リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

ふたつの回し

2011-05-31 05:39:38 | オヤジの日記
大前研一氏が、日本の歴代の首相について語ったという記事をネットで見た。

大前氏曰く「中曽根氏以後日本に指導力と見識ある首相いない」とのことだ。

完璧な揚げ足取りになるが、「中曽根氏以後」と言っているのだから、中曽根氏も含めて「日本に指導力と見識ある首相いない」ということで解釈していいのだろうか。

普通、「以後」というのは、対象物を含むことを言うから、そう解釈できる。
ただ、対象物を歴史として表現する場合、歴史家は曖昧なものを好むから、対象物を含まない場合もあるらしい。

この大前氏の表現は、曖昧な歴史観を表したものなのだろうか。

だとすると、中曽氏根だけは指導力もあり見識もある首相ということになる。

田中派の傀儡政権のフリをしながら、讀賣新聞社と結託して原発を推進し、プラザ合意で円高を容認したため、バブル経済を巻き起こした過剰なほど自己演出が巧みで、讀賣新聞社の社主を後ろ盾にして歴史に名を残したがる軽薄な政治家が、指導力はともかく見識があると表現する大前氏に、果たして見識があると言えるのかどうか。

それに、文の中で言っている「有権者が選んだ覚えのない首相が、相次いで登場した。菅直人然り、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎然りである」というのは、大前氏の見識を疑うに十分な言動である。

日本の選挙制度が、直接総理大臣を選ぶことができないのは、日本が「首相公選制」を取っていないのだから、当たり前ではないか。
日本の選挙は、首相を選ぶためではなく、代議士あるいは議員を選ぶためのものである。

今さら、大前氏が「国民がリーダーシップのある人間に就任してもらいたいと思っても、首相選びにはほとんど関与できずにきた」と言って、首相のリーダーシップ云々を提議するのは、「政治ど素人」の発想ではないか。

呆れる。


そして、最後に大前氏は言うのだ。
「問題の本質は、選挙で勝った第一党の党首が首相になる、という議院内閣制の「常識」が欠けていること。そして、たとえ選挙直後はそうだった場合でも、その後、与党内で首相の座がたらい回しにされてしまうことである」


たらい回し。
それは、長い自民党政権時代から、受け継がれてきた日本の政治的風習である。

だから、「何を今さら」としか思えないのだ。

日本の首相は、どの時代も政権与党の「たらい回し」と「根回し」で作られたものではないか。

有名な経済評論家が、政治という土俵で、その程度の見識しか持たないで意見をするなら、政権与党、野党にとって、これほど楽なことはない。

いつまでも「たらい回し」をしていられる。


さて、次の「たらい」は、小沢に行くのか、鳩山に戻るのか、前原に行くのか、あるいは大連立とやらで、谷垣に行くのか。

それとも、まるで韓流スターのような扱いの小泉の息子に行くのか。


いずれにしても、「日本が一丸となっての復興」は、遠のくことになるのだろうが。



JR東日本の対応

2011-05-30 06:09:37 | オヤジの日記
今更ながら、石原都知事が、大震災時のJR東日本の対応を批判したという記事。

それは、こんな記事だった。


 石原慎太郎東京都知事は2011年5月27日の会見で、東日本大震災の起きた当日、帰宅困難者が大量に出る中、JR東日本が終日運休したことに触れ「この連中は何なんだ、いち早くシャッターを閉めて、共通のスペースである構内から乗客を閉め出して帰っちゃった」と話し、同社に対して抗議文を送ったと明かした。

 「あのスペースは法律で課税の減免してもらっている。それなのに構内を緊急時に国民に解放しないなら、法律変えてでも税金かけたらいい。そういうことを通告した」としている。


2ヶ月半経って、今ごろ話題を持ち出す、その目的は何なんだろう。
間に都知事選があったから、言い出せなかったのだろうか。

しかし、抗議というのは、すぐに言わなければ、効果のないものだと思うのだが。

確かに、都内のJRが運転を再開したのは、翌日の朝の7時以降だ。

それに対して、都営地下鉄は11日の夜8時には、ほとんどの路線が運転を再開していた。
その点を比較すれば、JRの対応は遅いと言ってもいい。

ただ、都営地下鉄と例えば山手線、京浜東北線、中央線を比べたら、利用する乗客の数は、桁違いだというのがある。
だから、単純に比較していいというものではない。

どちらもはじめての経験だとしても、背負い込む責任の重さは、乗客が多いほうが大きいに決まっている。

石原氏が、それらを全て踏まえて、抗議文を送ったのかどうか。

ただ、いつもの老人の気まぐれとちっぽけな自己満足で送ったのだとしたら、時間の無駄のような気がする。

この段階で、課税の減免や税金のことを持ち出して、圧力をかけるのは、いかにも政治家的であるし、ヤクザ的でもある。


おそらく「支持者・利用者の声だよ」というのだろうが、唐突感は免れない。

もし、本当に「支持者・利用者の声」だというなら、もっと早く抗議すべきだ、と私は思う。



地震予知と予言

2011-05-29 08:18:45 | オヤジの日記
日刊ゲンダイは、大地震ネタを取り上げて、いつも警鐘を鳴らしてくれている。

4月13日の記事では、琉球大名誉教授の木村政昭氏(地震学)の発言を取り上げている。
「日本は、“M9・0の余震”は経験したことがありません。が、スマトラ沖の余震から推測すると、これまでより大きな余震が来ることを予想はしておいたほうがいい。2~3カ月は要警戒の状態が続きます」

そして、5月28日の記事では、こう書いている。
「3月11日の大地震も2月中旬から前兆とされる地震活動が活発化していた。東大地震研究所の加藤愛太郎助教の解析によると、2月中旬から大地震を引き起こした震源からほぼ北側約50キロで地震活動が頻繁になり、それが南進して震源地に近づいたという。直前の2日間には250回の地震が起きていた」

そんなに地震活動が顕著だったら、大地震が起きる前に、何らかの形で発表することは出来なかったのか。
地震学の解析は、いつも結果論だけのような気がする。

今さら、そんなことを言われても、説得力はないんじゃ・・・・・。


さらに・・・・・、

地震予兆のひとつとされる“雲”にも異変があるという。四川、スマトラ沖、ニュージーランドに続き3月9日の三陸沖地震を的中させた、北陸地震雲予知研究観測所の上出孝之所長はこう話す。

「これまで大きい地震の前は必ず地震雲が出ました。だいたい1週間前後から半月以内。今回、5月23日から7日(+2日)に東北・関東地方で震度6~7、マグニチュード7・0ぐらいの地震発生可能性の前兆が見られます。5月19日朝4時40分ごろ東の空に、阪神大震災の直前に見られたといわれる竜巻状の雲と同じようなものが見られました。さらに、22日15~16時に南の空から東に向け大きい地震雲が見られました」

つまり、北陸地震雲予知研究観測所の上出孝之所長の予知によると、6月2日までに東北・関東地方で、大地震の可能性があると言うのである。

根拠は、地震雲だけであるが、気をつけるに越したことはない。


何しろ、地震学に詳しい京都大学防災研究所・地震予知研究センターの遠田晋次准教授もこう言っているのだ。

「地震学の統計的経験則からみると余震は本震よりM1小さいものが起きるとされています。今回はM9.0の余震ですから、M8程度の大きさは考えられ、茨城より大きい地震が起こる可能性はある。時間が経つにつれ確率は小さくなるとはいえ、起きた場合の規模は変わりません」

「地震学の統計的経験則からみると」という自信たっぷりの表現を使っているのだから、その予測には、相当な自信があると言っていい。


ただ、東大地震研究所の加藤愛太郎助教の解析と北陸地震雲予知研究観測所の上出孝之所長の予知、京都大学防災研究所・地震予知研究センターの遠田晋次准教授の統計的経験則が、もっと早く、東日本大地震の前に示されていたら・・・・・・と私は思ってしまうのだ。


3月9日11時45分にM7・2の大きな地震がある前、地震活動が活発化していた、と今になって公表し、M7・2の大地震の後、2日間で250回の揺れを感じたのに、それをただの余震と判断して、M9・0の大地震を見逃した東大地震研究所の加藤愛太郎助教の解析に、説得力があるとは、私には思えないのだが。

また、北陸地震雲予知研究観測所の上出孝之所が言う地震雲は3月9日の三陸沖地震のものであって、東日本大震災のものではなかったのか。
四川、スマトラ沖、ニュージーランド大地震のときは、広く警鐘を鳴らしたのか。
あるいは、したのだが、マスメディアに相手にしてもらえなかったのか。

「地震学の統計的経験則からみると」と言う、京都大学防災研究所・地震予知研究センターの遠田晋次准教授の警告(予言?)は、これから先のことだから、耳を傾ける価値は、十分あると思う。


ただ、地震国の日本。
わざわざ「地震学の統計的経験則からみると」などと言わなくても、いつか大きな地震がまた来るであろうことは、間違いないとは思うが。



旧田中派と讀賣・産経が政権を壊す

2011-05-28 08:31:05 | オヤジの日記
少々、古い話だが、5月24日に、民主党の小沢一郎と渡部恒三が「合同誕生日会」という気持ち悪い会合を開いたという。

そして、老人ふたり、ご満悦だったようである。
被災地産のキュウリを齧るというギャグのようなパフォーマンスもあったらしい。

3年ぶりの合同誕生日会。
代表世話人は、前原誠司氏だという。

小沢氏一人だけでは人数を集めることができず、存在感を示すことができないので、「二人ならなんとか・・・・」とでも思ったのだろうか。

もし小沢氏が声をかけて、人があまり集まらなかったら、影響力云々を言われる。
そこで、この3年間「シカト」していた渡部氏との「誕生日会」を利用しようとしたのか。

さらに、いま民主党で一番実力があると思われる前原氏を間に立てれば、小沢アレルギーの人も抵抗が少ないと思ったのかもしれない。

小沢氏にとって、いま必要なのは、菅氏に対する「いつでも倒閣できるんだぞ」という明確な圧力だ。

そのためには、とにかく人数が必要。
不仲と言われている相手とツーショットというのは、四六時中、倒閣ネタを探している読売グループと産経グループにとって、格好のネタの提供になる。

ヨダレを垂らして、食いついてくるだろう。

実際、読売は「疎遠だった党重鎮2人の和解は、菅首相に退陣を求める『菅降ろし』の動きにも影響を与えそうだ」と嬉々として伝えている。

読売と産経は、旧田中派のじゃれ合いが好きなようだ。

まるで利権をエサに、裏で政界を操り、保守が幅をきかす世界こそ「政治の王道」だと確信しているかのように、いつも「強い保守」を下支えしてきた。

読売と産経にとって、「持ちつ持たれつの関係」を保てない政権に、存在価値はない。
自分たちとともに「強い保守政権」を作れない政治家は、すべて無能なのである。

旧田中派は、読売と産経にとって、そんな「幻想」を実現してくれる唯一の存在なのかもしれない。

ウヨク新聞社と「持ちつ持たれつの関係」を持てない菅政権は、何の価値もない存在だから、とにかく倒閣。

日本の復興よりも、とにかく倒閣。


「ロンとヤス」の中曽根元総理が、もっと若かったら、まっ先に担ぎ出すのだろうが、さすがにご高齢なので却下。
郵政民営化の小泉元総理は引退したので、影響力はない。

そのあたりの利害関係を手っ取り早く共有できそうなのが、旧田中派ということなのだろう。
政治資金規正法違反の小沢一郎被告と、厚生大臣時代「原発を作れば作るほど国民は長生きできる」発言の渡部恒三を主役にして、無理にでも「倒閣」を強調したかったのだろう。

懸命に倒閣運動を起こして、年に一回首相が代わって、その結果、日本の復興が遅れたら、読売と産経、小沢、渡部は、今度は誰の責任にするのだろう。

政治家とウヨク新聞社は、「一丸となる」という言葉は、悪だくみのときだけ使うものだと思っているようだから、その悪だくみの結果、彼らは、スケープゴートとして前原誠司を確保しておきたかったのか。



まさか・・・・・ね。




誰が名監督?

2011-05-27 06:07:25 | オヤジの日記
なぜ、プロ野球に興味がないかと考えてみたら、まず東京ジャイアンツの存在がある。

読売新聞社が親会社だという時点で、私には嫌いになる理由が正当化できる。
あらゆることにゴリ押しすることを好む讀賣。
鼻持ちならない存在だ。

次に嫌いになる理由として、野村克也氏の存在がある。

野村克也氏の選手時代の実績に関しては、文句のつけようがない。

ただ、監督としての野村氏の実績は、ほぼ5割。
順位も、Aクラス12回、Bクラス12回。
名監督の成績ではない。

しかし、巷の評価では「名監督」になっている。

大阪タイガースを3年連続最下位にし、東北イーグルスの4年のうち、3年をBクラスにした監督が、なぜ名監督?
ウィキペディアで調べると、その7年間の勝率は4割4分である。

そして、野村氏がタイガースの監督になる前の3年間の勝率は、4割2分。
野村氏が監督だったときは、4割1分5厘。
下がっているのである。

野村氏が監督をやめたあとの3年間は、5割3分4厘。
1割2分近く上がっているのだ。

野村氏を名監督にしたい人は、野村氏が我慢して若手を育てたから、成績が上がったと言いたいようだが、結果の求められるプロは、その時の成績が全てだ。
公平に、成績で判断すべきだと、私は思う。

イーグルス4年間の成績は、4割5分8厘。
タイガース時代よりは、ましだ。
4分以上、上がっている。
しかし、5割には、程遠い。

イーグルスでは、野村氏の前に、田尾監督が1年やって、その勝率が2割8分1厘。
野村氏の成績は、それよりは断然いい。
野村氏の後のブラウン監督が、4割4分。
野村氏は、その勝率より、少しいい程度だ。

つまり、結果が求められる監督の実績として、野村氏の成績は、どんなマジックを使って評価しても「名監督」のものではない。

しかし、世間と(おそらく)本人の評価は、「名監督」で固まっている。

これは、いったい、どんなマジックを使ったら、そうなるのだろうか。
そう考えていたら、ひとつのヒントになる記事を見つけた。

5月21日のライオンズ対ドラゴンズの一戦に関しての記事だ。

その日の試合は、ライオンズの大勝だった。
13対4でライオンズが勝ったのだ。

その試合で、ドラゴンズの落合監督は、2番手で登板した小熊投手が、打者18人に対し、3本の本塁打を打たれ、3回で7点を失っても代えなかった。

そのことに関して、野村氏が落合監督の采配を評して、こう言ったのである。
「俺と同じことやってんの、落合。代えないでしょ? 僕は11点取られても代えなかった」

そして、「いや、もうゲームを壊しているから。自分で責任を取れっていう。ゲームが決まっちゃっているのに、次出てくるピッチャーの気持ちを考えたら、最後まで責任を取って貰わないと。こんな後に出される方が大変ですよ」「そういうね、恥をかかせるっていう一つの育成法なんですよ。恥をかかなきゃ、本物になっていかない。いい薬ですよ。その辺は落合もちゃんと計算に入っているよね」とも言ったのである。

落合監督が、俺と同じことをした。

落合氏は「名監督」と言っていい実績を持っている。
成績を見ると、勝率5割6分2厘。
7年間で、1位が3回。
Bクラスが一度もないのだから、特筆すべき安定感と言っていい。

較べて、野村氏の最初の7年間の監督時代は、5割1分9厘。
Aクラス5回、Bクラス2回。

プロは、成績がすべて。

現役時代からの落合氏の言動、態度など、私にとっては好ましいものではないが、どちらが名監督か、と単純に成績をもとに考えたら、深く考えるまでもなく、落合氏の方が名監督であることは間違いがない。

落合監督が「俺と同じことやってんの」と野村氏は喜び、過去、自分が投手を見殺しにした自分の采配を正当化する。

現代の名監督が、俺と同じことをやってるから、俺も「名監督」だ。


舌先三寸 = 口先だけの巧みな弁舌。

夜郎自大 = 自分の力量もわきまえず尊大に振る舞うこと。「夜郎」は漢の時代中国の西南部にあった小国の名前。「自大」は自分を大きく見せる尊大な態度。漢の使者がこの小国に立ち寄った際、漢の強大さを知らなかった夜郎国の王が自分の国の力を自慢したと言う故事による。(出典元は『史記』)


つまり、舌先三寸だけで生きてきた夜郎自大の男が、「名監督」と崇められるプロ野球という世界が、摩訶不思議すぎて、私はプロ野球に興味を持つことができないのである。


それに、私ひとりくらい嫌ったとしても、巨大なプロ野球機構は、ビクともしないだろう。


だから、これからも安心して嫌っていられる。