スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

とにかく生きてみようvsしょうがvsキセル

2011年06月18日 | 日記

とにかく生きてみる。貧乏生活も底辺をずーと横ばいに進み続けている。下がる危険をはらみながら、上がる気配は今のところない。

さて、貧乏比べ、昔の不良時代の悪さの誇りあいではないけど、本当に虚しい論争があった。
その人も当然お金に困っている。その困り方が、人それぞれで詳細を語るのは難しいが、お金に困っている。その方曰く「牛丼の松屋に行き、250円の牛丼弁当を注文する。」その時、受け渡し場所の近くにある、副材から、紅しょうがのきざみにパックを獲るのだそうだ。基本的には、お店側では、お弁当やお持ち帰りの際には、「どうぞ、自分でとって下さって、お持ち帰りください」という姿勢である。だから1パックとろうが、10パックとろうが、そこには数量の決まりはない。ないからガバっとつかんで20パックくらいは入れるという。それは周りの人の目が気になるのだから、みんなの視線がない時、店側のチェックが少ない時間帯とのエクスキューズがつく。

「得やんか・・・」と言う。当然自分の社会的な立場もわかっている人間であり、ましてや女性である。喰うためにそこまでやるか!!との声も当然理解できる精神も持っているが、あのしょうがを持って帰ることに関しては、遠慮しないでもって帰るとの信念がある。悲しいのう・・・とお思いでしょう。おかず代わりにするのか、ビールのあてにするのか、別の料理に使うのかはわからないが、それは生きるための、僅かな倫理犯しである。公共マナーでもない、対松屋との関係である。誰にも迷惑は掛けていないから、他人がその女性をとやかく言えるものでもない。
本人も屈辱を感じながらも、プライドを裂きながらも生きるためにと、常識を外すのだ。

もう一人、お金がなく、どうしても、仕事をもらいに、電車を乗らなければならない場合、手持ちの小銭を計算して、帰りの電車賃を見ても、どうしても100円が、足らなくなる時、屈辱を感じながら、プライドを棄てて、駅員さんに、「切符を落とした・・」と言う。また今そのお金を持っていないことも告げて、切符を落とした、確実に切符は買ったということを強烈にアピールして、改札をパスさせてもらう。悪いという気持ちはある。が、どうか出世払いということで、勘弁を。と手をあわせ、駅を出る。真摯に生きるということは、この場合、自転車か、歩いて移動することが正解である。が、許してくれ神様・・思うながらも、キセルをしている。

両社、どちらが悪い、どちらがえげつないかという比較をすると・・
法律に反してるからキセル!
やりたくないのは、しょうがをガバット持って帰ること
どちらも・・
それにしてもショボイ話しである。
とにかく生きてみるということは、ショボイことの繰り返しである。
そしてそのショボさを容認してもらっている世の中の当たり前に生きている人に感謝をする。
手持ちの金がない。最低限生きるためには、このしみったれた生き方を是正する必要がある。
武士は喰わねど・・・・の精神が必要であると思う。
我慢、我慢と言い聞かせるが250円の牛丼のお持ち帰りの紅しょうが20パックを持ちかえることや、270円の区間を200円で無理やり乗ることも、なんとか我慢と己のプライドを保つことを、自分の心に克つ力を持たなければ、この先エスカレートするのは必至だろうと思う。
とにかく生きてみるは、自分とのプライドとの戦いであると思うのだが・・・
どんなことをしても喰い繋ぐということではなく、倒れる寸前まで自分で生きてみるということかもしれない。

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