天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

金達寿氏談:唐辛子は日本から朝鮮に伝播され「キムチ」に巧みに添加、これは「朝鮮の中の日本文化」

2010-03-04 23:42:55 | 日記
今日の日記は、今私が読み直している対話集『歴史の交差路にて(日本・中国・朝鮮)』(司馬遼太郎・陳舜臣・金達寿共著:1991年講談社文庫刊)に登場する「キムチ」とそれに入っている「唐辛子」のことです。以下に、司馬さんと金さんの二人鼎談「食の文化を探る」項目より、その該当する箇所を抜粋して、長文になりますが、引用掲載します。
『・金「朝鮮の民衆の食生活の嗜好を変えたのは、18世紀だそうですね。朝鮮では長い冬にそなえてキムチをつけます。ところが18世紀までは山の山椒を使っていたんです。民衆は山椒の実を使っていて、王侯貴族は室町から江戸にかけて日本から入ってきた、南の胡椒をたいへん貴重視するんです。・・ところが、日本から唐辛子が入ってきたんで、あれ入れたら一番いいということになったらしいんです。ところで、韓国の唐辛子はそんなに辛くないですよ。普通、食用に使うのは辛くないんですね。見た目は真っかっかだけど、そんなに辛くない。風土的に、日本で唐辛子を作ると辛くなるんですよ。・・だから、在日朝鮮人はあんな辛いものを食うんだから、本国の朝鮮はもっと辛いんだろうと思っていたら、そうじゃない。在日朝鮮人が一番辛いのを食べてますよ。韓国がその次で、北へ行くともっと薄くなる。こんど韓国へ行った時も、唐辛子のかかったキムチが山ほど出てきて、真っかっかなんで恐れをなしたところ、しかし食べてみると・・」
・司馬「辛くないですか。」
・金「韓国のキムチは、あまり辛くないです・・」
・司馬「唐辛子は四川省でも食べますよ。それはもう、それこそ気違いじみた辛いやつらしいですよ。・・四川省の省都の成都に行った時、ある役人と宴会をやったことがある。その役人はナショナリストで、「唐辛子はコロンブスが持ってきたというのは嘘で、大昔に中国人がアメリカ大陸を発見して、それを持ってきて食べているんだ」と言う。もちろんユーモアで言っているんだけどもね。古文献から異民族を拾い出してきて、古い異民族の風習を調べて、それをいまでいう少数民族の風習と結びつけていくというのが、彼の大変な趣味になっている。それがおもしろいんだけど、しまいに唐辛子まで四川省ナショナリズムと結びつけるわけですな(笑)」
・金「なるほど、辛いということを自慢するというのも、これまたナショナリズムか。しかし、やっぱり、たばこと唐辛子は日本まで来て、それから朝鮮に来たんじゃないかと思います。これは「朝鮮の中の日本文化」です(笑)」
・金「それにしても、唐辛子が遠回りにあれだけ普及するというのは不思議ですねえ。・・18世紀初期の学者は唐辛子は毒物だから焼酎に入れて毒を抜けと書いている。要するに上流社会ではあまり用いなかったということでしょうね。だから、庶民の食生活のほうへキムチとして入っちゃたから、結局、がんじがらめに逆になったというか。そのかわり、朝鮮ではお茶がなくなる」』
この二人の対話を興味深く読んでみて、日本で食されている「キムチ」にも隠された日本と韓国の文化交流があると、私は得心しました。金達寿氏は『唐辛子は日本から朝鮮に伝播されキムチに調味料として添加された現象は「朝鮮の中の日本文化」』だと語っています。また、その引用文は掲載しませんが、司馬さんは、日本や朝鮮・一部中国を含めて極東小アジア地域は、発酵食品が多い「塩辛の文化」とこの著書で興味深い文化考察をされています。これは私見ですが、極東アジアで共通する古代宗教的なシャーマニズムが、その貢物の保存手段として、その発酵技術をお互いに発展させたのだと、私は強く思いました。
そして、人間の食文化はその地域の庶民の生き方を如実に具現していると、私はその著書を読んで痛感しました。
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