スロージョギングと写真のブログ

ウォーキング、ジョギング、ママチャリで出あった季節の花や風景写真で日々の出来事・雑感をつづっていきます

くびき野大会前々日(恵信尼、浄興寺)

2012年10月09日 | 大会参加の記録

■ 10月4日(木) えちご・くびき野前々日

(1) えしん(恵信)の里記念館

3時起床。

最寄駅出発(5:42)~直江津駅到着(9:05)…コインロッカーに荷物を預け時間待ち…直江津駅~新井駅到着(10:37)

バスの運行が2時間に1本くらい。

タクシーで「えしんの里記念館」に行く。

親鸞の妻・恵信尼は、晩年を板倉の地で過ごした。

記念館には、2人の職員がいた。(受付に1人、レストランに1人)

見学者は、私1人だけ!!

 えしんの里記念館

館内で、恵信尼ゆかりの肖像、書状、伝記絵、映像など資料を見てまわる。

裏庭にまわる。

 えしんの肖像

 五輪塔(恵信尼自身が建立したと伝えられている)

館庭に出て、板倉の町並み、新潟県・長野県境の山々を眺める。

信越トレイルの斑尾山~鍋倉山、関田山脈の裏側が見えた。

風や大気などに、五感を澄ます。

時空を超え、恵信尼が暮らしたころを想像する。

  記念館前の北陸新幹線(長野~金沢、平成27年開通予定)

長野市から中野市、飯山市・富倉を突き抜けた新幹線は、恵心記念館の前を通っていたのだ。

帰りのバスは、だいぶ時間を待つ!!

やむをえず、記念館から新井駅まで、約4kmの道を歩く。

高田の寺町・史跡を見るため、新井駅から電車に乗り高田駅に向かった。

(2) 浄興寺

高田の町は、1.5kmの範囲に400年以前からの寺が63箇寺あるといわれている。

まずは、駅の裏側にある東寺町通り、めあての浄興寺に向かう。

道路沿いは、寺、寺、…、が並んでいた。

小雨がぱらついた。

 山門

浄興寺の山門を入る。

広い敷地だ。

 境内には親鸞像、他に聖徳太子堂などがあった

 上越市 本山 浄興寺

浄興寺は、常陸国から信濃国長沼の地を経て、謙信公の招きにより春日山城下へ移った。本堂は国の重要文化財であり、真宗寺院としては県下最大で最古。本廟には親鸞商人の頂骨が収められている。

このあと、駅反対側の本町通り~北国街道~高田城と雁木通り、瑞泉寺や高田城跡を見たいと思いましたが、時間がなくあきらめる。

(3) リージョンプラザ上越

高田のあとは直江津駅に戻り、コインロッカーに預けた荷物をとって関川沿いに歩き、宿の○○ホテルにチェックイン。

 関川

続いて受付・スタート会場のリージョンプラザ確認のため、周辺をぶらぶら見ながら往復。

10月4日は、計10kmほど歩いた。

翌日の10月5日は、大会受付前に「五智歴史の里会館周辺の史跡」、予定外で「戦国の名将、上杉謙信の居城・春日山城跡」を上り下り、歩いて周遊してしまった。計14km余りか。

 

アバホテル  10km
          当月累計  105km  当年度累計  2425km

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手作りの味噌、初めて食べる

2012年10月08日 | 男の料理

■ 昨夜、久しぶりに九州から帰省した息子夫婦。

今日の夜、姉のKさん家族も見え、全員そろった夕食のあと、3月4日に作った手作り味噌のポリ容器を開けてみた。( 1/2 2/2 )

熟成が進んで底の一部が赤みを帯びた飴水色に変わっていた。

「味噌たまり」というらしい。

1回めの切り返しがちょっと遅かった7月23日、2回め切り返しが今夜になった。

(1回め、2回めの切り返し時期は、どのあたりが適切なんでしょうか??)

約10ケ月から1年寝かして、年末からお正月が食べごろのように聞いていましたが、お彼岸を過ぎれば食べられるということだった。

…で、初めて試食してみました。

みんなから「美味しい~!!」

できあがった味噌は表面から順次使用。

好みの味と色に仕上がっているので、食べる分だけタッパーにつめ冷蔵庫に保存して使う。

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えちご・くびき野100kmリタイア(速報)

2012年10月08日 | 大会参加の記録

■ 最短記録!!

はやばやと、今まで参加した大会のなかで一番短い距離でリタイアしました。(58.5km)

3つの峠を越えたところで完走への気力が途切れ、ここ一番の踏ん張る力  が出せなかったのが原因ですね。
 
 
エイドステーションに掲げてある垂れ幕、「リタイアの方は申し出て下さい」が目に入ったとたん、急に楽なほうへと気持ちが動き、気づいた時は収容バスに乗っていました。
 
 
登りに入って脚が重くなり、八ヶ岳や小豆島でできた上り坂トコトコ走りができなくなり、何か変だぞという気持ちに負けたみたいです。(いつもだったら、 ここを乗り切る のですが)
天候(終日くもり、16.5~23℃)、宿・食事も良し、睡眠も5時間はとれていましたから好条件、腰の痛みもほとんどありませんでした。
 
タイムは、
スタート~1:05/10k~1:05/(2:10)/20k~1:13(3:23)/30k~1:21(4:44)/40k …
このあたりから5箇所の峠越え、上り下りが続く…~1:47(6:31)/50k~0:50(7:21)/58.5k(大島区総合事務所前エイドステーションでリタイア
です。
 
残った時間・距離は6時間09分/41.5kmですから、平均8分50秒/km以内で走れれば完走できたことになります。
 
昨日・今日は、脚の筋肉痛もほとんどなく(花島公園の坂道練習の効果かもしれません)、だからリタイアは、ウルトラ後半戦の鉄則「精神力」、ひとえに執念・不抜の意志の欠如です。
 
でも、55年ぶりの直江津の旅、親鸞と恵信尼ゆかりの寺社名所など尋ねられたこと、大会の運営やコースの景観、沿道の応援も十分楽しんでくることができ満足でした。
 
次回のチャレンジ
 
 
観光を含めた詳しいことは、近日中にアップ予定です。
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気になるお天気

2012年10月03日 | 大会参加の記録

■ 午前中は、ヨーガ体操の10回めに参加、終わって帰るころは雨、夜まで降り続いた。

大会行きの荷物の準備が完了して、夕方は「キッズ体操教室」に参加するKさんの子供たちのアッシー。

土砂降りの雨だった。

上越市の4日~7日までの天気予報は、曇りまたは晴れで、気温17~24°。

暑かったり雨だったりだと、大会結果がだいぶ異なりますが、天気予報どうりであることを願うのみです。

どういうことになりますやら? 

■ 今朝のニュースです。

福島健康調査、「秘密会」で見解すり合わせ

『 東京電力福島第1原発事故を受けて福島県が実施中の県民健康管理調査について専門家が議論する検討委員会を巡り、県が委員らを事前に集め秘密裏に「準備会」を開いていたことが分かった。準備会では調査結果に対する見解をすり合わせ「がん発生と原発事故に因果関係はない」ことなどを共通認識とした上で、本会合の検討委でのやりとりを事前に打ち合わせていた。出席者には準備会の存在を外部に漏らさぬよう口止めもしていた。(10月3日、毎日新聞)


【出席者に口止め】秘密会、別会場で開いて配布資料は回収し「保秘」徹底

 県は、検討委での混乱を避け県民に不安を与えないためだったとしているが、毎日新聞の取材に不適切さを認め、今後開催しない方針を示した。

 検討委は昨年5月に設置。山下俊一・福島県立医大副学長を座長に、広島大などの放射線医学の専門家や県立医大の教授、国の担当者らオブザーバーも含め、現在は計19人で構成されている。県からの委託で県立医大が実施している健康管理調査について、専門的見地から助言する。これまで計8回あり、当初を除いて公開し、議事録も開示されている。

 しかし、関係者によると、事務局を務める県保健福祉部の担当者の呼びかけで、検討委の約1週間前か当日の直前に委員が集まり非公開の準備会を開催。会場は検討委とは別で配布した資料を回収し議事録も残さず、存在自体を隠していた。


 また、昨年7月の第3回検討委に伴って開かれた準備会では、県側が委員らに「他言なさらないように」と口止めもしていた。

 毎日新聞の取材に、県保健福祉部の担当者は準備会の存在を認めた上で「あらかじめ意見を聞き本会合をスムーズに進めたかった。秘密会合と言われても否定できず、反省している。(今後は)開催しない」と述べた。

 福島県の県民健康管理調査は全県民を対象に原発事故後の健康状態を調べる。30年にわたり継続する方針で、費用は国と東電が出資した基金で賄う。

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親鸞と恵信尼、55年ぶりの直江津

2012年10月02日 | 大会参加の記録

 パソコンの更新

今日は、10年近く使い不具合になったパソコンを変更。

軽くなり処理が速くなり、よく見え、目も気持ちも疲れない。

快適だ~!!

ついでに、10月中旬に(明後日から大会参加で新潟県にいくので)ADSLから光回線に変更する。

 親鸞と恵信尼、55年ぶりの直江津

きのう宿に電話をし、前の日に1泊を追加できるか聞いたらOK、大会行きの行程を2泊から3泊に変更した。

JRの「大人の休日倶楽部ジパング」会員割引(30%)で切符を買った。

コースは、私の生まれ故郷である北信濃の県境の山を越えた、上越市・新井市付近(越後)にある。

せっかく縁のある土地に行くのだからと、大会前に、配流から7年「親鸞と恵信尼」が暮らした、ゆかりの寺社名所を尋ねることにした。

思えば、流罪にともない親鸞が上陸した直江津の海辺は、小学校6年の修学旅行で訪れた時以来、55年ぶりになる。(どんよりとした空と、はじめて見た海の、遠い記憶が残っている)

 

初日の10月4日(木)は、直江津到着後、新井駅まで行き、親鸞の妻・恵信尼が晩年を過ごした「板倉」の地、その山里に行く。

田畑や緑の山並み、大気、土地の人々などに触れ、j時空を超えて室町・鎌倉時代の昔、恵信尼消息(親鸞亡き後、1263年~1268年にわたって、板倉の地から京都にいる末娘の覚信尼あてに書き送った八通の手紙)に想いをめぐらし、時代、歴史や風土を感じてきたい。「えしんの里記念館」に寄ってみる。

 

『…建保二年(1214)親鸞は越後から関東へ移ったが、その途次に信濃を経由したとみられ、それは越後中頸城郡の新井から富倉峠を越えて信濃に入り飯山を通って、上野・武蔵への旅路をたどったといわれる。飯山の北の富倉峠を下りたところに藤ノ木御旧蹟(旧水内郡藤ノ木村、現飯山市旭)というのがあり、古来から親鸞ゆかりの地であると伝えられ、後に下総磯部勝願寺門徒がこの地を顕彰して掛所を造り、江戸時代には藤ノ木道場に西本願寺から本尊が下附されている。…

上のことを含め、小冊子「勝願寺の歴史」(現茨城県古河市磯部)には、勝願寺の教線が信州の須坂、中野、飯山・南条村正行寺(旧勝願寺)・藤ノ木旧蹟跡~越後高田の瑞泉寺、浄興寺などに展開している模様が記されていた。

続いて、… 明性の門流が信濃に入ったのは貞治六年(1367)を史料上の初見とする。その後、勝願寺と長沼の浄興寺が連絡をとり、信濃の真宗を発展させた。六か寺の成立は、室町時代中頃からであり、藤ノ木(現飯山市旭)の影響が大きい。勝願寺十二代住職慶順は蓮如の弟子となり、文明年間(1469~1486)蓮如を親鸞ゆかりの藤ノ木旧蹟に迎えて人々を教導し、藤ノ木を中心に門徒の教化につとめ、信越地方に磯部系の門流を伸張させた。…やがて勝願寺は主力を信越教化におき、慶長五年(1600)、藤ノ木旧蹟の隣り南条村(現飯山市旭)に森忠正から寺地を寄進されてここに移転した(現南条の正行寺)。しかし、松平忠輝の越後高田への入城に際し、招かれて再度移転した。有名な高田の瑞泉寺がこれである。…』

 

板倉地区から新井駅に戻り電車に乗る。

高田駅で降りる。

駅前の浄興寺を見学後、高田城、瑞泉寺とまわる。

10月4日は以上、高田駅に戻り、直江津駅から徒歩で宿にチェックイン。

 

10月5日(金)の午前中は、港町直江津をぶらり歩き、親鸞ゆかりの寺社・名所をまわる。

「居多ケ浜」(承元元年(1207)、専修念仏停止の法難を受けて越後国府へ流罪となった親鸞。その旅の途中、木浦(現糸魚川市能生)から船に乗り居多ケ浜に上陸したと伝えられている)~「居多神社」(越後流罪後初めて訪れた神社仏閣)~「五知国分寺」(配流後の最初の庵・竹之内草庵があった越後国府)~「本願寺国府別院」(恵信尼と暮らした二つめの配所) など。

このあと昼過ぎに直江津駅に戻り、シャトルバスに乗り、受付会場の「リージョンプラザ上越」に行く。

生まれ育った小さいころは、正行寺の大きな銀杏の木の下で遊びまわったけれど、藤ノ木旧蹟のことも、親鸞、蓮如のことも、ましてや勝願寺、浄光寺、瑞泉寺なども知らなかった。

50代初めころ、偶然にも古河市磯部(当時は、総和町磯部)に転居し、磯部の勝願寺を知り、北信の須坂、中野、飯山~上越市(越後)の直江津・高田・板倉へと、浄土真宗の歴史と系譜 を知った。田舎の寺と関係があることを知って衝撃的なビックリ!!!!

飯山市旭の藤ノ木~富倉~新井~直江津または板倉は、今は、一日で歩けない距離ではない。

道路事情が悪く、履物のわらじなど、はるか昔の山道であればどうだったか?  

マリンスタジアム  12km 
          当月累計  12km  当年度累計  2332km

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