水曜日午前11時すぎ、仕事の打ち合わせを終えて、中央線に乗っていたときのことだった。
中央線は、珍しく空いていた。
隣に、5、6歳の少女が座っていて、何かを折っていた。
おそらく、折り鶴だ。
軽やかな手つきで折っていた。慣れた仕草だった。
きっといつも折っているのだろう。
そのとき、意外なことが起きた。
短髪の少女が私の方をむいて、「ねえ、おじさん、これもらってくれる」と小さな手のひらにのせた折り鶴を私に差し出したのだ。マスクをしていたので、目が強調されてでっかく見えた。幼いのに、目力すごいね。
もちろん、拒む理由なんかない。
上手だね。すごいね。誰に教えてもらったの。お母さんかな。
すると、少女が驚くほど無邪気な顔で言った。
「違うよ。私ね、お母さん、いないの。おばあちゃんにだよ」と言って、左隣に座る女性を指さした。
また、やっちまったか。この辺が俺のダメなところだ。誰もが同じ境遇ではないことを想像できないのだ。
鶴を折るのがうまいなら、それだけを褒めればいいではないか。お母さんは、余計だろう。激しくコーカイ。
私は左の手のひらに乗った折り鶴をずっと見ていた。
知らない間に、涙が出てきた。なんでだ、と思うまもなく、涙があふれ出した。変なオヤジだ。けっして半径3メートル以内には近づかないでください。
少女は気づかなかったようだが、祖母は私の涙に気づいた。きっと私よりも若い祖母だ。50代半ばではないだろうか。
祖母の目にも涙があった。その涙の理由は知らない。涙が共鳴した。
そして、その涙の先に東京農工大学の庭で咲き誇る桜があった。
満開の桜だ。
手のひらに乗せた折り鶴を少し持ち上げて、桜と同化させると折り鶴が浮き上がった気がした。
こんな桜もいいな。
そんな話を長年の友人の尾崎にした。
中央線立川駅近くのバーだった。
本当は、昼間は開いていないバーだが、尾崎の友人がやっている店なので、無理を言って2時間だけ開けてもらったのだ。
「俺が、やんちゃをしていたときに知り合ったやつだ。ただのバカだ」
ガキのころ、ワルだったとは思えないくらい脱力した笑顔で頭を下げてきた。とは言っても、ボクシングのグローブを持たせたら、力石徹に変身しそうな気配はあった。
尾崎は、15から23まで、アンダーグラウンドの世界で暮らしていた。
どう暮らしていたかは知っているが教えない。そのときの尾崎のダチのうちで、そのあと表の世界に出てきた人も多いと聞く。
不動産屋さんになったり、カツ丼屋さんを開いたり、椎茸農家をやる人もいると聞く。
このバーをやっている人も10年以上前、立川にたどり着いて居場所を見つけた。
過去ワルだったとしても、それがマイナスに働かない人もいる。セカンドチャンス、サードチャンスは、誰にでもある。
私が折り鶴の話をすると尾崎とバーのマスターが、紙ナプキンを突然四角にちぎって、折り始めた。
目の前に、紙ナプキンで作った折り鶴が2つ。
器用だな、おまえら。なんで、そんなに簡単にできるんだよ。俺は、千羽鶴、折れないぞ。カエルは折れるけど。カエルは、子どもが小さいころ、よく折って飛ばしたことがある。
「じゃあ、折ってみろよ」
折ってみた。
あれ? あれ? 忘れちまった。
「おまえ、思った以上に不器用だな」
ご、ごめんなさい、オレ、人間のクズなんです。
アーリータイムスのストレートを飲みながら、泣き崩れた。
泣き崩れているうちに、マスターが視界から消えた。
いない間に、勝手にウィスキーを継ぎ足して、でかい皿に盛られたクルミをリスのように大量に頬張り、幸せを満喫した。
好きなんですよ、クルミ。
頬にたくさんのクルミがある幸せに浸っていたとき、尾崎が突然言った。
「おい、もし誰かに頼りたいと思ったときは、まっ先に俺に頼れよ」
驚いて、クルミを高速で口の中で砕いたのち、アーリータイムスで喉に流し込んだ。
喉が焼けたね。
やはり、クルミの味よりもアーリータイムスの方が強いのだな。ボクのクルミちゃんは、どこ行ったの?
クルミちゃんも驚いたろうな。いきなりアルコールで胃に流されるなんて、予測不可能だったに違いない。
また尾崎が言った。
「こういう言い方は好きではないが、今の俺は、おまえたち一家を1年食わせるくらいの余裕はある。あるいは、もしおまえの仕事がなくなったら、2人でジャズ喫茶をやるって手もある。こきつかってやる。だから、俺の前では、プライドは捨てろ。俺もおまえの前ではプライドは捨てる。25年前のようにな」
25年前、コスメショップ、薬局、雑貨店を順調に回していた尾崎が、趣味的なこだわりの楽器店を中野に出したことがあった。
だが、当初の計算の10分の1程度の儲けしかあげられなかった。
それは、尾崎の他の仕事を圧迫した。楽器店は2年で閉めた。借金が残った。叔母が残したものと買い取った楽器を二束三文で売って金は作ったが、少し足りなかった。
25年前、私たちが当時住んでいた埼玉のメガ団地に、尾崎がやってきた。
憔悴してはいなかったが、目に珍しく迷いがあった。
私とヨメの前に立った尾崎は、私の目を窺い、ヨメの目を窺った。そして、言った。
「いま、俺は30万を必要としている。頼れるのは、おまえしかいない。貸してくれたら、ありがたい」
尾崎に初めて頭を下げられた。
この場合、決定権は、私にはない。私は、ヨメの顔を見た。
ヨメは、すぐにうなずいた。そして、「ちょっと郵便局に」といって、席を立った。
私は立ちっぱなしの尾崎に椅子をすすめ、キッチンからカティサークとグラス2つを持ってきた。
尾崎のグラスにウィスキーを注ぐことはしない。私は、自分のグラスに勝手にカティサークを注いだ。尾崎も自分で注いだ。
乾杯はしない。お互いのタイミングで飲むだけだ。
このときは8月の終わりだった。エアコンの調子が悪かったので、部屋はそれほど冷えていない。お互い額に汗を浮かべながら、カティサークのストレートを飲んだ。
会話はない。目も合わせない。お互い、友だちごっこが好きではなかったからだ。
当時4歳の息子が、膝の上に乗ってきた。ボヨンボヨンと私の膝の上で跳ねるのが好きな息子だった。
ボヨンボヨンを感じながら、2杯目のカティサークを飲んだ。尾崎も2杯目。
ボヨンボヨンボヨンボヨンしているうちに、ヨメが帰ってきた。
「40万円あります」と言って、ヨメが私の前に郵便局の袋に入った金を置いた。
なぜ、そんな大金が我が家にあるのか不思議だったが、そのときの私は、ヨメが魔法を使ったのだろうと思った。
あとで聞くと2番目の子の出産費用として貯めていたという。
尾崎の前に袋を押し出した。
そのとき、尾崎がテーブルの一点を見つめながら言った。
「悪いな、不恰好な友だちで」
俺の友だちで、格好のいい奴はいない。格好がいいのは俺だけだ。
(その12年後、私たち一家が複雑な事情で、埼玉から東京に帰ってきたとき、尾崎は、その金を倍にして返してくれた。倍返しだ!)
あれから尾崎は堅実な方法で、自分の店を立て直した。そして、スタンドバー2軒、洋酒販売の店を追加して、成功した。
姿を消していたマスターが帰ってきた。
100円ショップで折り紙を買ってきたようだ。
早速、2人で鶴を折りはじめた。
なんだこの突然の折り鶴ブームは。
尾崎が言った。
「紙に想いを込めるって、いいと思わないか。きっとおまえに折り鶴をくれた少女も、折っているとき想いを込めたはずだ。それが何かはわからないが、想いが形になったのが折り紙だと俺は思う。折ると祈るは似ているだろ。折ることは祈ることなんだ」
瞬く間に、30ほどの鶴が折られた。
それは、何を思って折ったんだ。
「俺の周りにいる人たちの健康だな」
「俺もそうですよ」とマスター。
おまえら、もうワルのかけらもないな。
尾崎が苦笑いを浮かべて言った。
「この中には、おまえのことを想って折った鶴はない。どうする? 折って欲しいか」
それは、ぜひぜひ、ぜひぜひお願いしますよ。折り紙大神さま。
家族5人分(ブス猫含む)を折ってもらった。
よーしっ、勇気をもらった。
しかし、よく見ると、鶴は4つで、あとの一つはセミ? 目の部分にボールペンで黒丸が描いてあるぞ。
おい、尾崎、このセミは俺用か。
「ああ、セミって、寿命が短いっていうだろ。だから、おまえに似合っているんじゃないかと思ってな」
あのな、尾崎。それは祈りじゃなくて呪いって言うんだよ。
番外ですが、最近疑問に思っていることを。
海外の政治家は、テレビで国民に向かって語りかけるのに、なぜ日本の政治家は、記者にしか語りかけないのだろう。
しかも原稿を読むだけという言霊(ことだま)の軽さ。
それで「自粛せよ」と言われても、響かないですよ。
あとは、海外の映像で、道路や地下鉄や病院の消毒作業をしているのを見るのだが、私はインターネットで、日本の消毒作業を見たことがない。実際に、自分の目でも現場を見たことがない。
やっていただいているのかしら。
最後に、尊敬する志村けん師匠、ご生還をお祈りしております。
私は折れないので、娘に特大の鶴を折ってもらいました。
娘の祈りが届けばいいな。