天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

西域ウイグル人が生んだ胡旋舞が、朝鮮半島の朝鮮踊りを経て日本伝播、私の応援する劇場演技者女性が継承

2010-03-07 23:42:25 | 日記
今日の続編日記は、今私が読み直している『対談 中国を考える 陳舜臣・司馬遼太郎』(1983年文春文庫刊)の「シルクロード、その歴史と魅力:1977年10月17日 於大阪」で二人が語っている「金達寿氏に見る朝鮮踊りと胡旋舞の相関性」のことです。以下に、長文になりますが、その該当する箇所を著書より一部を引用し掲載します。
『・司馬「孔子は音楽好きだった。でも、隠微な音楽はいけないとか、やかましい人だったけれども、そのころは、それほどの楽器も音楽も無かったような感じだな。漢から隋、唐にかけて西域との交通がさかんになって、殺到するようにいろんな楽器が入ってくる。そのおこぼれを日本の奈良、平安朝がうけるわけだけど。西域のは、踊り方も奴凧が舞いあがるような感じで、いわゆる日本舞踊とは根本的に違いますね。彼らは重心を肩先へ舞いあげて踊る。」
・陳「金達寿さんが踊るみたいなね。」
・司馬「そう、僕は金達寿さんから朝鮮踊りをさんざん習ったんだけど、今だに腰でしか踊れない。朝鮮人はみんな肩で踊る。ウイグル人もそうですね。」
・陳「手に表情があるんだといいますね。」
・司馬「ようするに宙に舞っているような感じなんだね、大地に坐っているんじゃなくて。ああいう踊りは朝鮮独特のものだと思ってたけど、考えてみたら朝鮮半島は東の端で、ウイグルから影響を受けてもおかしくない所にあるんですね。しかも同じ三拍子。でも現地のウイグル人の方が金達寿さんよりひょっとすると上手かもしれません(笑)。・・朝鮮人の踊りでは音楽と踊りとがまったく別で、ジャンジャン楽器を鳴らしながら踊りの方はトンビが舞うように悠々としてる。これは朝鮮の踊りのおもしろさというか特徴的なことなんですけれども、それがウイグルへ行くと音楽と踊りが合ってる。不思議やね。伝播してくる途中のどこかに音痴族が介在している(笑)。」
・司馬「とにかく日本人だと、ずんずん重心が大地に行ってしまう。踊りとか武術を含めて、日本人の体技はすべて腰を沈めるでしょう。百姓が重心を舞いあがらせるという点だけでいうと、朝鮮人はウイグル人の方に近い。」
・陳「ウイグル人の踊りは爪先を立てるのが多いね。爪立ちしてクルクルまわるのが胡旋舞ですからね。」
・司馬「我々と違って日常馬に乗って暮らしている連中から生れた踊りということなのかな。」』
この司馬さんと陳さんの対談にも金達寿さんが登場しています。また、司馬さんが小説『空海の風景』で言及していた「胡旋舞」を陳さんが話題に取り上げています。だから、この著書は二人だけの対談ではなく、もう三人による鼎談のエッセイ集と思っています。それほど、三人の仲は良いのです。司馬さんと陳さんは同じ大阪外国語学校卒業の同期生(注:司馬さんは蒙古語科で陳さんはインド語科)です。金さんは彼らより4歳年配の司馬さんが兄事する儒教国の理想を具現する作家です。
そして、陳さんが「西域の踊りは手に表情がある」と、司馬さんが「悠々と踊る」と語っているこの文章を読んだ時、私が観劇応援した劇場演技者女性の最後に見た舞台を、私は思わず深く回想していました。彼女のその演目は、その手の所作にとても印象的な彼女の表情を生み出していたからです。
西域ウイグル人が生み出した胡旋舞は、朝鮮半島の朝鮮踊りに転化し、海を渡り間違いなく日本に伝播されたのでしょう。そして、その舞踊の極意は、私の応援劇場演技者女性に継承されていると私はその時に確信しました。
さらに、この日記も私のモロローグではなく、彼女との心を通わす「魂の対談」に発展していくような予感を、今私は抱いています。
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生魚料理・刺身に見る日中の食文化違いが残酷性民族論に発展か?それを解く鍵は劇場演技者女性の食物嗜好

2010-03-07 20:06:44 | 日記
今日の日記は、今私が読み直している『対談 中国を考える 陳舜臣・司馬遼太郎』(1983年文春文庫刊)の「近代における中国と日本の明暗:1974年11月22日 於大阪」で二人が語っている「生魚の料理(刺身)に見る日中の食文化の違い」のことです。前に、司馬さんと金達寿さんとの鼎談は掲載しましたが、陳舜臣さんとの対談は掲載をしなかったです。だから、私は公平性を確保する為、今回は陳さんとの鼎談を話題にします。以下に、長文になりますが、その該当する箇所を著書より引用し掲載します。
『・陳「中国の東北地方は、やはり華北の平原とはずいぶん感じが違いますね。ところで大連では刺身が出たんですよ。昔、日本人がおりましたから、あのころ料理屋の小僧さんだった人が刺身の作り方知ってるんですよ。ところが、30何年前のうろ覚えなわけで、ワサビのことは忘れちゃってるんだね。それを去年行った人に聞いていたものだから、今年は僕達は練りワサビのチューブに入ったの持って行きましたよ。」
・司馬「刺身で思い出したけど、近代中国の知日派の一人の蒋百里は<日本の対外的政治運動というのは陰謀、煽動、ワイロ、オドシ以外の手を知らない>と言ったんだけど、そのエッセイで、日本人の残酷さという問題について、刺身を食うことを例にあげている。今は刺身どころか活きづくりの魚を食ってる、僕は食べられないけどね(笑)。つまり彼によれば、刺身を食うっていうことは、暴力が好きということを内に秘めている、ということになるわけだな。まあ食物と料理法で民族論をやるのは間違いなんだけど。それにしても刺身が大連で生きてるっていうのは面白いね。」
・陳「中国でも、非常に限られた所ですけど、浙江省の寧波(ニンポー)の近くとか、広東のほうの一角とか、刺身を食う所はあるんですよ。」
・司馬「<羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く>っていう言葉があるくらいだから、やっぱり膾はあったわけだね。」
・陳「梅堯臣の詩の中に、船の上で獲った魚をすぐ刺身にして、大根切って、刺身のつまにしたという有名な詩があるんです。」
・司馬「へえ。いつごろ?」
・陳「宋代ですよ。そのころまでは中国に刺身はあったはずなんですよ。その後、大きな疫病があったかなんかで、刺身は食っていかんというので、やめてしまったと思うんですよ。いつから無くなったですかねえ。茶道とか、生け花でも、昔は向こうにあったけれども、いつの間にか無くなって、今では日本がそれを保存しているということですよ。」』
この二人の対談著書を、今私は興味深く読み直しています。その中でも、特に引かれたのは、ある中国人が指摘した「日本人の刺身嗜好と暴力性の相関」についてです。その著書で、司馬さんも書いていましたが、その相関性には私も異論があると思います。
でも、この論理の否定である、「生魚(刺身)が嫌いな人は、内にまったく暴力を秘めていないのか?」との素朴な疑問が生れてしまいました。論理学では、前の言葉と後ろの言葉を否定した論理の場合、これを『裏』と言います。この命題「日本人の刺身嗜好と暴力性の相関」での『裏』は真なのか?との素朴ですが、私にはとても関心のある疑問です。
だから再び、御自身ブログ「Profile」欄に「苦手な食べ物・生魚」と書かれた劇場演技者女性は、御自身の内に秘めた性情で、暴力性をどのように自覚されているか?私は、とても興味が沸きました。「生魚の料理(刺身)に見る日中の食文化の違いが、残酷性の民族論に発展」するのか?の命題を解く「鍵」を、彼女の食べ物の嗜好が完全に握っていると、私が率直に思ったからです。
でも、何のことでも彼女のことに結びつけている現在の私を、完全な深い思い込み状態に陥っていると、私は今強く自己反省をしています。
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