天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

映画で能力発揮し出来栄えを考える監督には主演女優はとても大切なファクターで努力結果が二人の愛の結晶に

2010-03-25 23:21:29 | 日記
今日の日記は、映画『NINE ナイン』のパンフレットで記載されていた『伯爵夫人』(67年製作)の映画で、主演した女優のソフィア・ローレンと遺作となったチャーリー・チャップリン監督のことです。
以前の日記で私は、チャーリー・チャップリンとソフィア・ローレンの「監督と主演女優の関係」に触れています。以下に、その日記「チャップリン最後の作品『チャップリンの伯爵夫人』は彼の静かな抗議メッセージ(2009年6月8日記述)」を掲載します。
『「チャールズ・チャップリンがロリコンの変態である」を一笑に付す傍証資料として、私は彼が最後に製作(監督・脚本・音楽)した唯一のカラー映画『チャップリンの伯爵夫人』(1967年・イギリス製作)を挙げます。
彼はこの映画で、ロシア革命で香港に亡命した貴族の娘をヒロインとして、ソフィア・ローレン(イタリアの女優、名画『ひまわり』(1970年)で出征した夫の帰りを待つ人妻を好演)を配しています。もし、彼が真のロリコン趣味者ならば、そのヒロインにはオーディション等で自分好みの若い新人女優を、彼は選んでいたはずです。
この映画が劇場封切された時、私はヒロインのソフィア・ローレンがとても大好きなスターでしたので、中学二年生でも一人で上映している映画館まで観に出かけました。この映画のテーマである大人の男女の不倫ラブコメディには、私はまだ若く未熟な年頃でしたので、よく判らずあまり実感が沸かなかったです。
でも、ソフィア・ローレンのイブニングドレスからはち切れそうな胸の谷間やマーロン・ブランドが着替え用に買ってきたサイズの合わない下着を後ろ前に着ける可笑しな仕草は、多感な年頃だった私にはとても衝撃的で、今でも忘れられません。
だから、こんなに魅力だった彼女は、私にはまったくロリータに見えなかったです。チャップリンは、自分が製作した映画に自分自身のメッセージを色濃く反映させる映画人です。体力的にもう映画製作が出来なく自分を思い、チャップリンは最後に、理不尽なロリコン中傷や国外追放劇への静かなる抗議をこの映画に託したのだと、私は思っています。』
このように「監督と主演女優の関係」は、チャールズ・チャップリンとソフィア・ローレンのような、私が日記で言及した映画製作を通して、自己の思いを適切に伝えるだけの、「監督とそれに従う役者」がごく普通の関係です。
ただ、チャールズ・チャップリンには既に愛妻がおり、ソフィア・ローレンには映画製作者カルロ・ポンティがいたので、親密な男女関係に発展しなかっただけですが。
でも、最近劇場で見た映画『NINE ナイン』の主人公モデルであるフェデリコ・フェリーニ監督と主演女優でもあったジュリエッタ・マシーナのような、1993年フェリーニ監督が病死するまで連れ添ったとても仲の良い夫婦の関係もありました。
実際、この映画でも同じように、有名監督(ダニエル・デイ=ルイス)が、妻(マリオン・コティヤール)と初めて出会ったのは、彼の製作映画の出演者オーディションの時でした。その時の女優カメラテストで、アップした髪を下ろすように指示しそのコティヤールの美しい姿にデイ=ルイスが惚れこんで、映画完成後主演女優であったコティヤールを引退させ、結婚し彼の妻にしたのです。
このような男女関係や夫婦関係にまで発展するかは別として、製作する映画で自らの能力を最大限発揮し、その出来栄えを真剣に考える監督にとって、それに主演する女優の資質はとても大切なファクターであることは、間違いないです。
だから、映画製作を通じてそのお互いの必死な努力の結果が、二人の愛の結晶に到ることもあるのです。
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