1月12日(土)
■ 午前2時起床。
3時ホテルの朝食。
4時過ぎ東急リゾートホテルへ、徒歩7,8分。参加登録と中間点の荷物預けを済ませる。
スタート5分前
5時スタート、気温は約22℃。
真っ暗だ!
懐中電灯はないし、ひたすら前の人をたよりに走る。
足元を注意しながら歩道を走る。
サトウキビの茎が道を遮っていたり、歩道の木の枝が伸びているので、ケガをしないよう前方も注意、信号赤の交差点は待ち。
朝から午後4時ころまで。
夜明けの午前7時ころまで、満天の星、月は新月。
20kmあたりまで行くと、Tシャツの裏に「彩湖」を印刷したランナーが見えたので、もしやと声をかける。
しまなみ海道で同室だった、今年73歳のAさん だった。
しばらく対話しながら併走、この人について行けば12時間台でゴールできる、そう思いながら25kmあたりまで行く。
池間大橋手前24km地点の「西平安名崎」で、海から美しい朝日が昇ってきたので、朝日と海をバックにAさんの写真を撮ってあげる。
Aさんが、同様に私の写真を撮ってくれる。
西平安名崎でAさんに撮っていただいた写真(うまく取れませんでした)
このあたりまで、6分/kmペース。
池間大橋の休憩所26kmあたりから急にペースダウン、Aさんが先に行ってしまう。
まだ、1/3なのに、息があがってしまったようだ。
NO.3 あたりのエイドステーションか?
池間島を周回した32km、9時すぎころ、日差し強く気温が高くなってきた。
まずは、中間地点NO6の宮古島芋間村休憩所48kmまで、時に早歩きを交え走る。
さとうきびジュースのしぼりたて飲み放題
わ~、休憩地点だ。
ホットする、到着時間は10時46分、5時間46分だ。
上の写真の向こう小屋側で、オニギリととん汁をいただき、中間点袋から持参のカロリーメイトを取り出して腹ごしらえ。
サトウキビの茎をミキサーにかける
引き続いて、待望の「しぼりたてさとうきびジュース」をいただく。
いや~!!、天国です。
なんという、まろやかな甘みでしょう。
おかわり、3杯。
多少とも、後半ゴールをめざす力が湧いてきたようです。
中間点で17分ほど費やし、萎えた気力に鞭打つ。
けだるさ、暑さのなか、時に歩き交じりでテクテク走る。
57,8km地点の「比嘉ロードパーク」で、地元の私設ボランティアの方から、冷たい水をいただき、東屋から海をパチリ。
東屋の下は、風が体を冷やしてくれる。
海をながめていると、楽になり、このままず~っと走らないでいたくなる。
自販機でスポーツ飲料をとったりして、50k~80kmあたりは頻繁に給水しながら走った記憶がある。
「東平安名崎」の灯台
この灯台に向かうころが、午後1時過ぎでしたが、一番暑さを感じる。
眺めがいいので、携帯電話で海や灯台の写真を撮っていると、応援者の女性が灯台バックに写真を撮ってくれました。
灯台を一回りする途中に、使える水道があり、そこで頭から水をかけ、冷やす。
次に、売店でアイスクリームを購入、休憩にだいぶ時間を費やす。
あと30kmだ!!
腰を上げる。
75km~85kmあたりは、3,4箇所のアップダウンが続きます。
上りは無理せず、腕ふり早歩き、下りはリラックスして走る。
暑い西日が当たる、あと、15kmか。
写真撮影は止めよう、明るいうち、少なくとも午後7時前にはゴールをしよう!!
気持ちを入れ替える。
このころから、抜くことはあっても抜かれることなく走っていた。
90kmを過ぎ、長さ2km弱の「来間大橋」に到達すると、6時直前であったが「来間島」に夕日が沈む瞬間だった。
来間島の夕日
思わずパチリ。
「橋を渡ると、95km、すぐ折り返しですよ」といわれたが、渡ったあとは、また気をそがれるようなアップダウン。
島を小さく一周すると、日が沈み、すっかり暗くなった。
一緒に走る人に、「もう一分張り、頑張りましょう」と声をかけ、気合を入れ、意を鼓舞する。
残り4.5km、真っ暗闇の中を、手探り状態で走る。
ゴールの、東急リゾートホテルが見えてきた。
ホテルの敷地を駆け抜け、正面玄関を通過し、えらく長く感じた100kmのゴールテープを切ることができました。
午後7時まで、残り7分、ポツリ、ポツリと雨の気配を感じていたが、ゴールと同時に土砂降りのスコールになった。
■ 宿泊同室の3人は完走、一人は歩道に茂り出ていたサトウキビの茎で、むこうずねを切り、リタイア。残る一人を除いてお風呂に入り、午後9時には就寝。
一人だけは、まだ部屋に戻っていません。
眠ってしまいましたが、翌朝確認しますと、懐中電灯持参無しで途中暗くなったらしい。
懐中電灯持参のランナーにくっついて走って(?)行ったが、その方がずっと歩いていたので、真っ暗闇の危険な中を走るわけにはいかず、やむを得ず併走(併歩?)、そんなことで制限時間オーバーをした、と。
なお、参加者データー約640名の内訳は、
『都道府県別人数は、東京都106人、神奈川県80人、千葉県64人、大阪府45人、埼玉県38人、北海道37人、……
年代別人数は、10代4人、20代42人、30代105人、40代149人、50代189人、60代125人、70代20人、80代1人』(いただいたプログラムより抜粋)
でした。
<大会翌日>
6時30分起床、朝風呂、朝食、同室者懇親、帰りの準備、10時チェックアウト。
ホテルの前を12時10分にバスが来て、宮古島空港へ。
この間、2時間ほど、なにも近くで見るところも無いので、ホテル周辺を散策。
東急ホテル
東急ホテルの庭にて
マリンロッジの裏の海(水温23℃ですから、泳げます)
宮古島空港からは、13時15分直行便で羽田空港へ。
15時40分羽田空港着、リムジンバス16時05分発は渋滞も無く、帰宅は17時ころでした。
<今後の課題>
① 前半抑えて、イーブンペースで走る
② 5kmごとのエイドでは、固形物、カステラでもよい、必ず腹に入れる。腹が受付けないので、オレンジとかパインとかそんなものばかりとっていた気がする。給水は、ちゃんととっていました。
③ 今回、まともなウルトラ用シューズが無かったので、つくばと関東ロードを走ったハーフ、フル向けのシューズで走った。
かかと等への衝撃・ダメージはそれほど感じなかったけれど、クッションなどやや悪かったかもしれない。
専用のシューズを履くべきであろう。
④ タイム狙いなら、走行中は写真は撮らない、中間点は10分くらいに留めておくべきかもしれない。
でも、海宝さんの大会は、競争ではなく共走 ですから、ケガなく楽しく愉快に走るのが一番です。
スタートの横断幕には、「If you don't hurry your life is full wonders and joy」と書いてありますから。
⑤ それから、使いかってのよい懐中電灯は、必需品ですね。
※ 今回の参加は、個人的には、62歳定年を満了しての記念のつもりで参加しました。
受付け、スタート時から、ゴール時まで参加者へのサービスに動き回っていた海宝さん、そして中間でへばっている時も何回か、海宝さん自身が車で激励に通過されました。
社会常識を配慮しつつ、ランナーの立場で大会を開催されている海宝さんには頭が下がります。
大会開催に関わられたみなさん、地域のみなさん、私設エイドの方、… …彼の地で走らさせていただきまして、ほんとうにありがとうございました。
まだまだ、環境や自然を大切にしながら、走りを楽しみたいと思います。
追記:
最後に、海宝さんのホームページ から、海宝さん自身の一文「ウルトラマラソンとの出会い」からの抜粋を転載させていただきます。
『 … 他のスポーツにも言えることですが、ウルトラマラソンも、”走カ”とか”技術”以上に、”精神力”が重要な比重を占めるように思えます。
制限時間を頭に入れ、走りを楽しむ、調子が悪くなったとき、自分自身をどうコントロールするか、苦しさをどうすれば楽しさに変えられるか、変わり行く天候にどう対応するか、サポートしてくれる方たちとの関わりを楽しめるか・・・・、ゴールを目指しながら自分自身と向き合い、その過程を楽しめるかどうかなど・・・・。
様々なことを乗り越えて完走したときの充実感、達成感が、次にまたチャレンジしてみようという大会参加へとつながるように思います。(例え完走につながらなくても、走れた距離がその時の自分のゴールと受け止めることで、次へのステップと考える。)
ウルトラマラソンを楽しむには、遥か彼方にあるゴール地点まで果たして走る切れるだろうか等と考えず、少しだけ前に(例えば、次のチェックポイントなど)走る目標を置くことで前へ進む力の継続となり、ひたすら走り続けるだけではなく、時には、ウオーキング(但し、速歩)を取り入れることで、足の負担を軽くし、また、コース上にある店にちょっと寄ってみたりして、長い距離を楽しみながらゴールを目指すことで、結果としてゴール地点へとつながることになるように思います。
記録のみにこだわらず、長い距離そのものを楽しむということに目標を置けば、高年齢まで十分楽しめると確信しています。ウルトラマラソンは大変魅力があり、奥の深いスポーツだと思っています。 … …』
(2008/1/14記)