リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

俺は聖者じゃない

2017-08-27 06:37:00 | オヤジの日記

杉並の建設会社社長が、デカい顔を近づけて、「先生よお、俺の会社の社員全員が禁煙したぜ、すごいだろ」と言った。

 

私は、昨年から、この建設会社では、「先生」と呼ばれていた。

「アドバイザーになってくんねえかな」と顔デカ社長に脅迫されて、なってしまったのだ(堕落したもんだ)。

この建設会社とのお付き合いは、7年目になる。

当時、顔デカ社長は、40本近い煙草を毎日吸っていた。

20年以上前、20代後半で会社を立ち上げたときは、業者が若い社長のことを軽んじて、態度が横柄だったという。

それに反発した顔デカ社長は、20以上年上の人でも怒声を浴びせかけ、ときにケツを蹴り上げることもあった。

そのストレスから、煙草の本数が多くなっていったという。

「俺にとっての、精神安定剤になっちまったのさ」

 

最初の頃、社員を怒鳴り散らし、業者のケツを蹴り上げる社長の姿を見て、私は打ち合わせのたびに、チビリそうになった。

紙オムツを使おうかと迷ったほどだ。

その環境に慣れるまで3年かかった。

「顔デカの上にも3年」ということわざは、本当のようだ。

3年目に、顔デカ社長に問われた。

「あんた、煙草吸わねえんだろ。禁煙するには、どうしたらいい?」

 

いえ、私はもともと吸わないので、禁煙したことがありません。

だから、禁煙の方法を知らないのです。

「一本も吸ったことがねえのかい?」

2本だけあります。小学校一年のときと中学校一年のときです。つい、出来心で。

中学一年のときは、放課後、職員室で陸上部の顧問を待っていたら、いつの間にか、職員室に誰もいなくなって、顧問の机の上に煙草が置いてあったのを見て、衝動的に吸ってしまったのです。ほんの出来心です。お許しください(良い子は真似をしないでください)。

「随分、悪ガキだったんだな」

いえ、それ以来吸っておりませんので。悪ガキではないかと思いますが。

 

「まあ、どっちにしてもさあ・・・禁煙のヒントをくんねえかな」

わたくしが思うに、体に害があると知っていて煙草を買うのですから、覚悟を決めて、死ぬまで吸い続けたらいかがでしょうか。

副流煙はまわりの人に害を及ぼすというのが定説ですが、主流煙は未知の部分が多いようです。

間違いなく肺は真っ黒になったとしても、それが人の寿命を縮めるかは、私としては半信半疑です。

まっくろくろすけだったとしても、長生きしている人はいるでしょうから、それに賭けてみてもいいのではないのでしょうか。

 

「なんか、雑な意見だな」

そんな私の雑な意見に反発したのか、今まで20回以上試みてことごとく失敗してきた顔デカ社長の禁煙が、なぜか簡単に成功してしまったのである。

そして、そのことは、この建設会社にブームをもたらしたのだ。

社員34人のうち、8割以上が喫煙者だった喫煙会社の社員たちが、禁煙にチャレンジするようになった。

4年の歳月がかかったが、先月全員の禁煙が実現した。

顔デカ社長が、デカい顔を近づけて社員を威圧したわけでもなく、自然発生的に禁煙が実行されたのだ。

 

「先生よお、禁煙手当ってのを出そうと思ってるんだけどな・・・ひと月、5千円の金額は変かい?」

よろしいと思います。

年間6万円。煙草を吸わなくなった分のお金も浮くのだから、かなりお得感があるのでは。

「しかしなあ・・・5年前は考えられなかったよ。俺の会社から灰皿がなくなるなんてな。なんか俺、すごく嬉しいんだよな」

ご満悦な顔デカ社長であった。

 

顔デカ社長が、歯医者に行くと言って出ていったあと、事務の男性社員二人が私のところにやってきて、クビをかしげた。

「俺は、社員全員の禁煙より、先生が、社長に一度も怒られたことがないというのが、不思議でしょうがないんですけどね」

社員や業者を怒鳴り散らし、ケツを蹴り上げ、ときに客にまで怒鳴る顔デカ社長は、私にはなぜか紳士なのだ。

私の方が、10歳近く上だから気を使っているのではないだろうか。

「いえ、20歳近く年上の業者のケツを蹴り上げるのは日常茶飯事ですよ。なんか俺、納得いかないですよね」

もう一人の事務員もハゲしく頷いていた(若いのに禿げていたので)。

 

それは、あれでしょう。俺が、聖者だからじゃないですかあ・・・。

おや? 一気に場の空気がしらけて、社員が持ち場に戻ったぞ。

 

私が聖者じゃないとわかったところで、この話はおしまい。

 

 

徹夜で仕事を仕上げたし、近くに住む母に弁当も届けた。

さて、一服することにしましょうか。

勘違いなさらないでください・・・私の一服とは、朝風呂のことですから。

朝風呂のあとは、クリアアサヒを飲みながら、家族の朝メシを作りましょう。

今朝のメニューは、パングラタンとカボチャの冷製スープ。

 

 

今日一日が、良い日でありますように・・・・・。

 

 

 

君は天使じゃなく

俺だって 聖者じゃないんだぜ

(私が尊敬する浜田省吾大師匠の歌詞です)

 


潔癖性の馬

2017-08-20 05:25:00 | オヤジの日記

私は潔癖性ではない。

 

一つの大皿を多数でつついても大丈夫だし、人の食いかけのものや飲みかけのものを食っても平気だ。

公衆トイレの便器にも抵抗なく座れる。

電車のつり革も直につかめる。

床に落ちたおにぎりだって食える。

 

しかし、ひとつだけ我慢できないものがあった。

スーパーのサッカー台に置いてある「濡れタオル」だ。

あれだけは、触れない。

当然、除菌・滅菌はしているのだろうが、もしかしたらインフルエンザやノロウィルスの保菌者が触ったのかもしれないではないか。

アンパンマンにバイバイキンされた後のバイキンマンならいいが、バイバイキンされる前のバイキンマンが触ったものを触る勇気が私にはない。

絶対に無理だ。

 

こんな俺って、まさか潔癖性?

 

 

私の同業者に、恐ろしいほどの潔癖性の「馬」がいた。

人類史上、最も馬に激似の「お馬さん」だ。

お馬さんは、私より10歳下だ。

しかし、彼は47歳でオジイちゃんになった可哀想な馬でもある。

孫がいるのだ。

お馬さんの息子さんは、馬の面影を残していた。

しかし、お孫さんは、どちらかというと人間に近い。

馬の血は、3代続かないのかもしれない。残念だ。

 

お馬さんとは、15年近く前から、たまに仕事をシェアしてきた。

今回もシェアした。

国立駅前のガストで、仕事の打ち合わせをした。

お馬さんは、とても潔癖性だから、電車に乗ることができない。吊り革をつかめないのだ。

だから、今回も国立まで車で来た。VOLVOだ(馬がボルボですよ)。

 

潔癖性のお馬さんは、絶えず除菌スプレーを持ち歩いていた。

今回もテーブルをシュッシュし、座席をシュッシュした。

お馬さんは、外ではトイレにも行けないというのだ。

小も大もできない。

我慢は、体に悪いよ、と言っても、「絶対に無理! 我慢します!」と鼻息荒く宣言するのである。

 

お育ちのいいサラブレッドならわかるが、ただの馬の骨が、それほどご清潔にしても意味がないのではないか。

 

「ヒヒン? (え?)」

 

ランチを食いながら、打ち合わせをした。

二人とも「ミートソース スパゲティ」を頼んだ。

お馬さんは、ドリンクバー、私はジョッキだ。

おまえは、仕事中に酒を飲むのか、と批難する方はいるかもしれない。

しかし、馬刺しに酒はつきものだ。

何の問題もないと思う。

 

私は、そのとき突然思い出した。

私には、人と同じものを食うと下痢をする特技があることを。

トイレに行った。

スッキリした。

帰ってきて、残りを食った。

そのとき、お馬さんに感心するように言われた。

「よく、そんなに簡単にトイレに行けますねえ」

だって、トイレは用を足すためにあるのだから、使ってあげないと。

 

「でも、誰が座ったかわからないじゃないですか」

いや、俺は、自分のケツが世界で一番汚いと思っているから、気にしないよ。

むしろ、俺の後に使う人のことを俺は心配するね。可哀想だなって。

お馬さんが、突然、フォークを置いた。

「Mさん、僕もう無理です。食べられません」

見ると、スパゲティが半分以上残っていた。

 

食わないなら、俺が食うよ。

 

ジョッキを追加注文しながら、お馬さんの皿を手前に引き寄せて、食った。

 

「よく食べられますねえ、人が食べたものを」

 

だって、人じゃないから。

馬だから。

 

「ヒヒン?」

 

 

(文中に、不適切及び不ケツな表現があったことをお詫びいたします)

 

 


学習能力のないマッちん

2017-08-13 07:06:00 | オヤジの日記

この銀河系宇宙で、女から腹に6発もパンチを受けた男はいるだろうか。

 

2人の女に3発ずつ。

そのうちの一人、長谷川七恵と墓参りに行った。

もう一人は、七恵の養母の長谷川邦子だった。邦子は墓にいた。

七恵については、コチラコチラコチラに書いたことがある(時間の無駄だと思う方は、無視してください)。

 

墓参りのあと、七恵に「空を見て」と言われた。

見た。

空を見上げたとき、七恵に「プロポーズされた」と言われた。

その答えは?

「正式に言うとプロポーズではなくて、結婚を前提に付き合ってほしいって言われた。バイクのツーリング仲間のうちのひとり」

26歳だから、そんなことがあっても不思議ではない。むしろ、ない方が悲しい。

受けるつもりか。

「断るつもり」

そうか、好みではないということか。

「好き嫌いは別にして、あたしはまだ結婚する気はないから。まだ、母さんのやり残したことを、あたしは何もしていないから。母さんは、独身を貫いて仙台支社を大きくした。そして、もっと大きくする途中で死んだ。それを受け継ぐのがあたしの役目だと思う」

だが、それは結婚してもできるのではないか。

そこまで母親の真似をすることはない。

 

空を見上げながら、七恵が唐突に「あたし、最近、本当に母さんのおなかから産まれてきたんじゃないかって、すごく思うんだよね」と言った。

それを聞いて、きっとお母さんも喜んでいると思うよ。

「だとしたら」と言いながら、七恵が空を見上げながら、顔を私の方に向けた。

不気味なほどの笑顔だった。

「だとしたら・・・父親は誰だろうね」

 

俺じゃないことは確かだな。こんなお転婆む・・・。

 

腹にパンチが飛んできた。

3回目のパンチだ。

私は、学習能力がない。

不適切なことを言ったら、パンチが飛んでくるのは当然なのに、それができないのだ。つい言ってしまう。

 

七恵が、呆れたような顔で肩をすくめた。

「今日一日、母さんに黄泉がえってもらって、腹にパンチしてもらおうかな」

それは、いいアイディアだ。だが、君はまだ考えが浅い。一日ではなく永遠に黄泉がえった方がいいんじゃないか。

七恵の笑顔が弾けた。

「いいね、毎日パンチしてもらおう」

そういうことではないのだが・・・・・。

 

 

東京駅。

「見送らせてあげるから」と脅されて、新幹線のホームまで連れてこられた。

これから、七恵は仙台に帰る。

新幹線の中で食べたいからお弁当を作ってきて、と前日に言われたので、弁当を持ってきた(ご丁寧に保冷バッグに入れてある)。

鶏のそぼろご飯。おかずはツナの唐揚げとブロッコリーとベーコンの炒め物、ポテトサラダ、だし巻き卵。

どれも七恵の好物だった。

 

ホームで、挑戦的な目をした七恵に睨まれた。

「あたしの尊敬する父親は、6歳まで育ててくれた父さんだから」

お父さんとは会っているのか?

「父さんは6年前に震災で死んだ」

やっちまった。また、不適切発言だ。俺は自民党の2回生議員と同じくらいバカだと思った。

 

「でもね」と七恵が、線路に目を落として、口を開いた。

普段は、必ず人の目を射るように見つめて話す七恵には珍しいことだった。

「東京でのお父さんは、マッちんだと思っているから」(笑えることだが、七恵は私のことを「マッちん」と呼んでいた)

ぶっきら棒な声だった。

長谷川ではなく? と私は聞いた。

長谷川は、私の大学時代の同級生で、長谷川邦子の一つ上の兄だった。

七恵は、仙台の大学を卒業したあと、長谷川の会社に就職し、長谷川の世田谷の家に同居していたことがあった。

つまり、長谷川は私よりも濃厚に父親の資格があった。

 

「長谷川の伯父さんが、マツを東京での父親だと思えって言ったの」と七恵。

「俺よりもあいつの方が相応しい、とも言っていた」

 

腑に落ちない。

しかし、腑に落ちないと言ってしまったら、七恵との関係が崩れるような気がした。

遠ざかるような気がした。

娘は、いくらいてもいいではないか。

息子が、いくらいたって俺は平気だ。

それは、とても楽しい。

 

わかった。俺が、お転婆娘の父さんになってやる。

そう言ったら、腹にパンチが来そうになった。

しかし、寸前で七恵の拳が止まった。

「父さんにパンチはいけないよね」

 

あったりまえよー、俺をソンケイしろー、と言ったら、パンチが飛んできた。

ただ、いつもよりは弱いパンチだった。

おそらく遠慮したものと思われる。

だから、このパンチは七恵の名誉のために、カウントしないことにする。

 

でも、ちょっと痛かった。

嬉しくもあったが。

 

 

俺は学習能力がないなと、どこか温もりを感じさせる痛さがいつまでも腹に残った。

 


長男次男

2017-08-06 06:50:00 | オヤジの日記

武蔵野から国立に越してくるにあたって、ずっと気にかかっていたのが93歳の母のことだった。

 

母は、86歳まで川崎で一人暮らしをしていた。

6年前に引きこもりの娘が死に、夫は老人ホームに入っていた(5年前に死んだ)。

母は、医師の判断では認知症の境界線と言われたが、歩みは遅いが歩けるし、トイレも一人で行けた。買い物も行けた。帰り道を間違えることはなかった。

風呂だけは、一週間に二回サポートセンターに頼んだ。入浴中の事故が怖かったからだ。

マンションの部屋に、2台のウエッブカメラを取り付け、動向を見られるようにした。

偶然にも同じマンションに地域包括センターの女性がいたので、たまに様子を見てもらうようにした。

地域の民生委員さんにもお願いした。

電話は、固定電話に私の携帯電話とかかりつけの医師、包括センターの女性、民生委員さんを記憶させ、一発でかけられるようにした。

半年間、トラブルはなかった。

 

だが私は、突然マンションの自治会長に川崎まで呼び出されたのだ。

自治会長は女性で、公認会計士をしていた。

市議選にも出たことがあるらしい(落選)。

自治会長に、いきなり言われた。

「86歳の高齢者に一人暮らしをさせるなんて犯罪ですよ! あなたは、母親を棄てたんですか!」

 

自治会長は、50歳くらいの背の低いメガネをかけた人だった。

公認会計士というのは、自分より年上の男を呼びつけて罵倒する権利を持った生き物なのか。

「うるせえ、ババア!」と言ってやりたがったが、相手の下品に下品で返すのはみっともないと思ったので、無言で帰った。

 

あとで包括センターの人に聞いたら、自治会長自身も山梨の実家に80歳近い母親を一人暮らしさせているという。

人間というのは、自分を棚に上げる生き物である。

みんなが、そんな棚をいくつも持っていて、都合の悪いものを奉っている。

私も50個くらいは、持っているかもしれない。

 

その2週間後に、長年の友人の尾崎から電話があった。

「なあ、俺は、母ちゃん先生が心配なんだよ」(尾崎は私の母のことを『母ちゃん先生』と呼んでいた。今は『母さん』だ)

「しっかりしているとは言っても、高齢であることは間違いねえ。おまえが引き取るのは無理だってことは俺だって知っている。だが、近くに住んでもらうことはできないだろうか」

近くにか?

「俺の昔のダチが、立川で不動産屋をやっていてな。だいぶ前から頼んでおいたんだよ。そうしたら、昨日電話があってな、お前が住む武蔵野のアパートから500メートルくらいのところのバリアフリーのワンルームに空きが出たらしい」

「勝手にやって悪かったが、俺は母ちゃん先生に、おまえのそばに引っ越してきてもらいたいんだ。怒ったか?」

 

私は、お節介なババアの言うことは聞かないが、尾崎の言うことなら聞く。

お願いする、と答えた。

「引っ越しは、すべて俺が手配する。おまえは、事務的な手続きだけをやってくれればいい」

 

友とは、ありがたいものだ。

母は、尾崎のおかげで、何の苦労もなく、川崎から武蔵野に越してくることができた。

かかりつけの医師も紹介された。ウェッブカメラも今まで通りだ。武蔵野の包括センターや民生委員さんともコンタクトを取った。

母の武蔵野での一人暮らしが始まった。

 

尾崎は、母が川崎の前に住んでいた中目黒でも、2か月に1回程度は、母の様子を見がてら、話し相手になってくれた。

尾崎が25歳のとき、私は危険な匂いを振りまく尾崎を母に紹介した。

教育者だった母は、尾崎の本質を見抜き、教え子に接するように尾崎を包み込んだ。

尾崎は、そのときから母に心酔し、心を許した。

 

 

そして、今年、我が家族は武蔵野から国立へ。

半年前からインターネットで、母に合う国立の物件を探してみたが、いいものが見つからなかった。

そんなとき、正月開けに、尾崎がオンボロアパートにやってきた。

「俺のダチが、国立にいい物件を探してくれたぜ。おまえが住もうとしているところから400メートルの距離だ。どうだ、今回もやらせてくれるかい?」

 

断る理由がなかった。

尾崎に頼った。頼り切った。

尾崎のおかげで、母は、今年の3月1日から国立で一人暮らしを始めた。

 

朝ご飯は、6時前に、私が自家製の弁当を母に届けた。

昼ご飯は、ヘルパーさんだ。

晩ご飯は、私が作って冷凍した総菜をヨメが母のところまで運び、解凍して食べてもらった。

そして、尾崎は、やはり2か月に1回程度来て、母の話し相手になってくれた。

 

母が言う。

「龍一くんは、私の次男君だものね」(尾崎は、私より2歳下だ)

母に、そう言われたときの尾崎は、いつもの苦笑いではなく、はにかんだ笑顔を見せた。

ときどき、母のために車椅子が乗せられるように改造した車で、尾崎は母をドライブに誘った。

 

「最低、百歳までは」と尾崎が言う。

その尾崎の言葉を聞くたびに、私は心で泣く。

 

 

私は、尾崎がいなかったら、親孝行もできないクズだ。

何の役にも立っていない。

 

そんな私の思いを見透かしたのか、尾崎が言った。

「おまえ、自分がダメな人間だ、と思ってるんじゃないだろうな。俺は、長男のおまえがいるから、母さんの次男にさせてもらっているんだ。つまり、感謝するのは、俺の方だ。勘違いするな」

 

私は「今度飲もうぜ」と言って、電話を切った。

心は泣きっぱなしだった。

 

 

もうすぐ尾崎の誕生日が来る。

長い付き合いの中で、誕生日プレゼントのやり取りをしたことは一度もないが、今年は何か贈ろうと思っている(お互いの子どもが生まれたときは、プレゼントをした)。

 

メッセージカードに「弟へ」と書いたら、尾崎はどんな顔をするだろうか。

 

 

照れた苦笑いで応えてくれたらいいのだが・・・。