リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

「先輩」と呼びたくなくて

2020-08-16 05:29:00 | オヤジの日記

8月12日夜、テクニカルイラストの達人・アホのイナバ君からLINEが来た。
「Mさん、今日が『ペルシャ症候群』のピークらしいですよ。見ましょうよ」
「ペルセウス座流星群」だけどね。

夜12時過ぎに見えるというので、天体望遠鏡をスタンバイして、ベランダで待った。雲が多かったが、雲が途切れることもあった。
しかし、観ていた方角が悪かったのか、1個しか観測できなかった。それ対して、イナバ君は6個。やはり、アホは「持っている男」だった。
ところで、なぜ私のようなビンボー人が、天体望遠鏡を持っていたのか。それは、もらいものだからだ。
京橋のウチダ氏に、誕生日プレゼントとしていただいたのだ。

京橋のウチダ氏は、5歳下の友人だ。付き合いは20年以上になる。
ウチダ氏が、新橋のイベント会社に勤めていたとき、2ヶ月に一回程度仕事をいただいていた。その窓口が、ウチダ氏だった。
ここの仕事は楽だった。社内のデザイナーがあらかじめヘッドデザインを考えたあとだったから、私の仕事は仕上げをすることだけだ。
社内のパソコンを使って、いつも3時間程度で仕上げた。
仕事が終わると、ウチダ氏が「僕も終わりなんで、一緒に帰りましょう」と誘われることがあった。
行くのは、新橋の立ち飲み屋。
350円で、ビール1缶と缶詰1個とイカの燻製などの乾きものが飲み食いできたのだ。
ウチダ氏と私は、好みが似ていて、缶詰はイカの醤油煮、乾きものはピーナツだった。
ある日、立ち飲み屋でウチダ氏から、衝撃の発言が飛び出した。
「うちの会社、倒産するんですよ」
しょうが焼き、いや、ショウゲキ!
いつなの?
「あと2ヶ月ですかね」と言いながら、ウチダ氏は諦めたように、浅く笑った。

その後、どうなったかは気になったが、詳しく聞くのは気が引けた。聞けないまま4ヶ月が過ぎた。
せいぜい2年くらいの付き合いだから、このまま自然消滅もあり得るかな、と思っていた。
そう思っていたとき、木枯らし一号が吹いたその日の夜、ウチダ氏から電話があった。
「Mさん、ご無沙汰しています」という固い挨拶から話は始まった。
ウチダ氏の話はいつも長いので、これから先は私が要約することにした。

ウチダ氏の奥さんは、株をやっていた。もともと証券会社に勤めていたから、知識の蓄積はあった。
会社を辞めてから、10年で、それなりに利益を上げることができた。
それを原資にして、ウチダ氏は、独立したという。
事務所は都内有数の高級ビジネス街、東京京橋だ。広さは、約21平米。家賃を聞くと「ご想像にお任せします」というつまらない答えが返ってきた。
京橋に土地勘のある私の推測では、24万円と見た。
大丈夫なの? 
「大丈夫です」とウチダ氏は、自信満々に答えた。
倒産した会社には義理がないから、今までの取引先に片っ端から電話して、4つの仕事をゲットしたという。新規開拓も1つ。
「ゼロからのスタートとしては上出来ではないでしょうか」
奥さんの期待を裏切らないでね、などと無神経なことを言うつもりはない。
それも含めての覚悟の船出だ。

ウチダ氏の事業は、その後、順調に流れ、京橋に居座った。
しかし、私にとって、困ったことができた。
ウチダ氏の話し相手を務めることになったのだ。
2週間に1回、京橋に呼ばれて、ウチダ氏の話を聞く。長いときは5時間は拘束される。取り止めのない話を延々と聞かされる。
ウチダ氏はワンカップの日本酒。私は冷蔵庫からクリアアサヒの500缶を盗み、カマンベールチーズをつまみ、時に2万円はするというキャビアの缶詰を大胆にスプーンですくって食うのだ。
キャビアって、じょっぺえな。こんなの世界の珍味と言われない限り、誰も食わんだろう。

ただ、いいこともあった。
私は、ウチダ氏の愛人でもないのに、事務所の合鍵を預かっているのだ。
それを使って私は、ウチダ氏の事務所に潜り込み、冷蔵庫からクリアアサヒを盗み、カマンベールチーズ、モッツァレラチーズ、高級キャビアを盗み食いした。
そして、ソファに寝っ転がって、36インチのテレビで、ブルーレイの映画を見たりした。
最高の息抜きだ。
平和な日々だった。
しかし、その平和な日々は、新型コロナのせいで、分断された。
自粛生活。ステイホーム。緊急事態宣言。
ウチダ氏も3ヶ月間の休業を余儀なくされた。3ヶ月間、無収入。「もちろん、補償は受けましたけど、全然足りないんですよね」
ただ、ウチダ氏は恵まれている方だ。日本の株は、コロナ禍でも堅調だった。
奥さんの持ち株は、ほぼ高値を維持していた。それに奥さんは、投資の勘が鋭いのか、10年以上前に、金を購入していた。
いま金は、有事ということもあって、高騰し続けていた。「だから、気持ち的には、僕たち家族は悠然としていられるんです」。
コロナで瀕死状態の経営者が聞いたら、殴りたくなるだろうが、これは奥さんの努力の結果だし、適正なバランスなのだから仕方がない。

「いま7月あたりからポツポツと仕事は入ってきています。全盛期の半分以下ですけど、コロナが終息していないのに、いきなり元に戻ることはあり得ないでしょう。昔には戻れない。その覚悟で、減った仕事の穴を埋める新しい事業を模索しているんです。これって、経営者の醍醐味ですよね。だから、いま僕はワクワクしているところなんです」
真面目だね、ウチダさん。野心家だね、ウチダさん。ものすごーーーい遠くの影から、応援してますよ。

こんな風に男前のウチダ氏だが、私は一つのわだかまりをウチダ氏に持っていた。
7年前のことだ。
当時、1ヶ月に2回、ウチダ氏に呼ばれて、延々と話を聞くことに疲れた私の脳に、ピカチュウ、と閃いたことがあった。
それは、新宿でいかがわしいコンサルト会社を営むオオクボのでかい顔だった。
話を聞くだけなら、オオクボの方が、この役目に相応わしいのではないか。オオクボに打診すると「いいぜ」と言ってくれたので、ウチダ氏をオオクボに丸投げした。肩が軽くなったたた。
オオクボに相談するとなると、完全にビジネスになる。ウチダ氏にとっても、その方が相談しやすいのではないか。
ウチダ氏とオオクボは、すぐに打ち解けた。打ち解けたのには、理由があった。

丸投げから1年後に、オオクボからLINEが来た。「いまウチダさんが事務所に来ているんだ。昼メシ一緒に食わねえか。もちろん俺の奢りだ」
おまえの奢りは当たり前だ。
事務所に行くと、ウチダ氏が爽やかな顔で応接セットに座っていた。久しぶりではないので、おひさしブリーフ、とは言わなかった。
「弁当屋に、弁当を頼んだ。俺とウチダさんは、ステーキ弁当。おまえには、アジフライ弁当と揚げ出し豆腐を頼んだ。これでよかったか」
オオクボ、ナイスチョイス。俺はアジフライが32番目に好きなんだ。揚げ出し豆腐は、106番目だ。おまえとしては上出来だ。
語り合っているうちに、弁当が到着した。「冷蔵庫に一番搾りが入っている。好きなだけ、飲んでくれ」
自分では、そう言っておきながら、オオクボもウチダ氏も飲まなかった。仕事があるかららしい。俺だって、仕事の途中だぜ。でも、飲むもんね。
食いながら話しているうちに、ウチダ氏が、引っかかることを言った。
オオクボのことを「先輩」と呼んだのだ。

はい? はい? はい?

ウチダさん、いまオオクボのことを「先輩」と呼んだよね。
「知らなかったのか。ウチダさんは、俺たちの後輩なんだ。5学年下だから全く接点はなかったが、OBなんだよ」
知らなかった。聞かされなかった。気づかなかった。
でも、どーしてーーーーーー。
首をかしげながら、一番搾りを飲み、どさくさに紛れて、オオクボのステーキを1枚盗んだ。
「Mさんを『先輩』と呼ぶのには、抵抗があったんです。だから、教えなかったんです」
まあ、納得だけど。
オオクボは、顔も態度もでかい。声もでかい。外車に乗っている。足が短い。
「先輩」と呼ばれるのに、相応わしいかもしれない。

でもね、ウチダさん。俺は、別に先輩と呼ばれたいわけじゃないんだ。
ただ、同じ大学だということは、教えてほしかった。
そうすれば、共有できるものが増えたのではないか。

いや、本当ですって。
俺は、先輩と呼ばれたかったことは一度もないんですって。
むしろ、先輩と呼ばないで、というのが俺のポリシーだ。

だから、本当ですって。
先輩と呼んで、などと一度も思ったことはないんですよ。


じゃあ、どうでもいいじゃないか、という話だ。
まあ・・・・・そうなんですけどね。
 



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