リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

夏をあきらめきれなくて

2019-08-25 05:26:00 | オヤジの日記

2週間前の日曜日、大学時代の2年下の友人カネコの娘・ショウコに3人目のガキが生まれた。

 

これをブログに載せていいのかを、私は122秒悩んだ。

ショウコは、私のブログをいつもチェックしているのだ。そして、自分に気のくわない内容が載っていたら、次に会ったときに「お仕置き」が待っているという恐怖。

6歳からの合気道歴23年の関節技だ。とても痛い。私は、いつも平気な顔をしているが、とても痛い。イタイんだよ。

ショウコにガキが生まれたのは、とても喜ばしいことだが、ブログを書く場面では、私はいつもお茶目になってしまうという愛すべき癖がある。

お茶目なブログは、合気道女子の関節技のターゲットになりやすい。

だから、載せるのをやめようか、と123秒悩んだ。しかし、よくよく考えると、ガキ誕生を載せないと、ショウコのお怒りに触れて、もっと強い「MAX関節技」をかけられる怖れも否定できない。

 

結局、最後は関節技だよな。124秒悩んだ私は、覚悟を決めて「ショウコのガキ誕生」を載せることを決心した。

 

ショウコの旦那は、中学の英語の教師をしていた。今年36歳になる、つまらない男だ。生真面目な牧師と言ったイメージだ。いえいえ、つまらない男では、ございません。とても、誠実な旦那様でございます。

私は、ショウコの旦那マサに、昔こう言ったことがある。

強制はしないが、出産には立ち会ったほうがいい。命が湧き上がる瞬間を見たら、俺はこの子のためなら、なんでもできる、という決心と覚悟が、脳細胞に焼き付けられるんだ。俺の脳は、ヘナチョコで朝食ったものも忘れるくらいだが、その決心と覚悟だけは、未だに焼き付いているよ。

私のお節介な忠告にマサは大きく頷いた。目に決心が宿っていた。

私の友人の中で、出産に立ち会ったやつはいない。私が、立ち会ったよ、というと「正気か。そんなところでカッコつけて何が楽しい」などと呆れられた。

まあ、痴漢の違いってやつだな。「痴漢?」ああ、ごめん、価値観だった。お前の顔を見たら痴漢に見えたもんだから。「・・・・・」

 

マサにとって幸運だったのは、ガキ全員が日曜日に生まれたことだ。平日だったら、中学の教師が都合よく休むのは難しかっただろう。

マサは、つまらない男だが、つまらない運は「持っている男」のようだ。いえいえ、つまらない男ではございません。理想的な旦那様でございます。

 

過去2回、ショウコが産気づいたとき、私は八王子の産院の廊下で、芋洗坂係長にしか見えないカネコと待っていた。

今回も産院に駆けつけた。過去2回と違うのは、私の娘も付いてきたことだ。

「ショウコねえの赤ちゃんに会いたい」と以前から心待ちにしていたのだ。

ショウコは、私の子どもたちの面倒をよく見てくれた。ドライブに連れて行ったり、ドライブに連れて行ったり、ドライブに連れて行ってくれたりしたのだ。

特に、娘はショウコに懐いていた。こんな乱暴な女のどこが気に入ったのか知らないが・・・いえ、乱暴ではございません。ただ、力が有り余っているだけでございます。

 

看護師さんに呼ばれて、マサが神妙な面持ちで、分娩室に入っていった。入る前に、カネコと私、娘に向かってお辞儀をした。周りを気にしすぎる、なんてつまらない男なんだ。いえ、紳士的な旦那様でございます。

20分くらい経ったころだろうか廊下で待っていた私たちのところに看護師さんがやってきた。

「産まれました。女のお子さんです」

その途端、芋洗坂係長にしか見えない紅の豚が両手で顔を覆った。豚の泣く姿は見たくないので、私は左に座っていた娘に、あとで赤ちゃんの顔を見せてもらおうな、と声をかけた。すると、あら不思議。娘も泣いているではないか。

娘は、乃木坂46の齋藤飛鳥さんに69パーセント似た、美しい顔で泣いていた。豚の泣き顔を見なくてよかったと思った。

高田純次師匠に92パーセント似た私は泣かなかった。過去2回は泣いたのだが、娘の手前、ちょっと我慢した。

 

マサが分娩室から出てきた。すぐに、紅の豚と抱き合った。マサの目にも涙があった。バレーボールで国体に出たことがある細マッチョのマサは、紅の豚の怒涛の寄りにも態勢を崩すことなく、平気な顔で抱き合っていた。

ただ、はたから見ると、紅の豚と細マッチョの抱き合いは、コントにしか見えなかったが。いえいえ、とても感動的なシーンでございました。

 

病室に移ったショウコと新しいガキとご対面した。

過去2回のように、ショウコに「サトルさん、褒めて褒めて」とおねだりされた。

 

世界一の母ちゃん、あっぱれであるー! と言って、ショウコの頭を撫で撫でした。

 

過去2回と同じく、ショウコが泣き出した。

娘もまた泣いた。

私も泣きそうになったが、赤ちゃんの顔を見つめることで、涙をこらえた。

まだ、サルだよなあ・・・・・いえいえ、なんと可愛い赤ちゃんだ。上野樹里さんに68パーセント似たショウコの娘だから、きっと美人になるに違いない。

 

そんなとき、マサが「先輩、いいですか」と誰にも似ていない顔を私に向けた。

ちなみになぜ「先輩」かというと、マサとショウコは私と同じ大学出身なのである。同じ大学出身だから、私のことを先輩と呼ぶ、この芸のなさは犯罪的につまらないと言える。いえいえ、とても礼儀正しい好青年でございます。

「これは、夏帆ちゃんにも聞いて欲しいんだけど、いいかな」

娘は、泣き顔から立ち直っていなかったが、コクンと頷いた。

つまらない、いえ、生真面目な顔で、マサが話し出した。

「一番目が帆香(ほのか)、二番目が悠帆(ゆうほ)。なんで『帆』にこだわるかというと、夏生まれのショウコが夏が好きだから、自分に子どもができたら、夏とか海に関連した名前をつけようと、若い頃から考えていたんですよ」

その中で、「帆」は一番候補だった。あとは「夏」か「海」、「波」。ただ、身近に、贅沢にもこの中の2つの字を使った生き物がいたのである。

つまり、私の娘だ。ショウコは、私の娘を可愛がってくれた。

その可愛がっている子の名前が、自分がいつか我が娘につけたい名前だったなんて、何という運命のいたずら。

だから、最初の子どもが生まれたとき、ショウコは「夏」はあきらめたという。でも「帆」は使いたい。そこで帆香と付けた。

2人目は男の子。「帆」が2つ続けば、「夏」がなくても、夏を味方にできるのではないかと考えて、「悠帆」と付けた。ちょっと、なに言ってるか、わからない。いえいえ、わかります。ごもっともでございます。

 

「でもね、ショウコは、実はまだ夏にこだわっているんです。ただ、『夏』を使ったら、夏帆ちゃんと同じです。「夏海(なつみ)」も考えましたが、先日、ショウコの友だちに先を越されてしまいました。そこで、ショウコは考えました。女の子が生まれたら『ナツホ』と名付けようと」

野菜の「菜」にサンズイの「津」。菜津帆だという。

 

「ねえ、いい?  サトルさん、夏帆ちゃん」

ショウコのベッドの横で、つまらないマサが、いえ、誠実感溢れるマサが頭を下げた。

いいも何も、私の娘の名前は、専売特許ではないし、商標登録もしていない。まだ、世界デビューもしていないのだ。しかも、漢字が違うのだから、我々に頭を下げられても困る。

だがもし、気がひけるというのなら、いつでもいいから、八王子の「煮干鰯らーめん 圓」のラーメンを奢ってもらおうか。

いつでもいいから、でも、早いほうがいいかな。

 

心なしか、ショウコの顔が険しくなった気がする。

いや、それは、産後のお疲れからくるものでございますよね。

よくお休みになられてください。

でも、赤ちゃんのお世話で、しばらくは休めませんよね。

お体をお大事に。赤ちゃんもスクスクとね。

 

 

関節技は、来年の正月か?

 


私の変態な夏

2019-08-18 06:02:00 | オヤジの日記

9回目の墓参り。

多磨霊園。

嵐の中の墓参りになるかと思ったが、雨は降らず風だけだった。きっと誰かの行いが良かったからだ。

 

大学時代の同級生・長谷川と長谷川の妹の養女と私の3人で行った。

1回目の墓参りは、私1人で行ったが、2回目からは長谷川の妹の養女・七恵と2人で行った。

長谷川と墓参りをするのは、今回が初めてだった。

なんでついてきたんだ、と聞くと、長谷川は「ひさしぶりにマツの顔が見たくなってな」という気持ちの悪いことを言った。

大学時代の友だちで、今も付き合いがあるのは、陸上部のやつが多い。陸上部以外では、仙台で学習塾を経営しているノナカとこの長谷川だけだ。

今もそうだが、長谷川はまともなことしか言わないつまらない男だった。口を開けば、いちいちごもっともな意見を垂れて、話をつまらなくするのだ。

だから、私は長谷川のことをいつも「きれいごとのシンちゃん」と呼んでいた。私が、皮肉を浴びせかけたり、少しブラックな冗談を言うと、長谷川は「さすがマツだな。皮肉や冗談にも愛があるな」と感心したように言うのだ。

お坊ちゃん長谷川。

長谷川と私の性格は、両極端と言っていいほど違うが、それが良かったのかもしれない。両極端の性格が、いい方に化学反応を起こしたのだと思う。その化学反応は、40年たった今も続いていた。

頻繁に会うことはないが、2年ぶりに会ったとしても、まるで、昨日も会ったような気分で話ができるのだ。それは、得難い関係だとは言えまいか。

 

長谷川は3年前まで、中堅商社の社長様をしていた。しかし、突然部下に社長の座を譲った。

「会社は、俺のものじゃないからな。世襲は、俺の代でおしまいだ」

ほかにも理由があった。長谷川が社長の座を降りたのは、奥さんに医師として復帰して欲しかったからだ。

長谷川の奥さんは、結婚後も出産後も病院の医師をしていたが、長谷川が社長を継ぐに当たって、長谷川のサポートに専念することを決めた。医師をやめたのだ。

長谷川は、そのことにずっと負い目を感じていた。

「だって、俺よりも妻の方が、確実に社会や人間の役に立つじゃないか。社長の代わりはいるが、医師は、数が多かったとしても、いて困るものじゃない。特に、有能な医師は、何人いたっていい」

さすが「きれいごとのシンちゃん」。あっぱれなりー。

 

リタイアした長谷川は、家事の真似事をするようになった。

掃除、洗濯、庭の手入れ、犬4人と猫ちゃん1人の世話、そして、奥さんの送り迎えをベンツという名のメルセデスで毎日しているのである。

長谷川は、料理が苦手なので、朝メシは奥さんが作ることになっていた。そして、昼間はカップ麺。元社長様が、昼メシ、カップ麺ですよ。落差が激しくないですかかー。

「だって、お湯を沸かしただけで、想像以上に美味いものが食えるんだぜ。これは、最高の発明だ。俺がノーベル賞の審査員なら、『麺で地球を救ったで賞』を絶対に贈呈する」

長谷川の冗談のセンスは、極めて低い。

私なら、「ウルトラマンはカップ麺を食いに地球に来たのに一生食えないで残念でショー」というアイスショーを横浜アリーナで開催する。

ほぼ同レベルのセンス。

 

ちなみに晩メシは、長谷川の豪邸に住み込み中の調理師免許を持った運転手さんが作っていた。長谷川は、奥さんを送り迎えするときしか運転はしないのだ。偉そうだな。元社長。

 

長谷川と七恵は、神妙な顔で手を合わせていた。私は、墓掃除人なので、手は合わせなかった。墓の掃除に専念した。罰当たりで、ごめんなさい。

 

話は急にM78星雲まで飛んで、七恵ほど私を雑に扱う女はいないということをアピールしたい。

この29歳で171センチの大型お転婆娘は、私のことを「マッチん」とか「ヒョロヒョロ」などと呼ぶのだ。

そのほかにも「その年で、こんなに貫禄のない男の人って珍しいよね」と言って褒めたりもする。

「身長180センチなかったら、ただのみすぼらしい男だもんね、ヒョロヒョロさんは」

ラーメンを一緒に食いに言って、私が餃子とラーメンとライスを食って大食いをアピールすると、「勿体ないなー、そんなに食べたって肉にはならないんだから無駄だよ」と一刀両断するのだ。

そして、私が油断をしているとボディにパンチが飛んでくるという悲劇もある。

 

俺をソンケーしろ! とにかくソンケーしろ!

 

そのお転婆娘が、長谷川邦子の墓の前で、私たちに言った。

「長谷川のおじさん、マッチん、絶対に死なないでね」珍しくメソメソしていた。

「私、義母さんを知っている人が、いなくなるのにはゼッタイに耐えられないから」長谷川と私の顔を交互に見た。目に水滴が盛り上がっていた。

苦手な展開になってきたので、私は「きれいごとのシンちゃん」に、この場を収束させようと考えた。こんなときこそ、長谷川の出番だ。

長谷川を見た。しかし、長谷川の野郎もメソメソしていやがった。この役立たず。強風にカツラだけ吹き飛ばされちまえ!

 

仕方ないので、私は七恵の両肩を掴んだ。そして、気の利いたことを言おうと思った。

そのとき、若い子の肩を掴むのは、何年ぶりだろう、などと思っていたら、頭にセクハラという言葉が浮かんだ。これって、セクハラ? 俺、やばいんじゃない。危険を感じた私は、咄嗟に両手を離した。

すると、今度は、七恵が私に抱きついてきたではないか。逆セクハラ? 墓場で、逆セクハラ。

いい匂いがした。とても気持ちがよかった。全身で満足した。若い人のエキスをいただいただいた。

いい墓参りだった。

 

土曜日、七恵は仙台に帰った。

長谷川と2人、見送りに行った。

新幹線の中で食うからと弁当を要求された。それは、いつものことなので、七恵の好きな「マッチん手作り鶏そぼろ弁当」を持たせた。

だが、手渡したすぐ後に、ボディにパンチが飛んできた。なんでー?

「どさくさに紛れて人を抱きしめやがって!」

え? 何を言う、ダルビッシュ有。田中将大。前田健太。

いいがかり、いきものがかりじゃないか。

 

まあ、拒みもせず、墓場で抱き返して「いい子いい子」と髪を撫でた私も悪いということに・・・しておいた方がいいか。

 

腹をさすりながら、前日のいい匂いと両手の感触を思い出しながら、新幹線に手を振った。

 

 

私は、この変態な夏を 一生忘れないだろう。

 

 

 


「お嬢」と呼ばれて

2019-08-11 06:49:03 | オヤジの日記

社会人2年目の私の娘が、新宿のドン・キホーテで、声をかけられた。

 

「お嬢」

 

この世の中で、私の娘を「お嬢」と呼ぶのは、2人しかいない。長年の友人の尾崎と妻の恵実だ。

振り返ると、2人が後ろに立っていた。尾崎は、薄い青のポロシャツに白いズボン。恵実は、薄紫色のワンピースだった。

「買い物かい」

上司にICレコーダーを2つ買ってきて、と言われて会社から10分くらいの距離にあるドン・キホーテにきたのである。

尾崎夫婦は、キャンプ道具を物色しに来たらしい。外を出歩くのが嫌いだった尾崎が、2年前に突然アウトドアにハマった。まだ小さい3人の子どもたちと触れ合う時間を少しでも多く取りたかったのが、その理由だ。

 

「お嬢、親父に言っといてくれないか。一緒にキャンプに行こうぜって誘っても、親父は、なかなか『うん』って言わねえんだ。遠慮しているんだろう。車も道具も運転手も全部俺が用意するから、お嬢たちは、手ブラでいいんだ。みんなで楽しもうじゃないか。頼んだぜ、ちゃんと伝えてくれよな」

尾崎が、娘の肩を叩いて「じゃあな」と背を向けた。恵実は、ヒラリと身をひるがえしながら、「お嬢、親父さんによろしくね」と手を振った。

 

まさか新宿のドン・キホーテで、娘と尾崎夫婦が出会うとは思わなかった。

しかも困ったことに、そのとき、娘は1人ではなかった。広報課の同僚のフジナミ先輩と一緒だった。

ドン・キホーテのど真ん中で、フジナミ先輩は、ポカンと口を開けて、娘と尾崎の顔を交互に見て会話を聞いていたらしい。

どこから見てもアウトローの尾崎と料亭の女将然とした恵実。その2人が、娘のことを「お嬢」と呼ぶ。

しかも、「親父」というフレーズも。

 

え?  なに! リアル「ごくせん」?

 

そう思ったのだという。

「さっきの人、夏帆ちゃんのお父さんの友だちでしょ。ということは、お父さん、あっちの方の人なの?」

いや、違います。そっちの人です。いや、こっちだったかな。う〜ん、どっちだったかなぁ。

 

「今の人は、都内にいろいろな店を持っている社長さんで、カタギの人です。隣にいたのが奥さんですよ」

「あの奥さんも雰囲気がある人だね。圧倒されたよ。でも本当に普通の人? 普通の人が、友だちの娘を『お嬢』とは呼ばないんじゃない。怪しいな」

フジナミ先輩は、娘と同じで、子どもの頃「ごくせん」に夢中だったという。

まあ、いいんじゃないでしょうか。怪しいのは尾崎で、父親の私はいたって変態のシラガガイコツですから。

 

「夏帆ちゃん、そんな細い体してるけど、本当はケンカ強いんでしょ。10秒間に5人の男を投げ飛ばしたりして」などとフジナミ先輩にからかわれながら、会社への帰途についた。

その間に、うなぎ屋があった。

その店の前で、尾崎夫婦が並んでいた。時計を見ると12時を過ぎていた。尾崎夫婦は、昼メシにうなぎを選んだようだ。店の前には、5、6人の行列ができていて、尾崎は2番目だった。

どうでもいいことだが、この日娘に持たせた弁当の中身もうなぎだった。ただ、それは、うなぎに似せたカマボコだった。ビンボー人には、これが精一杯ですから。

尾崎夫婦は、金持ちなので本物を食う。人の世とは、食い物にも序列ができるものなのだ。私は、食い物に興味がないので、それは素直に受け入れまする。

 

娘が通りかかったとき、ちょっとしたトラブルがあった。

男が割り込んできたのだ。30前後のサラリーマンに見えたという。

「悪い、12時40分までに会社に戻らなくちゃいけないんだ。先に食べさせてくれ」

先頭に並んでいた60くらいの奥さんに、頭を下げていた。こんなとき、私だったら「どうぞどうぞ」だが、奥さんは、抵抗した。

「なんのために並んでると思っているの! 人に譲るためじゃないわよ! あんたの都合なんて、どうでもいいの! 食べたいのなら、並びなさい! 馬鹿たれが!」

相当な迫力があったようだ。

そんなことを言われたら、私だったら逃げ出すが、男は逃げなかった。

「俺には、時間がないんだ」と開き直ったらしい。

なぜ、この店のうなぎにこだわるんだ。日本全国には、グルメバカがたくさんいるが、行列に割って入ってまで己れの食欲を主張するバカは珍しいのではないか。

 

表が騒がしいと思ったのか、店員さんが店から出てきた。

男の顔を見て、「ネモトさん」と言った。常連さんだったようだ。

そんなことは無視して、先頭の奥さんが、顔を真っ赤にして「この人が強引に割り込んできたんですよ! そんなのって、ありますか! 並ぶ意味がないじゃないの!」と極めて正論で抗議した。

店員さんは「とりあえず、席が1つ空きましたから、まずお客様から」と奥さんを案内した。

男は、時計を見て「時間、ねえな」と呟いた。なんで、時間がないのに、手間のかかるうなぎを食おうとするのだ。私なら、コンビニエンスストアで、オニギリ2個買って歩きながら食いますけどね。あるいは、昼メシはいさぎよく抜く。

うなぎを食わないと禁断症状が出るのだろうか。体が震えたり、手が震えたり、思わず「スリラー」のゾンビダンスを踊ってしまうとか。

そういう人は、病院に行くべきだと私は思いますよ。

 

店員さんがまた出てきた。「ネモトさん、申し訳ないですが、並んでください。割り込みはダメです」。

そのとき、それまで黙っていた尾崎が男に声をかけた。

「俺たちは、たまたま並んでいただけで、うなぎじゃなくてもいいんだ。だから順番を譲ってもいい。だが、これは俺の一存では、どうにもならない。後ろに並んでいらっしゃる3人の方の了承が必要だ。あんた、頭を下げられるかい」

割り込みは良くない。そんなのは常識だ。良識のある人は、そんなことはしない。それを許してはいけない。それを許したら、行列は成り立たない。

しかし、男にも事情がある。たとえ、つまらない事情だとしても、誠意が伝われば目をつぶってもいい、と尾崎は思ったのだろう。尾崎は、男にチャンスを与えたのだ。

尾崎の迫力に負けた男は、待っている人、ひとりひとりに頭を下げた。尾崎夫婦も後ろの人たちに頭を下げた。

うなぎ好きには、優しい人が多いのか、皆さん頷いてくれたという。

決して、褒められた結末ではないが、男は念願のうなぎ男になった。

それと同時に、尾崎夫婦は順番を外れた。

 

そのとき、その光景を見ていた娘の姿を尾崎が認めて、声をかけた。遠藤憲一氏ばりの怖い笑顔だった。

「なんだ、お嬢、見ていたのかい」

列に並んでいた全員が「お嬢」に反応して、娘の顔を見た。

見るからに怖そうな男が「お嬢」と呼ぶ娘。

店に入るところだったうなぎ男も、首を回して娘をマジマジと見た。

 

なにもの?

 

 

それ以来、娘は課内で「ヤンクミ」と呼ばれることになった。

 


野球は しらん

2019-08-04 06:03:00 | オヤジの日記

全米が泣いた。

全蝉が鳴いた。

ミーンミンミンミン  ジジー  ミーンミンミンミン  ジジー

あー、うるさい! まだ、ジジイじゃないわい!

 

滅多に仕事をくれないが、年に1回程度思い出したように、私に仕事を出す会社がある。場所は東京池袋の隅っこ。大型看板や広告を扱う総勢4名の地味な会社だ。

社長夫婦と従業員夫婦の4名。大変仲がいい。

今回、私に回ってきた仕事は、大型看板に使う3Dパースの修正の仕事だ。リアルに出来上がったパースに、足りないものを付け足す仕事。樹木を足したり、人物、車などを切り取って足すのである。

タスタスおじさんと呼んでくだされ。

 

タスタスおじさんが、仕事の打ち合わせをしているとき、蝉がうるさかった。窓外に太い幹の樹木が2本あった。そこにひっついている蝉が全力で鳴くのだ。

ミーンミンミンミン  ジジー

君たち、人間をもっと尊敬したまえ。

 

社長に言われた。

「この時期、Mさんを呼ぶのは、失敗でしたね」

この会社の社長夫婦、従業員夫婦は、熱狂的なヤクルトスワローズファンだった。年間30回以上神宮球場に足を運ぶ、私から見たら野球バカにしか見えないクレージーケンバンドだ。

 

それに対して、私は野球に興味がない。それは、ジャイアンツのせいだ。

私も小学5年生あたりまでは、野球が好きだった。毎日、学校帰りに目黒不動尊近くの野原で草野球をした。

ピッチャーで1番。1番は、たくさん打席が回ってくる。だから、オレ、1番じゃないとやだもんねと主張したら、1番にしてくれた。ピッチャーは、当時やるやつがいなかった。なぜかわからないが、ほとんどのやつがサードかファーストを希望したから、無競争だった。

 

ただ、私は、ALFEE突然、まわりのやつらのバカさ加減に気づいたのだ。

全員が、ジャイアンツファン。しかもジャイアンツの選手のことしか知らない。ルールもよく知らない。

当時、野球中継といえば、ジャイアンツ戦が中心だった。連日、ジャイアンツを中心にした野球中継をテレビでは流していた。

要するに、洗脳ですよ。

毎日、ジャイアンツ中心の野球中継を流すことによって、免疫力のない少年たちを洗脳していたのだ。

クラスのほとんどが、ジャイアンツファンだった。それが居心地が悪かった。

毎日試合を見ているのに、そのくせ彼らは対戦相手のことには全く興味がないのだ。ジャイアンツの選手のことしか知らない。そのいびつな状態が、私を居心地悪くさせた。

彼らは、ジャイアンツが勝てばいいのだ。試合を楽しむより、ジャイアンツの勝利が優先事項なのである。

それに気づいたとき、熱が冷めた。スポーツは、そんなもんじゃないよね。共存共栄だよね。ジャイアンツが中心の世界って、ただの宗教じゃん。あるいは、中華思想。

くそガキだった小学5年の私は、そこで冷めてしまったのである。

 

今も私のまわりにアホなジャイアンツファンが何人かいた。

埼玉の同業者「ハゲ増し軍団」は、熱狂的なジャイアンツファンだ。「応援歴50年以上の筋金入りのジャイアンツファンですよ」と胸を張る。

だが、よく聞いてみると、やはり子供のころから、テレビの野球中継はジャイアンツが中心。それに影響されてファンになった。そして、他のチームの選手のことを驚くほど知らない。

たとえば、メジャーリーグから帰ってきた広島カープの黒田博樹投手のことを知らなかった。メジャーリーグから帰ってきたヤクルトスワローズの青木宣親選手のことも知らなかった。

君たち、ジャイアンツの選手が、そんなに偉いのかい。黒田博樹投手や青木宣親選手よりも順位は上なのか。

唯我独尊のジャイアンツファン(もちろんそれが一部の人だということは知ってます)。

 

ヤクルトスワローズファンの得意先の人たちは、その点、野球偏差値が高い。パシフィックリーグの選手たちのこともご存知なのだ。私は名前を知らないが、「ソフトバンクホークスの誰それはすごいよね。西武ライオンズの誰それはメジャー級だよね」などという意見をヤクルトスワローズ礼賛の話の中で、散りばめるのである。

ヤクルトを毎日飲んで元気をつけ、でっかいヤクルトスワローズのポスターを壁に貼って、元気をいただきながら毎日仕事をする4人。

ヤクルト愛に満ちていますねえ。

私が、ところでヤクルトスワローズは今調子がいいんですか、と聞くと、社長は「絶不調です」と明るく答えた。

そして、「調子の波がハゲしいのが、スワローズですから」とハゲた頭を愛おしそうに撫でた。

勝ち負けに一喜一憂せず、温かい目で見守るのもヤクルト愛ですかね。

 

話変わって、高校野球でございます。

私は高校野球にも興味がないのです。

大手新聞社と国営放送が、やたら押しまくる春や夏の行事が苦手なのでございます。

あからさまに高校生を利用して金儲けをしているのに、「汗と涙」などと言って、綺麗事で誤魔化しているところが気にくわない。

むかし、気に食わないなら見るなよ、と盲目的な高校野球ファンから、罵られたことがあった。

なにを言っているの? 俺は、最初から見ないと言っているの聞いてなかったの? 話にならん。

 

池袋の得意先では、仕事場の真ん中に40インチの液晶テレビを置いて、季節になると、高校野球を毎日垂れ流しているのです。

ナンタラ高校とホンワカ高校が強豪校と言ったって、私にはわかりません。そもそも国営放送が、地上波で朝から晩まで特定のスポーツを中継する意味が、私にはわかりません。国営放送は、国民を洗脳するのが仕事だとおごり高ぶっているのか。

 

そんな私に、社長が身を乗り出して聞いてきた。

「Mさんは、どう思いますか、大船渡の決勝問題」

その話題は、いくら高校野球に疎い私でも知っていた。Yahooトップニュースの見出ししか知らないのだが、将来有望なエースピッチャーが、地方予選の決勝で投げなかったため、甲子園切符が取れなかったというやつだろう。

投げたくなかったのか投げられなかったのか投げさせなかったのかは、記事を読んでいないので、よく知らない。

しかし、いずれにしても、監督が決めて選手が決めたものを外野がとやかく言うのは、お門違いだ。高校野球の主体は、監督と選手ではないのですか。彼らの決定を尊重しましょうよ。

私などは、外野席にも席がないど素人だから、発言権はない。発言しちゃったけどどどどど。

 

ところで、今はまだ液晶テレビが、ど真ん中に置かれていないから、甲子園は始まっていないと見た。

しかし、次に来たときは、始まっているのだろうな。

一日中付けっ放しのテレビから聞こえるのは、全蝉が鳴いた級の騒音。それを私は、「国営放送の暴力」と呼んでいた。

そんなものを放映して欲しくて、私は、受信料を払っているわけではない。明らかに暴力でしょうが。その暴力を受けないためには、見ない、というのが賢い選択だ。だから、私は見ない。

 

そんな私に、得意先の社長が、甲子園教の教祖の顔で言うのだ。社長、昼メシ、たこ焼き食いました? 歯に青のりがついてますけど。

 

「Mさん、日本人なら、いい加減慣れましょうよ。甲子園は、日本の伝統行事なんですから」

 

 

そんなこと言われたら、セミオトコの俺は、何も言えねえ!

 

 

ミーンミンミンミン  クソジジー!!!