろうか。しかし、見たところ異変はないように思える。

なんだ、ガラスが変なのか。

「いえ、窓の外にガラスが」

ああ、カラスだねえ。なんで、カラスがガラス?

「え? 八咫烏(やたがらす)はガラスですよね。だからガラスです。サッカー日本代表のエンブレムは八咫烏じゃないですか。同じガラスですよ」

アホは、サッカーだけは異常に詳しい。海外のサッカーをWOWOWで見るのが趣味だ。他のことは聞き間違ったり言い間違ったりするのに、サッカー選手の名前だけは間違えないのだ。

なんじゃ、その才能は。

八咫烏は神話の世界の話で存在しないんだよ、と私が言うと、イナバ君は、「でもガラスはガラスです」と譲らない。

 

まあ、いいや、で・・・そのガラスがどうしたの?

「僕、ガラスが苦手なんですよね。見るといつも鳥肌がたちます」

鳥肌は普通に言えるんだね。チョウ肌とか言うと思った。あるいは、カラス肌。

「それでですね、苦手といえばイカじゃないですか」

アホはいつも唐突だ。イナバ君はイカアレルギーなのである。このあたりを理解しないとアホとは付き合っていられない。

「外食すると、たまに知らないところにイカが使われていて、アレルギーが突然来ることがあるんですよ。10回以上救急病院に駆け込みました」

「4年くらい前でしたけど、打ち合わせ終わりにお腹が空いたのでラーメン屋に入って、塩ラーメンを食べました。でも、半分以上食べてから呼吸が苦しくなって、店員に聞きました。これイカ使ってますか?」

「店員が言うには、出汁を取るときにスルメとか魚介類を使ってますってことでした。タクシーを呼んで救急病院に行きました。すぐに診てもらって治りました」

 

ん? この話は、どう続くのだ。全然読めん、五面、六面。

 

「10回以上、救急病院で診てもらったんですけど、そのうちの2回はきっとドクターTだったと思いますよ。ガラスを見て思い出しました。絶対にあれはドクターTです」

 

意外な結末。

 

カラスを見て、苦手なものを思い出した。それがイカアレルギーにつながった。そして、救急病院。そこにいた医師がドクターT。

すごいな。アホの連想は、天才的ですな。

 

 

今日も、イナバ君は安定だーー。

  


なるようになる

2019-10-13 05:51:37 | オヤジの日記

自然の猛威を感じた日だった。

 

甘いことを言うと思われるかもしれないが、初めて台風に恐怖を感じた。

 

私は、このブログでは、なるべくリアルタイムの出来事は載せないようにしてきた。リアルタイムの出来事は、他の方が正確に書いてくれる。

私自身のブログにタイムリーなキーワードは似合わないと思っていた。いまも思っている。

私の能力では、災害や犯罪などの分析ができない。なぜなら、遭遇したことがないから。

私には、遭遇したことがないことを想像で表現する能力がない。

唯一、東日本大震災のことは述べたことがある。

だが、東京にいて経験したことと、もっと悲惨な状況を経験した人のことを想像すると、頭の奥の方で「違うだろう」という思いがいつも湧き上がる。

恐怖と絶望の濃度が違うのではないか。

 

今回の台風は、現在進行形だ。

そこにまだ台風は存在する。

眠れない人、家に帰れない人も多くいるだろう。

 

いま、私がどんな体験をしたかを言うことに意味があるとは思えない。

私の恐怖を語っても意味はない。

ここでは、まず私の長年の友人である年上のミズシマさんの話をしたいと思う。

「軽く浸水しました」とミズシマさんは、LINEを送ってきた。

そして、「妻の持病の軽い心臓病が出て、車で救急病院に連れて行きました」と続いた。

ものすごく混んではいたが、1時間以上待って、奥さんは適切な処置を受けられたという。「妻の土曜日の夜の状態は安定していて安心だ」というLINEが夜中にあった。

世田谷区上北沢のミズシマさん夫妻が暮らす家は築30年を過ぎていた。

「浸水は玄関だけでしたから軽い方だと思います。でも門は少し壊れました。いさぎよいくらいに壊れました。左側の引き戸が壊れています。これは、トラウマになりそうです」

でも、奥さんが無事なら、門だいないんじゃないんですか、と私がLINEを返すと、ミズシマさんが「Mさん、それMさんらしいですね。力が抜けました。ありがとうございます」という返信がすぐに来た。

 

新宿区市ヶ谷に家がある大学時代の友人オオクボから深夜電話があった。

私は夜8時を過ぎた電話には出ないことにしているのだが、今回は緊急を要する場合を想像して出ることにした。

「すげえな、屋根が少しだけめくれた」とオオクボは言った。

オオクボは親が残した市ヶ谷の土地に一軒家を建てた。要するに、親の遺産でご立派な家を建てたということだ。

そのご立派な家の屋根が少々めくれた。台風は容赦ないのだわ。

おまえの一家は無事なのか、と私は聞いた。

「今のところは無事だ。みんな何かしら恐怖を感じているが、なんとか平静を保っている」

Hey Say !

屋根がめくれたとき、おまえのカツラもめくれたのか。

「俺はカツラじゃねえ!」

 

つまんねえやつだな。

 

俺だったら、屋根と一緒にカツラもめくれてまいっちまったよ、って言うぞ。

あれ、電話が切れたぞ。

まさか、キレたのか、オオクボ。

ちいせえやつだな。

 

川崎市中原区に住む、むかし母がお世話になった民生委員の方。今でもお付き合いさせていただいていた。

「あなたのお母様は、僕にとって理想の人でした」

「若輩者の僕を心の底から頼っていただいて、僕は教わることばかりでした」

「いま多摩川はすごいことになっています。氾濫してます。でも僕はいまは冷静です。あなたのご母堂が言った『なるようになりますよ』という言葉が心に残っています。

 

なるようになる。

 

それは、実際に被害にあっておられる方には不遜な言葉に思われるかもしれない。

ただ、私は、こんな台風を生き抜く「人間力」を経験したことがない。

だから、母の言葉を信じるしかない。

 

なるようになる、をいい加減だと思う人がいるかもしれない。

 

でも、こんなとき、人間はなにに向き合えばいい?

真面目人間の方々。

 

お願いします。

教えてください。

 


ハンドタオルふたたび

2019-10-06 05:47:00 | オヤジの日記

娘が、木曜金曜の2日間代休を取った。

お盆休みに2日出勤したときの代休だという。

 

「おまえ、いまだに『ミーちゃんロス』を引きずっているだろ」娘に言われた。

「出かけようぜ。みなとみらいに」

慰めてくれるようだ。

横浜みなとみらい21。

私にとっては、馴染み深い場所だ。

小学校高学年のころ、よく行くのは中目黒から二駅目の渋谷だった。しかし、たまに東急東横線を使って横浜まで行った。そして、桜木町駅まで歩いた。東横線は桜木町まで繋がっていたから、直接桜木町に行くのが賢い方法だ。だが、私はおバカだから、横浜から高島町、桜木町まで歩いた。

途中に、バッティングセンターが2つあったからだ。渋谷にも恵比寿にも目黒にもバッティングセンターはあったが、横浜のはデカさが違った。渋谷の2倍以上のデカさがあったのだ。

そのデカさが気持ちよかった。左打席用が多かったのもありがたかった。存分に打たせてもらった。

当時の桜木町は田舎くさかった。横浜や元町、伊勢佐木町に比べたら、埋もれた街と言ってよかった。

だが、その埋もれた街感を私は気に入っていた。その埋もれた街を少し歩いて行くと横浜の海があった。

広い海。沖を貨物船が何隻も通って行く。私は、それを肉まんを食いながら飽きずに見ていた。いくらでも見ていられた。

 

結婚して横浜日吉に住んだとき、横浜桜木町は、さらに身近になった。

そして、その頃から桜木町は徐々に変貌していくことになる。

「みなとみらい21」の計画が始まったからだ。

私は、その計画をリアルタイムで見てきた。ベイブリッジができ、ランドマークタワーが建ち、コスモワールド、赤レンガ倉庫ができて、中華街まで交通機関が繋がるようになった。

田舎くさい桜木町は巨大プロジェクトの中で本当に埋もれた。

私は「昔はよかった」という考え方が好きではない。あの田舎くさい桜木町は、私の心の中にあればいい。

みなとみらいは、いいところだ。「みらい」を感じる居心地のいい場所だ。

 

そのみなとみらいに娘と来るのは5回目だ。

過去4回のうちの2回はミーちゃんもいた。食い放題の店で、爆食した。爆食したのは、ミーちゃんだけだったが。

「今回は食べ放題じゃなくて、ラーメンだ」娘が言った。

就職してからの娘は、ラーメンにハマっていた。金曜日の夜は会社の同僚と必ずラーメンを食って帰った。1年半で100軒近いラーメン屋に入った。

最初は蒙古タンメン中本に偏っていたが、会社の先輩に連れていってもらった広州市場のワンタン麺を食べて、その奥の深さに娘は衝撃を受けた。

「1つのものにこだわってはダメだ。ボクは、これから色々なラーメンを食べるぞ」

ただ、娘は私と同じで雑な性格をしているので、ネットであらかじめ調べるということはしない。

行き当たりばったりで、自分の勘に触れた店に突発的に入ることが多い。

今回も何も知識を仕入れることなく、「ああ、この店がいい!」と店構えを見て決めた。

横浜家系だって。なんだよ、その家系って。「カケイ」って呼んで娘に笑われたぞ。しかし、正しい日本語としては「カケイ」ではないのか。

「おまえ、みっともない文句を言うんじゃないよ。世の中のしきたりに素直に従え」

はい、そうします。

 

娘は「イエケイラーメン」を頼んだ。私は餃子と生ビール。

注文したものを待っているとき、「そういえばな、またスマホを家に忘れた」と娘が言った。

娘と私の似ているところは、たくさんあった。いくら食っても太れないところ。日本茶が苦手。映画は1人で観る。酒が強い。海老の天ぷらは好きだが、エビフライは苦手。はんぺんとコンニャクを忌み嫌っているところなどなど。

そして、スマートフォンをよく忘れる。

娘も私と同じで、突然無神経に鳴り出す電話が好きでない。「どうせ、たいした用事じゃないんだろ。メールかLINEをよこせよ」

スマートフォンを家に忘れたら、不便じゃないのか、という疑問はあると思う。

そんなときのために、必ず娘はiPad mini、私はiPad Airをカバンに入れてあるのだ。これがあれば連絡は取れる。スマートフォンがなくてもなんの問題もない。

iPadの優れたところは、電話機能がないことだ。iPadが世に出たとき、Appleさんは、なんて素晴らしいものを作ってくれたんだろう、と私は感激のあまり、すすり泣いたほどだ。

ミーちゃんも実は、家にスマートフォンを忘れる子だった。だが、大手飲料メーカーの営業職に就いてから、肌身離さずスマートフォンを持ち歩くようになった。

営業さんにスマートフォンは必須ですからね。

 

ミーちゃん。

 

「うまいな、このラーメン。太麺がスープとうまく張り合ってるぜ。ミーちゃんも気に入っただろうな。ミーちゃんに食べさせてあげたいな」

結局、君もミーちゃんロスを引きずっているじゃないか。

 

食い終わって、赤レンガ倉庫まで歩いた。ここでも行き当たりばったりで、カフェに入った。

2人して、フランスの地ビールを頼んだ。一杯800円。さっき食ったラーメンも800円だった。フランス地ビール、あまり好みではなかった。コストパフォーマンス的にどうなの?

「文句を言うな。カフェは、雰囲気を楽しむものだ。雰囲気を飲んだのだと思いたまえ」

はい、わかりました。

 

そのあと、コスモワールドに行った。

高所恐怖症の2人が、観覧車に乗った。

ミーちゃんと行ったとき、ミーちゃんが必ず乗りたがったからだ。

観覧車がてっぺんに。暮れて行く街と空、海。水平線が地球を感じさせた。この空は、ミーちゃんが暮らす金沢に繋がっているんだよね。

娘が、iPad miniで写真を撮った。5枚くらい撮っていた。私は1回。

「これをミーちゃんに送るぞ」

LINEで送ったようだ。

返信は、すぐに来た。

「横浜だね。綺麗だね。まるで、私もそこにいる気分になったよ」

 

そうなのだ。離れていても景色を共有することはできる。ただ、距離があるだけなのだ。その距離は、お互いの心で埋められる。

朝の「おはよう」と夜の「おやすみなさい」をミーちゃんは欠かさずLINEしてくれる。

つまり、繋がっている。嬉しいことだ。

 

帰りの中央線。

いつもは相当な混みようだが、このときは、混んではいたが幸運にも2人座ることができた。

娘は、私の左に座った。娘は幼い頃から必ず私の左に座って、私の左耳に話しかけた。私の右耳が聞こえないことを幼い頃からわかっていたからだ。

息子もそうだ。必ず私の左耳に話しかけた。

ただ、私のヨメだけが、たまに右耳に話しかけた。おそらくヨメは私の右耳が聞こえないことを信じていないのだと思う。

 

「ミーちゃんとボクらが繋がっているのが、よくわかったろ」娘が左耳に話しかけた。

「ミーちゃんは、うちに来てたくさんの幸せを覚えたって言ってたぞ。特にボクたち家族の中にいる幸せをな。それまでは、ご飯を食べることだけがミーちゃんの幸せだったが、うちに来てからは、家族が最高のご馳走だってことに気づいたって」

それは、私も聞いたことがあった。

「そして、今ミーちゃんはもう1つの最高の幸せを手にしたんだ」

「よかったろ、これで。ミーちゃんの幸せは、ボクらの幸せだ」

娘は、珍しく饒舌だった。

 

さらに、娘が続けた。

「いま初めて言うけどな・・・ボクは生まれたときから、ずっと幸せだぞ」

 

 

ハンドタオルは・・・・・どこだ。