私のことを「師匠」と呼ぶ男がいる。
国立のバーミヤンで、目の前に座っている男だ。
名前を「ダルマ」という。(タカダという日本名もある)
17年前に、段ボール箱に捨てられたダルマを拾って、私は家に連れ帰り、彼にマックの操作を教え、ついでにWEBデザインも教えた。
それから2年半後に、彼は独立してWEBデザイナーになった。
さらに、驚くことに、彼はたった1年半で私の収入を乗り越え、最盛期には私の3倍のゼニを稼ぐまでになった。
そのように、ダルマは師匠に対する遠慮がまったくない、下等生物だった。
段ボール箱に返した方がよかったか。
ダルマと私には18歳の年の差がある。
ただ、ダルマは老け顔なので、外見上は年の差を感じない。
国立のバーミヤンで、ダルマが「師匠にご報告したいことが」と言いだした。
どうせ、たいしたことではないと思った私は、餃子を3つ口に放り込んで、「とふぉちゃんとがきどもふぁげんくふぁ」(トモちゃんとガキどもは元気か)と聞いた。
生意気にも、ダルマは結婚していたのである。
しかも、とても笑顔の印象的な可愛い子と9年前に結婚していたのだ。
ダルマと私が唯一仕事がかぶっていた埼玉県大宮の会社で事務をしていたのが、ダルマの今の奥さんだった。
その笑顔の素晴らしさを見て、私は、密かに彼女のことを「微笑みの天使」と呼んでいた。
「あの子、笑顔がいいですよね。癒されますよね」とダルマが、鼻息荒く、私に訴えたのを聞いて、私はそのとき使命感を持った。
要するに、ダルマは、この子を気に入ったのだな。惚れたのだな、と思った。
「俺、彼女いない歴10年なんですよね」とダルマ。
嘘だろ?
「いえ、本当です」
いや、10年前に、君に彼女がいたということが、俺は信じられないのだが・・・。
「・・・・・」(まさか傷ついた?)
私は、デリカシーに溢れた男だ。
いつどんなときでも、私は人に気を使って生きてきた。
だから、私は微笑みの天使に、直球で「タカダ君は、あなたのことを気に入っているみたいですよ」と告げた。
それに対して、微笑みの天使・アイザワさんは、「あら、本当ですか、光栄です」と、愛想笑いで右から左に受け流した。
その答えを聞いて、ダルマは終わったな、と思った。
可哀想に。
その後、少し、環境の変化があった。
アイザワさんが、私に、「パソコンでわからないことがあったら、相談してもいいですか」と聞いてきたのだ。
もちろん、いいですよ。いつでも、電話をしてきてください、と私の携帯の番号を教えた。そして、ダルマの番号も教えた。
俺が忙しくて電話に出られない場合は、ダルマに電話をしてください。彼は、顔は私よりもかなり劣りますが、頭は私よりはるかにいいですし、何よりも誠実で親切です、彼に相談してください、と大きな嘘をついた。
何度か電話がかかってきたが、私は、アイザワトモちゃんからの電話に出ることはなかった。
つまり、必然として、ダルマがトモちゃんの相談にのることになった。
それから、半年の間に、ダルマはトモちゃんと2回食事に行き、1回ドライブに行った。
そんな経緯があったのち、私はダルマにミッションを与えた。
「当たって砕けちまえ作戦」だ。
けけけ結婚をぜ前提におおおおお付き合いをしてください!
私は、ダルマが、当たってくだけて木っ端みじんに砕け散ることを願っていたのだが、何の間違いか、トモちゃんはダルマの必死の土下座を受けてくれたのである。
式では、仲人をさせられた。
その後、子どもを2人授かった。いま7歳と5歳のガキだ。
この二人のガキは、ダルマとトモちゃんが私のことを「師匠」と呼ぶので、「シショー」「シショ」と私のことを呼んだ。
それが可愛いので、私は毎年、二人にお年玉を差し上げていた。
「師匠、餃子食べ終わったじゃないですか、追加しますか、ビールも追加ですか?」とダルマが私に気を使う。
餃子追加、ビール追加。チャーハンも食わせろ。
追加の餃子を食い、チャーハンを食いながら、ビールを飲んだ。
仕事の打ち合わせも終わった。
で・・・俺に報告したいことって、なんだ?
「恥ずかしながら・・・」
君の顔が恥ずかしいのは、生まれつきだろ。
「実は、もっと恥ずかしいことが」
まさか、42歳にして、3人目の子どもを授かったとか?
ダルマが、醜い顔をさらに醜くさせて、顔を両手でさすった。
「できちゃいました」
ダルマ、やったな。
すげえな、3人目だな。収入だけじゃなく、子どもの数でも俺を超えたな。
「師匠」「シショー」「シショ」は、今とても嬉しいぞ!