リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

最初は必ずけなす

2012-11-29 09:10:53 | オヤジの日記
25年以上連れ添ったヨメのことを書こうと思う。

ヨメは、新しいものや人に関して、最初は必ず貶す習性を持っている。

たとえば、綾瀬はるかさんが出演されていた「世界の中心で愛を叫ぶ」を見たとき、綾瀬さんを評して「女優としての華がない。主演はまだ早い。演技がヘタ。絶対に大成しない」とボロクソだった。

しかし、今では「綾瀬はるかは可愛いわ。癒されるわぁ」とベタ褒めである。

堺雅人氏を初めて見た時も、「男のくせにニヤケて気持ちが悪い。弱々しく見えるから役が限られるわね。主役は絶対に無理よ」と評していた。

しかし、「あの笑顔がいいのよねえ。余裕があって、大人の男って感じね」と、今ではお気に入りである。

スギちゃんを最初に見たときも、「なに、あの喋り方? 頭悪いんじゃないの? こんなのすぐ消えるわよ」と言っていた。

消えるかどうかは、来年になってみないとわからないが、最近のヨメの会話には、たまに「~だぜぇ」が入るときがある。
つまり、嫌いでは、ないようだ。

「食べるラー油」を食べたとき、「全然美味しくないじゃない! ご飯には合わないわよ。流行っているから、もっと美味しいものだと思った。ダメよ、こんなの!」とお怒りだった。

しかし、今では、餃子や焼肉を食べるときに、これがないとお怒りなのである。
気に入っているらしい。

塩麹を知ったときも、「塩麹? 何に使うの? ただ塩辛いだけじゃないの? 料理には合わないでしょ!」と言っていたが、魚料理などの下処理に使うと旨いことがわかると、「塩麹、サイコー!」と、簡単に変心するのである。

宮部みゆき氏の直木賞受賞作「理由」を読んだ時も、「何? これ、何が言いたいの? 話が長すぎるし、登場人物が多すぎるわよ。誰が主役なのかわからない。ぜ~んぜん、面白くない!」と怒り心頭だった。

しかし、今では、宮部氏の昔の作品を漁って読むほど、気に入っている。
どこで「お気に入りのスイッチ」が入ったのか、全くわからないのだが、とにかくヨメが好きな作家といえば、宮部みゆき氏なのである。
その変わり身の早さには、驚くばかりだ。


今は高校2年になった娘が、小学校6年の頃、東方神起にハマった。
そのあとに、少女時代を気に入り、Super Junior、SHINEEを聞くようになった。

そのK-POPを聴いたヨメは、「ナニ歌っているか全然わからない。これ、日本語なの? もっと勉強してからCD出しなさいよ。顔も作ったような顔で、気持ち悪いわねえ。日本のアイドルの方が、マシじゃない?」と、完全否定。

しかし、2年前に洪水のようなK-POPブームが来てからは、CSで放映される韓国のヒットチャート番組に、かぶりつきになった。

昨年から毎月千数百円かかる韓国の放送局を視聴契約していて、音楽番組のチェックに余念がない。

特にSHINEEと東方神起が、お気に入りである。
彼らが出る番組は、すべてハードディスクレコーダに録ってある。

私が録画したものがハードディスクを圧迫すると、すぐに「ブルーレイに移してよ」と催促する。
自分のは、ハードディスクに置きっぱなしなのに。
(ダビングの仕方を知らないから)


いま、ヨメは、きゃりーぱみゅぱみゅさんをボロクソにけなしている。

「ちっとも可愛くない。歌もヘタ。ファッションセンスが最低。スタイルも悪い。どこがいいのか、さっぱりわからない。大人の鑑賞には耐えられない。これは、運が良くて有名になったクチね。消えるのも時間の問題だわ」

さあ、この評価が、いつまで続きますことやら。



数ヵ月後に、「きゃりーちゃん、可愛い!」とヨメが言ったとしても、私は、まったく驚きませんが・・・・・。





東京ビタミン寄席

2012-11-22 06:05:53 | オヤジの日記
前回も書いたが、お笑い番組を見なくなって久しい。

しかし、お笑い番組の中に、唯一私好みの番組があるのを思い出した。

東京地方限定かもしれないが、ローカル局で「東京ビタミン寄席」というのを放映している。

その番組では、テレビでレギュラーを持っている有名な芸人さんは、ほとんど出ない。
新人からベテランまでのマイナーな芸人さんが、ネタを見せる番組である。

座敷ボウラー、冷蔵庫マン、エルシャラカーニ、ねづっち、三拍子、鳥居みゆき、ダンディ坂野、HEY! たくちゃんなど。

一方向からの映像しかないから、カメラは一台だけなのだろう。
だから、客席は映らない。

芸人さんが何を言っても笑ってやろう、というバラエティ番組によくある、笑う気満々の人たちの顔は映らない。
それどころか、マイクも1本しかないから、笑い声に臨場感がない。

ADが指図する過剰な笑い声がないから、大爆笑というのは、ごく稀である。

面白くなければ、「沈黙」というアウェーのお仕置きが待っている。
客席をイジって笑いを取ろうとする安易な芸に対しては、無反応というお仕置きもある。

ときに、そのネタを何度も見た人が、フライング気味に笑い声を立てることがあるが、その間の抜けた笑い声がリアルに感じて、ほのぼのとした気分になる。

出演する芸人さんたちのほとんどが、テレビでネタを披露する場のない人たちだから、このチャンスを逃してなるものか、という真剣勝負の気配をにじませている。

要するに、馴れ合いがない。

そこが、好きだ。


というような話を友人たちとの飲み会で披露した。

しかし、世の中には、日本語を理解する能力がない人が、確実に存在する。

「そんなにバラエティが嫌なら、見なければいいだろ」

この意見に対しては、沈黙のお仕置きをした。
もともとバラエティは見ないということを前提のもとに話を始めたのに、こいつは何を聞いているのかと思った。

「そんなに好きなら、見に行けばいいじゃないか。テレビで見るより臨場感が味わえるぞ」

見に行くには、往復の電車賃がかかる。
そして、チケット代もかかる。
さらに、往復に要する時間と見ている時間を考えたら、テレビでダイジェストを見たほうが、はるかに効率がいい。
20数分で終わるんだから、そのほうが楽だ。
わざわざ見に行く必要はない、と答えた。

「でも、そんなに好きなら、普通は見に行くよ。俺は、好きなアーティストのライブは必ず見に行くけどな」

俺は、好きだとはひと言も言っていない。
「私好みの番組」と言っただけだ。

金を払ってまで、見ようとは思わない。

テレビは、タダだから、気に入っている、それだけだ。

「なんだ、その程度か。話題にするほどのこともなかったな」


話が噛み合わないのは、こいつらの頭が悪いのか、それとも私が悪いのか・・・。


おそらく、わたし・・・・・か。



スマフォがスマホ

2012-11-18 07:07:57 | オヤジの日記
昔は、娘とふたりでテレビのお笑い番組をよく見たが、もう3年近く見ていない。

コントや漫才が、つまらなくて見るのをやめたわけではない。

演出が好きではないので、見なくなった。

客席の過剰な笑い声。
審査員の存在。
芸能人のギャラリー。
身内だけで褒め合うような馴れ合い。

「すべらない話」は一度しか見たことがない。
芸人同士の馴れ合い、かばい合いや、時おり映される芸能人ギャラリーの感心した顔を見ると、そんな演出をしないと笑えないのかと思ってしまって、話に集中できないからだ。

だから、30分もしないうちに、テレビを切った。
それ以来、その種の番組は見ていない。

漫才やコントのコンテストは、純粋にネタを見せてくれるなら見るが、審査員が同業者だった場合は、馴れ合いを見せられるのが嫌なので、審査員の顔ぶれを見て、見る見ないを決める。

その結果、見ないことの方が多い。


面白い芸人さんは、たくさんいると思う。

才能あふれる芸人さんは、いつの時代にも数多く存在する。

その才能は、無条件に尊敬する。

人を笑わせる才能というのは、世の中に数多ある才能のうちでも、有意義なものに数えていいと思っている。


ただ、その面白さを過剰な演出で消しているというのが娘と私の意見であるが、それは、どうやら少数派らしいのだ。


高校2年の娘の友だちに、お笑い番組しか見ないという子がいるらしい。

「だって、ドラマなんか見ても、かったるいし、スポーツはルールがわからないし、お笑いは面白ければ笑えるから、一番気楽だよね」

その意見に同調する友だちが多いという。

それを聞いた娘は、面白ければいいという短絡的な意見に異を挟もうとしたのだが、ナントカいうコンビの話題に周りが盛り上がったために、そのコンビのことを知らない娘は、その話題に加わるのを諦めて、スマートフォンをいじることに専念したという。

多数派の意見は、心の中で逆らうだけにする。
そうしないと、「ウザイやつ」に思われる。

それが人間関係を円滑にする最良の方法であるということを、我々は最近になって、やっと学習したのである。


ちなみに、娘と私は、絶対に「スマホ」という言葉は使わない。

スマートフォンである。

略すなら「スマフォ」とすべきところを「スマホ」では、略したことにならないだろう、というのが理由だ。


ただ、それを人様に押し付けると変人扱いされるので、人様が「スマホ」と言ったとしても意義を唱えることはしない。


我々父娘も大人になったので。




315円のスピーカー

2012-11-14 06:29:37 | オヤジの日記
仕事場では、絶えず音楽を流している。

リサイクルショップで5千円で買った17インチの液晶テレビに、ハードオフで1050円で買ったジャンクのDVDプレーヤーを繋ぎ、音は、CD/MDコンポのスピーカーに繋げて聴いている。

音楽DVDが流れているが、仕事中は当然のことながら画像は目に入らない。
音を聴くだけである。

それでは、意味がないと思うかもしれないが、頭のどこかでは何度か見た映像を再生しているから、音だけでもイマジネーションは広がっている。
だから、それが仕事がはかどる手助けになっている。

ほかに、CD/MDコンポでは、J-WAVEを流すこともある。
CDプレーヤーでアルバムを聴くこともある。
MDは、2百枚近いストックがあるが、最近はあまり聴くことがなくなった。
頻繁ではないが、ごく稀に音飛びがすることがあるので、それが気になって聴くのを躊躇っているのだ。

通常は、仕事で使わなくなったMac G4/450MHzにMac OS Tigerを入れて、その中のiTunesで音楽を流すことが多い。

iTunesの中には、2,100近い曲が入っている。

それらの曲をランダムに流している。

東京事変の次にチャット・モンチーが来たり、元ちとせの後にカイリー・ミノーグ、ムソログスキー、バド・パウエルが来たりして、そのシュールな変化を楽しみながら仕事をしている。

そのMacには、2ヶ月前までオーディオテクニカのスピーカーを繋いでいたが、全体のバランスが高音寄りなせいか、長時間聴くと疲れるという現象に悩んでいた。

iTunes上のイコライザーで調節して自分好みの音にして聴いていたが、根本的なスピーカーの性質まではカバーできず、半ば諦めながら2年近くそのスピーカーを使っていた。

それなりに高いものだったので、使い倒さないと勿体無いという貧乏性のせいで、我慢したということもある。


しかし、他にいいスピーカーがないだろうか、と絶えず思っていたのも事実だ。

そんなとき、ハード・オフという中古の製品を扱う店を冷やかしていたとき、ジャンク・コーナーで、PCスピーカーが315円で売られているのを見たのである。

箱自体が綺麗で、どう見ても新品か新古品という見た目の綺麗さ。

形状はドーム型だ。
メーカーは「サンワサプライ」。

パソコンの周辺機器を主に手がけるメーカーだ。

音響機器に関しての評判は聞いたことがないが、315円は魅力だ。

色は白で、デザインはシンプル。

すぐに、これは買いだろ、と思った。

315円なら、失敗してもいいとも思った。

ただ、そのときの私は、これは絶対に俺好みの音を鳴らすに違いない、ということを確信していた。

なぜ、そう思ったかは、自分でもわからない。
直感というしかない。

315円で買ったスピーカー。

早速、MacのUSBに繋げて聴いた。
音が耳に届いたとき、自分の直感が正しいことを誇らしく思った。

低音から高音までフラットに、無理なく出ている。

大音量でクラシックを聴くと痩せた音が痛々しいが、仕事の邪魔にならない小さな音量で聴くと、そのバランスの良さに驚く。

特に、ボーカルの音が自然だ。

椎名林檎の艶のある声が、イメージ通りに耳に届く。
斉藤和義の投げやりな声が、生々しい。
山下達郎の鼻にかかった声が、笑えるほどリアルだ。
サンタナの「哀愁のヨーロッパ」のイントロのギターが、思った以上に官能的で嬉しくなる。
Superflyの「タマシイレボリューション」が、熱い。


いま、私の音楽ライフは、このスピーカーがすべてと言っていい。

iTunes側で、低音を強調して使っているのだが、オーディオテクニカのスピーカーは、私の命令に忠実ではなかったが、この315円スピーカーは、賢い執事のように私の命令に忠実に答えてくれる。

スピーカー側に音量を調節する機能がないのが唯一の欠点といえば欠点だが、私は欠点の多い人間ほど信用するようにしているので、むしろ、その点も私好みと言えるかもしれない。


人と人の出会いは、極めて運命的なものだと言えると思う。


しかし、人とスピーカーの出会いも運命的と言っていいのではないかと、私はこの可愛いドーム型をした物体を、愛しいペットを見るような気持ちで、いつも眺めている。



突発性難聴

2012-11-10 08:00:07 | オヤジの日記
最近、ミュージシャンの方たちが、突発性難聴を発症しているのを耳にする機会が増えた。

大変だなあ、と思う。

片方の耳が聞こえないというのは、素人考えではあるが、音作りにかなり影響するのではないだろうか。

突発性難聴キャリア20年の私は一般人だからいいが、プロの音楽家の耳が片方聞こえないのは、かなりの不安ではないかと思う。


突発性難聴の原因は、今のところ解明されていないらしい。

ストレス説やウィルス説などがあるという。

私に照らし合わせて言うと、おそらく体質なのではないか、と勝手な解釈をしている。
体質だから、遅かれ早かれ、私は突発性難聴になったのだと思う。

社会人になってから、極端に疲れたり、風邪をひいて熱を我慢して会社に行ったりしたときなど、右耳の聞こえが悪くなることが、度々あった。

頻度で言うと、年に1~2回だろうか。

しかし、たいていは、3~4日で治った。
だから、「そのとき」も「いつものやつだな」と思って、ほったらかしにしておいた。

そうしたら、10日目に、右耳が全く聞こえなくなった。
だが、そのときも楽観的に、「いつものやつ」と思って、忙しさを理由にして医者に行かずにいた。

仕事が落ち着いてきたとき、ようやく慈恵医大の耳鼻科に行ったが、「2ヶ月も経っているんだから手遅れですよ」と言われた。
それ以来、右耳は聞こえないままだ。

20年近く、右耳が聞こえないのが、当たり前になっている。
最初のうちは、耳鳴りが気になったが、今はほとんど気にならない。

耳鳴りが、友だちのようなものである。


疲れたり重い風邪のとき、耳の聞こえが悪くなり、同じように右目の視力も低下した。

しかし、右目の視力も、3~4日で回復したから、これもおそらく体質なのだろう。

右耳は聞こえなくなったが、右目の視力は、かろうじて0.01のところで止まっている。
(突発性難視という病気は、ないのだろう)
失明しなかっただけ、儲けものだと思っている。


だから、私と同じように、疲れたときなどに耳の聞こえが悪くなる体質の方は、すぐに専門医のところに行くことをお勧めします。

聞くところによると、48時間以内の処置なら、必ず治るそうです。

少し聞こえが悪いな、と思ったら、とにかくすぐに。


ところで、面白いことがある。

ヘッドフォンで音楽を聴いているときに、当然のことながら、右側のトラックから流れる音は聴こえない。

ただ、面白いことに、むかし聴いたことのある曲は、脳がその音を覚えているのか、右側の耳が音を感知するのである。
もちろん、錯覚だとは思うが、聴こえるはずのない音が右耳に届いている気がするのだ。

新しい曲では、もちろん右側のトラックに入った音を知らないから、音は聴こえない。

これは、むかし耳が聴こえるときに聴いた曲だけに起こる現象だ。


そう考えると、人間の脳というのは、不思議なものだと思う。

耳が覚えているのではなく、脳が覚えていて、その音を聴こえない右耳で再生してくれるのだから。

きっと、そんな隠れた能力(脳力)が、もっと解明されたら、突発性難聴も案外簡単に治る、なんてこともあるかもしれない。


ただの希望的観測かもしれないが・・・・・。