天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

司馬さんも、超自然的な力を願う修行僧と認識・知覚の理解を越えた世界「雑密」に憧れた少年期があった

2010-03-03 22:03:29 | 日記
今日の日記は、『空海の風景』で理解を越えた世界・密教を描いた司馬遼太郎さんが、執筆を完了した時、自己の思いを吐露した「あとがき」(1975年10月記)での体験エピソードです。以下に、その記述の一部を引用掲載します。
『風がはげしく吹きおこっているとする。そのことを、自分の皮膚感覚やまわりの樹木の揺らぎや通りゆく人々の衣の飛びようや、あるいは風速計でその強さを知ることを顕教的理解であるとすれば、私は、多くの人々と同様、まだしもそのほうに向いている。密教はまったく異っている。認識や知覚を飛び越えて風そのものに化(な)ることであり、さらに密教にあっては風そのものですら宇宙の普遍的原理の一現象にすぎない。・・本来、風のもとである宇宙の普遍的原理の胎内に入り、原理そのものに化りはてしまうことを密教は目的としている。そういうことで、密教は私などの理解を越えた世界であったし、今でも無論そうである。・・私が密教というものの断片を見た最初は、十三詣りの時である。・・大峰山の山頂に蔵王堂がある。堂内は暗く、手さぐりで奥へ進むと、いよいよ暗い。やがて粗末な灯明皿に小さな炎がぬめぬめとゆれている。「不滅の灯明」と書かれている。「ほんとうに不滅か」と、まだ若かった叔父に聞くと、叔父ではなく、堂内の闇のどこから、ほんとうに不滅だ、という声が聞えた。そのことが、薄気味悪かった。子供だったから、灯明よりもむしろ、その声が聞えてきた闇のほうが、千数百年以来このままこの場で滞っているように錯覚し、少なからず衝撃を受けた。それ以来、その山を開いた役ノ行者という怪人が歴史上の誰よりも好きになり、役ノ行者だけでなく大峰山の山ごと気に入ってしまい、二十になるまでの間に、四度も登ったりした。・・私は雑密の世界が好きであった。雑密というのは、インドの非アリアン民族の土俗的な呪文から出たと思われるが、その異国の呪文を唱えることによって何等かの超自然的な力を得たいと願うこの島々の山林修行者が、時に痛ましく、時に可愛らしく思われた。』
このような司馬さんの体験談を詠んで、「司馬史観」と呼ばれる俯瞰的で合理的なとても素晴らしい歴史観を持たれた司馬さんが、若い頃役ノ行者が好きだったとは意外な感じ・違和感を抱く方もいるでしょう。でも、すべての事象が理性や合理性だけで証明できるわけではないです。だから、人間は、超自然的な力や摩訶不思議な現象に憧れ、自己もそのように化身したいと願ってきました。特に、人生の少年期においては、不可思議な世界に強く憧れるものです。司馬さんも、自ら語っているように不可思議な世界(雑密)が好きになっています。
天命を知る齢の私が、その不思議な世界に浸っていても何も可笑しくないです。司馬さんは、その人間を「痛ましく可愛らしく思われた」と擁護しているのだから。
コメント
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