天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

首魁が優良劇場応援客に生れ変る私の望みは、無残に打ち砕かれて理不尽な劇場から排除を受け現在に至る

2010-03-20 23:02:10 | 日記
今日の追加2日記は、そのアーカイブ第二弾である、その首魁の悪行10項目リスト「その2:投稿日2008年9月27日(金)・10月2日(金)」です。
(Ⅴ).首魁は応援女性に横綱土俵入りポーズを写真撮影時に要請・・約2年ほど前の渋谷で、首魁が自ら大相撲の横綱土俵入りの1ポーズをやって見せて、女性にも同じポーズをお願いしていました。でも、冗談としてもこんな非礼が受け入れられる訳もなく、女性はそのポーズを拒否をして首魁からカメラを取り上げ、逆に彼の上半身を撮影してそのポラ写真を彼に渡していました。
その時、彼は自分自身の心ない行動をまったく反省もせず、逆に彼女の行動を軽蔑するような目つきをし、不快な表情を浮かべ、女性に暗黙の抗議意志を押し付けるような行動をしていました。私はそれを目撃して、彼は「応援女性への応援とは何か」をまったく判っていないと、その時確信しました。
(Ⅵ).首魁は応援女性に無理やり、作り笑いの「虚構の笑み」を強要・・半年ほど前の渋谷で、首魁が応援女性の写真を撮影しようとした時、彼女のその表情が気に入らないか「もっと笑って!」とお嬢の率直な心的表現である「個人的な表情」にまで自己欲望の「注文」を出していました。こんな非礼な「注文」はないです。案の定、彼女の返答は「これ以上笑ったら、口が裂けちゃうよ!」でした。
彼はいつも、自己の欲望のみで行動し、関係する相手がその言動によってどれだけ傷つくか?まったく返り見ない自己中心な心ない人間です。彼の「ジコチュウ」に彼女が抵抗を示したこの言葉も首魁にとって自己を戒める反省材料とはまったくならず、以後もその行動を改め直すことは無かったです。
(Ⅶ).首魁は応援女性に「2ショット写真」を、面と向かってちゃんとお願いをせず、勝手にその行動し、相手女性の「いやだよ!」とその非礼を戒める言葉に「逆キレ」行動を示した・・2008年9月14日(日)1回目ポラの時、首魁は応援女性に、はっきりと意思表示(2ショット写真のお願い)をして了解をとらずに、勝手にどんどんその準備(ステージに座り、カメラを次の客に渡す)していました。だから、嫌気がさした女性が「いやだよ!」と冗談気味に返答していました。女性は、その非礼を戒め、彼の反応(彼がその非礼に気がついているか?)を確かめようとしたと私は思っています。
でも、首魁はそんな女性の思いをまったく理解せず、突然その言葉に「逆ギレ」して、女性の彼にとっては非礼行動に抗議するかのようなパフォーマンス(腰を上げて逃げ去ろうとする悪行)をしました。表面上は、「そのような客の行動を生んだ劇場演技者の言動が悪かった」と見ていた客が誤解をしてしまうまったくの非礼行動を女性に示したのです。首魁には、その女性を応援する気などまったくなく、自己の感情や欲望を満たす為に、女性にまつわりついているだけの悪質な客です。
(Ⅷ).応援女性は首魁の記念品配布用にプレゼントされた、客への記念品を収納するまち付き「エコバック」をあえて使用せず・・首魁は客用のエコ袋とは別に同じデザインのまち入りエコバック(数枚?)を応援女性に一緒に渡していたと推測されます。
その根拠は、そのエコバックを記念週の香盤1番目の別女性や次週歌舞伎町の香盤3番目の別女性が写真撮影時に使用していたからです。当然、周年を迎えた御本人にも渡されていたと考えるのが極めて自然です。でも、初日第1回目から、応援女性はその周年記念品の「セット物」と考えていい「首魁作製のエコバック」を使用しませんでした。
逆に、私がプレゼント品を収納する為に用意したバック(偶然にも、私も買い物用のエコバックを使った)を初日の第二回目以降、応援女性は使用してくれました。私は彼女にそのバックをステージで使用してもらう為、プレゼントした訳ではないですが、とても嬉しかったです。『哀しいお』と思うのは、私ではなくその為に用意したプレゼントを使ってもらえなかった「ジコチュウの応援客首魁」です。
(Ⅸ).応援女性は写真撮影時、その写真のサイン裏書きをダラダラと間延ばしていた首魁に「早く書きなさいよ!」と注意していた・・2008年9月11日初日第1回目の写真撮影の時の出来事です。首魁は応援女性に何か言いたいことがあり、それを思案していたのかもしれません。でも、首魁はこう言われたからと応援女性を恨んではいけません。
「写真撮影押しの原因を応援常連客自身が作り出してはいけない」との応援女性の真意を良く理解して、首魁には今後の自身の行動の猛省を、私は切に望みます。
(Ⅹ).応援女性は写真撮影時、他の客用の撮影写真をのぞき込んで、何かを言った首魁に「関係ないでしょ!」とその撮影写真を隠した・・2008年9月20日楽日第1回目の写真撮影の時の出来事です。首魁はその人のプライバシーを覗き込む悪しき行動を猛省しなさい。この首魁の心的資質は私の拙宅を覗きこんだ「目撃者」や不法侵入してまでもプライバシーを知りたがった「小柄の中年男」とまったく同一の心的資質です。
以上10項目で、『ジコチュウ応援客首魁行状記』を終了します。これ以上、その項目が追加されず、首魁が「優良な劇場応援客」に生まれ変ることを、私は切に望みます。
・追記補足・私注:この投稿から約半年後、私の願いは虚しく無残に打ち砕かれて、首魁の悪行が更に突出深化し、劇場から理不尽な排除を受けて現在に至っています。
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「今ここにある恐怖」と表現できる劇場観劇環境でとても怖いと私はネット板に2008年9月19日投稿

2010-03-20 22:09:47 | 日記
今日の追加日記は、独善的応援親衛隊悪行首魁との応援論争で、私がネットで項目別に整理した反論リストです。私に関係したネット掲示板は廃止され、私はもう過去の人になりました。そうなれば、この私の日記だけが、私の受けた劇場社会での悪しき排除や中傷への、私ができる唯一の反論の場になります。だから、その理不尽な悪しき行為を劇場社会で風化させない為に、私のネット掲示板での重要な主張や見解をここに転載し、首魁が劇場から完全にいなくなるまで、私は自身の日記に永久保存します。そのアーカイブ第一弾は、その首魁の悪行10項目リスト「その1:投稿日2008年9月18日(木)・19日(金)」 です。
(Ⅰ).2ショット写真で私を糾弾した首魁の行動背景・・私は応援客やその応援女性の違い(周辺外的要因)によって、首魁のその行動が誘発されると前に書きましたが、彼自身はそれを完全否定し外的要因では変化はしないと回答しました。これは、まったく彼の言う通りで、真の要因は彼自身の人間的な特質(内的要因)であることが、一週間前の2ショットポラを撮影依頼された時の彼の渋谷での行動から、私ははっきりと判りました。
2008年9月11日第一回目応援女性写真の時、首魁はしきりにその女性に、2ショット写真相手に彼女自身の体をより接触するように強要していました。でも、彼がその指示するポーズを取るたびに、逆に彼女はその相手客から自分の体を遠ざける動きをしていました。彼の言動をまったく拒否する彼女の行動ですが、彼女の行いは当然な事です。当事者でない他人から自分の2ショットポーズを強要される行為ほど、本人達にまったく不愉快な言動はないからです。
首魁はいつも極めて自己中心的な思考のみでその行動を起こし、劇場演技者女性や相手客がどう思っているかなど歯牙にも掛けない人間として「独善的な資質」が主要因となって、私の行動を糾弾したり、逆に接触2ショット写真ポーズを強要する行動を起こしているのだ、とその時私は確信しました。そして、私はかって同じ行為をした悪名高き不良客(注:その不良客は知人2ショット写真の時、客席からそのポーズ注文を出したので、その撮影を依頼された私は、彼をその場で一喝した事例有り)を思い出しました。
首魁も悪名高き不良客と同質の劇場客と思われたくなければ、もう少し人を思いやる心を持ってほしいと私は思います。
(Ⅱ).「アフター疑惑」に異常な執着を見せる首魁の真の目的背景・・この件に関しては、彼はその応援女性の名誉を守る為よりも、彼の秘められたアフター願望が満たされない鬱積した不満を解消する為に、私に否定投稿を強要するという、極めて個人的理由であると私は思っています。逆に、私がその「アフター疑惑」に否定投稿せず、完全スルーしているのは、私を知っている投稿閲覧者はその投稿を「一笑に付す」と私は思っているからです。でも、彼にはそれがまったく理解できません。
彼女がどんな行動を取ろうと個人の自由であり、他人がとやかく言うことなど出来ません。私は、彼女が疑惑投稿の通りその劇場近くで客とアフターしたければ、すれば良いことだと私は思っていました。そして、疑惑のそのアフター予定日に△△劇場に出かけてみたら、彼女からいただいた撮影写真に「今日も、がんばってシブヤに帰るのだあ」とコメントがありました。私は心の底では彼女を信用していたので、「そんなコメントは必要もないのになあ~」とも一瞬思いましたが、彼女の暖かい気持ちを思いをとても嬉しくなったです。
でも逆に首魁は、自分の応援する女性に関するまったく信用できない不良投稿の風聞や外聞・体裁のみ気に掛けるネット掲示板利用の小心者です。もう少し逆に疑惑の投稿相手を見下し、一方お嬢を完全に信用してあげて、その投稿を完全スルーするような度量の広い男になってほしいと私は思います。
(Ⅲ).劇場演技者の周年記念品製作に関与する時の首魁の応援姿勢・・首魁は(Ⅰ).で記述したように、応援女性に対する純粋な応援の為というより、極めて自己中心的な動機(女性からの謝意願望や自己顕示欲や自己自慢)でその行動を起こしているようにしか私には見えません。
だから、周年記念品に製作関与した者は、「その事を外部に漏らさない」がその女性に対する「不文律の心配り」なのに、彼は自己顕示や自慢の欲望に負けて、その御法度を犯してしまいました。そして、また凝りもせず数年前の渋谷某劇場正面玄関脇ショーウインドウ破損事件で「ガラスを片付けたのも彼だっけ?」と自作自演で自己自慢をしています。
首魁ほどの、もう二度と投稿しないと断言した私のスレッドで、自己自慢を自作自演で熱演している不良客を私は知りません。このような首魁に彼が犯した御法度『応援演技者女性の周年記念品製作に携わる応援客の心得五箇条(私家版)』を全文掲載しますので、首魁はこれを熟読して自己中心的な応援姿勢を改めてほしいと私は思います。
一.『周年記念品は、劇場演技者が日頃の観劇客の御愛顧に対して感謝の意を具現化した品物である。』
二.『周年記念品の製作は本来、劇場演技者本人自らが行なうのが礼に適った行動である。』
三.『劇場演技者からその記念品製作への関与依頼があってから、応援客はその行動を起こす。』
四.『依頼を受けた応援客はその記念品に劇場演技者の思いがより良く込められるように、誠心誠意努力する。』
五.『何かしら記念品の製作に関与した応援客はそのことを決して口外してはならない。』
(Ⅳ).2008年3月19日(水)朝、拙宅に住居不法侵入して家人に咎められた「小柄な中年男」は劇場客である・・以下に私の推理を述べます。事件発生当時、私はその犯人は劇場客に依頼された興信所の調査員だ、と思っていました。このような大胆不敵な行動を劇場客自らが行なうはずがないと善意に解釈してしまったからです。
でも、今冷静に振り返って、その行為自体が警察沙汰になることを、その道のプロである興信所の調査員が、あえて危険を承知で犯すことなどないと私は考え直しています。私には劇場関連掲示板で、偏執的に何度も同じ中傷行動を追求し、劇場に来させなくしようとする劇場客や、実際に劇場にて応援女性の為、偏執的行動を取る応援客が存在します。
そして、その侵入者が家人に語った「私が落札したオークション品の誤表現」から考察すると、その侵入者は2月10日○△歌舞伎町のオークション会場には姿を見せていません。そうなると、その犯人はある程度絞られてきます。私は今まで体験したことのない身震いするほどの恐怖を今、感じ始めています。今後も劇場で出会う身近の劇場客の中にその犯人がいるのです。
「今、ここにある恐怖」とでも表現できる、現在の私の劇場観劇環境です。私はとても怖いです。
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監督から役をやらないなら映画を作らないと熱いオファーを受けたローレンのように劇場演技者女性も成って!

2010-03-20 18:45:00 | 日記
今日の日記は、本日ワーナー・マイカル・シネマズ新百合ヶ丘の第一回目上映で見た映画『NINE ナイン』(ロブ・マーシャル監督 ダニエル・デイ=ルイス主演 ソフィア・ローレン共演)の観劇記です。
劇場で実際に見てみて、私の映画第一印象は、前情報の通りの素晴らしいミュージカル映画であるとの得心したとても満ち足りた充実感でした。
特に、舞台年代設定をブロードウェイ版の1980年代から、原作「81/2」に近い1965年のイタリアに変えたことが大成功だったと私は思っています。これは、ロブ・マーシャル監督の原作以外にも多くの傑作映画を生んだローマのチネチッタ撮影所に、同じ映画人として深い憧れを持ち、それに強く拘ったからでしょう。
さらに、ブロードウェイ版にはない役の映画製作衣装デザイナー(ジュディ・デンチ)を物語に加えて、主人公の映画監督(ダニエル・デイ=ルイス)の年齢設定を、舞台版の40歳から50歳に変えた脚本が、映画のストーリー展開に深みを与えています。さすがに、脚本者アンソニー・ミンゲラ(私注:これが遺作になり2008年54歳で逝去)は、素晴らしい冴えを見せています。この年齢設定の変更で、この映画は同年代の私にとっても、より身近な人生の指針となる「啓蒙書」となりました。
そして、このブロードウェイ舞台版を大成功で映画化できたのは、多くの人が指摘するように、イタリアそのものを強烈に具現化する女優ソフィア・ローレン出演の映画参加だと、私は得心しました。私が劇場で購買した映画パンフレットによれば、ソフィア・ローレンはロブ・マーシャル監督から直接オファーされたことにとても驚いています。
ローレンは『私がいない「NINE」など考えられない。これは小さな役柄だけれど、私がママをやらないならこの作品は作らない、と言ったのよ。』とマーシャル監督の言葉を語っています。
そして、このマーシャル監督の熱望に、ローレンは多少冗談を込め、真摯に応えています。
『「シカゴ」はとても気に入ったから、今回はあなたのキャリアを救ってあげるつもりで出演するわ、とね。でも、本当はとてもやりたかったのよ。だって、私のようなイタリア女がアメリカのミュージカル映画に出るなんてすごいことですものね。』
私が応援する劇場演技者女性も、このソフィア・ローレンのように、劇場関係者から熱いオファーが多く届くよう、舞台をこれかも頑張ってほしいと私は思いました。そして、直接劇場で応援できない私は、熱き思いだけでも彼女に伝わるように、この世界の女神(ミューズ)に、映画鑑賞しながら衷心より御願いしました。
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