天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

映画『NINE』でケイト・ハドソンはダニエル・デイ=ルイスのポケットにルームキーを入れラブゲーム誘う

2010-03-26 23:23:12 | 日記
今日の日記は、映画『NINE ナイン』で、危ない夜に誘う女性ジャーナリスト(ケイト・ハドソン)が主人公の有名映画監督(ダニエル・デイ=ルイス)に、渡した自分のルームキーのことです。
彼女は、私が初めて見た女優さんです。でも、彼女の母親は、コミカルな演技といつまでも若々しい容姿で、私がよく知っている女優ゴールディ・ホーンです。
この映画では、妻(マリオン・コティヤール)と愛人(ペネロペ・クルス)がホテルで鉢合わせになり、最悪の妻の誕生日パーティーになった失意の映画監督が、自棄酒を飲みにバーへ出かけます。そして、そのバーカウンターの隣の席に座ったセクシーな女性記者が、彼に「イタリア男の性根を見せてよ!」と囁きながら、彼を男と女の耽美な世界へ誘惑します。とても魅力的なケイト・ハドソンは、自分のルームキーを強引に彼の胸ポケットに入れ込んで、そのバーから悠然と去っています。
この映画での男と女のやりとりは、とても粋な男と女のラブゲームです。私は、このシーンに思わず「ニヤリ」としました。
しかし、現実の世の中(特に倫理感のない下等政治家の社会)では、映画のような素晴らしい「ルームキーをめぐる粋な男と女の話」とはならず、生臭く品性下劣でとても不快な「ルームキーが語る男女間の痴話ばなし」となってしまいました。
その痴話ばなしとは、「週刊新潮」4月1日号に、知人女性に衆院議員宿舎のカードキーを貸与していたことなどが、報道された中井洽国家公安委員長の醜聞です。中井洽国家公安委員長は記者会見で、女性について「もう6年くらいの付き合い。(議員宿舎の部屋に)週1回、掃除に来てもらっている」とその報道を会見で説明しています。
この彼の会見を聞いて、「なんで、夜中に30歳以上も歳が違う30代前半の若い美人ホステスに、自分の部屋の掃除だけを特別に頼んでいるのか?」との素朴な疑問が私に沸き起こりました。そして、とても不自然な弁明に汲々とする品性下劣な政治家に、私は唖然としました。
この問題の政治家は、見た映画を間違えています。この政治家は、美人ホステス女性と都内で、映画『シャーロック・ホームズ』を観賞しています。彼は、この映画より『NINE ナイン』を彼女と一緒に見るべきでした。
そうすれば、彼は「掃除に来てもらっている」などの下劣な言い訳は、決して出来なかったはずです。
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映画で能力発揮し出来栄えを考える監督には主演女優はとても大切なファクターで努力結果が二人の愛の結晶に

2010-03-25 23:21:29 | 日記
今日の日記は、映画『NINE ナイン』のパンフレットで記載されていた『伯爵夫人』(67年製作)の映画で、主演した女優のソフィア・ローレンと遺作となったチャーリー・チャップリン監督のことです。
以前の日記で私は、チャーリー・チャップリンとソフィア・ローレンの「監督と主演女優の関係」に触れています。以下に、その日記「チャップリン最後の作品『チャップリンの伯爵夫人』は彼の静かな抗議メッセージ(2009年6月8日記述)」を掲載します。
『「チャールズ・チャップリンがロリコンの変態である」を一笑に付す傍証資料として、私は彼が最後に製作(監督・脚本・音楽)した唯一のカラー映画『チャップリンの伯爵夫人』(1967年・イギリス製作)を挙げます。
彼はこの映画で、ロシア革命で香港に亡命した貴族の娘をヒロインとして、ソフィア・ローレン(イタリアの女優、名画『ひまわり』(1970年)で出征した夫の帰りを待つ人妻を好演)を配しています。もし、彼が真のロリコン趣味者ならば、そのヒロインにはオーディション等で自分好みの若い新人女優を、彼は選んでいたはずです。
この映画が劇場封切された時、私はヒロインのソフィア・ローレンがとても大好きなスターでしたので、中学二年生でも一人で上映している映画館まで観に出かけました。この映画のテーマである大人の男女の不倫ラブコメディには、私はまだ若く未熟な年頃でしたので、よく判らずあまり実感が沸かなかったです。
でも、ソフィア・ローレンのイブニングドレスからはち切れそうな胸の谷間やマーロン・ブランドが着替え用に買ってきたサイズの合わない下着を後ろ前に着ける可笑しな仕草は、多感な年頃だった私にはとても衝撃的で、今でも忘れられません。
だから、こんなに魅力だった彼女は、私にはまったくロリータに見えなかったです。チャップリンは、自分が製作した映画に自分自身のメッセージを色濃く反映させる映画人です。体力的にもう映画製作が出来なく自分を思い、チャップリンは最後に、理不尽なロリコン中傷や国外追放劇への静かなる抗議をこの映画に託したのだと、私は思っています。』
このように「監督と主演女優の関係」は、チャールズ・チャップリンとソフィア・ローレンのような、私が日記で言及した映画製作を通して、自己の思いを適切に伝えるだけの、「監督とそれに従う役者」がごく普通の関係です。
ただ、チャールズ・チャップリンには既に愛妻がおり、ソフィア・ローレンには映画製作者カルロ・ポンティがいたので、親密な男女関係に発展しなかっただけですが。
でも、最近劇場で見た映画『NINE ナイン』の主人公モデルであるフェデリコ・フェリーニ監督と主演女優でもあったジュリエッタ・マシーナのような、1993年フェリーニ監督が病死するまで連れ添ったとても仲の良い夫婦の関係もありました。
実際、この映画でも同じように、有名監督(ダニエル・デイ=ルイス)が、妻(マリオン・コティヤール)と初めて出会ったのは、彼の製作映画の出演者オーディションの時でした。その時の女優カメラテストで、アップした髪を下ろすように指示しそのコティヤールの美しい姿にデイ=ルイスが惚れこんで、映画完成後主演女優であったコティヤールを引退させ、結婚し彼の妻にしたのです。
このような男女関係や夫婦関係にまで発展するかは別として、製作する映画で自らの能力を最大限発揮し、その出来栄えを真剣に考える監督にとって、それに主演する女優の資質はとても大切なファクターであることは、間違いないです。
だから、映画製作を通じてそのお互いの必死な努力の結果が、二人の愛の結晶に到ることもあるのです。
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NINEパンフレットのソフィア・ローレンPROFILE映画で「エル・シド」と「伯爵夫人」は日記紹介済

2010-03-24 23:17:08 | 日記
今日の日記は、映画『NINE ナイン』(ロブ・マーシャル監督 ダニエル・デイ=ルイス主演 ソフィア・ローレン共演)のパンフレットに書かれたソフィア・ローレン・PROFILEのことです。以下に、それを引用し掲載します。
『1934年9月20日、イタリア・ローマで生まれ、戦時下のナポリで育つ。14歳で演劇学校入学。50年代後半にかけて着実にスターとしての地位を確立。60年にはヴィットリオ・デ・シーカ監督の「二人の女」で主演を務め、カンヌ、ベネチア、ベルリンの国際映画祭で主演女優賞を獲得した他、アカデミー賞主演女優賞に輝き、外国語映画における演技として初めてとなる快挙を達成。それ以降も「エル・シド」(61/監督:アンソニー・マン)、「レディL」(65/監督:ピーター・ユスティノフ)、そしてチャーリー・チャップリンの遺作となった「伯爵夫人」(67/)ではマーロン・ブランドと共演した。91年、ワールドシネマへの貢献が認められて、アカデミー賞名誉賞を受賞した。』
この彼女のプロフィールを読んで、私はとても感慨深い思いをしました。この中の紹介作品で、私が日記で広く紹介した映画が、4本中の半分の二本もあったからです。その映画は、中世スペインの伝説的な英雄の愛妻をとても凛々しく演じた「エル・シド」と、中国・香港「貴族令嬢と踊れるダンスホール」の人気踊り子でアメリカ亡命を企てた薄幸な女性をコミカルに演じた「伯爵夫人」の二つです。さらに、「伯爵夫人」の監督チャーリー・チャップリンは、この映画『NINE ナイン』でも主人公の妄想シーンの会話に登場しています。これは、まさしく奇遇というほかありません。
だから、私は近くのレンタルビデオ店から、この二本の名作映画を借りて、今自宅の書斎で再々度とても懐かしい思いでじっくり鑑賞しています。
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映画NINE楽曲家の目標は、DNAがイタリア映画形成に貢献し並外れたソフィアローレンのエッセンス創造

2010-03-23 22:59:59 | 日記
今日の日記は、映画『NINE ナイン』(ロブ・マーシャル監督 ダニエル・デイ=ルイス主演 ソフィア・ローレン共演)でソフィア・ローレンが歌った『グラナダ・ラ・ルーナ』のことです。映画評論誌『キネマ旬報』最新号で、フリーライター・佐藤友紀氏が自己の映画評論で、ソフィア・ローレンが歌うはずだった舞台版『ナイン』が削られて、オリジナル楽曲『グラナダ・ラ・ルーナ』になった顛末を語っています。以下に、その記述を引用・掲載します。
『ソフィア・ローレン扮するグイドの亡き母親が、歌うはずだった「ナイン」が、削られているのがまず衝撃だ。もっとも作曲のイェストンいわく
「理由は簡単だよ。彼女のキーでは高すぎるから(笑)。その代わり、そのソフィア・ローレンを輝かせ、彼女の持ち味を引き出すという使命を僕は授かった。で、舞台版の「グイドのワルツ」という、自分としてはエリック・サティっぽい感じを取り入れた曲を思い出し、それに詞をつけて「グラナダ・ラ・ルーナ」にしたのさ」。』
さらに、この映画のパンフレットでも、同じように作詞・作曲家のモーリーイェストン(私注:舞台版の楽曲の製作者)は語っています。
『舞台版に出てくるグイドの母のオリジナル曲は典型的なハイソプラノの曲だが、ソフィア・ローレンはソプラノではない。それでは、この曲は舞台の時と同じような効果はもたらさなくなる。私の目標はソフィアのための曲を作ることだった。しかも、舞台と同じように叙情的でミュージカル的な要素を備えつつ、ソフィアの声域に合う曲。さらに、そのDNAがイタリア映画の形成に一役買ったといえる、並外れたひとりの女性のエッセンスのあるものを作ることだった。そして舞台版の「Waltz from Nine」をこの曲「グラナダ・ラ・ルーナ」に変化させたんだ。』
このように映画『NINE ナイン』では、俳優自身が映画で直接歌う製作方針を、強く貫いています。しかし、昔の映画はそうではなかったです。古いミュージカル映画では、歌唱の部分の声は、それを演じている俳優ではなく、別人の吹き替え音声でした。名作ミュージカルといわれている映画『マイ・フェア・レディ 』のオードリー・ヘプバーンや『ウエスト・サイド物語』のナタリー・ウッドは、自分自身では歌っておらず、吹き替えの歌手が代わって、巧みにこなしていました。このような映画製作姿勢に異論を唱えて、俳優自身が全てを歌った最初の映画は『ムーラン・ルージュ』(アメリカ2001年製作)だと、私は記憶しています。
ロブ・マーシャル監督も、前作『シカゴ』(2002年製作)で、その製作姿勢を貫いています。だから、彼はソフィア・ローレンといえども、何ら特別扱いをせず、彼女の声に合った相応しい楽曲を、時間をかけて舞台版の作曲家に作られてします。
このような真摯な姿勢で創られた肉声のミュージカル映画は、多くの観客に強い感動を生むのです。
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劇場演技者女性と客の関係を武家の主君と臣下に例える時、直接拝謁し正式に賜った名でなくては、適用されず

2010-03-22 22:46:55 | 日記
今日の追加日記は、悪行投稿客の「皆勤偽装と△△のオヤジとの言葉」に対する私の反論です。私の書込版アーカイブの第五弾である、その関連投稿を以下に転載します。
『・・私の反論A「投稿日:2009年1月16日(金)」・・
・<スレのみなさん、あけましておめでとう。昨年の暮れに引退を思いとどまった△△のオヤジだが、新年はどのような展開になるだろうか。投光からは静かにしないと出禁と脅され、オキニの一人には尊敬のカケラもない呼ばれ方をしてるのが判明した。オヤジのスト客としての前途は暗いとしか言いようが無い。これからしばらくは引退するかどうか悩む時期が続くのではないかな。>
この投稿客は、どこから<投光からは静かにしないと出禁と脅され>との情報を得たたのか?私は去年の時点では、劇場関係者からその種の注意を何も受けていません。この投稿客はそれを依頼した劇場関係者 (投光?)が実際に行なったか?自ら確認もせず、実行したと勝手に思い込み、このような間違った書き込みをしています。
そして、この投稿客は「おやじ」を<オキニの一人には尊敬のカケラもない呼ばれ方>と記述しているが、「おやじ」という言葉を、そのような趣旨に捉えるのは、この投稿客だけです。「ちょいわるおやじ」(注:雑誌「LEON」が提唱した、不良がかった中年男性(おやじ)のファッション。あるいは、それを範とする中年男性のこと)や「パパイヤ鈴木とおやじダンサーズ」での表現で判るように、「おやじ」という言葉自体が「尊敬のカケラもない呼ばれ方」では決してないです。』
『・・私の反論B「投稿日:2009年1月17日(土)」・・
・<皆勤偽装!>  
・<事柄について長文でいいから答えなさい。2.○さんに△△のオヤジどこいった!といわれたことについて3.○さんに皆勤してなかったことや場内にいないことさえ把握されてなかったことについて >
・<あらあら、皆勤してないのに・・・皆勤してないの指摘されて、踊り子が書いちゃったなんて言ってたものだよ。困惑して受け取るならまだ分かるけど、やっぱり男じゃなかったんだな。>
・<やはり皆勤してないとは言わなかったのか ありがとうも言わず、そうかそうかと受け取ったんだろうな>
一般投稿客が指摘しているように、劇場客が他の客の踊り子嬢から個人的に頂いたプレゼントや「皆勤してなかったことや場内にいないことさえ把握(注:私は?)されてなかったこと」について何度も言及し、その意見まで要求するのは、とても見苦しい不良投稿者の嫉妬に狂った悪行です。
劇場演技者からその応援客へのプレゼントは「歴史上の出来事や事件の時、繰り返され実施された論功行賞、指導者からの協力者や家臣へのある行動に対する一種の「恩賞」とも考えられます。いつの時代でも、その「恩賞」に対して不平・不満を述べる輩は存在します。そして、その恩賞に不平・不満を抱いた輩は、その指導者からかえってもっと悲惨な処遇を、その後強いられています。
上記の投稿客らは、関ヶ原の戦いの論功行賞で、徳川家康が山内一豊に掛川五万一千石から土佐九万八千石一国の「恩賞」を与えたのを、御存知ないと思われる。
山内一豊は、関ヶ原の戦いではさしたる手柄はなかったものの、家康にとってその戦いの前、小山評定で戦いを有利に導く有名な一豊の「ある発言」が高く評価されたのです。私の場合も、皆勤はしていなくとも、応援女性に対する「ある発言」が高く評価され、「恩賞:日頃の応援に対するお礼(プレゼント)」を頂いたと私は思っています。』
『・・私の反論C「投稿日:2009年1月18日(日)」・・
・<「猿よ、お前は今後「羽柴」を名乗るがよい」「ダセェ名前w嫌ですわw」もしこんなことを言えば、もはや出奔するしかなく、のちの豊臣秀吉は存在し無かっただろう 踊り子と客の関係を、武家の主君と臣下に例えるおじさん。○さんから賜った名を名乗らないってことは、「○さんとの決別」を意味してるのですね>
この投稿客は正しい歴史的知識がまったく欠如しているくせに、その間違った論法を私の「歴史における論功行賞=皆勤賞等の恩賞」の比喩に言及しています。以下に、投稿客の間違いを私は記述します。
足利義昭を追放し室町幕府を消滅させた織田信長は、1574年3月12日、正親町天皇から「従三位」に叙せられ、「参議」に任官されました。その際、織田家の幕将十八人に対しても、信長自身の奏請により、それぞれ叙位・任官の沙汰がありました。近江長浜城主になった木下藤吉郎にも「従五位下・筑前守」の拝命がなされています。
その当時、田舎豪族が何の守などと勝手に称しているインチキ官位とは違い、天皇から正式に頂戴した官位です。だから、藤吉郎は木下の姓 (注:彼自身は姓などなく、妻ねねの実家の姓)では軽すぎると思い、自らが信長にその改姓を申し出たのです。
このように、「羽柴」は信長が考え、与えたものではなく、藤吉郎がある思いを込めて申し出た姓です。これは、「人たらしの名人・秀吉」の逸話として、とても有名な歴史上の事実です。木下藤吉郎は、織田家の先輩家老、柴田権六勝家から「柴」と丹羽五郎左衛門長秀から「羽」の姓の一字ずつ拝借して「羽柴」という新しい姓名を考案したのです。
< ○さんから賜った名を名乗らない> 私は、応援女性に直接拝謁し、正式にそれを賜った名(ハンドルネーム)でなくては、いくら傍から言われても、そのHN(現在の△△のおじさん)を変える必要はないと思っています。投稿客は歴史に関する知識をもっと勉強してからその投稿しなさい。 』
・追記補足・私注:私は投稿された2008年末時点では、劇場関係者からその種の注意を何も受けていませんでしたが、この投稿者が予告した通りの行為を2009年1月3日朝、劇場の入口で入場を待っていた時に、ある劇場関係者から実際に受けています。この投稿者は、その劇場関係者がもうこちらの味方だと勝手に判断したのでしょう。しかし、一部の応援客の言いなりになるこの劇場の運営姿勢にも、私は強い憤りを感じています。
そして、自分の気に入らない劇場客には徹底した排除行動をとることが、独善的悪行親衛隊の重要な教義であることを、如実に立証した彼らの投稿でした。でも、私は過去に使用していたHNを、もう再び使うことはないと思っています。
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