天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

私を理不尽に排除した「外憂内患」劇場社会は、楊貴妃の美貌を詠む李白を追放した病んだ唐王朝そのもの

2010-03-01 23:44:19 | 日記
今日の日記は、中国で詩仙と呼ばれる詩人・李白が、楊貴妃の美貌を詠んだ「宮中行楽詞」の一編の詩のことです。中国文化をとても判りやすく紹介した名著『故宮3・至宝が語る中華五千年』(陳瞬臣・中野美代子・NHK取材班著:1997年日本放送出版協会刊)から、その該当する記述を長文になりますが一部引用し掲載します。
『牡丹の花咲くころ、李白は楊貴妃の美貌を次のように詠んだ。ところがこの詩が仇となり、李白は思いかけず長安を追われることになる。
柳色黄金嫩 柳の色は黄金のごとく嫩(やわらか)にして
梨花白雪香 梨の花は白雪のごとく香る
玉樓巣翡翠 玉楼には翡翠(かはせみ)が巣くい
珠殿鎖鴛鴦 珠殿には鴛鴦(おしどり) が鎖(とざ)す
選妓隨雕輦 選ばれし妓は雕輦(チョウレン) に随(したが)い
徴歌出洞房 徴されし歌は洞房より出ず
宮中誰第一 宮中誰ぞ第一なるか
飛燕在昭陽 飛燕は昭陽に在り
「宮中行楽詞」にあるこの一編は、ひと目で楊貴妃を、漢代随一の美女趙飛燕になぞらえていることがわかる。この趙飛燕にたとえたことが、玄宗皇帝の癇にさわった。趙飛燕は漢の成帝の皇后である。彼女はもともと歌舞団の舞姫だっただけに歌と踊りに才があり、そのこと自体は楊貴妃の場合とよく似ていた。さらにいえば、その才色兼備が見初められて宮中に入ったことも、皇帝の寵愛を一身に受けたことも、楊貴妃のケースと変わるところはない。二人の境遇はことごとく似通っていた。しかし、ただひとつ違っていることがあった。それは、成帝が不慮の死を遂げた際、趙飛燕がその謀りごとに与していたとされ、非業の自殺に追いこまれていたことであった。その一点の理由によって、李白は”心中に王室への不満あり”と咎められ、秋浦の地へと流されたのである。もとより李白の詩には、そのような悪意は毛ほどもない。李白の才覚をねたみ、日ごろ煙たく思っていた腰巾着どもの讒言によるものであった。ここにも、唐王朝の病が重いことを、私は切実にうかがい知るのである。』
この李白の追放エピソードは、まったく人ごとで何ら関係ないことであると、私にはとても思えませんでした。李白を理不尽に追放した「病が重い」唐王朝が、私の深く愛した劇場社会を、まさに象徴していると私が痛感したからです。その劇場社会の現在を、日記で『外憂内患』と私は表現しました。まさに、内部に巣くいさらに増殖続けるその患部は、劇場社会の病をますます重くしています。私にとって、とても悲しい現状です。
また、李白一人だけでなく過去多くの文人たちが、同じような古代中国の歴史的人物に言及し、互いに比較し合い、その人物を巧みに表現しています。李白が趙飛燕と楊貴妃を同じように賞賛した一方で「環肥燕痩」という有名な言葉もあります。この言葉は、歴史上有名な二人の美人を、豊満な楊玉環(貴妃)と、とてもほっそりしていた趙飛燕と巧みに対比し表現したものです。一方は太っていて、一方は痩せていたのです。その出典元は、中国の詩人蘇軾です。彼は「書体の長短、太い、細い」書道の作品風格から「玉環の太い、飛燕の細い」という比喩表現をしました。その書法とはまったく関係がない、彼が自身の詩で使った「環肥燕痩」という言葉だけが一人歩きして、本来の意味の女性の身体つきだけに、以後使われるようになったのです。
だから、李白は、ただその比較し準えた人物が、ただあまり相応しくなかっただけと、私は思ってします。なぜなら、このNHK出版の筆者が指摘した両寵妃の皇帝に対する思い入れ以上に、「環肥燕痩」が示すようにお互いの容姿がとても両極端だったからと、私は推測したからです。それを、あえて両寵妃に準えた詩を詠んだ李白に、玄宗皇帝がとても怒ったのではないかと、私は思っています。さらに、宮廷に巣くう玄宗皇帝の腐敗した腰巾着たちの増長した諫言が、その李白糾弾に拍車をかけたのでしょう。
このような状況を深く斟酌すると、私を理不尽に迫害排除した「外憂内患」劇場社会は、「飛燕在昭陽」と楊貴妃の美貌を詠んだ李白を秋浦の地に追放した病んだ唐王朝そのものです。
歴史は繰り返すとの名言は、現代の今でも生きています。
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