主に従う人が持っている物は僅かでも/主に逆らう者、権力ある者の富にまさる。
詩篇 37扁 16節
「 ひとりの正しい者の持つわずかなもの 」 とはいったい何なのでしょうか。
豊かないのち、豊かな心ではないでしょうか。自分を正しいとし、人にも正しいとされていたパリサイ人と、
自分を罪人だと自覚し、人からも罪人と思われていた取税人は、神殿から遠くで祈った。
方やパリサイ人は神殿の前で、祈りました。
このパリサイ人の祈りは「 後ろの取税人のような罪人ではないことを感謝します。……」 でした。
この取税人の祈りは、「神よ。こんな罪人のわたしをあわれんでください」 でした。
主イエス・キリストの軍配は取税人のほうにはっきりと示されました。
罪を悔い改めて神を畏れ、神に新しい心をいただいた正しい心こそ、豊かなのです。
見えるところは僅かでも、それは宝石のように貴重なものです。
御言葉と心の関係を主が土のたとえで話されていたとき、
良い土地に落ちる種は三十倍、六十倍、百倍の実を結ばせると約束されましたが、
それはただ、良い土地に一つの種が落ちるという僅かな出来事によってです。
大事な格言です。私たちが持っているものは少なく見えるかもしれません。
しかし、そのわずかに見えるものをもって、主は支えてくださいます。
福音こそが人の問題を根本的に解決する力を持っているのです。
罪から救う力を持っています。したがって、わずかなのですが全てを持っています。