天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

劇場演技者女性と客の関係を武家の主君と臣下に例える時、直接拝謁し正式に賜った名でなくては、適用されず

2010-03-22 22:46:55 | 日記
今日の追加日記は、悪行投稿客の「皆勤偽装と△△のオヤジとの言葉」に対する私の反論です。私の書込版アーカイブの第五弾である、その関連投稿を以下に転載します。
『・・私の反論A「投稿日:2009年1月16日(金)」・・
・<スレのみなさん、あけましておめでとう。昨年の暮れに引退を思いとどまった△△のオヤジだが、新年はどのような展開になるだろうか。投光からは静かにしないと出禁と脅され、オキニの一人には尊敬のカケラもない呼ばれ方をしてるのが判明した。オヤジのスト客としての前途は暗いとしか言いようが無い。これからしばらくは引退するかどうか悩む時期が続くのではないかな。>
この投稿客は、どこから<投光からは静かにしないと出禁と脅され>との情報を得たたのか?私は去年の時点では、劇場関係者からその種の注意を何も受けていません。この投稿客はそれを依頼した劇場関係者 (投光?)が実際に行なったか?自ら確認もせず、実行したと勝手に思い込み、このような間違った書き込みをしています。
そして、この投稿客は「おやじ」を<オキニの一人には尊敬のカケラもない呼ばれ方>と記述しているが、「おやじ」という言葉を、そのような趣旨に捉えるのは、この投稿客だけです。「ちょいわるおやじ」(注:雑誌「LEON」が提唱した、不良がかった中年男性(おやじ)のファッション。あるいは、それを範とする中年男性のこと)や「パパイヤ鈴木とおやじダンサーズ」での表現で判るように、「おやじ」という言葉自体が「尊敬のカケラもない呼ばれ方」では決してないです。』
『・・私の反論B「投稿日:2009年1月17日(土)」・・
・<皆勤偽装!>  
・<事柄について長文でいいから答えなさい。2.○さんに△△のオヤジどこいった!といわれたことについて3.○さんに皆勤してなかったことや場内にいないことさえ把握されてなかったことについて >
・<あらあら、皆勤してないのに・・・皆勤してないの指摘されて、踊り子が書いちゃったなんて言ってたものだよ。困惑して受け取るならまだ分かるけど、やっぱり男じゃなかったんだな。>
・<やはり皆勤してないとは言わなかったのか ありがとうも言わず、そうかそうかと受け取ったんだろうな>
一般投稿客が指摘しているように、劇場客が他の客の踊り子嬢から個人的に頂いたプレゼントや「皆勤してなかったことや場内にいないことさえ把握(注:私は?)されてなかったこと」について何度も言及し、その意見まで要求するのは、とても見苦しい不良投稿者の嫉妬に狂った悪行です。
劇場演技者からその応援客へのプレゼントは「歴史上の出来事や事件の時、繰り返され実施された論功行賞、指導者からの協力者や家臣へのある行動に対する一種の「恩賞」とも考えられます。いつの時代でも、その「恩賞」に対して不平・不満を述べる輩は存在します。そして、その恩賞に不平・不満を抱いた輩は、その指導者からかえってもっと悲惨な処遇を、その後強いられています。
上記の投稿客らは、関ヶ原の戦いの論功行賞で、徳川家康が山内一豊に掛川五万一千石から土佐九万八千石一国の「恩賞」を与えたのを、御存知ないと思われる。
山内一豊は、関ヶ原の戦いではさしたる手柄はなかったものの、家康にとってその戦いの前、小山評定で戦いを有利に導く有名な一豊の「ある発言」が高く評価されたのです。私の場合も、皆勤はしていなくとも、応援女性に対する「ある発言」が高く評価され、「恩賞:日頃の応援に対するお礼(プレゼント)」を頂いたと私は思っています。』
『・・私の反論C「投稿日:2009年1月18日(日)」・・
・<「猿よ、お前は今後「羽柴」を名乗るがよい」「ダセェ名前w嫌ですわw」もしこんなことを言えば、もはや出奔するしかなく、のちの豊臣秀吉は存在し無かっただろう 踊り子と客の関係を、武家の主君と臣下に例えるおじさん。○さんから賜った名を名乗らないってことは、「○さんとの決別」を意味してるのですね>
この投稿客は正しい歴史的知識がまったく欠如しているくせに、その間違った論法を私の「歴史における論功行賞=皆勤賞等の恩賞」の比喩に言及しています。以下に、投稿客の間違いを私は記述します。
足利義昭を追放し室町幕府を消滅させた織田信長は、1574年3月12日、正親町天皇から「従三位」に叙せられ、「参議」に任官されました。その際、織田家の幕将十八人に対しても、信長自身の奏請により、それぞれ叙位・任官の沙汰がありました。近江長浜城主になった木下藤吉郎にも「従五位下・筑前守」の拝命がなされています。
その当時、田舎豪族が何の守などと勝手に称しているインチキ官位とは違い、天皇から正式に頂戴した官位です。だから、藤吉郎は木下の姓 (注:彼自身は姓などなく、妻ねねの実家の姓)では軽すぎると思い、自らが信長にその改姓を申し出たのです。
このように、「羽柴」は信長が考え、与えたものではなく、藤吉郎がある思いを込めて申し出た姓です。これは、「人たらしの名人・秀吉」の逸話として、とても有名な歴史上の事実です。木下藤吉郎は、織田家の先輩家老、柴田権六勝家から「柴」と丹羽五郎左衛門長秀から「羽」の姓の一字ずつ拝借して「羽柴」という新しい姓名を考案したのです。
< ○さんから賜った名を名乗らない> 私は、応援女性に直接拝謁し、正式にそれを賜った名(ハンドルネーム)でなくては、いくら傍から言われても、そのHN(現在の△△のおじさん)を変える必要はないと思っています。投稿客は歴史に関する知識をもっと勉強してからその投稿しなさい。 』
・追記補足・私注:私は投稿された2008年末時点では、劇場関係者からその種の注意を何も受けていませんでしたが、この投稿者が予告した通りの行為を2009年1月3日朝、劇場の入口で入場を待っていた時に、ある劇場関係者から実際に受けています。この投稿者は、その劇場関係者がもうこちらの味方だと勝手に判断したのでしょう。しかし、一部の応援客の言いなりになるこの劇場の運営姿勢にも、私は強い憤りを感じています。
そして、自分の気に入らない劇場客には徹底した排除行動をとることが、独善的悪行親衛隊の重要な教義であることを、如実に立証した彼らの投稿でした。でも、私は過去に使用していたHNを、もう再び使うことはないと思っています。
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自分は他人を何と書いても許され、他人に書かれることは許せないの姿勢に疑問を感じる管理人論理は全く詭弁

2010-03-22 20:01:31 | 日記
今日の追加日記は、私の3月17日・日記『ネット中傷の名誉棄損認定を確実な根拠の有無と最高裁が初判断、私は主題根拠を補完の為、従引用量を多大化』の最高裁判決にも大いに関連する悪質掲示板の管理人のことです。
私の書込版アーカイブの第四弾である、その悪質掲示板の管理人を糾弾した私の投稿「投稿日:2009年1月30日(金) 」を以下に掲載します。
『<「殺人を行いそうで恐ろしい」とは、個人の感想であるため対応しない。>
このような上記の管理人の論理「個人の感想は、ネット板では許される」と思っている問題ネット板関係者が多くいるから、日本の深刻な社会問題になっている「ネットいじめ(誹謗・中傷)」が何時まで経っても無くならないのです。
管理人は「警察官職務執行法」を御存知か?その法律とは
「第2条 警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者、又は、既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知つていると認められる者を、停止させて質問することができる。
2 その場で前項の質問をすることが本人に対して不利であり、又は交通の妨害になると認められる場合においては、質問するため、その者に付近の警察署、派出所若しくは駐在所に同行することを求めることができる。」以上です。
もし、この掲示板を警察がたまたま閲覧し、その是非を確認もせず、その申告を一方的に鵜呑みにしたら、警察はこの法律を楯に私を職務質問の為、警察署に連行することも可能です。このように、私はネット投稿の記述がもとで、身体等に重大な拘束制約を受け、社会的評価が害される(名誉毀損)恐れがあります。
「言葉の暴力」で、これほど名誉が著しく傷つけられた投稿がありますか?
また、管理人の<削除依頼の理由は、依頼の意味をなくすため公けにしない。> 運営方針では、一部の閲覧投稿者に加担し、不公平な処置を秘密裏に実行する、まったく悪質な処置ではないか?
少なくともここのスレッド主(私)が、何も不適切な内容でもない投稿を、何故か削除された理由を、管理人に公表してほしいと、要望しているのだから、以後の再犯予防処置の観点からも、真摯に対応するのが健全なスト板運営ではないか?
もう、私はこの掲示板の自浄能力に見切りをつけました。私は、速やかにこの板の閉鎖を管理人に要望します。』
この私の抗議に対して、管理人は自分自身で、運営ネット板に以下の投稿「2009年1月30日(金)」しています。
『 「まったく不公平な運営をしているここの掲示板を閉鎖しなさい」との削除依頼をいただきました。これには、なんら具体的な理由が示されていません。ルールは、参加者に同じものを適用しており、指摘される事実はありません。それどころか、掲示板において、自分は他人について何を書いても許されて、他人に書かれることは許せないという、いつものあなたの姿勢について疑問を感じています。削除依頼があるならスレッドでもレスでも依頼してください。妥当なものであれば応じます。掲示板の削除には応じられません。』
・追記補足・この悪質掲示板の管理人は、こうような回答を行い、私に対してまったくの詭弁の強気な対応をしていました。でも、結局、管理人自身がネット板管理運営に関して法違反になると判り、それを糾弾されることを怖れて、その後一方的に自身運営ネット板を閉鎖しています。その廃止されたネット板は、身売りされたのか?、別のネット板に完全吸収されています。
私は、その板にはもう直接投稿しなくなりましたが、以前に投稿した悪行客がそこに移り跋扈残存し、未だに悪しき活動を続行しています。
彼らの悪しき究極目的である私の劇場からの排除は、完全に達成され「私はもう過去の人」であり、今度は逆に、過去に行なった彼らの悪行をまったく無きものと画策しています。
だから、私が応援している劇場演技者女性のスレに、私を中傷する『いつものことでしょ。キチガイの言うことは放っておきなさい。 』の投稿が未だになされているのです。
私は、これら独善的悪質親衛隊らを、ネット板と劇場社会から完全に排除するまで、自身の正義の闘いを止めません。
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映画人アンソニーミンゲラが自身最後『NINE』脚本に、最も大切な「アクション!」を残すのは素晴らしい

2010-03-22 18:25:59 | 日記
今日の日記は、映画『NINE ナイン』(ロブ・マーシャル監督 ダニエル・デイ=ルイス主演 ソフィア・ローレン共演)の観劇記です。
この映画では、天才的な映画監督グイド(ダニエル・デイ=ルイス)は、9本目となる映画『ITALIA』の創作について思い悩んで、その製作を断念してしまいます。ブロードウェイ舞台版では、その作品『カサノバ』を酷評され、監督グイドは絶望し自らの命を絶とうとしています。原作であるフェデリコ・フェリーニ監督の名作映画『81/2』では、白い服を着た登場人物らが列車に乗って「死ニ場所」へ向う有名なラストで終わっています。
だから、今回の映画『NINE ナイン』劇場版では、どのような結末を迎えるのか?私は映画を見る前に、とても興味がありました。「世界は、男と女と愛で できている。」が、この映画のキャッチ・コピーでもあるのなら、それに相応しいラストを映画製作者は如何に創り上げているのか?私はとても楽しみだったからです。
映画の結末はストーリー展開のネタバレになってしまうので、そのラスト詳細を書くことを、私は差し控えます。でも、この映画のラストを見終わったあと、「男と女が巧みに織り成す人生は、とてもいいもんだ!」と思える名作ミュージカル映画になっていると、私は確信しています。
そして、今日購買した映画評論誌『キネマ旬報』最新号の映画評論では、この私が指摘した映画版のラスト変更顛末は、今は亡き「アンソニー・ミンゲラ」の功績だとする評論を、私は見つけました。以下にフリーライター・佐藤友紀氏の評論より、それに該当する記述を一部引用掲載します。
『マイケル・トルキン(私注:アンソニー・ミンゲラと共同の脚本者)はさらに、生涯最後の仕事として脚本に関わったアンソニー・ミンゲラの功績もこう称える。
「・・映画のエンディングについて僕らが悩んでいた時に、ジュディ・デンチ扮するグイドの親友リリーを再登場させるという名案で、我々も救ってくれたんだ。そしてその後、グイドは再び撮影所に来るんだ、と。アンソニーが最後に書いたのはグイドが発する「アクション!」という言葉だった。才能豊かな監督で脚本家でもあった彼が、その人生の最後に映画製作に最も大切な「アクション!」という言葉を残したのは、本当に素晴らしいことだと思う」』
この映画ラストクレジットタイトルの前でも
『アンソニー・ミンゲラに捧ぐ』
との表示がありました。その時、彼がもう亡くなっていたのかと、私は初めて判りました。
そして、今日、佐藤友紀氏のこの評論を読んで再び、私はとても感動しました。映画パンフレットにも執筆している佐藤友紀氏は、この映画を既にもう5回も見ているそうです。
棄ててしまった自分の信念を、二年後再び甦らせた男の魂復活のこの映画は、私に「人生とは何か?」を教えてくれました。だから、私も同じように劇場で蘇る「元気」をもらうため、もう一度見た劇場で、私はこの映画を鑑賞したくなりました。
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