リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

感謝感謝と大黒柱

2019-12-08 05:40:00 | オヤジの日記

一説によると、犬も猫も感謝の心を持っていると言う。

しかし、感謝の心の総量が多いのは、やはり人間だろう。

 

感謝。

犬猫以下の私にも感謝の心は、人並み以下にある。

世田谷の伯父が、まず最大の感謝の対象だ。

祖母、父母は、昭和27年に島根県出雲から東京にやってきた。そのとき、我が一家は、すでに成功して世田谷区下馬に150坪の家を持つ伯父の家に居候したのだ。

150坪の土地に、6DKの平家と12畳ほどの離れを建てて暮らしていた伯父家族。その離れに我が一家は移り住んだ。離れには台所がなかったので、伯父はわざわざ台所を作ってくれた。風呂は母屋の風呂を借りたという。

そこに、祖母、父母は3年余り暮らした。ただ、父は途中から家を出て、新橋のアパートに移り住んだが。一流会社に勤めながら、稼ぎを全く家に入れなかった男。一家が東京に出てきたのは、「俺は東京で小説家になる。小説家は人の道を外れてもいいんだ」という、この男の身勝手な考え方からだった。

「申し訳ないです」この男の兄である伯父は、祖母と母に、いつも謝っていたという。

 

東京に来て3年が経ったころ、母のお腹の中に命が宿った。

居候のままではいけないと思った祖母は、島根県で師範学校の教師をしていたときの教え子が、東京で土建屋さんをしているのを思い出して、彼に頭を下げた。

「東京に良い物件を知りませんか」

教え子はすぐに中目黒の一軒家を探し出してくれた。いま中目黒は一坪百万円以上する高級住宅地だが、その当時は祖母の貯金で買える程度の田舎だった。

母は、その新しい家で子どもを産んだ。私の姉だ。そのとき、助産婦さんを紹介してくれたのが下馬の伯父だった。その後も伯父は、祖母と母の面倒をよく見てくれた。

「弟のこと、申し訳ないです」と言いながら。

 

その後に私が生まれると、伯父はさらに頻繁に中目黒の家に来て、何かと気遣ってくれた。正月前などは、アメ横で新巻鮭や筋子、餅、蟹などを買って、我が家に直接届けてくれた。

お年玉もくれた。

他に、私一人、遊園地や動物園、潮干狩り、東京タワーなどにも連れて行ってくれた。幼かったから、あまり覚えていないが。

ただ、伯父が懸命に父親の代わりをしてくれているということは、幼心にもわかった。

小学校に上がる前、私は教育者だった祖母から言われた。

「あなたはバカだから、先生の言うことをよく聞いて学びなさい。聞いていれば、あなたは絶対にわかるようになります」

バカだった私は、授業を真面目に聞いて、わかるようになった。

伯父が言った。

「サトル、キミが家族を守るんだ。ボクが見る限り、キミはそれができる子だ。キミのお祖母さんが言っていたぞ。『あの子は、とても自立心が強い子だ。あの子の将来は明るいですよ』ってな。キミが家族を支えてくれ」

何を言っているか、さーーーぱりわからなかったが、私は賢いふりをして頷いた。

それから先も、伯父は私を可愛がってくれた。

普通は、運動会や学芸会、参観日などは親が来るものだが、役立たずの男のせいで、月曜から土曜までフルタイムで働いていた病弱な母は、日曜日には疲れ切って学校行事に来る体力までは残っていなかった。一日中眠っていた。

祖母は、土日はボランティアで孤児院で勉強を教えていたので、来られなかった。

毎回ではないが、運動会と参観日には、伯父と伯母が当時としては珍しい外車フォードで来て応援してくれた。しかも運転手付き。

どんだけ儲かっていたんだい。

 

そんな伯父だったが、私が小学6年のとき、突然脳溢血で死んだ。

人間って、こんなに簡単に死ぬんだ。

先週まで、とても元気で、「サトル、今度後楽園に野球を見に行こうな」と言っていたのに。

伯父さん、俺、ジャイアンツ嫌いなんだよね。

「ああ、それじゃあ、神宮球場だな」

そんな会話を交わしたばかりだったのに。

 

父親代わり、というより私は本当に父親だと思っていた。

「なあ、サトル、父親を恨むなよ。あいつは、きっと病気なんだ。仕事はできて他のことにも才能はあるが、家庭を持っちゃいけないやつだったんだよ。キミにはわからないかもしれないが、世の中には、いるんだよ。そういうやつが」

「発達障害」という症状が、明らかではない時代だった。

「だから、ボクがあいつの代わりになる。不服かもしれないが、我慢してくれ」

 

不服なんかない。

私は、伯父から、たくさんの父性を貰った。

伯父が「私の父」である時間は短かったが、父親の愛情は、私の毛細血管の隅々にまで行き届いていた。

そして、伯父の安らかな寝顔は、今も私の網膜に焼き付いていた。

 

伯父に感謝。

本当に感謝しかない。

 

伯父が死んで今年50年になる。

12月4日。世田谷区下馬のでっかい家で法要があった。

法要が終わると、伯母が私を伯父の生前の仕事場だった部屋に招き入れた。

漫画家だった伯父の仕事場は、当時のままだった。

むかし、伯父が言った。

「ここは、家族にもなるべく見せないようにしているんだ。ボクにとって、ここは戦場だからね。戦場を家族に見せる武将はいないよね。でも、キミには一度だけ見せてあげる。男の戦場をね」

それは、とても綺麗に整頓された戦場だった。幼いなりに、「男の覚悟」が籠った場所だと感じた。身が引き締まった。

さらに、伯父が言う。

「ボクは、どんなに具合が悪くても、家族の前では顔に出さないんだよ。態度にも出さない。だって、ボクは大黒柱だから、家族を心配させてはいけないんだ」

大黒柱という概念は、令和の時代には、もうないのかもしれない。時代は、移り変わる。そんなアナクロニズムな言葉は、消えたっていい。

 

だが、私の脳細胞には、その言葉が強く残っていた。

私もいま何があっても家族にも他人にも弱みを見せない生き方をしていた。

それはきっと伯父の生き様を真似たからだ。

 

大黒柱。

 

大黒柱であるがゆえに、具合が悪いことを隠して伯父は若くして死んだ。

簡単に死んだ。

 

伯父さん、いや、親父さん、あなたは本当に格好のいい人でした。

でも、私は、あなたのように格好よく死ねません。

家族の姿をもっと見ていたいです。守りたいです。

まだ俺は死ねない。

 

 

あなたへの感謝は永遠ですけど、私は、あなたのようには死ねない。

 

 

 

感謝、といえば、このブログを読んでくださる方にも、私は感謝の思いを持っている。

こんなダラダラと長いだけの「役立たずのブログ」を読んでくださる方が、少なからずいる。それは、私に勇気を与えてくれる。

さらに、もっと頻繁に更新して、というリクエストをくださる方もいる。

ありがたいことだ。

ただ、世の中には、フリーランスは時間が自由だよね、という誤った観念を持った人が多い。でも、皆さんは「お客様は我が儘である」という当然の摂理を知らない。

その我が儘なお客様を一人でマネージメントするには、おのれの時間を犠牲にしなければいけないのだ。さらに、私はバカなフリーランスなので、時間の使い方を知らない。そのため「役立たずのブログ」を増やすことができない。

日曜日の朝、4時半から5時半が、私のブログタイムだ。ここしか時間がとれない。

意外にも反響が多いことに感謝をしつつ、これからも頑固に週1回のブログライフを続けていきたいと思う。

 

 

感謝です。

 

  

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ドラマチックな日

2019-12-01 06:08:04 | オヤジの日記

先週の日曜日の朝6時ごろ、友人の極道コピーライター・ススキダからLINEが来た。

 

「いま入院している。風邪をこじらせて肺炎手前になった」

先週の木曜日に高熱が出て、医者に行かずに我慢していたが、土曜日の夜に咳が止まらなくなって、タクシーに乗って救急病院に行ったという。

すぐ検査を受けて、「入院ですね」と言われた。医師から、このままでは肺炎になる。家には帰しませんよ、と強い口調で言われたのだ。

顔が怖いくせに、メンタルが弱いススキダは震えながら「は、は、はい」と答えた。

それで、入院。

タイミングが悪いことに、ススキダの奥さんは、先週の水曜から一週間の予定でシンガポールに行っていた。

ススキダの奥さんは、15歳まで香港で育った。ご両親は中国人だ。つまり、奥さんも中国人。

そして、ススキダの奥さんのご両親は、2年前にシンガポールに移住した。昨今の香港の情勢を予見していたのかもしれない。

ススキダの奥さんは、ご両親がシンガポールに移住してから、一度も会っていなかったので、今回会いに行った。

だから、奥さんはいない。頼ることができない。

ちなみに、奥さんは元ナースだ。奥さんがそばにいたら、風邪をこじらせることはなかったかもしれない。運の悪いこじらせ極道。

さらに、ススキダの奥さんの15歳からの人生は、波瀾万丈で連続テレビ小説が書けるほどだが、ここでは割愛(主演は吉岡里帆さんか)。

ススキダには、一人娘がいた。しかし、カナダ人と結婚してカナダのバンクーバーにいた。頼れない。

他に、ススキダには、横浜近辺にコピーライターの知り合いが2人いた。

しかし、つくづくススキダは、持っていない男だ。その2人は、取材で長崎、広島に行っていた。すぐに帰ることができない。頼る人がいない。

友だちの少ないススキダが頼れるのは、「アイツ」しかいない。つまり、「仏のマツ」と呼ばれる私だ。

 

「悪いが、パジャマと下着を買って、病院に来てくれないか。まさか入院とは思わなかったので、財布とスマホ以外持ってこなかったんだ」

断る! と言いたかったが、仏はそんなことはしない。

行ってやることに、やぶさかでない、と答えた。

しかし、パジャマと下着かよ、まるで愛人みたいだな。

入院先は、川崎市元住吉だという。病院の名を聞いたら、むかし母がカテーテル手術を受けた病院だった。それなら、土地勘はある。

元住吉の商店街が10時に開くことを考えて、逆算して準備することにした。

中央線で国立から吉祥寺までは20分、井の頭線で吉祥寺から渋谷までは急行で20分弱、東急東横線で渋谷から元住吉は25分前後。乗り換えと歩きの時間を入れて、1時間半と見た。

ススキダは、「タクシーで来い! 金は払う」と言ったが、仏の辞書にタクシーなんてねえんだよ、ベッドで死んでろ。

 

家族の朝メシを速攻で作った。

食パンで作る肉まん。鶏団子とチンゲンサイ、春雨の中華スープを付けた。肉まんは食う前に30秒チンをする。温かくて美味いですよ。

8時半に家を出た。外は雨。面倒くさいな。タイミングの悪い野郎だ。顔と性格をこじらせた上に風邪までこじらせるなんて、忙しいやつだ。

奇跡的に、どの路線でも吸われた座れた。それぞれ短い時間の睡眠を取った。睡眠は大事だ。スイミングも大事だが。

元住吉の洋品店で、吐き気を覚えながら、男もののパジャマ2着とシャツ、パンツ3枚ずつを買った。ススキダの体のサイズを想像したときは、気持ち悪すぎて、体が硬直して呼吸困難に陥った。

仏は、汚いものが苦手なのだ。

 

途中、コンビニエンスストアで、ススキダ好物のみたらし団子を買った。

ススキダは笑えることに、みたらし団子命の男なのだ。好きすぎて、横浜で「みたらし団子専門店」を出すほどだ。

2坪くらいの小さな店だ。流行っているかは、興味がないので知らない。

肺炎寸前の男が、みたらし団子を食えるかは疑問だが、お供えとしては最適だろう。

私はクリアアサヒの500缶を2本とワサビ味のポテトチップを買った。

ススキダに飲んでいるところを見せびらかそうと思ったからだ。

病室でビールを飲んではいかぬ、というルールはない(と思う)。

私は、息子と娘が生まれたとき、病室で生まれたばかりの子どもの顔を見ながらビールを飲み弁当を食った前科がある。目から水を流しながら、飲み食った。

看護師さんは、そんな私を見ても白い目にはならなかった。

だから、極道の前で飲んでもノープロブレム。

 

病室に入ったら、ススキダはもう死んでいた。

とりあえず、生き返るまで荷物を置いて院内をぶらつくことにした。

母が手術をしたのは、もう10年前なので、院内の様子は変わっていた。

だが、病院というのは、基本的に同じ作りになっている。待合室があって、診察室、病室、そこそこ洒落たレストラン、コンビニエンスストア、ナースステーション、患者さんと医師、看護師さんがいて、大抵は各階に憩いの場がある。

その憩いの場で、私は腰を落ち着けた。ただ、腰を落ち着けても私にはすることがない。私には外でスマートフォンやタブレット、ノートパソコンを使う習慣がない。スマートフォンとタブレットは持ってきたが、それで何をするっていうの?

だって、アプリがほとんど入ってないんだもの。人間だもの。Google、乗換ナビ、LINEしか入っていないのに、どう時間をつぶせばいいのか。

柴咲コウ様とガッキー、我が娘、ブス猫の画像は、たくさん入っていたが、病院で画像を見てニヤけるのは犯罪だろう。

この日は、急いでいたので文庫本も持ってこなかった。ヒマですよ。

眠るしか選択肢がない。眠っちまおう。そう思って、目をつぶったとき、けつに入れたアイフォンが震えた。ディスプレイを見たら、ススキダだった。

「本当に来てくれたんだな。ありがとう。いま目が覚めた」

 

おまえが、人に感謝の言葉を言うのか。腐った団子を食い過ぎたんじゃないか。

あれ? 電話が切れたぞ。図星だったのか。

病室に行くと相変わらず点滴を汚い腕に突き刺されたススキダが、ベッドの背を起こして私の方を見た。

偉そうだな、おまえ、その顔で個室かよ。

「いや、個室しか空いていなかったんだ。他の部屋が空いていたら、すぐそっちに移る」

移るな、その顔が入ってきたら、入院患者さんの容体が悪化する。ずっと個室にいろ。そして、死ね。

そんなことを言ったら、普段の心の狭いススキダだったら怒ったはずだが、今回は怒らなかった。

おまえ、賞味期限が38年過ぎた、みたらし団子を食ったのか?

そんな私のお茶目な励ましを無視して、ススキダが頭を下げた。

「悪かったな。忙しいなか来てくれて、おまえの顔を見て安心したよ。本当に安心した。もう俺は大丈夫だ。仕事に戻ってくれ。この借りは、すぐに返す」

「本当に、ありがとう」

また、頭を下げられた。

 

なんか、違和感。

 

帰り道、ススキダにお供えする、みたらし団子を置いて来るのを忘れたことに気づいた。

病室で飲もうと思ったクリアアサヒもそのままだ。

脱力した。

こんなはずじゃなかったのに。

物足りない。全然ドラマチックじゃなかった。

つまんねえぞ、ススキダ。

 

 

だが、家に帰ると、ドラマチックなことが待っていた。

誕生日の1日前だったが、家族が誕生日を祝ってくれたのだ。

みんなが私の好きな牡蠣の料理で祝ってくれた。

そして、プレゼントは、なんと新しいMacBook Airだった。

 

娘曰く「もう10年くらい使っていただろ、新しくした方がいいと思って」。

息子曰く「我慢して使っているような気がしたんだよね。新しい方が能率が上がるよね」。

ブス猫曰く「オワンオワンオワンオワンダニャー」。

私はメインとして、デスクトップのMacを使っていた。それは、そこそこ新しい。ノートパソコンは、おまけだと思って古いものを使っていたのだが、それを子どもたちは「我慢している」と思ったようなのだ。

なんて、いい子たちなんだろう。

いや・・・・・待てよ。それには、テキトーなことをしていないで、もっと働けよ、という隠れた意味があったのかもしれない。

 

だが、いずれにしても嬉しい。

 

 

風呂場で泣いた。

オワンオワン。

 

 

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ともだち

2019-11-24 06:20:00 | オヤジの日記

偏屈な性格をしているせいか、友だちが少ない。

 

ただ、少ない割にキャラの濃い奴が多いのは、美味しいというか、ご馳走様と言うべきか。

 

怖い顔のワンツーは、長年の友人の尾崎と極道顔コピーライターのススキダだ。

怖い。本当に怖い。

尾崎と中野の街を歩くと、チンピラさえも避けて足早に通り過ぎるのである。

ススキダと横浜の街を歩くと、人はススキダを横目に見て、すぐ目をそらす。

私でさえもススキダの顔は2秒と見ていられない。ブサイクすぎて。

尾崎とは35年以上、ススキダとは25年くらいの付き合いか。

2人の妖怪が死なないかぎり、付き合いはこのまま続くだろう。

 

高校、大学時代の友だちとの付き合いは長い。40年以上が経つ。

ほとんどが陸上部の同期だ。

ハゲとデッパとは、年に数回会う。

ハゲは、このブログで何度か登場したので、今回は割愛。デッパのことは一度も書いたことがない。つまらない男なので、エピソードがないのだ。

「エピソードゼロの男」

真面目で固くて、石橋を叩いても渡らない男。ほーーーんとに、つまんねえやつだ。

だが、安心感はある。デッパが目の前にいると妙に落ち着くのだ。つまらない男だが、そのつまらなさが居心地が良くてたまらない。

ハゲとデッパの共通点は、四方八方十六方三十二方に気が配れるところだ。この能力は、私に欠けているものだ。だから、尊敬する。

 

いま新宿でいかがわしいコンサルタント会社を経営しているオオクボも大学陸上部の同期だ。

ただ、オオクボとは大学時代に因縁があった。

大学2年のとき、オオクボと私は、新入生の教育係を頼まれた。オオクボは長距離の選手だったので、中距離、長距離の担当だ。私は短距離が専門だったので、短距離と幅跳び高飛び、投擲を受け持った。

オオクボは、熱血だった。

「練習は裏切らない。練習を重ねて疲れれば疲れるほど技術が身につくんだよ」というタイプだった。

それに対して私は、怪我をしてしまったら何にもならない。怪我は、アスリートにとって勲章にはならない、というタイプだった。

私たちのグループの練習量はオオクボのグループの3分の1以下だった。とても、ゆるかった。

そんな私を見て、オオクボは私の両肩を掴んで怒鳴った。

「もっと親身になれよ! 手を抜くな、お前だけの練習じゃねえぞ!」

それは、わかる。

でも、人によって練習方法は変えたほうがいい。誰もが体を痛めつけることはない。人にはそれぞれ合った練習方法がある。

30メートルダッシュが10本でいい子と20本必要な子がいる。50メートルダッシュ3本でいい子もいる。

それぞれ違うんだよね、というのが私の考え方だ。

 

教えた結果、夏の大会でオオクボが教えたグループ12人の中で自己記録を更新したものは一人しかいなかった。練習がハードすぎて、本番では疲れ切っていたのだ。

私のグループは7人中私以外の6人が決勝に残った(オレ、カッコ悪くない?)。

そんなことでもオオクボのプライドはズタズタになったようだ。それ以来、オオクボは陸上部の練習に出てこなくなった。

そこから、オオクボとは没交渉になった。

そんな私たちの仲を取り持った男たちがいた。ハゲとデッパだ。

常識に凝り固まった男、ハゲとデッパのおかげでオオクボと私の付き合いは、17年前にまた始まった。

少しも嬉しくはないが、いまは年に10回程度会って、お互いが老けていくのを確認し合う仲だ。

オオクボが言う。

「人は力だけでは動かないんだよな。力を抜くことも大事だ。悔しいけど、おまえに教わったよ」

 

いや、違うんだよな、オオクボ。

俺は、怒鳴ったり頑張れーってのが苦手なんだよ。だって、それって疲れるだろ。

オオクボが、昭和のズッコケをした。

 

大学時代の同級生、ノナカは仙台で塾を2つ経営していた。他に東京でミニパソコン塾を6つ経営していた。

つまり、それなりに成功した男だ。

ノナカは、7年前に胃ガンに罹った。胃の3分の2を切除する大手術だったが、幸いにも生還した。

しかし、その1年後にノナカに悲劇が襲うのだ。奥さんがガンを患って余命宣告を受けた。半年だ。

しかし、奥さんはその後も生き続けて今も存命だ。

余命は、医者が便宜的に決めるものだ。

生きるのは人だ。

人の生命力は、時間では計れない。

「奇跡だよな」ノナカと顔を会わせるたびに、奥さんの近況を聞いて、私たちは感激する。目が潤む。

俺たちは、この奇跡がずっと続いてほしいとこれから先も願っている。

 

大学時代の2年後輩のデブ、芋洗坂係長にしか見えないブタのカネコも友だちの一人だ。

しかし、デブには興味がないので、これ以上は述べない。

面白すぎるテクニカルイラストの達人・イナバ君はネタがありすぎて割愛。

静岡のラーメン大好き、リブロースデブのスガ君も私の倍の体重があって鬱陶しいので、カッツアイ。

人類史上最も馬に激似のお馬さんは、地方競馬で走っているので割愛。

芋洗坂係長にしか見えないカネコの娘、ショウコも友だちと言っていいだろうが、関節技が怖いので割愛。

大学時代の同級生、長谷川も割愛しようかな。ゴメンな。

その長谷川の妹の養女、七恵も端折ってしまおう。ボディへのパンチが怖いが、いま私は腹筋を鍛えているので大丈夫だろう。

 

 

昨日の土曜日、予期しない人が国立にきた。

神奈川県相模原から、ジジイがわざわざ来てくれたのだ。

ジジイに関しては、ジジイとセンセーに書いた。

愛すべきジジイだ。

ジジイが暮らす相模原の老人ホームは、先日の台風での被害は、ごくわずかだったようだ。

でも、大変だったね、ジジイ。

 

駅前のサイゼリアで会った。隣りにはジジイの息子がいた。45から51歳に見える息子は、立ち上がって、私に頭を下げた。

「武蔵野にいたころは親父がお世話になりました」

待ってください。私は、あなたのお父さんのお世話をしたことは1ミクロンもありません。

むしろ私の方がお世話になっています。お父さんのお宅に伺うたびに美味しいコーヒーを淹れてくれましたから。

こういう無味乾燥の会話は、私が一番苦手なものなので、私はすぐに係の人を呼んで、ピザと生ビールを頼んだ。

ジジイと息子さんはドリンクバーだけだった。

ここに来るまでの車の中で、サンドウィッチを食べたという。

セブンイレブンかなローソンかな、ファミリーマートかな。

私はセブンイレブンのレタスサンドが好きだな。一度しか食ったことないけど。だって、高いんだもん。

 

ジジイは元気そうだった。

少し、太ったかもしれない。血色が良かった。

「センセー、毎日が楽しくて仕方ないよ」

今年80になる人生の大先輩に対して、ジジイと呼ぶのは尊敬に欠けるという意見はあるかもしれない。

だけど、尊敬しているから「ジジイ」と呼んでるんだよね。

嫌いな人を「ジジイ」なんて呼ばないもんね。

嫌いな人は「クソジジイ」ですよ。このクソジジイ、クソババアが!

ジジイは気配りの人だ。たった一度しか言ったことのないはずの私のヨメや息子、娘の誕生日を覚えていてくれて、毎年誕生日プレゼントをくれたのだ。

だが、私の誕生日は、意地でも教えなかった。

だって、面倒くさいんだもん。プレゼントのやり取りって、面倒くさくないですかね。俺は面倒くさいですよ。

友だちごっこなんかしたくないもんね。

そんな、ひねくれ者の俺なのさ。

 

しかし、ジジイが突然私の前に、紙袋をおきました。

はあ! なに、これ?

「センセー、誕生日が近かったよな。これ、受け取ってくれよ」

中を開けると、暖かそうな手袋とマフラーが入っていた。

「センセーって、すごい寒がりだったよな」

筋肉質な人は寒さに強いという。筋肉が絶えず燃焼しているからだそうだ。しかし、私は年のわりに年のわりに筋肉質筋肉質なのに、寒がりだ。

筋肉が、腐っているのだ老化ろうか。

手袋はわからないが、マフラーは、ブランドに疎い私でも知っているメーカーのものだった。

もちろん、ありがたく頂戴します。

でも、何で俺の誕生日が近いって知ってたの? 俺、ジジイに一度も言ったことないよね。

そう言うと、ジジイが鋭いことを言った。

「センセーは、2年前に、ヨハネ23世と椎名林檎が誕生日が一緒だって言ったことがあるんだよな。だから、ネットで調べたのさ。それで、わかったんだよ。センセーの誕生日が」

 

あんらまー!

 

そんなところで、わかっちまうのね。

ましゃかね、ましゃかね。

驚きですね。

 

ジジイが言った。

「だって、『ともだち』の誕生日は、知っておかなくちゃダメでしょ」

 

ジジイ、俺を泣かせる気だな。

 

 

そんな話を書いていたら、ススキダから、朝早くLINEが来た。

 

SOSのLINEだ。

この続きは、面白かったら、次回に書こうと思う。

 

 
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おっさんず・イレブン

2019-11-17 05:49:01 | オヤジの日記

東京神田のイベント会社の担当・中村獅童氏似に呼びつけられた。

 

しかし、今回は仕事の話ではないので、会社には行かない。東京駅八重洲の地下街だった。

最初、獅童氏似は「僕が国立駅まで出向きます」と言ったが、神田から国立までは徒歩だったら半日はかかる。それは大変だから、こちらが東京駅まで伺います、と言った。

実は私は「地下街フェチ」だ。地下街大好きオジさんなのだ。

さっぽろ地下街。新宿サブナード。大阪駅前地下街。名古屋栄地下街。博多駅地下街。横浜地下街。川崎アゼリアなどなど地下街に入ったらワクワクする変態だ。

地方に観光に行ったとき、まず観光地よりも地下街を探すという、ど変態な人生を歩んできた。

その私が好きなのは渋谷のシブチカだ。他の地下街と比べたら、呆れるほど小さい。渋谷のスクランブル交差点の地下にあるから、そのミニサイズ感は、想像できると思う。

ただ、ガキの頃から慣れ親しんでいた地下街ということもあって、妙に落ち着く。私が入れるような店は一つもないのだが、歩くだけで脳が、その時代時代を呼び覚ましてくれるのだ。

渋谷は、今とてつもなくでかい規模の再開発が進んでいる。まさかシブチカは無くならないですよね。

渋谷区長、面識はないけどお願いしますよ。シブチカだけは残してください。

 

シブチカの次に慣れ親しんだのが、八重洲地下街だ。なぜかわからないが、高校から大学時代まで、アルバイトは東京駅周辺が多かった。そのためか、八重洲地下街には、とても親しみを感じていた。2時間でも3時間でもブラブラしていられる。私にとって、脳のアルファ波を大量に出してくれる地下街が八重洲だ。

その八重洲地下街の居酒屋で、獅童氏似とランチデートした。

私は牡蠣の盛り合わせと生ビールを頼んだ。獅童氏似は、海鮮丼とチューハイだ。

獅童氏似は仕事を抜け出して、ここにきたから、普通はノンアルコールのはずだが、この日は飲んだ。

「ボク、もう覚悟を決めてますから」鼻息が荒かった。

 

獅童氏似の会社は、12月1日をもって、都市計画会社の傘下に入るらしい。

そのことを知らされたのは、社員一同4週間前のことだった。水面下で吸収が画策されていた。そのことを誰も知らなかった。

企業の駒である社員には、それは知らされないことが普通なのかもしれない。いちいち知らせていたら、会社が混乱する。

それはきっと、企業としては全うな方法なんだろう。

だが、新しい会社に移れるのは、限られた人だけだという。つまり、選別されたのだ。選別されなかった人は、新しい会社には移れない。

その手法に、獅童氏似は憤った。

獅童氏似は、選別対象に入っていた。新しい会社に移ることが決まっていた。だが、40歳以上の人のほとんどが、選別から漏れたのを知って、「そんな不公平な! 選別するのは能力でなくて年齢かよ!」と思ったという。

 

「俺たちが築き上げてきたものは、一体なんだったんだ。俺たちは荷物じゃねえ。選別されたからと言って、喜んでいられるか!」

 

「Mさん、選別されなかった人を中心に11人、俺たち会社に反旗を翻しました。11人で会社を立ち上げようと思っているんですよ。どう思いますか」

どう思いますも何も、もう決めているんですよね。ああ、そうですか、としか俺は言えないんですけど。

立ち上げるのは、同じイベント会社、広告代理店だという。

決めているのなら、俺の意見は無駄ですよね。

「いや、背中を押してくれる人が、俺には必要なんです。修羅場をくぐってきたMさんなら、ふさわしいかなと思って」

俺は、修羅場なんかくぐってませんよ。俺がくぐったことがあるのは、伏見稲荷の鳥居くらいですよ。

「で・・・どう思います?」

君は、いまの私の言葉を聞いていたのかな。伏見稲荷ですよ。

「Mさんが、フリーランスになるときのきっかけってなんですか」

伏見稲荷は、どこ行った。俺のボケを消す気か。

 

俺はね。3つの会社を経験したんだけど、どこでも「異物」だったんですよね。

会社の中では、それなりに評価されていたんだけど、自分の立ち位置は、太陽系の外を回っている放浪惑星だと思っていた。

いつも居心地が悪かった。

40を過ぎたとき、大学時代の友人たちに言われた。

「マツ、おまえ、最近我慢が顔に出てるぞ。俺たちが知っているマツは、いつも泰然自若として、どこ吹く風っていうマイペースの男だった。俺たちが知っている限り、一番我慢が顔に出なかったのがマツだよ。俺たちは、おまえのそんな姿は見たくねえな」

余計なお世話だとは思ったが、合点がいく意見だとも思った。

 

俺、生活のためだけに働いているよな。

俺らしさって何だ。

長年の友人の尾崎に言われた。

「おまえ、何がしたいんだ。生きているだけでいいのか。俺をガッカリさせるなよ」

 

独立した。21年が経つ。

 

最初は思ったほどはうまくいかなかったが、気分は楽だった。

俺は、俺の道を歩いているという感覚は、脳幹の真ん中に少しづつ埋め込まれていった。

 

やるか、やらないか。

やらない方がいい場合もある。

だが、やった方がいい場合の方が多い。

 

だから、獅童氏似さん、やっちまいなよ。

 

「ありがとうございます」と獅童氏似が深く頭をさげた。

生ビール追加、チューハイ追加。

また乾杯をした。

「ところで、Mさんにお願いです。会社を立ち上げたら、また仕事を頼みたいのですけど、よろしいですか」

ようござんす。こちらこそお願いしますよ。

「でも、俺たちの会社は、みんなのわずかな貯金や退職金をかき集めて最初は始めるんです。銀行には頼りません。十分な資金があるとは言えません。お客もすべて新規開拓です」

「だから、都合のいいことを言いますけど、仕事をしていただいたとしても、支払いは4ヶ月程度待っていただくことになります。それって、無理ですよね」

強面の獅童氏似の体が15パーセントしぼんだ。

だが、15パーセントしぼんでも、獅童氏似の姿には迫力があった。何かに賭けている男の決意が体からにじみ出ていた。

 

俺と獅童氏似さんのお付き合いは、もう6年以上ですかね。

「はい、それくらいには、なると思います」

6年って、友だちになるには十分な年月だとは思いませんか。

 

俺は、友だちを応援しますから。そして、信じますから。

 

そう私がいうと、獅童氏似は、勢いよく立ち上がって、75度の角度で頭を下げた。

頭が低いですよ。まわりが驚いているじゃないですか。

 

さらに、獅童氏似は頭を下げたまま言った。

「俺、2人目の子どもができました。来年の4月が予定です」

 

こんなところで、その話をブッこむのか。

 

 

ああ、それは・・・・・おめでとうございます。

 

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カトちゃん

2019-11-10 06:00:00 | オヤジの日記

月曜日、駒沢公園で開催された「東京ラーメンショー」に行ってきた。

 

娘と2人のつもりだったが、なんでだろう、なんでだろう、ななな、なんでだろう。娘の彼氏のアキツ君(仮名)もついてきた。

なぜ仮名かというと、娘から「ブログに書いてもいいが、本当の名を書いたら、親子の縁を切るからな」とスタンガンを突きつけられたからだ。

はい、わかりました!

娘とアキツ君のデートは、パターン化していた。まず、猫大好きアキツ君の要望で、猫カフェに行くのだ。そして、そのあとラーメン大好き小池さんの娘の希望でラーメンを食う。そのあと、色々とさまよったのち、また晩めしにラーメンを食ってお別れだ。

永遠に別れちまえ!

 

ちょっと取り乱してしまった。

 

どうでもいいことだが、2人はデートで映画を見るとかライブに行くなんていう ?(はてな)なことはしない。

なんで2時間、3時間同じ方向を向いて会話もなく過ごす時間をデートに費やすのだろう。そんな時間があったら、語り合った方がいいだろうに。

もちろん、そのあとお互いに映画やライブの感想を語り合うという楽しい時間があることは、私も娘も知っている。

しかし、それが面倒くさいのだ。娘も私も1人で映画やライブの余韻に浸りたい方だ。

そして、嬉しいことに、アキツ君も「面倒くさい」と思う男だった。そこは、いい。「あっぱれ」をあげてもいいが、娘の彼氏だから、あげない。

 

駒沢公園には、アキツ君運転の車で行った。アキツ君は、呆れることに車の免許を持っていた。なんと、教習場に通って取得したという。だが、残念なことに車を持っていなかった。その車は母親のものだった。

アキツ君の母親は、保険の外交をしていた。仕事には車が必需品だ。しかし、この日は夕方まで休みだったので、アキツ君がペコリ45度頭を下げて借りてきたのだ。

国立駅でアキツ君に拾ってもらった。

そのとき、娘はあたりまえのように助手席に座った。私の心に、アキツ君への殺意が芽生えたのは言うまでもない。

車内での2人の会話は、76パーセントの割合で猫のことだった。アキツ君は、来年の猫カレンダーを2つ買った。娘も2つ買った。しかし、同じものではない。娘もアキツ君も人と同じことをするのが嫌いだ。だから、まったく違うカレンダーを買った。

それは、いいと思う。私もそうだからだ。だが、「あっぱれ」とは言わない。別れたら、言ってあげる。

 

駒沢公園近くに着いた。駒沢公園の駐車場は混んでいることを想定して、目黒に土地勘のある私は目黒区東が丘周辺のパーキングに駐車することを提案した。幸いにも駒沢公園から400メートルほど鼻れた離れた場所にパーキングを見つけ、そこに注射駐車できた。

最終日とあって、ラーメンショーの会場は生き物でごった返していた。人間である私たちは、生き物でごった返したチケット売り場に並び、チケットを買った。

少食の私はチケットを2枚買った。2人はケチって1枚だった。胸を張って言うが、私の奢りだ。

私が食うラララーメンは決まっていた。長野のラーメンだ。商品名は忘れたが、肉みそラーメンだった。

そのあたりの事情にかんしては、昨年の同時期のブログ、 ラーメン に書いた。

少し待たされたが、2杯のラーメンを両手に持ち、すでにラーメンをゲットしてお行儀よく待っている2人の横に座った。

正面もあいていたが、何が悲しくて、娘が彼氏と並んでラーメンを食べる姿を見なくちゃいかんのだ。俺を絶望させる気か。

 

長野のラーメンは、ややコッテリだった。ラーメンのことをよく知らない私には、「ややコッテリ」という貧しい表現しかできない。口の中に残るナンタラの味が麺と絡み合ってとてもナンタラだ、などという食レポはできない。

スープも麺も美味かったよー、で伝わりませんかね。

食べ終わった娘とアキツ君が、私の2杯目のラーメンに興味を持って、「ひと口くださいな」と覗いてきた。

のぞきは犯罪だぞ。でも、あげたけどね。

しかし、真っ当な日本人の感性で、その量は「ひと口」とは言わない。半分以上持っていきやがった。

「ああ、美味しいですね。あっさりしてますね」とアキツ君。

あっさり? コッテリではなく? 娘は「いや、そこはかとなくコッテリだよ」と主張。

さすが我が娘。あっぱれなりー。アキツ、思い知ったか! おまえは、もう死んでいる。

 

ラーメンのあと、駒沢公園から333メートル離れたカフェでカフェした。

そのとき、衝撃の言葉がアキツ君の口から出た。

「娘さんをください」

血がいました。違いました。

アキツ君は、海外転勤を会社から言い渡されたのだ。大手家電メーカーのエンジニアであるアキツ君には、転勤は仕方ないことだろう。

しかし、海外とはね。ビックリでござる。

で・・・・・どこに?

「ベトナムです」

ヴェトナム?

ははあ、一昨日、娘が突然「ベトナム語勉強しようかな」と大きな声で呟いたのは、この伏線だったのだな。

「ボクも4日前に聞かされたんだよな」とテヘペロ顔の娘。

「アキツ君が、自分の口で報告したいって言うから黙っていたんだ」

 

アキツ君が、精いっぱいの真顔を作って、私の目を射るように見ながら言った。

「夏帆さんのお父さんは、海外転勤をする娘の彼に、『遠距離恋愛なんて許さん!』というタイプですか」

夏帆さんのお父さん、というのは長すぎるよね。略して「カトちゃん」でいいんじゃないか。

「ああ、では、カトちゃん、どうでしょうか」

いいね、そのノリは好きですよ。でも、あっぱれは、あげないもんね。

 

俺は、子どもたちに二十歳になるまでは、色々な角度から手を差し伸べてきた。だが、二十歳を過ぎてからは、本人がヘルプを言わない限り、ずっと手は引っ込めてきた。

そして、私の娘は、何があっても絶対に「ヘルプ」は言わない子だ。俺が子どもの頃してきたように、親に泣き言を言わずに、経済的なことも含めて、全て自分で判断して自分で決めて行動する子だ。

俺は、自分の分身じゃないかと思えるこの子が決めたことを尊重している。

だから、遠距離恋愛なんか許せるか! なんて言って卓袱台をひっくり返すことはしない。

俺は、名目上「この子の父親」というだけの存在だ。

決めるのは俺じゃない。意見も持たない。

俺は、娘を信じているし、娘が選んだ君のことも信じている。

2人の思った通りにしていいんだよ。

 

あれ?

 

まさか、しらけた?

 

2人、下を向いて黙っちまったぞ。ふくみ笑いでもしてるのかな。

この場合、なんか、ギャグが必要か?

 

 

カトちゃん、ペッ!(鼻をすすりながら、右手の人差し指と中指を鼻の下に持っていきました)

 

渾身のギャグだったのに・・・見てねえじゃん。

 

 

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