天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

西郷にいさぎよかなと言われたいと語る自民離党の鳩山邦夫氏は西郷の清貧に習い議員辞職・贈与資金の寄附を

2010-03-16 22:58:35 | 日記
今日の日記は、15日自民党に離党届を提出した鳩山邦夫元総務相が、その記者会見で明治維新の大きな功績者、西郷隆盛に言及した彼の持つ間違った政治信念についてです。
15日午後6時半、その会見で鳩山元総務相は
「理由はもう一言で言うと、やはり西郷(隆盛)さんに『いさぎよかな』って言ってもらいたいような、そういう行動をしたい・・自民党の最大の失敗は、政権を取られたこと。今(の政権)のように、非常に社会主義的色彩の強いばらまきもそうだし、この国が滅びの道に入っていく、そういう最悪の事態だ。自民党を敵にするのではない。自民党だけでは食い止めることができないから、同志を募って新しい強力な野党として頑張っていくのがいいのではないかと判断した。自民党のダメだった部分も、外に出て厳しく言う。」と語っています。
この彼の言葉を夜のニュースで聞いて、鳩山邦夫氏は西郷の気質をまったく理解してないで、自分本位に自己の行動をいいように美化していると思いました。そして、冥界にいる西郷隆盛も、自分とはまったく違う体質の政治家、鳩山邦夫氏に対して、決して『いさぎよかな』などとの褒め言葉をかけないと私は確信しました。
今までの鳩山邦夫氏の政治姿勢やその行動から判断して、西郷隆盛が持つ『いさぎよかな』という政治的な信条を、私は彼にまったく見出せないからです。
鳩山邦夫氏は、兄の鳩山由紀夫首相とともに母親から巨額な不透明な資金提供を受け、脱税行為だと大きく追求されている政界有数の資産家です。その疑惑不祥事の責任をとり、自民党での役職を辞任しましたが、今だに衆議院議員の辞職はしていません。自分は兄とは違って、「贈与税を支払っているから問題ない」とその政治的責任を回避した彼の姿勢は、とても『いさぎよかな』とは言えません。だから、彼の自民党を離党した行為が、なぜ『いさぎよかな』となるのか?私にはまったく理解できません。
一方の西郷隆盛は、征韓論に敗れて故郷の鹿児島に帰る時、住んでいた日本橋小網町の屋敷を、下僕の熊吉に始末するように命じました。西郷が持つ無私の清貧さを強く物語るその時のエピソードを、司馬遼太郎名著『翔ぶが如く』より、以下に私は引用抜粋します。
『彼は西郷から言われた通りに、買い手に対しその値段を言った。ところが、買い手は驚いてしまい、それは何かの間違いであろうと言って、熊吉を交渉の相手として信用しなくなったというのである。二百五十円というのは、日本橋のあのあたりの地価の相場からいえば十坪ほどの値段である。ところが西郷のあの小網町の寓居は三千坪はあるであろう。
「人をコケにしてはこまる、と先方は言うて来やっとごわんどんからん(言ってくるのでございますが)」
「どんかあ(しかしながら)、押せ」
その値段で押してゆけ、と西郷は言う。太政官は、旧大名邸や旧旗本邸を、高官達にただ同然の値段で払いさげた。西郷は二百五十円で日本橋小網町の屋敷を払いさげてもらったのだが、西郷にすれば自分は商人ではないから、その値段以外では売らないというのである。』
この名著を鳩山邦夫氏は読んでいないと私は思います。何故なら読んでいたら、西郷の清貧な身辺を思い、自分の母親からの巨額な資金贈与を恥じて、『いさぎよかな』などと決して西郷に言及できないと私は確信するからです。
鳩山邦夫氏が西郷から褒め言葉をもらいたければ、兄の鳩山首相と違うことを自身の進退で明確に示す為、その巨額脱税の責任をとり、まず速やかに議員辞職をすることです。そしてもし、西郷さんが政界を去る時の清貧さ・潔さに鳩山氏が憧れるならば、母親からもらった不労所得を、社会の恵まれない人々に寄附するほどの気概・信念を持ってほしいと私は思います。
コメント
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