天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

映画『ひまわり』のひまわりと同じ「ひまわり柄バック」の持つ数奇な運命に驚き、所有する劇場演技者に陳謝

2010-03-28 16:25:45 | 日記
今日の日記は、映画『NINE ナイン』(ロブ・マーシャル監督 ダニエル・デイ=ルイス主演)に出演したソフィア・ローレンの代表作の一つ映画『ひまわり』(イタリア 1970年カルロ・ポンティ製作:ヴィットリオ・デ・シーカ監督 主演マルチェロ・マストロヤンニ 共演リュドミラ・サベーリエワ)に登場する「ひまわり畑」のことです。
私は、この名作映画を再び見たくなってレンタル店(添付写真参照)から借りて、今鑑賞しています。第二次世界大戦で、ロシアに出征したまま戦争が終わってもイタリアに帰還しない夫(マルチェロ・マストロヤンニ)を、妻(ソフィア・ローレン)がロシアまで探しにでかけて、ロシアの担当高官に案内された地で、見渡す限り密生していたとても印象的なひまわりの原野が、この映画のタイトルになっています。そして、映画の最初と最後にも、その「ひまわり畑」は登場しています。
映画では、このひまわりの原野のその一本一本の下に、極寒の対ロシア戦で、無念のうちに死んだイタリア兵が無数に眠っているのだと、案内したロシアの担当高官は語っています。
そして、次のシーンでは、見渡す限りの十字架の原っぱが、ロングショットの巧みな撮影で展開します。
さらに映画では、ロシアの担当高官に『お国の戦死者の記念碑です。ロシアの詩人スエトロフの作ー「ナポリの息子よ なぜ君はロシアの原野へ来たのか 故郷の湾に飽きたのか ラホストークでは君は ベスビオの山を想っていた」』と戦争の悲惨さを静かに語らしています。
名匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督のとても素晴らしい演出です。ひまわりには夏の明るい日差しのイメージがありますが、その明るさに隠された真実は、そうではないことを観客に覚らせてします。今回鑑賞して、その監督の想いをはっきりと私は得心しました。
それは、私がソフィア・ローレンの後継者と思っている劇場演技者女性に過去プレゼントした『とても小さなひまわり柄の手持ちバック』の数奇な行く末に、この映画の持つイメージとダブらせたからです。
私は、その『ひまわり柄のバック』が明るい劇場演技者女性にとても相応しいと思い、2008年8月2日に都内某劇場で、彼女にプレゼントしました。彼女はそのバックを気に入ったのか?、出演した劇場でそれを使ってくれました。でも、彼女はそのバックを、一緒に出演していた彼女ととても仲のよい別の劇場演技者女性に、その後贈与しました。別の劇場演技者女性は、そのバックがとても気に入り彼女に無心したと劇場で語っていました。
そして、この無心した劇場演技者女性は、現在、この所属劇場にまったく出演しなくなってしまいました。この女性も明るい女性で、この所属劇場ではリーダー格の存在でした。だから、言いたいことを客にもズバズバと注意や忠告している光景を、何度も私は劇場で見かけていました。
このような彼女の不正を糾す姿勢が劇場の勘気を蒙ったのか?かも知れません。完全に排除された私とこの煙たい存在の彼女も、この劇場にもう再び戻って訪れることはないのか?私は映画を見ながら深く思い悩みました。
映画『ひまわり』に登場するひまわりと同じ「ひまわり柄のバック」の数奇な運命に、今私は驚いてします。そして、今所有している女性の身辺にも及んでいると思うと、私がその「ひまわり柄バック」プレゼントしたことが悪いことであったのか?と深く自省自問しています。今所有している劇場演技者女性に、私は衷心より陳謝したいです。
さらに、ひまわりのイメージに深く隠された墓碑銘的な真実に、私は今声もなく深い悲しみの思いに陥っています。
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