リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

大恩人とボロ雑巾

2018-06-24 06:33:01 | オヤジの日記

国立のバーミヤンでテクニカルイラストの達人・アホのイナバと打ち合わせをした。

 

レギュラーの仕事の打ち合わせだった。慣れているから時間はかからなかった。

あとは雑談。イナバくんが飼っている犬の話になった。

イナバくん言うところの「ボロ雑巾」だ。正確に言うと、ボルゾイ犬だが、イナバくんはアホなので「ボロ雑巾」と覚えていた。

飼っているのは2頭。どちらも賢いから、犬くんたちは、すぐにイナバ家の序列を理解したという。

序列の一番がイナバくんの奥さん。二番が長女。三番が長男。四番が大谷。五番が大迫半端ない、六番がモンスター井上尚弥、七番がモネ(ボルゾイ犬)。八番がドガ(ボルゾイ犬)、そして、九番がイナバくんだ。

そんな序列でも、めげることなく、イナバくんは犬くんたちを溺愛していた。毎日、犬くんたちに散歩をさせられているのだ。

 

そんな情けないイナバくんに、私は大きな恩があった。

9年前、引きこもりの姉が盲腸ガンにかかった。すぐに手術をした。そのとき、手術費用は払えたが、入院費と治療費が払えなかった。

母の老後の蓄えを崩せば払えたが、それはしたくなかった。ヨメがパートで蓄えた金を出すと言ってくれたが、それも「なんだかなぁ~」と思った。色々と頭を悩ませた。結果的に、イナバくん以上に情けない私は、借金という方法しか、思い浮かばなかった。

そこで、姑息にも、その2年前にお父さんが亡くなって莫大な資産を受け継いだイナバくんの奥さんに頭を下げることにした。

そのとき、余計なことに、イナバくんは奥さんの相続額を私に耳打ちした。

私は、それを聞いて失神しそうになった。チビりそうになった。そんな経験は、初めてだった。

 

イナバくんの東京都下日野のお宅に伺って、事情を話した。

しっかり者の奥さんは、すぐ金額を聞いてきた。私は具体的な金額を言った。

すると、奥さんは、「それでは足りないと思います。私の父もガンでしたが、その倍以上かかりました。倍にした方が、いいと思います」と、ありがたいことを言ってくれた。

そして、イナバくんに顔を向けて、「ビリーくん。今すぐ銀行まで行ける?」と聞いた。

イナバくんが銀行に言っている間に、借用書を書いた。その時、奥さんは恐ろしいことを言った。「申し訳ありませんが、返済期限は、2059年の3月31日にしてください」

50年後だ。無期限のようなものだ。たとえば、借用書に返済期限を書かなかった場合、貸し手から突然「明日返してよ」と言われたら、借り主は拒むことができない。それを知っていて、奥さんは気が長い期限を書かせたのだと思う。

ありがたかった。

そのとき、奥さんは、こんなことも言った。

「ビリーくんの手綱を握っているのは私ですけど、調教してくださってるのは、Mさんですものね。だから、あの人脱線しないで走れるんです。いつも感謝しています」

とんでもねえ。

 

ありがたく大金を貸していただくことができたことで、姉の手術後の治療は、順調にいった。

だが、残念なことに、3年後に肝臓にガンが転移した。また、手術だ。その時点で、イナバくんの奥さんへの返済金額は、まだ40万円近く残っていた。

恥知らずにも、また頭を下げた。

イナバくんの奥さんは、今回も快く受けてくれた。

借金に借金を重ねる甲斐性なし。

今回は、余命宣告を受けていたので、前回の半分の金額をお借りした。おかげで十分な治療ができた。1年と言われたが、1年半生きることができた。

イナバくんの奥さんとイナバくんには、どれだけ感謝してもしきれない。

その1年半の間に、前回の借金は完済した。あとは、2度目の借金の返済だ。1回目は、完済まで5年かかった。今回は3年くらいだろうか。

 

姉の葬儀が終わって、3週間ほど経った頃、イナバくんからLINEが来た。

「調布のバーミヤンで会いましょ」のあとに、ぐでたまのスタンプ。

バーミヤンで私はダブル餃子と生ビールを頼み、イナバくんは、塩麹の唐揚げを二皿頼んだ。

そのとき、イナバくんが、正月を家族と石垣島の別荘で過ごした話をした。東京に帰る前の日、イナバくんと二人の子どもたちは、別荘の近くのレストランで、昼ごはんを食べた。

奥さんは、島で知り合ったお年寄りたちの家を訪れ、話し相手になっていたから、その場には、いなかった。

子どもたちは、オムライスを頼み、イナバくんは、シーフードカレーを頼んだ。しかし、食べ終わって、イナバくんの体に異変が起こった。

呼吸が苦しくなったのだ。それを見たレストランの店長が、即座に自分の車で医者に連れていった。

実は、イナバくんはイカアレルギーだったのだ。シーフードカレーには、イカが入っていた。それに反応したのである。普通だったら、シーフードカレーにはイカが入っていることが想像できる。自分の体なのだ。わかりそうなものだ。

だが、愛すべきイナバくんは、それをすぐ忘れる。アホの真骨頂と言っていい。そのとき、奥さんがそばにいれば止めたろうが、不幸にもいなかった。

ただ、このときシーフードカレーに、イカが少ししか入っていなかったのは、幸運といってよかった。軽い嘔吐だけで済んだ。点滴をしてもらって復活したという。

 

「イカって怖いですよね~」ヘラヘラと笑うイナバくんだった。

そのヘラヘラ顔のまま、イナバくんが封筒を私の前に置いた。

これは?

「奥さんが、Mさんに渡して来いって」

中からでてきたのは、2度目の借用書だった。返済期限が、2062年3月31日までの借用書だ。

な~~んですか、これ?

「フチのフォクさんが、エフさんにファタせって」

イナバくんが、唐揚げを2つ口にほおばって言った。

通訳するのも面倒くさいので、だって、まだ返し終わってないもんね、と即答した。

 

そうしたら、イナバくんが、目を瞬かせながら、困り顔を作った。

「奥さんが言ったんですよ。Mさんが拒んでも、絶対に手の中に握らせてって、それに失敗したら、これからモネとドガの世話は一生させないからって」

「勘弁してくださいよ~。お願いですから、握ってください」イナバくんが、頭を下げた。

いや、それは、反対でしょうが。

「失礼かもしれないけど、これはコウテンがわりだって」と必死のイナバくん。

イナバくん、それは「コウデン」だと思うぞ。

 

そんなに、甘えていいのか。借金をこんな形で踏み倒していいのか。俺をダメ人間にする気か。

「いえ、とにかく僕にとって大事なのは、モネとドガですから。ダメ人間より、ボロ雑巾でっす!」

イナバくんは、本当に私の手に借用書を押し込んだのである。

 

そのときから、イナバくんの奥さんとモネとドガ、イナバくんは私の大恩人になった。

 

ところで、なぜイナバくんの奥さんが、イナバくんのことを「ビリーくん」と言うかというと、それには驚きの理由があった。

イナバくんと奥さんが、付き合い始めた頃、イナバくんは、奥さんの前でマイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」のダンスを完全にコピーして踊ってみせたのである。

それから、イナバくんの奥さんにとって、イナバくんは「ビリーくん」になった。

しかし、普通この場合は、マイケルのダンスを完全コピーしたのだから、呼び名は「マイケル」になるのではないか。

 

でも、奥さんは言う。

「だって、マイケルって顔じゃないでしょ、ヒャヒャヒャ」

 

イナバくんの奥さんも、少し変わっている人なのかもしれない。

 

大恩人に言うことではないかもしれないが・・・。

 

 


極道の使い道

2018-06-17 06:03:00 | オヤジの日記

友人・極道コピーライターのススキダの事務所で留守番をしていた。

ひと仕事終えて、横浜大倉山から国立まで車で送ってもらうのを待っていたのだ。

 

私には、時間つぶしにスマートフォンをいじる習慣がないので、時間をつぶすのが大変だ。今日は、文庫本を持ってくるのを忘れた。ススキダの事務所にテレビはあったが、午前11時過ぎに、どんなプログラムを放映してるか知らないので、つけなかった。

こんなときは、ビールを飲むに限ると思って、冷蔵庫を開けてみたが、紅茶のペットボトルしかなかった。

そうだった。ススキダは顔が怖いくせに、酒が飲めないのだ。小指を立てて紅茶を飲むことしかできない情けない男だ。

だから、東急大倉山駅近くのコンビニまで行って、クリアアサヒとさけるチーズを買うことにした。

 

駅までの道を歩いていると、2歳半の女の子の手を引いたクロサワとポニーテールさんにバッタリ出会った。

「あ! キリンオヤジさん、お久しぶりです」クロサワが、でかい声で挨拶した。

「キリンオヤジ」というのは、私の首が異常に長いことに気づいたポニーテールさんがつけた呼び名だ。

だが、そのポニーテールさんは、ぎこちない顔をして頭を下げただけだった。

クロサワとポニーテールさんに会ったのは、2年3ヶ月ぶりだった。

 

なぜ、私がここにいるかを彼らに説明すると、クロサワが、「うちに来ませんか。ビールもありますから、一番搾りしかないですけど」と言った。

キミ、いいものを飲んでいますね。行きましょう。

しかし、ポニーテールさんの顔は、ぎこちないままだった。

 

ポニーテールさんと知り合ったのは、6年前のことだった。横浜元町の得意先の仕事が終わったので、気晴らしに横浜根岸の森林公園に行ったのだ。

芝生に直に座って、コンビニで買った中華丼とクリアアサヒで腹を満たしているとき、目の前をポニーテールをキレイに揺らしながら走っている小柄な女性を見かけた。

私は、そのとき、お節介にも一周のタイムを計ることにした。

ポニーテールさんが、また現れたとき、私は、一周4分40秒、と叫んだ。

ポニーテールさんは、最初は驚いていたが、軽くお辞儀をして私の目の前を疾走していった。2周目、3周目もタイムを叫んだ。

そして、3周目の後、丘を駆け上がって行ったあとで、すぐに駆け下りてきた。手にはリュックを持っていた。そして、言った。

「レジャーシートがあります。これに座りませんか」

2人並んで座った。ポニーテールさんは、リュックから1リットルのアクエリアスを出して、それをお上品にも紙コップに注いで飲んだ。それを見て、俺とは違う人種だと思った。

 

それから、ポニーテールさんは、いきなり自分のことを語り始めた。よほど会話に飢えていたと思われる。

自分は、奄美大島の高校を出て、誰も知り合いがいないのに、横浜に出てきた。そこで派遣の仕事で生計を立てていた。

最初は方言をからかわれて人嫌いになったが、標準語を高速で習得してからは、何とか平穏に暮らすことができるようになった。

ただ、派遣会社の直属の所長には、いまだに馴染めない。皮肉ばかり言ってくるからだ。他の派遣の人たちも所長のことを忌み嫌っていたという。

横浜に来て、3年。いま何となく行き詰まった感じがして、今日3年ぶりに走ってみたという。中学、高校時代は、中距離の選手だったらしい。

「やっぱり、走るっていいなあ」

我々の上には、雲ひとつない初夏の青空が広がっていた。クリアアサヒとアクエリアスで乾杯をした。

 

そのあと、私はまたもお節介なことを言った。

勘違いしている人が多いけど、会社の所長といっても偉いわけじゃないからね。会社から所長の役割を当てられているだけだから。そして、君たちも派遣という役割を与えられている。給料は違っても会社から役割を与えられているという点では、同じだ。つまり対等だ。卑屈にならずに、思ったことを言えばいい。

ポニーテールさんは、「へー、そんな考え方もあるんですね」と言って、私のメールアドレスと電話番号を聞いてきた。

それ以来、ポニーテールさんとは、メル友になった。それほど頻繁ではないが、長文のメールを送ってきて、私に向かってメールで鬱憤を晴らしていた。

 

そうこうしているうちに、ポニーテールさんが住むアパートの近くに介護施設ができたことを知ったポニーテールさんは、自分が介護の資格を持っていることを思い出し、その介護施設に勤める機会を得た。

そこで、身長がスモールなクロサワと知り合ったのだ。クロサワは、介護用品の会社で営業をしていた。

そのスモールなクロサワとスモールなポニーテールさんが付き合い始めた。

2人の4回目のデートの前に、ポニーテールさんから電話があった。

「キリンオヤジ、紹介したい人がいるんだけど」

え? 紹介したい人? 柴咲コウ様か、それともガッキーか?

そんな私の必死の願望を無視して、ポニーテールさんは「彼氏に決まってるっしょ」と鼻息荒く宣言した。

 

横浜駅近くの庶民的な居酒屋で、会うことにした。

約束の10分前に行ったら、2人はもう来ていた。私の姿を認めたクロサワは、突然正座をしやがった。

いや、足は崩してくださいよ。かた苦しくなるから。

それに対してクロサワは、「いえ、大事な話があるので、それが終わるまでは、このままで」と生真面目な顔で答えた。

もしかして、「マジメちゃん」?

俺の苦手なタイプじゃん。

そして、いきなり驚愕の発言。

ポニーテールさんの方を見ながら、「オオシロさんと結婚を前提にお付き合いをさせていただいてます」と私に向かって頭をさげたのだ。

は? 何で俺に、そんなことを言う。山田優。

「キリンオヤジさんが、彼女の東京での親代りだとお聞きしたので」

はい? 何ですか、その罰ゲームは。

ポニーテールさんに顔を向けると、「まあ、いいんじゃないの」と右から左に受け流された。

 

その後、2人の交際は順調に進んで、交際10ヶ月後に、めでたく結婚。クロサワ28歳、ポニーテールさん23歳だった。

危うく結婚式に招待されそうになったが、椎名林檎様の15周年ライブがあるので、と言って逃げた。

初めての赤ちゃんも順調に2年前の1月に生まれた。

ただ、古い表現になるが、ポニーテールさんの「産後の肥立ち」が悪かった。体力の回復が極端に遅かったのだ。

そのため、奄美大島からポニーテールさんのお母さんがやって来て、赤ちゃんとポニーテールさんの面倒を見た。しかし、お母さんは、島に残した糖尿病の夫が気がかりで、2週間で島に帰った。

そのあとは、クロサワのお母さんが住み込みで面倒を見た。

そんなとき、クロサワのお母さんに、どうしても外せない用事ができた。

そこで、ポニーテールさんからキリンオヤジにSOSが来たのだ。

 

「キリンオヤジ、悪いけど、短い時間でいいから、助けてくれませんか」

わかりやした。お助けしましょう。

クロサワが会社に出かける前の8時26分に、横浜大倉山のアパートに到着した。

私の顔を見るなり、クロサワが絶句した。

「キリンオヤジさん、だ、だ・・・」

俺は、ダダ星人ではないぞ。

「いえ、その顔色・・・蒼白くて」

それは、自前のライトが明るすぎるのだろう。何の問題もない。

ポニーテールさんは、私の顔を見て泣き出した。

「キリンオヤジ〜、なんで?」

 

細かいことを説明するのは、面倒くさいので、私はとにかく大丈夫、この年だからもうオッパイは出ないが、ミルクを与えることはできるからと何の説得力もない言い方で、クロサワを会社に送り出した。

「キリンオヤジ、なんで」とまたポニーテールさんが泣いた。

しかし、私はそれを無視して、赤ちゃんに2回ミルクをあげた。ゲップも上手にさせましたよ。

2回目のミルクをあげた1時過ぎに、クロサワが唐突に帰ってきた。

「仕事は終わらせました。キリンオヤジさん、もう大丈夫です。休んでください。布団を敷きましょうか」

いや、俺にはこの近所にシモベがいるから、そいつに家まで送ってもらう。心配ないさ〜〜。

そのあとススキダの事務所に押しかけた。ススキダは快く受け入れてくれて、私を武蔵野のオンボロアパートまで送ってくれた。

 

しかし、それ以来、ポニーテールさんと小さな距離ができた。

「ごめんね、キリンオヤジ」というメールが一回来ただけで、連絡が途絶えた。

ただ、律儀なクロサワからは、頻繁に電話があった。

近況を絶えず伝えてくれたのだ。

 

2年3ヶ月ぶりのクロサワの家。

一番搾りを飲みながら、ポテトチップスのり塩をつまんだ。

ポニーテールさんの顔は、まだ固いままだ。

そのポニーテールさんに、私は、ゴメンね、と誤った。

あれは、具合の悪い俺が、安請け合いしたのが悪いんだ。君たちに気を使わせてしまった。完全に俺のミスだ。

君たちは、ちっとも悪くない。大人の俺が無神経だった。ゴメンな。

そう言っても、ポニーテールさんの顔は固いままだった。

 

私は、一つのことをいつまでも引きずるのが好きではない。だから、どんな状況になっても、一番搾りを一缶飲んだら腰を上げようと思っていた。

飲み終わった。

じゃあ、と言って腰を上げようとしたとき、私は思いつきで、あることをポニーテールさんに問いかけた。

 

大倉山で怪しい男を見かけることはないかい?

 

「え?」

あきらかに、今までとは違った表情をポニーテールさんはつくった。

パンチパーマで、どこから見ても極道にしか見えない男。鼻の下には小汚いヒゲを蓄えているやつだ。

私が、そう言うと、クロサワとポニーテールさんが、顔を見合わせた。

「あのひと?」

心当たりがあるようだ。

ススキダだ。

あいつは、俺の友だちだ。

クロサワが、目をまん丸にして、「キリンオヤジさん、ヤクザと知り合いなんですか」と言った。

いや、クロサワくん、あいつは顔は怖いし、見た目は極道だが、カタギのコピーライターなのだよ。何も怖くないのさ。俺が今留守番させられているのは、あいつの事務所なんだ。

 

「あー」とポニーテールさんが、昔の笑顔で私を見た。

「なんか、怖かったんですよ、すれ違うたびに。怖くないんですか、本当に怖くないの? キリンオヤジ」

いつものポニーテールさんに、口調が戻ってきた。

安心した私は、クロサワに言った。

もう一本、一番搾りをもらってもいいかな。留守番が退屈なんでね。

すると、ポニーテールさんが、「ほら、持っていって、ポテチもあとひとつあるから」とレジ袋に入れて持たせてくれた。

 

ポニーテールさんが、復活した。

 

 

極道にも、使い道があるもんだ。

 


ミズシマルール

2018-06-10 06:01:30 | オヤジの日記

一昨年、66歳で初めて結婚した知り合いがいた。ミズシマさん、という。

 

そのミズシマさんとは、30年以上お付き合いをさせていただいていた。ミズシマさんは、私の大事なスポンサーだ。いつも奢ってくれるいいひとなのだ。

ミズシマさんと食事をしたとき、私は一度も財布を出したことがない。寿司が7割。あとは、しゃぶしゃぶ、焼き肉、すきやき、天ぷらなど。どちらも一流のお店だ。

私は一流のお店から避けられて生きてきた男だ。しかし、ミズシマさんといるときだけは、避けられないで済んだ。本当に、なんていい人なんだろう。

 

ミズシマさんは、大学2年のとき、2つの特許を取った。その特許は連動すると、特定の業種に大きなメリットを産むものだった(間接的に私たちもその特許の恩恵を受けていた)。

その特許権を売ったミズシマさんは、多額の報酬を得た。彼は、それを元手にして、世田谷下北沢に2つのアパートを建てた(大学4年の時だった)。そして、今もその家賃収入と蓄えで、悠々自適の暮らしをしていた(アパートは20年ごとに建て替えていた)。

最初、ミズシマさんと会ったのは、私が勤めていた法律事務所のビルでだった。ミズシマさんは、そこでビルの清掃のアルバイトをしていたのだ。

働かなくても食べていけたが、「働かないと刺激がない」ということで、ビルの清掃のアルバイトをしていた。正社員にはなりたくないので、年に半年間、思いついたときに清掃のアルバイトをしていたのである。

 

そのとき、私は、ミズシマさんに言われた。ミズシマさんが37歳の時のことだった。

「お兄さん・・・お兄さんは、僕に『ごくろうさま』ではなく『いつも、ありがとうございます』って言いますよね。それって、とても気持ちがいいです」「こんど、失礼かもしれないけど、ご飯を奢らせてくれませんか」

中央区東銀座の格式高そうな寿司屋で、ご馳走になった。そのとき、「特許でウハウハ」の話を聞かされたのだ。

ミズシマさんは、こうも言った。

「僕は偏屈だから、人を気に入ることは滅多にないんですよ。でも、兄さんのことは気に入ったね。これは、変な意味じゃないからね」

それ以来、ミズシマさんにはご馳走になりっぱなしだった。子どもが産まれて、埼玉に越してからは、世田谷から大宮までわざわざやってきて、奢ってくれたりした。家族全員で、奢ってもらったことが今まで14回はあった。

 

そのミズシマさんが、2年前に66歳で結婚した。相手は、10歳近く下の管理栄養士の方だった。奥様には、亡くなった旦那様との間に長男長女がいた。長男は自衛隊。長女はすでに嫁ぎ、家を出ていたので、奥様は、一人で世田谷上北沢の一軒家に暮らしていた。

二人を結びつけたのは、家庭菜園らしい。世田谷のレンタルファームを偶然隣り合わせで借りていたのがきっかけだったそうだ。

奥様は、栄養士なので、有機野菜に興味があった。そして、ミズシマさんも興味があった。偶然とは、どこに転がっているかわからない。

 

そのときは、とっくに結婚を諦めていたミズシマさんだった。

実は、ミズシマさんには、2回結婚のチャンスがあった。20代後半と30代半ばだ。いずれも結婚を決意して、相手の親に挨拶に行った。

相手の親に、「職業は何を」と聞かれたミズシマさんは、正直に「定職には就いていません。アルバイトです」と答えたという。

相手は、怪訝な顔をして、ミズシマさんに聞いた。「定職に就いていないのに、結婚しようというのですか。どうやって、娘を養うのですか」。

養う金はある、と事実を告げれば何の問題もない、と三流以下の甲斐性のない人間である私などは思う。

だが、ミズシマさんは、「それはフェアではない」と思う頑固者だった。

「だって、無職なのは間違いないじゃないですか」

その頑固さが、結婚の邪魔をした。ただ、そんなミズシマさんを私は嫌いではない。むしろ、尊敬していると言ってもいい。

私なら、俺、若い頃特許を取って大金持ちになったからね・・・働かなくていいのさ、と得意げに自慢したと思う。

器のでかい人だ、ミズシマさんは(奢ってもらっているから言うわけではないですよ)。

 

2年前、今の奥様と結婚するにあたって、ミズシマさんは「ミズシマルール」を守った。

自分の資産のことを、何も言わなかったのだ。

意を決して言ったミズシマさんの「結婚してくれませんか。僕、66歳のフリーターですけど」に対して、奥様は、「喜んで」と答えたという。奥様の2人のお子さんも快く受け入れてくれた。

いま、ミズシマさんは、世田谷上北沢の奥さん所有の一軒家で新婚生活を送っていた。

「ノロけるわけではないですけど、僕は今、幸せの絶頂ですね」とミズシマさんは、ノロけまくっていた。

(ちなみに、今ミズシマさんは、朝6時から10時まで、コンビニで週に5回アルバイトをしていた。奥様は、老人ホームと病院の管理栄養士をしていた)

 

そのミズシマさんから、一昨日電話がかかってきた。

「Mさん、この間聞いた、Mさんちに居候している大食いの女の子、気になるんですよね。ぜひご馳走させてくれませんか」

6月29日まで、我が家に居候する予定の大食いのミーちゃんのことだ。

ミーちゃんに、その話をすると、「ただ食いですか」と生々しい答えが返ってきた。

「ただ食い、大好きです!」

 

・・・ということで、中央線立川駅近くのしゃぶしゃぶ食べ放題の店にミズシマさん夫妻、M家の4人プラス大食い女王のミーちゃんと行ってきた(愛猫のセキトリは、留守番だ。セキトリごめんな。帰ったら、チャオチュール海鮮ミックスを2本奮発するから)

「黒毛和牛とタンシャブの食べ放題」。

メニューの中には、カレーやチーズリゾットもありまっせ。もつ鍋やティラミスまで、ありまんがな。

それを怒濤のように注文し、片っ端から胃に収めるミーちゃん。

その姿を見て、ミズシマさんが言う。「胃袋、何個あるんですかね」

それを聞いて、ミーちゃんが、腹を叩いて「ひとつ・・・・だと思いますよー、モーーーー!」と豪快に笑った。

 

今回の主役は、明らかにミーちゃんだった。

ミズシマさんと奥様は、ミーちゃんが瞬時に肉と白米を消費する姿に、笑うしかなかった。

我々は、もう免疫ができていたが、免疫のないミズシマさんご夫婦は、最高のアトラクションを見ているような高揚した顔でミーちゃんの食いっぷりを見つめ続けた。

そして、ミズシマさんが言った。

「毎日でもご馳走したい子ですね。見ているだけで楽しくなります」

 

だが、ミーちゃんは、もうすぐ金沢に転勤する。

それをミズシマさんに告げると、「いや、僕たちは、追っかけますよ。僕は、金沢には行ったことがないですから、喜んで追っかけます」。隣で奥様も頷いていた。

今まで、私のスポンサーだったミズシマさんは、ミーちゃんのスポンサーになることを宣言した。

 

うん、ちょっと・・・・・寂しいかな。

 

しかし、それも「ミズシマルール」。

 


似ていない中村獅童

2018-06-03 05:24:00 | オヤジの日記

神田の得意先で打ち合わせをした。

 

担当者は、中村獅童氏似の人だった。

とは言っても、この中村獅童氏似は、実は中村獅童氏には似ていない。

ご本人が中村獅童氏のファンらしく、髪型やヒゲなどを獅童氏寄りにしているので、獅童氏に似ていると好意的に表現しているだけだ。

このイベント会社との付き合いは12、3年になる。最初の頃は、担当者がひっきりなしに変わった。長くて1年程度で毎回変わったのだ。

なぜ担当者が、よく変わったかというと、この会社はイベントを取り仕切るリーダーが、私に仕事を出すのが習慣になっていた。つまり、そのプロジェクトが終わったら、リーダーも変わるから、担当者も変わるという仕組みだった。

ところが、獅童氏似に変わってからは、ずっと獅童氏似が担当者として居座っていた。5年以上だ。

 

獅童氏似は、きっと私のことが好きなのだと思う(ホモではありませんよ。獅童氏似は結婚1年の新婚さんだ)。

 

最初、獅童氏似とは、相性が悪かった。とても生真面目な人だったからだ。私は、仕事中に仕事の話しかしない人を信用しない。

仕事中に、仕事の話しかしないと、仕事をしていると勘違いしてしまうではないか。私は、遊びながら仕事をすることを信条としていた。心に遊びがないと、仕事は楽しくない。

最初から最後まで、仕事の話ばかりしないでほしい。世の中には、雑談という楽しい時間があるのだから。

当初、獅童氏似は、仕事の話しかしなかった。私が、バカ話を振っても、完全に無視をした。「はあ!」というような顔で睨むこともあった。

余裕のない人だな、と思った。失礼ながら、つまらないやつだ、とも思った。

 

しかし、ある日を境に、獅童氏似は、私に心を開くようになった。

4年ほど前に、応接室の壁に剛力彩芽姫のポスターを貼っていたことがあった。それを見た私は、可愛いですねえ、こんな子が彼女だったらいいですよね、と獅童氏似に話を振った。そのとき、めずらしく獅童氏似は興味を示して、「ああ、確かに、欲しいですねえ、こんな彼女」と同意したのだ。

その日の帰りの電車で、私は獅童氏似のツィッターを開いた(密かに獅童氏似のツィッターをチェックしていたのだ・・・獅童氏似は、そのことを知らない)。

「間抜けなオッサンだな。あんなゴリ押し女のどこが可愛いんだよ」

間抜けなオッサン=私は、次の打ち合わせのとき、意地悪なオッサンになった。

この会社では就業時間中の個人のSNSは禁止していた。獅童氏似が、「間抜けなオッサン」をツィートしたのが、午前11時20分過ぎだった。その時間は、私との打ち合わせが終わった5分後だった。つまり、私との打ち合わせを終えて、すぐツィートしたことになる。そして、それは、就業時間内だった。

 

次の打ち合わせのとき、私は獅童氏似の顔を見るなり「こんにちは、間抜けなオッサンです」と挨拶した。

獅童氏似の細い目が、精一杯開くのを私は見た。精一杯で、その程度ですか。私の3分の1以下ですな。間抜けなオッサンは、目だけはでかいのだ。

その細い目の獅童氏似に向かって、私は言った。

この会社では、仕事中のSNSは禁じられていたと思うのですが、課長さんに確かめてみましょうか。立ち上がった。

すると、獅童氏似は、私の右手を両手でつかんで、引っ張った。

「ああ・・・削除します。すぐ削除します。すみません(泣きそう)」

目の前で、削除してくれた(我ながら意地の悪いオッサンだ)。

 

そのとき、応接室には、井川遥さんのポスターが貼ってあった(なぜ、ガッキーを貼らんのだ)。

ポスターを見上げながら、綺麗な人ですねえ、と言った。そして、獅童氏似に、さあ、今度はなんてツィートしますか。間抜けなオッサンだな・・・の次は、どう続きますか(底意地が悪過ぎ)と聞いた。

獅童氏似は、「勘弁してください」と私に向かって頭を下げた。そして言った。「いや、Mさんが、まさかこんなにグイグイ来る人だとは思いませんでした。もうタジタジですよ」

その日から、獅童氏似は、私のバカ話に付き合うようになった。この時点で、こいつは、気を使う必要のないオッサンだと認識したのだと思う。

 

2年前、獅童氏似から、相談を受けた。

「4か月付き合っている人がいるんですけど・・・・塩対応なんですよね」「お互い、川崎フロンターレが好きで、その流れでドライブに誘ったり、食事をしたりしているんですけど、家まで送るよ、と言っても、『やめてよ』ですよ」「君の誕生日にディズニーランドに行くのはどう? って聞くと『行かない』」「誕生日プレゼントは何がいい? って聞いたら『いらない』ですよ」「これって、付き合っているって言えますかね」

サッカー観戦とドライブと食事は、断らないんですよね。

「はい」

それは、付き合っているってことじゃないですか。

「なんか、実感ねえなあ」と、素の獅童氏似のおことば。

 

では、確認してみましょうか。

「確認?」

「当たって砕ける大作戦」ですよ。

僕と結婚してください。これしか、ないでしょ。

「いきなりですか」

結婚したくないんですか。

「したいです!」

だったら、当たりましょう。今までは、「ソルト対応」だったかもしれないですけど、プロポーズした途端「シュガー対応」に変わるかもしれませんから。

「本当に?」半信半疑の獅童氏似であった。

私も、半信半疑ですけどね、ヘッヘッヘッ・・・(無責任なオッサン)。

しかし、この無謀な「当たって砕ける大作戦」は成功して、獅童氏似は、昨年の6月にハワイで結婚式を挙げた(君は芸能人か)。

幸せになっちまったのか、チェッ、つまんないの。

 

今回、仕事の打ち合わせのあとに、いつもながらの雑談時間があった。

そこで、獅童氏似に言われた。

「Mさんって、不思議ですよね。全然僕たち夫婦のことを聞かないですよね。まわりは、『どう、新婚生活は楽しい?』とか『赤ちゃんはまだ?』ってうるさいくらい聞くんですけど、まったくないですもんね」

それはですね・・・私が、人から個人的なことを聞かれるのが嫌だからです。だから、人にも聞かないんです。

たとえば、いきなりマイクを突き出されて、「今日のループシュートは最高でした。あれは、狙っていたんですか」と聞かれても、私の場合、いや、体が勝手に反応したんですよ、などというコメントは、絶対に言えないんです。

私がそうボケると、獅童氏似が、手をマイクにして、「アディショナルタイムでの、ミドルシュートは惜しかったですね。入ったと思いましたけどね」と乗ってきた。

あれは、キーパーのファインセーブですね。あのセーブはアッパレです。運が悪かったとしか言いようがありません。

「たーーいへん、惜しかったですね」

獅童氏似も、立派なバカになってきた。

 

そのあと続けて、獅童氏似が、鼻の穴を膨らませて言ったのだ。

「この間の試合で、僕はベイビーをゲットしました。もうすぐ5か月です。これは、『スーパーゴール』と言っていいでしょうかぁ!」

 

なんと!

私にとっては、2週続けてのスーパーゴールだ。何という偶然!

 

 もうすでに、ベイビー・ワールドカップで2勝だぁ。

 

代表さんたち、ホラ・・・続いてください。