だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
マタイの福音書 6章 34節
この不安定な時代、確実なものを見出しにくい時代。明日の事に思いを馳せ、思い煩いやすい者です。
思い煩いの原因それは、恐れるということでしょう。ではその原因とは何でしょうか。
40 パーセントが、これから起ころうとすること。
30 パーセントが、過去にあったこと。
12 パーセントが、有りもしないこと。
あとの残りが、人間関係です。 以上が、恐れの原因でしょう。
世界を見回しますと、非常に興味深いことは、物が溢れるようになった社会に心の病が始まるということです。
物がなければ、今生きていることに感謝することが容易にできます。
けれども物が溢れているところに、私たちは物そのものに仕える誘惑が増えます。
そして物に仕えているので心を思い煩い、それで心の力をすり減らすのです。
私たちは、一日一日の積み重ねが、一年であり、一年一年の積み重ねが。一生であるという、
厳粛な事実を意外に忘れられているのではないでしょうか。
その日をどのように過ごすかは、その人の人生をも変えていくのです。
祝福も、災いも同じ24時間からなっています。この一日をシッカリと受け止め、意義ある一生にして生きたいものです。
私たちは今日まで、耐えられないと思うことを、よく耐え、出来ないと思うことを、何とか遣り抜き、
もう駄目と思うときにも、どうにか生き抜いてきたのです。ですから、思い煩いは不必要です。
それでも、思い煩い苦しいときには、近くの主イエス・キリストの教会へお出かけください。きっと、楽になると思います。
伝道者の書 5章 18~19節
「見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、
日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。
これが人の受ける分なのだ。実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、
自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。」