リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

師匠の喜び

2018-02-25 06:21:00 | オヤジの日記

私のことを「師匠」と呼ぶ男がいる。

国立のバーミヤンで、目の前に座っている男だ。

名前を「ダルマ」という。(タカダという日本名もある)

17年前に、段ボール箱に捨てられたダルマを拾って、私は家に連れ帰り、彼にマックの操作を教え、ついでにWEBデザインも教えた。

それから2年半後に、彼は独立してWEBデザイナーになった。

さらに、驚くことに、彼はたった1年半で私の収入を乗り越え、最盛期には私の3倍のゼニを稼ぐまでになった。

そのように、ダルマは師匠に対する遠慮がまったくない、下等生物だった。

段ボール箱に返した方がよかったか。

 

ダルマと私には18歳の年の差がある。

ただ、ダルマは老け顔なので、外見上は年の差を感じない。

国立のバーミヤンで、ダルマが「師匠にご報告したいことが」と言いだした。

どうせ、たいしたことではないと思った私は、餃子を3つ口に放り込んで、「とふぉちゃんとがきどもふぁげんくふぁ」(トモちゃんとガキどもは元気か)と聞いた。

生意気にも、ダルマは結婚していたのである。

しかも、とても笑顔の印象的な可愛い子と9年前に結婚していたのだ。

 

ダルマと私が唯一仕事がかぶっていた埼玉県大宮の会社で事務をしていたのが、ダルマの今の奥さんだった。

その笑顔の素晴らしさを見て、私は、密かに彼女のことを「微笑みの天使」と呼んでいた。

「あの子、笑顔がいいですよね。癒されますよね」とダルマが、鼻息荒く、私に訴えたのを聞いて、私はそのとき使命感を持った。

要するに、ダルマは、この子を気に入ったのだな。惚れたのだな、と思った。

「俺、彼女いない歴10年なんですよね」とダルマ。

嘘だろ?

「いえ、本当です」

いや、10年前に、君に彼女がいたということが、俺は信じられないのだが・・・。

「・・・・・」(まさか傷ついた?)

 

私は、デリカシーに溢れた男だ。

いつどんなときでも、私は人に気を使って生きてきた。

だから、私は微笑みの天使に、直球で「タカダ君は、あなたのことを気に入っているみたいですよ」と告げた。

それに対して、微笑みの天使・アイザワさんは、「あら、本当ですか、光栄です」と、愛想笑いで右から左に受け流した。

その答えを聞いて、ダルマは終わったな、と思った。

可哀想に。

 

その後、少し、環境の変化があった。

アイザワさんが、私に、「パソコンでわからないことがあったら、相談してもいいですか」と聞いてきたのだ。

もちろん、いいですよ。いつでも、電話をしてきてください、と私の携帯の番号を教えた。そして、ダルマの番号も教えた。

俺が忙しくて電話に出られない場合は、ダルマに電話をしてください。彼は、顔は私よりもかなり劣りますが、頭は私よりはるかにいいですし、何よりも誠実で親切です、彼に相談してください、と大きな嘘をついた。

何度か電話がかかってきたが、私は、アイザワトモちゃんからの電話に出ることはなかった。

つまり、必然として、ダルマがトモちゃんの相談にのることになった。

それから、半年の間に、ダルマはトモちゃんと2回食事に行き、1回ドライブに行った。

そんな経緯があったのち、私はダルマにミッションを与えた。

「当たって砕けちまえ作戦」だ。

 

けけけ結婚をぜ前提におおおおお付き合いをしてください!

 

私は、ダルマが、当たってくだけて木っ端みじんに砕け散ることを願っていたのだが、何の間違いか、トモちゃんはダルマの必死の土下座を受けてくれたのである。

式では、仲人をさせられた。

その後、子どもを2人授かった。いま7歳と5歳のガキだ。

この二人のガキは、ダルマとトモちゃんが私のことを「師匠」と呼ぶので、「シショー」「シショ」と私のことを呼んだ。

それが可愛いので、私は毎年、二人にお年玉を差し上げていた。

 

「師匠、餃子食べ終わったじゃないですか、追加しますか、ビールも追加ですか?」とダルマが私に気を使う。

餃子追加、ビール追加。チャーハンも食わせろ。

追加の餃子を食い、チャーハンを食いながら、ビールを飲んだ。

仕事の打ち合わせも終わった。

 

で・・・俺に報告したいことって、なんだ?

 

「恥ずかしながら・・・」

君の顔が恥ずかしいのは、生まれつきだろ。

「実は、もっと恥ずかしいことが」

まさか、42歳にして、3人目の子どもを授かったとか?

ダルマが、醜い顔をさらに醜くさせて、顔を両手でさすった。

「できちゃいました」

 

ダルマ、やったな。

すげえな、3人目だな。収入だけじゃなく、子どもの数でも俺を超えたな。

 

 

「師匠」「シショー」「シショ」は、今とても嬉しいぞ!

 


ポーチからポチ袋

2018-02-18 06:29:00 | オヤジの日記

昨年の2月28日に東京武蔵野から国立に越してきた。

もうすぐ1年になる。

引っ越しでは、60個以上の段ボールに身の回りのものを詰めた。

一週間ほどで、ほとんどの荷解きを終えた。

そのなかで、一年間、ほったらかしの段ボール箱が一つだけあった。

27歳の息子のものだった。

 

「とりあえず、今すぐ使うものじゃないから、置いとくよ」

ノートパソコン用の鞄や小さな鞄、ポーチ類などを詰め込んでいたらしい。

 

今週、ポーチを使うことになったので、とうとう最後の段ボールを開けることになった。

息子によると、そのポーチは3年以上使っていなかったという。

「おそらく、中は空のはずだよ」

しかし、意外なことに、ポチ袋が4つも入っていたのである。

ポーチの中にポチ袋。

しかも中身も残っていた。

1つのポチ袋に2万円。

つまり、現金が8万円、出てきたのだ。

さらに、外側のファスナーには千円札が畳んで入れられていた。

 

「ああ、完全に忘れていたぁ!」

 

8万円分のお年玉を3年以上も忘れていたとは、なんというウッカリさん。

場合によっては、もっと長い間、その8万円は忘れられていたかもしれない、と思うと福沢さんが憐れに思えてくる。

3年以上も眠っていた福沢さんが8つ。

もしかしたら、他にも忘れられた福沢さんが、いるんじゃないか。

試しに、家族全員で段ボールに収納されていた鞄類を開けてみた。

「まさか、あるとはおもわないけどね」「あったら、マヌケだよな」

 

7個の鞄を開けてみたが、ぜんぶ空だった。

「だよね」「あるわけないよな」「そんなウマい話があるわけがない」

それは、そうだ。

8万円分のお年玉が出ること自体が、相当にウマい話だ。

これ以上の幸運は、なかなかない。

 

「ラッキーだったよ」と全員が、納得した。

 

しかし、そのとき、息子が「あれえ?」と甲高い声をあげたのだ。

「このポーチの底、ファスナーがついているぞ」

8万円分のお年玉が入っていたポーチの底が2重になっていて、ファスナーがついていたようなのだ。

ファスナーを開けて、中身を探ってみた。

「また、ポチ袋が入っていたりしてな」と娘。

まさかぁ。

 

すると、「あたりぃ!」と言って持ち上げた息子の左手には、1枚のポチ袋が・・・。

2万円が、入っておりました。

合計10万1千円。

 

ありえるか、こんなこと。

「アリエール」と息子以外の家族一同。

 

「少し早いけど、引っ越し一周年記念をやろうよ」

その日の晩メシは、息子が奢ってくれた。

全員のリクエストにより、釜寅で「海鮮五目釜飯」を頼んだ。

一同、大満足。

うっかり者の息子に、一同、大感謝。

 

みなさまも、忘れたポーチがありましたら、探してみてはいかがでしょうか。

福沢さんが、眠っているかもしれませんよ。

 

(ちなみに、息子は残りの金をどうしたかというと、来月卒業旅行に行く妹に全額あげたのでございます。我が息子よ、男前だな!)

 

 


出発進行

2018-02-11 05:30:00 | オヤジの日記

母が入院していた病院に、面白い看護師さんがいた。

「あら、まだ熱が下がりませんねえ。もう一度『座椅子』を入れましょうか。

おそらく、「座薬」だと思われる。

私の母の名前は「フジコ」というのだが、その看護師さんは、最後まで私の母を「フミコさん」と呼んだ。

食事は、毎食が「おもゆ」だった。看護師さんは、そのおもゆを食べさせるとき、「さあ、フミコさん、『おもち』食べましょうね」と言うのである。

不謹慎かもしれないが、少し和んだ。

 

母のために、多くの方々が来てくれた。

教え子が6人。70歳から始めた書道教室の教え子が1人。島根県出雲市から2人。

あとは、私の知り合い。

長年の友人の尾崎夫妻。極道コピーライターのススキダ夫妻。テクニカルイラストの達人、アホのイナバ夫妻。大学時代の陸上部同期オオクボ。シバタ(通称ハゲ)。同じく大学時代の同級生、仙台で塾を経営するノナカ夫妻。長谷川と長谷川の妹の養女・七恵。大学時代の2年後輩のカネコとカネコの娘ショウコ。WEBデザイナーのタカダ君(通称ダルマ)。リブロースデブのスガ君。京橋のウチダ氏。人類史上もっとも馬に激似の「お馬さん」。一流デザイナーのニシダ君夫妻。桶川の得意先のおバカなフクシマさん。

そして、驚いたのは、杉並の建設会社の顔デカ社長が来てくれたことだ。

顔デカ社長は、常々言っていた。

「おれ、葬儀には出ないことにしてるんだよ。物悲しい雰囲気が苦手でな。いつも社員を代わりに行かせてるんだよな」

しかし、今回は来てくれた。

「だって、先生の母君だからな。特別だよ」。遺影を見ながら「先生の母君、いい顔をなさっているなあ」

泣きそうになった。

 

尾崎が聞いた。

「一人で泣いたか」

ああ、風呂場の浴槽が涙で溢れるほど泣いたな。初めて気づいたんだが、涙ってしょっぱいんだな。だから、風呂場で体がプカプカ浮いて大変だったよ。

(おや? 白けたか?)

 

この日は、泣かないと決めたのに、顔デカ社長に「先生の中で、母君は生き続けるってことだよな」と言われたとき、不覚にも泣いた。それも、気持ち悪いことに、顔デカ社長に抱擁されながら泣いてしまったのだ。

さらに、まるで同期するかのように、我が大学4年の娘も隣で泣いていた。

クールなマツ親子が台無しだぜ。

 

ひと通りの儀式が終わって、最後の挨拶。

 

本日は、寒い中、ご足労いただき、ありがとうございます。

母は、生前、こんなことを言っておりました。

「あの世に行ったら、ひとつ楽しみなことがあるの。だって私のお父さんに会えるかもしれないでしょ」

母の父親は、日本画家をしていました。「天才」と呼ばれていましたが、31歳の若さで肺結核で亡くなりました。だから、母は、自分の父親の顔をほとんど覚えていません。

ただ、写真は残っています。その顔は、驚くべきことに、私にそっくりでした。明治時代の男にしては、長身の6尺。そして、イケメン。まさしく私そっくりです(また、白けさせたか?)。

母にとって、父親は特別な存在だったようです。彼の残した掛け軸をいつも床の間に飾って、母は色々な夢を見たようです。

そんな夢に見た父親に会えることが、本当に現実になってしまいました。

二人が、どんな会話をするかは、私にはわかりません。

ただ、間違いなく親子は、長い空白を瞬時に埋めることでしょう。母は、そのとき、幸せなはずです。

しかし、母には、心配事もありました。

「もし、先に旅立った私の夫が、私を見つけて話しかけてきたら、私は全速力で逃げますから。逃げて逃げて逃げまくりますから。逃げまくって、間違ってまたこの世に舞い戻って来ることもあるかもしれません。そのときは、よろしくね」

そんな面白いことを言う母です。

ですから、皆さまは、母が舞い戻って来ることを信じて、母を笑顔と拍手で見送ってください。

本日は、母のために本当にありがとうございました。

 

笑顔はなかったが、拍手で見送っていただいた。

 

 

青空の中 出発進行だね 母さん

 


とても強い人

2018-02-04 06:26:00 | オヤジの日記

尾崎が、「どうする? このまま帰るかい?」と聞いてきた。

 

尾崎の車に乗っていたのは私の大学4年の娘と私の3人だった。

娘は目を泣きはらしていた。そして、尾崎も。

30年以上の付き合いで、これほど取り乱した尾崎を見たことがなかった。

すがりついて泣いていた。

娘は、病室の壁に頭をつけて、泣きじゃくった。

その姿を見たとき、私は泣かない、と決めた。

泣くのは、今じゃない。

だって、俺は父親で長男だから。泣くときはひとりだ。

 

国立駅のロータリーの直線のところに、車を停めていた。

10分以上の沈黙のあと、尾崎が言った。

「なあ、俺とおまえは血の繋がりはないが、これからも兄弟の関係でいいんだよな」

当たり前だ。それを望んでいた人がいたんだ。

「あと6年。俺は絶対にいけると思っていたんだ」

俺もだ。

娘も鼻をすすりながら、うなずいていた。

 

病院から危篤だと聞かされたとき、尾崎が娘と私を車で拾って、病院まで連れていってくれた。

39.5度の高熱があって、意識は朦朧としていたが、呼びかけたら目を開けてくれた。

最期に間に合った。

あと6年、頼む、と耳元で呼びかけた。しかし・・・・・。

 

強い人が、風邪をこじらせただけで、眠った。

今まで5回、いつ死んでもおかしくないほどの大病を乗り越えて生きてきたのだ。

 

とても強い人だ。

 

「俺だったら、途中で諦めていたと思う」

俺もそうだ。

 

「幸せだったと思うか」

おまえに、たびたびドライブに連れて行ってもらったときは、とても嬉しそうな顔をしていたな。

孫娘が、頻繁に部屋を訪れて顔を見せると、その度に涙を流して喜んだ。

毎日、私の妻が、私が作った晩ご飯を持っていくと、必ず妻の手を両手で包んで、頭を下げたという。

私の27歳の息子に、誕生日プレゼントをもらったときは、それをいつまでも抱きしめていた。

少なくとも晩年は幸せだったんじゃないかな。

 

「眠ってたよな」と尾崎。

「眠ったんだよ」と娘。

 

2018年1月31日、午後4時12分。94歳。

 

とても強い人が、旅立った。

 

お人好しで 涙もろくて 騙されやすくて それでも人を信じることが好きで 愛の深かった人

 

 

いままで ありがとう 母さん これからも愛してます