リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

変わった脳内変換

2016-09-25 08:26:00 | オヤジの日記
中央線は、よく遅延する。

人身事故だったり、車両故障、信号故障、ホームで誰かが自由な行動をして、確認のため停まったり、というのがよくある。
先々週は、7時台の混雑した車両に乗っていたとき、西荻窪での救護活動のために遅れたことがあった。

救護活動なら仕方ないか、と気長に構えていたが、それなりに長い時間、吉祥寺で停車していた。

現況はどうだろうか。
社内のアナウンスでは、「救護活動のため」としか言っていない。

試しに、ツィッターの情報を見てみた。

その中で、トンチンカンなことを言っている人を発見した。

「今日もやりたい放題だな! 中央線。混雑のために遅延って、そんなの理由になるか!」

この人は、本当に中央線に乗っていたのだろうか。
アナウンスでは、「混雑のための遅延」とは言っていない。
車内やホームでのアナウンスは「救護活動のため」と言っていたはずだ。

どこを拡大解釈したら、「救護活動のため」が「混雑のための遅延」と脳内変換できるのだろうか。


過去にも、こんなことがあった。

武蔵境駅から東京駅に向かう朝の車内での出来事。
中央線が信号故障のため、突然停まった。

そのことは、すぐ車内アナウンスで流れた。
「信号の復旧まで、今しばらくお待ちください」

しかし、このアナウンスを聞いた隣の大学生らしい男の2人連れが、耳を疑うようなことを言ったのだ。
「何だよ、武蔵境で人身事故だって? どうせ、亜大の学生が飛び込んだんだろうよ」
「ツイートしてやろうか」
「ああ、やれよやれよ」

この若者の脳の中では、なぜか「信号故障」が「人身事故・亜大生飛び込み」に変換されたようなのだ。

世の中には、こんな特技を持った人が、少なからずいるようだ。


いま私は、週に1回ボランティアで、ご老人2人にパソコン操作を教えていた。
そのうちの一人、自称「江戸っ子」のキムラのオジイちゃんは、面白い人だ。

東京生まれだから、自分を「江戸っ子」だと仰っている。
しかし、生まれも育ちも東京武蔵野。

確かに、広い解釈をすれば、江戸も「武蔵の国」の一部だから、同じように「武蔵の国」の武蔵野も「江戸」と言えるかもしれない。
ただ、基本的には、山王權現、神田明神の氏子、檀家で、3世代以上続いた家の人を「江戸っ子」と呼ぶのが通説だ。

しかし、キムラのオジイちゃんは、自説を譲らない。
「俺は、東京生まれなんだからよ! 江戸っ子だろうが!」と言い張る。

まあ、いいでしょう。
江戸も武蔵の国の一部という範疇でくくれば「江戸っ子」ですからね。


お二人には、文字の入力を最初に教えた。

ローマ字で打った方が、覚えやすいですよ。

「なんで、日本人がローマ字なんだ。かなで打たせろよ」

わかりました。
打ってみましょう。

「おい!
このでたらめな文字の並びはなんだ!
アイウエオじゃないのかよ!」

はい、ほとんどのキーボードの配列が、このようになっております。

「これを作ったヤツはバカだな!
日本語を知らねえんだろ!
『西洋もん』は、だから好きじゃねえんだよ!」

「で・・・ローマ字ってのは、アルファベット順になっているのかい」

いえ、順番になっていません。

「バカだな、おい!
これ、考えたヤツは、本当にバカだな!
アルファベット、バラケさせて、何の得があるんだ!
あんた、これ見て頭に来なかったのかよ!」

いや、別に。
これが、普通だと思っていたので・・・。

キムラのオジイちゃんの言いたいことはわかるが、キーボードの配列をすべて否定されてしまったら、授業が先に進まない。
だから、とりあえず、ローマ字入力で、まずご自分の住所と名前を打ってみましょうか、と提案した。

「江戸っ子は、細かいことが嫌いだからよ。
できねえかもしれないが、やってみるか」

武蔵野市、と打ちましょうか。
musasinosi と打ってください。

スペースキーを打つと変換されます。

「スパイシーだって? スパイシーって、美味いって言う意味だよな」
(それは、確実に違うと思いますよ)

一番下の列の大きなキーをスペースキーと言います。

「スペシャルか? 一番っていう意味だよな」
(いや、それも違うのではないか・・・と)

すべて違う言葉で脳内変換されているようだ。

「まあ、いいわ・・・次は境だ」

sakaiと打ちましょう。

・・・・・と打ったところで、90分が経過した。

では、この続きは、次回ということで。

でも、すごいじゃないですか。
武蔵野市境まで打てたんだから、進歩ですよ。

「でもな、先生よお。
俺んちの住所、武蔵野市境じゃねえんだよな。
武蔵野市境南町なんだよ。
まだ続きがあるんだ」


時間は超過しましたが、kyounannchouまで打ってもらった。

「なんか、やたら文字が多いな。
ローマ字考えたヤツは、やっぱりバカだな!
こんなまわりくどいことしていたら、指がつっちまうわ」

そして、キムラのオジイちゃんは、最後にこう言ったのだ。
「パコソンって、本当に必要なのかよ!」


いや・・・キムラのオジイちゃん、そこは「パコソン」ではなく「パソコン」ではないかと・・・。


(だが、いまだに、キムラのオジイちゃんは、何度注意しても『パコソン』で押し通している。恐るべし)



笑顔のない国

2016-09-18 08:33:00 | オヤジの日記
娘が韓国に留学してから、3週間が経った。

異国というのは、面白い。
娘はいま、それを実感しているそうだ。

ポジティブな部分もネガティブな部分も面白いらしい。

大学内に、あまり日本人がいないから寂しいとは言っているが、留学とは、そんなものだろう。
ただ、中国人が大量にいて、中国語が飛び交い、白人もかなりいて英語が飛び交っているのを聞くと、ここは本当に韓国か、と思うらしい。

まず最初に驚いたのは、どこの店に入っても、店員の多くが仕事中に、スマートフォンをいじっていることだ。
そして、買い物をしても、あまり「ありがとうございます」を言われたことがない。

レジで支払いをしようと思って並んでいたとき、突然数人の中国人が割り込んできても、誰も注意をしない。
中国人たちは、支払いを済ませたら、騒音とともに無表情に店を出ていく。

そんなとき娘は、「ああ、ここは日本じゃないんだ」と思い知ったという。

地下鉄に乗っているとき、娘は気づいた。
前の席に座る女性のほとんどが、白塗りで赤い唇だった。

バカ殿じゃないか、と娘は思った。

ただ、このバカ殿は、ビジネス街、繁華街近辺だけで、大学構内では、ほとんど見かけない。
面白い現象だ。

娘が気に入っている町は、「明洞(ミョンドン)」「弘大(ホンデ)」だ。
日本的というわけではないが、それなりに洗練されていて、店員の教育も、他よりはしっかりしているから。
とは言っても、スマートフォン片手の接客は、少なからずあるらしい。

彼らが使うスマートフォンは、きっとサムスン製だろうから、彼らにとっては誇らしいものなのかもしれない。
自国の世界的ベストセラーなら、仕事中に使っても構わないとか。
あるいは、時給の中に、サムスン製スマートフォンの使用義務が入っているとか。

「でも、もう慣れちゃったからね。そんなものだと思えば、気にならないよ」

ポジティブに受け入れたようだ。


ただ、娘が、いまだに、受け入れられないこと。

それは、笑顔が少ないことだ。

「ありがとうございます」を言わない店員に、もちろん笑顔はない。
銀行で口座を作ったときも、仏頂面。
銀行員は、頭も下げない。

健康診断に行った病院も、ほとんど笑顔なし。
レントゲン室に入るときは、背中を強い力でドンと押されて焦った。
次の診断場所を尋ねても、声に出さず、指でヒョイと方向を指すだけ。
最後に支払いをしても無言。

さすがに、大学では笑顔が多いが、それは仲間内だけのこと。
初めての人に、何かを聞いても、ほぼ笑顔が返ってくることはない。
大学の学生課の人も、まるで能面のようだという。
「親身」という言葉は韓国にはないと思った。


ただ、一度だけ、嬉しいことがあった。
娘が、寮の近くのコンビニで買い物をしたとき、おつりを貰うのを忘れたらしい。

どうしよう。でも、もう店を出てしまったから、引き返すのはみっともないし、おつりを返してくれる保証はないし、と娘は悩んだ。
そのとき、40歳くらいの女店員が、店から出てきて、「あんたぁ、おつり、忘れてるよぉ」と日本語で言ったというのだ。

娘は、ハングル語で買い物をしたが、店の人には、日本人だということが、バレていた。
「ちゃんと確認しないと、損するよ」とも言われた。

その店のレシートは、買った金額しか打ち出されていないものだった。
おつりが表示されないのだ。
だから、おつりが出なくても、あとで文句は言えない。

「おつり渡したよ」と言われたら、泣き寝入りするしかない。
しかし、店員は、追いかけてまで、おつりを渡してくれた。

しかも、「韓国、楽しんでね、いい国だから」という、とびきりの笑顔で。

すごく嬉しかったという。


韓国に来て、まだ3週間。
娘は、韓国の5パーセントもわかっていないと思う。

だから、これから少しずつ、まわりに笑顔が増えることを娘は期待している。



ところで、こんないい話もある。

娘が日本でとっているゼミの教授に、留学前に言われた。

「月に1回、メールでリポートを送ってくれたら、ゼミの単位は取れたことにします」

月に1回なら楽なものだ。

しかし、つい最近来たメールで、「リポートはいりません。月に2回、近況報告のメールをくれたら、単位は与えます」と言われた。

そして、最後に、こんなことが追加されていた。

「注意することは3つ。
これを必ず守ってください。

1.健康に気をつけること
2.治安に気をつけること
3.韓国のイケメンに気をつけること

そして、夏帆さんが、いつもの太陽のような笑顔で戻ってくれることを信じています」


娘は、いい先生を選んだのかもしれない。



罪ほろぼし

2016-09-11 08:21:00 | オヤジの日記
16年ぶりに埼玉から東京へ帰ってきてから、6年が過ぎた。

埼玉でフリーランスをしていたときのお得意先は14社。

個人の仕事にしては、顧客数は多い方ではないだろうか。
だが、数は多くても優良物件は少なかった。

半分以上が、零細企業の綱渡り会社だったから、支払いが遅れることがよくあった。
そして、何の前触れもなく倒産した。

信じられないことに、1年に3社が倒産して70万円以上の請け負い代金を踏み倒されたこともあった。

その度に、ヨメから「どうすんのよ! どうすんのよ!」と責められた。

まあ、悪いのは、俺だから・・・・・、仕方ないよね。
・・・とは言っても、心身ともに消耗した。

東京に帰るに関しては、理由があったが、ここでは省く。

東京に帰るとき、得意先の14社のうち、ただ消耗するだけの仕事を出す会社は切ることにした。
また、年に4、5回仕事を出してくれる会社でも、仕事を出す態度が気に食わない会社は切ることにした。

気持ちよく仕事をしたかったからだ。
(ガキの偉そうな態度ほど、腹が立つものはない)

その結果、5社だけが残った。
5社だけで、生きて行くことにした。

当然のことながら、生活は苦しくなった。
しかし、意に添わない仕事をするというストレスからは解放された。

ヨメからは、相変わらず「将来のビジョンがない」と責められたが、子どもたちは、忍耐強くビンボーに立ち向かってくれた。
それが、救いだった。

不思議なことに、ビンボー生活をしながら、ボランティアでご老人たちにパソコンの操作を教えているうちに、人から仕事を紹介してもらえるようになった。
自分は何もしていないのに、仕事が舞い込んでくるようになったのだ。

それは、「幸運」としか言いようのない不思議な現象だった。

少しずつ増えて、得意先が10社になった。
どこもが優良な得意先だ。

埼玉のときは当たり前のようにあった入金の遅滞が、まったくなくなった。
計算が立つようになった。

埼玉の時の14社よりは減ったが、いま収益は、埼玉の時より3割以上増えていた。

埼玉時代の私は、「ウルトラ無能」だった。
それが今、「普通の無能」になった。


そのなかで、一番変わったのは、保険だ。
埼玉の頃は、最低限の保険しか選べなかった。

しかし、今は、身分不相応なほどの保険に入っていた。

いまさら、マイホームは無理なので、保険で確かなものを家族に残したいと思ったのだ。

それは、家族への「罪ほろぼし」と言ってよかった。
保険金しか残せないというのは、考えようによっては悲しいと感じるかもしれないが、私にはその方法しかなかった。

だから、その選択に後悔はない。

毎月の保険金は負担ではあるが、「罪ほろぼし」と考えるなら、我慢できる。


ただ、私はうっかり者だ。

保険に「がん保証」をつけるのを忘れた。

6年前、ひきこもりの姉が盲腸がんになったとき、多額の医療費がかかった。
手術費用、入院費用、抗がん剤など。
そのとき私は、母親の老後の貯金を使うのが嫌だったので、友人のテクニカルイラストの達人に頼った。

彼に、金を借りたのだ。
普通の人なら、貸してくれないような高額な金を貸してもらった。
(それは、昨年の5月に返済し終わった)

その苦しさを知っていたので、私はいまがん保険に入ることを考えていた。
家族に、治療費の負担をかけたくなかったからだ。

いま、テレビでよく宣伝している会社のパンフレットを取り寄せて熟考しているところだ。

毎月の支払額は増えるが、それは無駄になるものではない。

しかも毎月の保険料を支払うたびに、私の命の炎が燃えるというのが、とても面白い。
毎月、「罪ほろぼし」を実感できるのも、なんか面白い。


今の私は、保険金を支払うために働いているようなものだ。


それも、なんか面白い。



いま初めて、まともな人間になったような気がして、嬉しい。



はじめの一歩

2016-09-04 08:23:00 | オヤジの日記
先週、韓国に旅立った娘。

仁川(インチョン)空港で、昼ご飯を食ったあと、ユナちゃんと別れた。
大学から迎えの車が来ていたからだ。

迎えのタクシーでは、190センチ近い白人の女子大生と同乗だった。
デカさに圧倒されて、話しかけられなかったという。

そして、ここからトラブルが始まる。

入るはずの寮に行ってみたら、娘の名が登録名簿になかった。

寮費を全額前払いしているのに、名前がないだあ!
詐欺じゃないか!

「よく調べてください。
入学許可証と支払い証明書のJPEG画像を送っているから、それを見れば、わかるはずです」

それに対して、20代の男の事務員は、「アイドンノー」と答えたのみ。
そればかりか、「就業時間が過ぎたから、俺は帰る」と言いだしたのである。

そして、「あとは寮長に聞いて」だと。

「その寮長の連絡先は」と聞くと、また「アイドンノー」だ。

これが、噂に聞く「韓国クォリティ」か。

娘は普段は温厚な子だが、このときばかりは「日韓友好なんて、くそくらえだ。こいつ、脇をコチョコチョしてやろうか」と思ったという。

だが、そのとき、いいタイミングで、寮長らしき人がやってきた。

「寮長はんでっか?」と娘が聞くと「わてが寮長だす」と答えたから、間違いなく寮長なのだろう。

「うちの名が、名簿にないので、入学許可証を調べてくださいな」

娘がそう言うと、寮長はすぐ許可証の画像を調べてくれて、「これかいな」と娘に見せた。

「それでんがな」と娘。

寮長が、娘の名を打ち込んだことで、めでたく娘は503号室の住人になった。

しかし、ここでもう一つ問題が起きた。
6階建ての建物だから、エレベーターは絶対にあると思っていた。

しかし、なかったのだ。

娘が持つ荷物の重さは、15キロ。
159センチ40キロの華奢な体で、5階まで重い荷物を持って行くのは、辛い。

だが、辛いとは言っても、持たなくてはゴールには、たどり着けない。
意を決して、娘は東京にいたら絶対に持ち上げない荷物を持ち上げて階段を上った。

休み休みだ。

しかし、3階で限界を感じた。

そのとき、天使が舞い降りてきたのである。

「どうしたの? 荷物、持てないの?」
英語で聞いてきた女の子がいた。

顔を見ると、おそらく中国人。

普段なら強がりを言う娘だったが、このときだけは弱気な顔で頷いた。

すると、彼女は「じゃあ、一緒に持とうか」と言ってくれた。

「何号室?」

「503」

「あらぁ、私と同じ部屋だぁ!」

要するに、ルームメイトだったのである。

運命というのは、どこにでも転がっている。
娘は、幸運な運命を手にしたのかもしれない。

2人で、503号室まで荷物を運んだ。

ありがとう、ありがとう、と娘は何度も頭を下げた。

相手は、思った通り中国人で、名前を「ジンちゃん」といった。

ジンちゃんは、英語はカタコト。
ハングル語は、それなりに話せるらしい。

だから、中国語を話せない娘は、ジンちゃんとのコミュニケーションは、ハングル語でとっていた。


日本人と中国人がハングル語で会話をするという面白さ。

グローバルですなあ。

ジンちゃんは、中国人の友だち7人と韓国に留学に来たと言った。

ジンちゃんは、穏やかな子で、声のトーンも低めだ。
しかし、ジンちゃんのお友だちの中国人は、やたら声がデカくて寮の廊下もドタドタと歩くという。
しかも、夜中に大声で騒ぐ。

群れる中国人。
声がデカい中国人。

ステレオタイプの感想ではあるが、中国人は、異国でも自己流を貫くようだ。


娘が言った。
「ジンちゃんは、いい子だけど、他の中国の子とは、絶対に友だちになれないかもしれないな。なったら、ボクは絶対にノイローゼになる」


はじめの一歩は、そんな感じだった。



そんな話を娘から聞いて、毎晩泣いている情けないオヤジが、ここにいた。


こんなに「娘ロス」が、大きいとは思わなかった。