リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

切る必要がなかったジョーカー

2016-02-28 09:06:00 | オヤジの日記
G20が上海で開かれた。

会議出席前に、吉田茂の孫の麻生太郎財務相は、「G20各国は株安の現実を直視すべきだ」と述べていた。
そして、そののちに「中国の生産設備の過剰が世界的な重しになっている」というようなニュアンスのことを述べた。

だが、その主張は、評論家的であり、どこか人ごとのように私には思えた。

中国だけでなく日本や米国、欧州も当時者なのに、他の国よりも強く中国に風を当てるのは、あまりにも安易すぎて私は納得できないものを感じた。
世界同時株安は、ただ一つの国に責任をなすりつけて解決するものではないだろう。

インターネットに数多い中華嫌い、麻生太郎氏シンパには痛快な出来事かもしれないが、G20は歌舞伎ではないのだ。
国際会議で、見得だけを切っても意味がない。

私は常々、中国というのは大国としての自覚がない国だと思っている。
おのれだけしか見ていない。

米国は、「世界の警察官」という自負があるから、良かれ悪しかれ、お節介なほど他国の動向に気を配っている。
他の先進国も国家間のバランスに気を配っている。

だが、中国は、「俺たちの近辺の領土」にしか興味がないように思われる。
その経済は膨張したが、彼らはそれを「世界経済のために」などとは考えていないようにも思える。

つまり、稚拙である。
その稚拙な経済は、いくら膨張したとしても彼らの領土の上で風船が膨らんでいるようなものだから、素人の私としては、中国の人民元が世界経済を揺るがすほどの影響を及ぼすとは思えないのだ。

さらに、膨らんだ風船の一部が「爆買い」という形で、日本列島にかかっているが、今のところ、これは世界同時株安や中国の構造改革とは関係がない。


専門家の意見では、世界同時株安の原因を原油安と中国経済の減速に絡めるのが主流である。

だが、その2つが本当に影響しているかについて私は疑心暗鬼だ。

原油安には、いいこともあったはずだ。

高止まりしていた原油価格が下がったことで、流通関係のコストは下がって、世界の物流が円滑にいったことは世界経済にとってはプラスだったと思う。
物流がなければ経済は成り立たない。
原産国にとっては大損だろうが、利用者にとってはマイナスばかりではなかったと思う。

中国経済の減速に関しては、おそらく中国の一部の人以外には、本当のことはわからないのではないか、と私は疑っている。

人民元が世界的に力を持ってきたとはいっても、まだドルや円、ユーロほどの信頼性はない。
つまり、「虚像の元」に近い。
それが読めない限り、元という通貨に絡む世界経済への影響はすべて推測になる。

全くないとは言い切れないだろうが、前段でも述べたように、元が主流でもない世界経済が、元によって冷えたり怯えたりするほどの影響力があるとは、素人の私には考え難い。

それは、GDP世界第2位の数字に過剰反応しているだけのように思える。
言い方を変えれば、「株安の原因は中国経済の減速だ」と言っておけば誰もが納得するだろうという、安易すぎる理論を組み立てているに過ぎない。

中国の発表する景気動向には疑問も付きまとうが、中国がプラス成長を続けているのは間違いないだろう。
10パーセントの成長率が6や7パーセントに下がったとしても、それを明確な減速と言っていいのか、私は疑問を持っている。


だから、素人の私には、世界同時株安の原因に関しては納得しかねる。

ただ、日本の株価低迷の原因はこうなのだろうな、という憶測はできる。

日本では、量的緩和をしてもインフレ率が上がらないで、株価だけが上昇した。

今の中央銀行の総裁が、就任時に「インフレ率を2パーセント上げることを目標とする、そうしないと賃金が上がらない」と言っていた記憶が私にはある。

しかし、量的緩和と円安で株価は上がったが、インフレ率は上がらず、大企業以外の賃金もさほど上がらなかった。

それはなぜかというと、日銀が量的緩和で市中銀行から国債を買い上げ、銀行の資金量が増えたからといって、銀行が無策だったら金は市中に出回らないからだ。

銀行が住宅ローンの金利を下げたとしても、それを金融政策とは言わない。
それは住宅政策だ。

土建業とマイホーム取得層に動きがあったとしても、そこで潤った金が隅々まで行き渡るわけではない。
一角にだけ水が流れて、それが川になっただけだ。
その川が太くなって支流を形成するほど、その流れは強くない。

株が上がって、企業の利益が増えたとしても、それを内部留保に回してしまったら、景気の川はせき止められたも同然だ。
さらに、金が川に流れる前に銀行が金をせき止めてしまったら、インフレになるわけがない。

追うようにしてマイナス金利にしたところで、その結果また増えた資金を有効に市中に浸透させる策を銀行側が持っていないのだから、また空振りするのは必然のことだ。

総裁がマイナス金利を発表したとき、投機筋が銀行の能力を信じていないから、銀行株が下がるという笑えない「笑い話」もあった。
はたして、株価だけを上げて現実経済を低空飛行させる中央銀行の総裁は、有能と言えるのか。

マイナス金利を決定するにあたって、寸前まで悩んだと言っていたが、年初からジェットコースターのように下がった株価に直面したら、インフレ率のことなど考えられなくなったのではないか、と私は邪推している。

つまり、彼に残された策は、マイナス金利しかなかった。

ただ、米国のように、金利を下げてから量的緩和をしたわけではなく、日銀総裁は、量的緩和をして株価を上げたのち、株価が急速に下がったのを受けて慌ててマイナス金利にした。

つまり、アメリカとは順序が逆だ。

そこが、小さいながらもプラス成長を続ける米国とプラスからマイナスに落ち込んだ日本との違いではないのか。



結論を言わせてもらうと、日本の株価下落の原因は、切らなくてもいいジョーカーを切ってしまった中央銀行の責任者とそれを看過した国の責任者のせいではないか、と私は思っている。


ついでに言うと、日本の中央銀行は、失態を犯しても国民や政府に対して責任を取らないという歴史を繰り返している。

中央銀行の独立性を考えたら、ジョーカーを切るのは総裁の権限であることは間違いないが、ジョーカーを切って失敗したら責任を取らなければ、権利義務のバランスが取れない。
その当然のことができないなら、それは組織として完成されているとは言えない。


もしも、完成されていない組織が経済の舵をとって国の景気が良くなったら、それは奇跡と言っていいだろう。



以上、素人のチョット真面目な経済論でした。



百円ショップのシロウト

2016-02-21 08:51:00 | オヤジの日記
百円ショップを上手に活用している人は多い。

むかし、収納を百円ショップの商品で綺麗にアレンジしている映像をテレビで見たことがあった。
高級感はないが、整然とした清潔感はある、と感心した記憶がある。

こういう人は、脳の立体認識が優れているのだろうな、と感心させられた。
私も職業柄、多少は立体認識に自信はあったが、根気がないので、頭で考えたことを実行に移すまでに飽きてしまうという最大の弱点を克服できずに今に至っている。

友人の奥さんは、自宅の庭をほとんど百円ショップの商品でレイアウトすることに使命の炎を燃やしていた。
スマートフォンで記録された画像を見せてもらうと、おとぎ話に出てくるような可愛い庭に仕上がっていた。

「百円ショップの達人」にあと一歩、というところだろうか。

だが、私は「百円ショップの素人」である。

以前、さいたまに住んでいた頃、近くに百円ショップがあった。
私のヨメと息子は頻繁に利用していたが、娘と私は一度の失敗に懲りて、ほとんど利用することがなかった。

その失敗の元は、自転車のベルだった。

長い間、娘も私もベルが壊れている状態で自転車に乗っていた。
今もそうなのだが、私は自転車のベルを鳴らすことはほとんどない。
自転車のベルは、人にとって決して快適な音ではないと思っているからだ。
だから、ベルなどなくてもまったく不便はなかった。

しかし、お節介なことに、私のヨメが「ダイソーでベルを二つ買ってきたわよ」と言って、私にベルを二つくれたのである。
せっかく買ってくれたのだから、娘と私の自転車に取り付けた。

しかし、鳴らしもしないのに、初日に二つの自転車のベルの蓋だけが取れて使い物にならなくなった。

おそらく、私の取り付け方が悪かったのだろう。
ネジもなにも使わずに、ただハンドル部分にはめるだけのベルだったが、きっと何かしらのコツがあるのだろう。

そう思って、今度は自分でダイソーに行ってベルを二つ買ってきた。

自分でやるとまた失敗する恐れがあったので、近所に住む知り合いに装着を頼んだ。
彼は、自分でエレキギターを作ってしまうほど器用な男だった。

彼なら絶対にうまくやってくれるはずだ。

「なんですか、これ? こんなの間違いようがないでしょう。パカッてはめればいいだけじゃないですか。幼稚園児にだってできますよ」


はい、ワタクシは、幼稚園児以下でございます。


幼稚園児でもできる作業を「器用な天才」にしてもらった。

しかし、娘の自転車のベルは、乗っているうちにすぐに蓋が落ちた。
何もしていないのにまた落ちた。

私のは2週間目に蓋が落ちた。
2週間、一度もベルを鳴らしていないのに、突然落ちたのである。

「Mさん、呪われているんじゃないですか。心当たりはないですか」と器用な天才に言われた。

心当たりはないが、呪われているのは間違いない、と確信を持った。

それ以来、ダイソーは利用していない。
その他の百円ショップも利用することはなかった。

ただ、昨年、仙台の同業者に助っ人として呼ばれたとき、慌てていたので下着を持っていくのを忘れたことがあった。
2日ぐらい同じ下着をはき続けても何の問題もないだろう、と私は開き直ったのだが、同業者に、「いや、俺はそれは嫌だなあ。同じパンツをはき続けていることを想像すると、Mさんのこと嫌いになりそうですよ」と言われた。

でも、パンツって、結構高いよな。
二つで5百円くらいのがあったら、買ってもいいんだけどね。

そのとき、同業者に言われた。
「近くに百円ショップがあります。そこでパンツ売っていたような気がしますよ。百円なら惜しくないんじゃないですか」

言われるままに、あおば通りの百円ショップに行ってみたら、確かにパンツがあった。
2枚買って、すぐにはき替えた。

うん、普通に使えるよ。
全然、違和感がない。
これならいい。

キャンドゥした(感動した)。

それ以来、私のパンツは百円ショップ製オンリーである。

一度に2枚買って、それを一ヶ月間で使いきり、また新しいのに取り替えることを繰り返している。


色々な人に、パンツは百円ショップに限る、と力説しているのだが、誰からも共感を得られないのはなぜだろう。


誰もキャンドゥしてくれない。



予定通りのふたり

2016-02-14 08:49:00 | オヤジの日記
前回のエントリーの続き。

友人オノの狭くて陽の当たらないアパートに、昨日また呼ばれたので行ってきた。
知り合いから大量のトマトをもらったが、一人では食いきれないし、冷蔵庫がないから傷んでしまう。
だから、おまえにやる、と彼のアルバイト先の惣菜屋さん経由の電話で言われた。

トマトは色々な料理に使えて重宝するので、初めてのことだったが、2週連続でお邪魔した。

トマトを私に分け与えたあとで、オノが、ダンボールで作ったというテーブルに、突然100円玉を置いた。
そして、「さっき道端で拾ったんだけど、おまえならどうする?」と、100円を指差しながら私に聞いた。

俺なら、交番に届けるな、と私は躊躇せずに答えた。

「本当か?」

ああ、100円玉を落とす人は、おそらくお金に困っている人だ。
これが、たとえば、一千万円を落とす人だったら、金には困っていないだろうから、見つけたとしても俺は拾わない。だから交番に届けることもしない。
拾った人が決めればいいと思う。

「変わった考え方だな」

ヨメからは、絶対にそんなこと人に話さないでよ、恥ずかしいから、と釘を刺されている。
いま、言ってしまったがね。

「わかった、じゃあ、ここから15分歩いたところに交番があるから届けに行こう」

二人で、築40年近い崩れかけのアパートの階段を下りた。

5分ほど歩いたところに、自動販売機があった。
そのとき、その自動販売機の機械の下を覗き込んでいる推定年齢8歳の男の子の姿が見えた。

オノが「どうしたの? ボク?」と聞くと、少年は「ジュースを買おうと思ったら、100円玉が落ちて下に入り込んじゃった」と答えた。
「もう100円玉はないの?」とオノが聞いたら、少年は「ちょうどしかないの」と首を振った。

そこで、オノは、右手に握った100円玉を少年に渡した。
「僕があとで自動販売機の下の100円は拾っておくから、これ使っていいよ」

少年は、軽くお辞儀をしてから100円を受け取り、ジュースを買ったあと、我々に「ありがとう」と手を振って走り去っていった。

拾ったものを他人に供与するって、これは横領になるのかもな、と私が言うと、オノが、「こんなことブログに書いたら、普通は炎上だけどな。でも俺んちにはパソコンもスマートフォンもないから、ブログはできない。たとえば、『炎上させてもいい芸人』の鈴木拓だったら、大変なことになっていたかもな」と笑った。

友人オノの家には、ある事情があって、「贅沢物」のパソコン、スマートフォン、電話がない。
そして、「贅沢物」のテレビもステレオもラジオもない。

だが、彼は図書館で色々な知識を仕入れているから、ブログ炎上ぐらいのことは知っているのである。
(毎週ボランティアで読み聞かせをしている小児病棟の子どもたちと話を合わせるため、最新の情報を図書館で仕入れているようだ)

そして、「知っているか?」と100円玉がなくなった右の手のひらを見つめながら言った。
「去年、衆議院の会議を欠席して旅行をしていたのがバレたナントカいう女性議員が、最近、ナントカいう元国会議員を『馬鹿』とブログで罵ったら、そのブログが炎上したらしい」

知らない。

「俺の記憶では、たとえばコワモテの男性国会議員が秘書を馬鹿呼ばわりしたり、マスコミを馬鹿と罵る光景は何度か見ているが、彼らは批判に晒されることはない。
でも、ナントカいう党を除名されたナントカいう女性議員が彼らと同じことをしたら批判される。なんでだろうな」

それは、その人が鈴木拓氏と同じ括りの「炎上させてもいい国会議員」だからじゃないのか。
炎上は、人を選ぶんだよ。


虐めやすい人間をな。


それにしてもな・・・・・オノ。
馬鹿が、馬鹿のことを「馬鹿」と言って何が悪いんだろうな。
俺には、理に叶っているように思えるんだが。

私がそう言ったら、オノがいとも簡単に答えを出した。

「それは、俺たちの誰もかもが馬鹿だからじゃないのか。
馬鹿は馬鹿という言葉に敏感なんだよ。
自分に当てはめて考えてしまうんだろうな。
馬鹿にとって『馬鹿』という言葉は、きっとタブーなんだ。
だから、炎上したんだろう」

そうかもしれない、と納得した。


さてと・・・・・じゃあ、俺の魔法のポケットから100円を出して、予定通り交番に届けることにするか。

そう言いながら、我々は予定通りに交番に向かって歩き出した。


「ああ、予定通り、交番に」




尊敬するオノ

2016-02-07 08:58:00 | オヤジの日記
「話し相手になってくれないか」と大学時代の友人からリクエストがあったので、神田のお得意先に寄ったついでに、錦糸町に行ってきた。

総武線錦糸町駅から歩いて20分程度の築40年近いアパート。
4畳の和室と小さなキッチン。
家賃は知らない。

友人は6年前、病に倒れ、長期療養を余儀なくされた。
働けなくなった彼と距離を置いた妻は、子ども2人を連れて家を出ていった。

そして、離婚。
子どもの親権は元奥さんが持った。
(複雑な事情があったらしいが、私にそれを聞く趣味はない)

50過ぎの男は、突然ひとりになった。

いま友人の病気は、それなりに回復したが、毎日働けるほどの体力はまだない。
主治医からは「週に3日程度なら働いてもいいですよ」と言われているらしい。

そこで、友人は家の近所の総菜屋さんで、週に3日、1日5時間ほど働かせてもらっていた。
しかし、それだけでは家賃と公共料金を払ったら終わってしまうので、足りない分は国から保護を得て生活していた。

その友人が言うのである。
「俺、清原を尊敬してたのになあ。残念だよ」

「清原」とは、おそらく元野球選手の清原和博氏のことだと思う。
清原氏が、最近、世間を騒がせているのは知っていた。

しかし、尊敬していた、という言い方に私は軽い違和感を覚えた。
友人は、運動はまったく苦手で、ソフトボールは体育の授業で経験したが、野球はしたことがないと言っていたはずだ。

これがたとえば、同じ野球をしている人や野球少年が「清原を尊敬する」というのならわかるが、野球未経験者の友人が「尊敬する」というのは、ただニュースに便乗しただけのように私には思えたのだ。

しかし、友人は真剣な顔で言うのだ。
「ほら、清原も離婚して、親権を奥さんに渡しただろ。俺と境遇が同じじゃないか!」

清原氏のプライベートなことを私は知らない。
たとえインターネットで清原氏のプライベートが暴露されていたとしても、それが伝聞だらけだったら、私はおそらく信じないだろう。
だから、そのことに関して、私は答えようがない。

ほーーー、と言うしかない。

ただ、これだけは間違いなく言えることがある。


俺は、清原よりもおまえのことを尊敬するけどな。


昨年の7月26日。
その夏、東京で初めて猛暑日になった日だった。

友人から、今回と同じように「話し相手になって」という電話が来た。
行ってみると、覚悟はしていたが、エアコンのない4畳の和室はサウナ状態だった。

室温は、おそらく体温よりも高かったと思う。
小さな扇風機は回っていたが、少しも涼しくはない。
3分で耐えられなくなった私は、駅前のドトールで涼もうぜ、と提案した。

しかし、友人は「もったいない」と言うのである。

いや、金は俺が出すから、と提案したが、「俺が入院したときに、おまえからたくさんの見舞金をもらった。あれをまだ返していないのに、奢ってもらうことはできない」と拒否したのだ。

見舞金なんて返すもんじゃないだろう、と私が言うと、「いや、俺はいつか返すつもりだ」と友人が毅然として言った。

結局、推定室温37度の中で、1時間以上、ぬるい水道水を飲みながら友人の話し相手になった。
彼の部屋には「贅沢品の」冷蔵庫がなかったから、冷たいものが飲めなかったのである。
「貰いもの」だという湯を沸かす道具はあったが、温かいものを飲む気にはならなかった。

友人の今の生きがいは、仕事以外の日に、図書館に行って本を読むことだ(図書館が空調がきいて快適ということもある)。
それは、6年前に彼が入院していた病院に、小児病棟があったことと関係していた。
その図書館で、彼は週に2回ボランティアで子どもたちに読み聞かせをするための下準備をするのである。

彼は教員免許も持っていたので、子どもたちにせがまれたら勉強を教えることもあった。

それが、彼の生きがい。

その小児病棟に、シノブちゃんという5歳の女の子がいた。
その子に、去年の7月、友人が「パパって呼んでもいい?」と言われたというのだ。

それを言いたくて、友人は私を呼び出したようだ。
それを言ったあとで、友人は泣き崩れた。

よほど嬉しかったのだと思う。

友人の目から涙が飛び散った。
その姿を見た私は、37度近いサウナ状態の部屋で、目から汗を流した。

それで、今もシノブちゃんは、おまえのことを「パパ」って呼んでいるのかい、と私が聞くと、友人はまた泣き崩れながら「俺が病室に入っていくと『パパ』って笑顔で叫ぶんだよ。それが嬉しくて・・・・・・」と、言葉が泣き声に飲み込まれた。

暖房器具は小さな電気ストーブしかないから、部屋の中はかなり寒い。
目から汗が出るはずがないのに、私の目からは半年前と同じように汗が出た。

体が弱いのに、最低限の冷暖房しかない部屋に住み続ける友人。
こんな環境で病気がよくなるわけがない。

何とかならないのか、と私が聞くと、「このアパートはボロいから壁がエアコンの重みに耐えられないらしいんだな、それに、夏は暑いのが当たり前。冬は寒いのが当たり前だろ? それが日本の四季なんだから、文句を言ってもしょうがない。人間が環境に慣れればいいだけのことだ」と親友は負け惜しみに見えない笑顔で答えた。


国の保護を受けている、と聞くと事情を知りもせずに、感情的に批判する人がインターネットの世界には大勢いる。

そのすべての人を私は軽蔑する。



そして、どんな状況でも気高い生き方を失わない「友人オノ」を私は尊敬している。