スロージョギングと写真のブログ

ウォーキング、ジョギング、ママチャリで出あった季節の花や風景写真で日々の出来事・雑感をつづっていきます

上林温泉(1/2)

2012年03月30日 | 千葉市美浜区 街の風景

■ 花の美術館

朝と午後の2回に振り分けてスロージョギングをと思っていたが、

 光と風~(館庭のポピー)

風が強いのでとりやめる。

 館内

なんだかんだ、気分転換に「花の美術館」に行くことにした。

昨年3月11日の大震災で、花の美術館も大きな被害を受け、

震災後は休館だった。

再開は9月半ばだったから、その時に行ったきりなので半年ぶりになる。

アナトリウムフラワーガーデンでは、

 チューリップから生まれた「おやゆび姫

おやゆび姫のかわいらしい冒険をテーマに花々が展示されていた。

我がデジカメは、そんなことに関係なくパチリ、パチリ!! 

■ 上林温泉

つい先日、ほとんど会う機会が少なかった9歳年上の田舎の長姉から電話があった。

4月中旬に、北信州・上林温泉に行かないかとの誘いだった。

 

ご主人も2回ほど倒れ、姉も昨年の夏過ぎに背骨(腰?)に大手術。

元気とは言っていたが、電話の声には老いが感じられる。(自分もそうなんだろうけど)

宿を利用したことのある自営業の姉の長男が、同行し連れて行かれるらしい。

遠く離れているし、ゆっくり話ができるのは、これから先そう機会があるものでもない。

水泳パンツを用意してこいというから、温泉プールなんかあるようです。

宿の名前をきちんと確認しませんでしたが、プールがある宿で調べてみると 「千壽閣」 (利用客のレポート)というホテルかな?

上林温泉は初めてなので、よく知りませんが、

上林温泉の下に位置する湯田中温泉は、現役の忙しい時期に2,3回行ったことがあった

今日は、上林温泉行きの概略の行程を立案。

ラン・ウェアーなども用意して行って、状況が許せば周辺の「地獄谷野猿公苑」など散策・ジョギングしてみたいですね!!

亥鼻橋    12k
       
当月 R=277k  S=0k   年間累計  R=840km  S=0k

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河津桜 満開 & 小豆島・寒霞渓100km完走証届く

2012年03月27日 | 千葉市美浜区 街の風景

■ 春休みの孫台風が襲来、今日・明日2日間の短期水泳教室にアッシー後、食材の買い出し、図書館から連絡のあったリクエストの本を取りに行く。

今日は、快なので、行きがけにマリンピアに寄る。

春爛漫の第一弾!!

河津桜が満開になり、 

遅かった春が、やっと訪れた。

 

家に帰ると、

ポストに「小豆島・寒霞渓100kmウルトラ遠足」の完走証・ゴール写真・記録一覧表が届いていた。

  夜に入り気温がグンと下がった。(透明ポリ袋をかぶり、寒さを防ぐ)

・エントリー:627人

・出走者:552人

・美浜順位/完走者:206位/461人  7.20km/h

・完走率:83.5%

だった。

宿で同室だった神奈川県から参加したHさん(65歳)は、11:57:51で63位。
また、バスで隣席した、同じく神奈川県から参加のKさん(74歳)は13:31:23で172位と、
それぞれ素晴らしい記録だった。

コストコ    14k
        
当月 R=265k  S=0k   年間累計  R=828km  S=0k

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河津桜 満開までもうちょっと

2012年03月26日 | 千葉市美浜区 街の風景

■ 河津桜、昨日のつづきです。

今日あたりが満開かな~と思っていましたが、

ちょっと冷え込んで、

 午後1時過ぎ

風も冷たく、

9分咲きの花は、満開寸前のまま!!

明日は、終日の天気予報、気温もそこそこですので満開日和ですね~  

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河津桜 9分咲き

2012年03月25日 | ジョギング

■ 午前中は、地域の防災訓練に参加。

 9分咲き

防災訓練参加者に配られた炊き出しのカレーライスを昼に食べて、

午後は、久しぶりに検見川浜をまわり、花見川サイクリング道路をスロージョギングする。

往路は、約10分/kmペース。

途中マリンピアの河津桜を経由して、

神場公園を折り返した。

復路は、春の陽気を感じながら亥鼻橋で畑町に左折、ペースは9分/kmか。

神場公園(往路:検見川浜、復路:検見川陸橋)    18k
        
当月 R=251k  S=0k   年間累計  R=814km  S=0k

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農地土壌の放射性物質濃度分布 公表

2012年03月24日 | 地域活動(環境)

■ 昨日3月24日、農林水産省は15都県の農地土壌の放射性物質濃度分布図を公表した。

① 農地土壌の放射性物質濃度分布図」の作成について

② 農地土壌分布図調査総括表(別添1)

③ 調査全域の農地土壌の放射性物質濃度調査地点図(別添2)

③ 調査全域の農地土壌の放射性物質濃度分布図(別添3)

… …

④ 千葉県 農地土壌の放射性物質濃度分布図

⑤ 千葉県各市町村 農地土壌中の放射性セシウムの分析値


         
■ 公表データは、毎日の食材を買いに行く時に、産地を確認しますので参考になる。

水産物への影響も知りたいので、海の濃度分布も公表してほしいですね。

それにしても、国策で推進してきた○民党、民○党など政府には、国の土壌や海、そして大気を元に戻すもどす責任をとってもらいたいですね~、首相は政治判断で再稼動すると宣言していますが困ったものです。

人間自身が作り出し、その被害の拡がりに社会的、地理的、時間的に限界がない大災害。

 通常の事故は、深刻であっても、被害は一定の場所、一定の時間、一定の社会グループに限定される。
 しかし、原発事故はそうではない。

地震が起きる場所に原子力施設を建設するというのは、政府であれ企業であれ、人間が決めたことです。

そして、それついてだれも責任を取らない、組織化された無責任システムができあがっている。こんな状態は変えなければいけません。

政府、産業界や専門家に判断を独占させず、ふつうの市民の関与をすすめるべきです! 

有毒性が長年月・広範囲に及ぶ放射性物質発生源の原発は、停止し、はやく廃炉にしたほうがよい!(ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベック氏)

今夜、NHKスペシャルで、「ふるさとか移住か」原発避難者たちの決断 一年密着ドキュメントが放映される。→ 汚染されたその瞬間から、「清浄な水や大気、安全な食べ物、故郷の自然、家族や地域の人々との絆など、安心で幸せな暮らしにとってなくてはならのいもの」をズタズタに破壊されてしまう。 

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晴耕雨読

2012年03月23日 | リタイアメントライフ

■ 今日、明日と雨のお天気。

午前中の亥鼻橋折り返しのスロージョギング終りころ、雨が降り出し、ひどくなってきた。

家に帰ると、図書館にリクエストした本のうち2冊がOKという。

ぶらぶら歩きで図書館に行く。

途中、マリンピアの河津桜は、雨の中5分咲きくらいで咲いていた。

・ 老いと死から逃げない生き方(中村仁一 1994.2 講談社)

・ 「平穏死」のすすめ―口から食べられなくなったらどうしますか(石飛幸三 2010.2  講談社)

を借りることができた。

2冊とも、著者は特別養護老人ホーム医師である。

パラパラっと開いて、飛ばし読みをする。

読んでみる価値がありそうだ。

■ 晴れの日は、季節の変化を感じながら街中や海辺をスロージョギング、または菜園に行く。

雨の日は、読みたい本を読んだり、その他のことをしたり。

先日の、小豆島・寒霞渓100km完走を機に、少しランにかかわる時間を減らし、他のことに時間を振り向けたい、と思っていた。

会社勤めの現役時は、無茶忙しく、組織の拘束・社会の制約ともに逃れられなかったけれど、仕事を引退したあとの生き方は、自分の自由に決められる。

死に臨む場合の選択、葬儀、墓、埋骨(散灰)も自分の意思で決めておきたい。

ま~、それよりも、自分はまだ比較的健康状態にあるから、死は遠いことなので近づいたころ、それなりに考えればよい。

ということでもないらしい。

図書館の棚から、たまたま引っぱり出して立ち読みした本、これも50年近く町医者をやっていた方の書いた本であった。

ず~っと医者をやるつもりはない、70歳代で半ば隠居状態で書かれた随想であった。

その「あとがき」に、

『… あと十年近く生きていけるということではない。

例えば、寝たきりで … … また認知症で… そんなにひどくなくても痴呆老人となって家族の平和を奪ってしまうことも珍しいことではない。

また何よりも老人の1/3はガンで死ぬ。

だから、余命はあと4,5年と思って最終期の自分の生き方を考える方がよい。

最終期、自分の死を確認し明らめておいて、今やりたいこと好きなことをやる。 …』

とあった。

… 余命4,5年と思って自分の生き方を考える、か。 …。

私は、今満66歳、誕生日が来て67歳になる。

60歳になったころ、5年ごとに新しい目標を立てなんて思っていましたが、

上のことからすると、

今は66~70歳までの命と考えて日々を過ごすことのほうが、より自立した人生を送ることができる。

洗濯、掃除は簡単だし、…毎食の料理がということで、

料理教室に通いだしてから、つい先日から3食の食事は月、金曜日は私が作ると約束されて、どうにかできるようになった。

他の家事少しも独りでできるようになって(現役時は仕事が忙しく、やむを得ず妻に依存していた)、妻から独立、解放されることが、当面一つの目標である。

死ぬまで自分の身の始末ができる状態でいたいもの。

一般的には、自力で動くことや飲み食いができなくなくなるのは、死の寸前の7~10日くらいだという。

そうなったら、定命が尽きた天寿の時と思い、秋の葉がハラりと木から離れるように穏やかに死んでいきたいと思う。

医療には頼らず、決して人工的な延命措置は行わない。 

亥鼻橋+α    13k
         
当月 R=233k  S=0k   年間累計  R=796km  S=0k 

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マリンピアの河津桜 4分咲き

2012年03月22日 | 千葉市美浜区 街の風景

■ 今日の11時ころにパチリ!!

マリンピアの河津桜は、およそ4分咲きですね!!

こんどの土・日あたりは満開になりそうです。 

■ 昨日の記事の続きです。

関連の本をインターネットで検索したら、下記のような本がありました。

早速、図書館へ!!

1回10冊まで借りられるんですが、返却待ちや他の図書館にあったりで、今回は9冊の予約をしてきました。

幸せなご臨終―医者の手にかかって死なない死に方(中村仁一 1998.1 講談社)

日本人の死に時―そんなに長生きしたいですか(久坂部羊 2007.1 幻冬舎新書)

「平穏死」のすすめ―口から食べられなくなったらどうしますか(石飛幸三 2010.2  講談社)

自宅で死にたい―老人往診3万回の医師がみつめる命(川人明 2005.8 祥伝社新書)

「枯れるように死にたい」―「老衰死」ができないわけ(田中奈保美 2010.8 新潮社)

⑥ 死にたい老人(水谷恭介 2011.9  幻冬舎新書)

⑦ 老いと死から逃げない生き方(中村仁一 1994.2 講談社)

⑧ 大学病院のウラは墓場(久坂部羊 2006.11  幻冬舎新書)

⑨ 満足死―寝たきりゼロの思想(奥野修司 2007.2 講談社) ①~⑧とは異なった視点

とらえ方はいろいろでしょうけれど、

死ぬまでの「生き方」を見直し、人生の第4ステージ(60~80歳くらい)を充実させ、より良く過ごしていくための参考になります。

要は、

あるがままを受け入れて、人事を尽くす、

“「健康」には振り回されず、「死」には妙にあらがわず、医療は限定利用を心がける” 

でしょうか。

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大往生したけりゃ医療とかかわるな

2012年03月21日 | リタイアメントライフ

■ 特別養護老人ホームの医師、中村仁一氏が著した「大往生したけりゃ医療とかかわるな(2012.1 幻冬舎新書)を読んでみました。

「死という自然の営みは、本来、穏やかで安らかだったはずです。それを、医療が濃厚に関与することで、より悲惨で、より非人間的なものに変貌させてしまったのです

ガンでさえも、何の手出しもしなければ全く痛まず、穏やかに死んでいきます。以前から「死ぬのはガンに限る」と思っていましたが、年寄りのガンの自然死、60~70例を経験した今は、確信に変わりました。…」

60歳を過ぎ仕事を引退する年齢あたりから、「病院に行かない」、ガン検診など「定期健診は受けない」、「人間ドッグは受診しない」ほうが良いとまで言っている。

安静とか自覚症状にあわせた用心をして、それなりの時間をかけて治癒するのを待つ、といった。…

自然治癒力を信じ、良いにしろ悪いにしろ、それに任せたほうが良いとのことのようです。

そういえば、3年弱前に経験した「頚椎椎間板ヘルニア」も、当初は整形外科医からもらった鎮痛剤を飲んでいましたが、胃が荒れたので数回飲んだだけ、あとは姿勢に注意して時間が経つとともに何でもなくなって、以後再発は無し。
自然治癒でした!!

腰も3年近く慢性痛みたいでしたが、姿勢に注意していたら、このところ何でもなくなっています。

暮らし方や、食事・睡眠・運動・姿勢など生活習慣を見直すだけで、たいていの病気や故障は治るようです。

それでも、もっと高齢になって何か障害が出ても、あまり薬を飲んだり病院にいったりしないほうが良いらしい。寿命のきた年寄りにおける過剰医療、人工延命など、ひいては生き方などまで考えさせる本である。

あまり医療に頼らず、死が近づいても、じたばたと救急車を呼んだり医者を呼んだりしないで、死ぬべき時期に、自ら選んで老衰死、自然死に身を任したほうが穏やかな死を迎えられる。

ということらしい!!

扱っている内容はマジメなものですが、思わず笑いが吹き出してしまうようなタッチで書かれています。

医療によって心身をいじりまわされずに大往生するためには、終末期医療や死までの10日間あたりの常識を、ちょっと考え直す必要がありそうですね~

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マリンピアの河津桜 2分咲き

2012年03月20日 | 千葉市美浜区 街の風景

■ 久しぶりに朝練に合流。

スロージョギングが終わってからは、昼食作り。

 
焼き具合、味共に、グーッ!!

先週末の料理教室で教わった「焼き餃子」などを、復習をかねて自力で作ってみた。 

2、3日 寒い日が続いて、今日は暖かい日差しが戻ったので、

マリンピアに向かう。

 

河津桜は2分咲きだった。

コストコ   14k
         
当月 R=220k  S=0k   年間累計  R=783km  S=0k 

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はじめて放射線量を測定する

2012年03月19日 | 地域活動(環境)

■ 放射線量(セシウム)の測定

今日は、料理教室で習った「焼き餃子」を復習を兼ね昼食時に作る予定だった。(昨日、材料をそろた)

がっ、朝一で区役所に放射線測定器を借りる予約をしようと思ったら、今日空いていますとのこと。

急きょ予定を変更し、自宅まわりと菜園の放射線量を測定することにした

焼き餃子作りは、明日に変更です!!

結果は、

(1) 貸与の測定器及び取り扱い

 測定誤差±20%  借りた線量計

 畑の土壌自身は測れない!

 0.05μS/Hが検出限界

 貸与期間は1日

(2)自宅周辺の測定値

0.15μSv/h (自宅建物の雨どい近くのくぼみ地表上1m)
0.12μSv/h (自宅前道路、アスファルト上1m)

(3)菜園の測定値

0.05μSv/h (畑の土壌の地表上1m) (地表5cmでは0.06~0.07だった)
0.05μSv/h (畑の中の土の道路上1m)
0.07μSv/h (畑の駐車場、砂利敷き地表上1m) 

<感想> 住まい周辺より、○柄町の菜園の方が汚染されていない。

千葉市では、稲毛区、花見川区と値が上にあがり、

更に、千葉県内では、千葉市よりも東葛地域の 鎌ヶ谷市<松戸市、柏市、我孫子市、流山市、白井市の値が大となっている。

空間線量なので外部被爆への影響確認しかできない。

米、野菜、魚介類など水産物、加工品などの飲食物はいろいろな産地から流通されて口に入り、体内に蓄積あるいは排泄されていく、その内部被爆(影響は5年、10年、20年後に出てくる)を知ることは難しい。

(私のような高齢者はかまわないんですが、子供や孫、さらにその先の未来まで有毒な放射性廃物の負の遺産を残さないようにしたいもの)

■ 朝日ジャーナル

3月9日に、朝日ジャーナル( 臨時増刊、500円) “わたしたちと原発” セシウムは移動する が発刊された。

現時点における原発、原発事故、放射能汚染、そして今後について正しい知識・情報を与えてくれている。

科学や技術とか、今後どうすることが安全なのか、真実は一つなのに。

高橋哲也氏(P24)、河合博之氏(p54)からは、法的な責任について(人間と自然の尊厳を破壊した罪)、みんながナントナクもやもや違和感を感じながら言わない(言えない?)ことに、わかりやすく触れている。

小出裕章氏(P35)からは、原子力の専門家の立場から、原発の人間が制御できない危険性について、同じく触れている。

安全・安心なエネルギーへの転換方策については、具体的に飯田哲也氏(P57)が提言している。

ほんとうのことを言わない政府、それと関連企業やご用学者・マスメディアに目くらましされないため、ぜひ読んでみましょう。

「もう一度、原発が破裂したら、日本人は生きていけない」〔大江健三郎、3月18日、パリのサロン・ド・リーブルで講演)。

老朽化していく54基の原発施設のうち一施設でも、福島原発に次いで爆発したら(巨大地震や津波、機械的な劣化などで)、日本がどのようになるか、想像するのはそんなに難しくない!

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