マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

無用です。

2023年07月22日 | キリスト教

だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

                                マタイの福音書  6章 34節

 

 この不安定な時代、確実なものを見出しにくい時代。明日の事に思いを馳せ、思い煩いやすい者です。

 思い煩いの原因それは、恐れるということでしょう。ではその原因とは何でしょうか。

     40 パーセントが、これから起ころうとすること。
     30 パーセントが、過去にあったこと。
     12 パーセントが、有りもしないこと。
     あとの残りが、人間関係です。   以上が、恐れの原因でしょう。

 

世界を見回しますと、非常に興味深いことは、物が溢れるようになった社会に心の病が始まるということです。

物がなければ、今生きていることに感謝することが容易にできます。

けれども物が溢れているところに、私たちは物そのものに仕える誘惑が増えます。

そして物に仕えているので心を思い煩い、それで心の力をすり減らすのです。

私たちは、一日一日の積み重ねが、一年であり、一年一年の積み重ねが。一生であるという、

厳粛な事実を意外に忘れられているのではないでしょうか。

その日をどのように過ごすかは、その人の人生をも変えていくのです。

祝福も、災いも同じ24時間からなっています。この一日をシッカリと受け止め、意義ある一生にして生きたいものです。

私たちは今日まで、耐えられないと思うことを、よく耐え、出来ないと思うことを、何とか遣り抜き、

もう駄目と思うときにも、どうにか生き抜いてきたのです。ですから、思い煩いは不必要です。

それでも、思い煩い苦しいときには、近くの主イエス・キリストの教会へお出かけください。きっと、楽になると思います。


伝道者の書 5章 18~19節
「見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、

日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。

これが人の受ける分なのだ。実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、

自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。」
 

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