東京事変の話の続き。
椎名林檎は、ソロ・アーティストの時は「和のテイスト」を個性的に表現したアーティストだった。
ベースになっているのはロックだが、クラシックの要素もジャズの要素も混在した曲作りをしていた。
それは、時に輝きを放つこともあったが、音のまとまりということを厳密に考えると、成功しているとは言い難い楽曲もあった。
私は、その未完成な部分も好きだったのだが、本人は、どうだったのだろうか。
自分に足りないものは、何か?
絶えず、それを考えていたのではないだろうか。
音楽に大事なものは、アンサンブルである。
そのように椎名林檎が考えたかどうかはわからない。
しかし、強力なサポートメンバーを得たら、自分に足りないものを補ってくれるのではないか、と椎名林檎が考えたとしてもおかしくはない。
そして、ただのサポートメンバーとしてではなく、ひとつのバンドとして活動したら、もっと完成度の高いアンサンブルが実現する、と考えたのではないか。
東京事変・第一期のメンバーは、技術的にはロックのテイストを色濃くもっていた。
それは、椎名林檎がソロで消化してきたロックをそのままバンド・サウンドとして表現したものだった。
ロックバンドとしてのアンサンブルは、頂点近くまで上り詰めていたと思うが、ただその方向性は、椎名林檎の音楽の延長線上にあった。
つまり、その時点ではまだ、東京事変は「椎名林檎のバンド」だった。
東京事変・第二期のメンバーは、第一期よりも多彩(多才)である。
技術的に、さらに向上したということもあるが、メンバー間で曲作りを分け合うなど、バンドとしての個性を全面に出したことで、音楽ユニットとしての個性がさらに際立った。
要するに、少しではあるが、椎名林檎のテイストを弱めることで、東京事変がバンドとして確立されたということだ。
その点で、最初からの椎名林檎ファンには不評を買った部分もあったが、余計な音をかぶせることなく、メンバーの作り出す音だけで作り出されたその作品群は、確実にハイレベルなものへと昇華した。
東京事変メンバー個々の演奏技術、作曲・編曲能力、そしてバンドとしての調和。
第二期のメンバーが最初に作ったアルバム「大人(アダルト)」を聞いたとき、ロック・ユニットとしては、頂点に近いバンドではないかと感じた。
ただ、前回書いた、「欧米のロックやポップスの嗜好者は、他国の音楽に対して排他的であるという『壁』」により、東京事変がどんなに優秀なアンサンブルを作り出したとしても、彼らは外部に受け入れられることはないだろう、と私は思った。
彼らが創り出す、高級デパートの品揃えのような音楽は、民族主義的・排他的思考の持ち主には、なおさら理解できない音楽だろうとも思った。
音楽の全てのアイディアを、白人たちがサポートしたら、もしかしたら受け入れられるかもしれないが、そうなったら、それはすでに東京事変・椎名林檎の音楽ではなく、白人のポップスでしかない。
第二期・東京事変のナンバーには、英語の歌詞のものが多い。
それは、彼らが世界のマーケットを意識して作ったものではないかもしれないが、私は「意識したもの」として、それらの音楽を聴いていた。
それらの楽曲の完成度は、高いものもあるし消化不良のものもある。
その意味で、東京事変のメンバーには、やり遂げた部分と「未だ到達せず」の部分があったと思う。
そこで、私は推測するのだ。
椎名林檎は、その消化不良の部分を一度リセットし、「とりあえずお終い」とすることによって、東京事変の音楽を「ふりだし」に戻したかったのではないか。
「ふりだし」に戻った東京事変のメンバーが、これからどんな活動をしていくかは、わからない。
表看板だった椎名林檎でさえも、きっと白紙なのではないか。
ただ、第三期・東京事変が、数年後にスタートしたとしても、私は少しも不思議に思わない。
過去には、2年半、何の活動もしていない時期があったのだ。
解散という「ふりだし期間」が、たとえ5年続こうとも、絶対に私は待っていられる。
椎名林檎は、ソロ・アーティストの時は「和のテイスト」を個性的に表現したアーティストだった。
ベースになっているのはロックだが、クラシックの要素もジャズの要素も混在した曲作りをしていた。
それは、時に輝きを放つこともあったが、音のまとまりということを厳密に考えると、成功しているとは言い難い楽曲もあった。
私は、その未完成な部分も好きだったのだが、本人は、どうだったのだろうか。
自分に足りないものは、何か?
絶えず、それを考えていたのではないだろうか。
音楽に大事なものは、アンサンブルである。
そのように椎名林檎が考えたかどうかはわからない。
しかし、強力なサポートメンバーを得たら、自分に足りないものを補ってくれるのではないか、と椎名林檎が考えたとしてもおかしくはない。
そして、ただのサポートメンバーとしてではなく、ひとつのバンドとして活動したら、もっと完成度の高いアンサンブルが実現する、と考えたのではないか。
東京事変・第一期のメンバーは、技術的にはロックのテイストを色濃くもっていた。
それは、椎名林檎がソロで消化してきたロックをそのままバンド・サウンドとして表現したものだった。
ロックバンドとしてのアンサンブルは、頂点近くまで上り詰めていたと思うが、ただその方向性は、椎名林檎の音楽の延長線上にあった。
つまり、その時点ではまだ、東京事変は「椎名林檎のバンド」だった。
東京事変・第二期のメンバーは、第一期よりも多彩(多才)である。
技術的に、さらに向上したということもあるが、メンバー間で曲作りを分け合うなど、バンドとしての個性を全面に出したことで、音楽ユニットとしての個性がさらに際立った。
要するに、少しではあるが、椎名林檎のテイストを弱めることで、東京事変がバンドとして確立されたということだ。
その点で、最初からの椎名林檎ファンには不評を買った部分もあったが、余計な音をかぶせることなく、メンバーの作り出す音だけで作り出されたその作品群は、確実にハイレベルなものへと昇華した。
東京事変メンバー個々の演奏技術、作曲・編曲能力、そしてバンドとしての調和。
第二期のメンバーが最初に作ったアルバム「大人(アダルト)」を聞いたとき、ロック・ユニットとしては、頂点に近いバンドではないかと感じた。
ただ、前回書いた、「欧米のロックやポップスの嗜好者は、他国の音楽に対して排他的であるという『壁』」により、東京事変がどんなに優秀なアンサンブルを作り出したとしても、彼らは外部に受け入れられることはないだろう、と私は思った。
彼らが創り出す、高級デパートの品揃えのような音楽は、民族主義的・排他的思考の持ち主には、なおさら理解できない音楽だろうとも思った。
音楽の全てのアイディアを、白人たちがサポートしたら、もしかしたら受け入れられるかもしれないが、そうなったら、それはすでに東京事変・椎名林檎の音楽ではなく、白人のポップスでしかない。
第二期・東京事変のナンバーには、英語の歌詞のものが多い。
それは、彼らが世界のマーケットを意識して作ったものではないかもしれないが、私は「意識したもの」として、それらの音楽を聴いていた。
それらの楽曲の完成度は、高いものもあるし消化不良のものもある。
その意味で、東京事変のメンバーには、やり遂げた部分と「未だ到達せず」の部分があったと思う。
そこで、私は推測するのだ。
椎名林檎は、その消化不良の部分を一度リセットし、「とりあえずお終い」とすることによって、東京事変の音楽を「ふりだし」に戻したかったのではないか。
「ふりだし」に戻った東京事変のメンバーが、これからどんな活動をしていくかは、わからない。
表看板だった椎名林檎でさえも、きっと白紙なのではないか。
ただ、第三期・東京事変が、数年後にスタートしたとしても、私は少しも不思議に思わない。
過去には、2年半、何の活動もしていない時期があったのだ。
解散という「ふりだし期間」が、たとえ5年続こうとも、絶対に私は待っていられる。