マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

あなたは裁判官ではない。

2021年02月05日 | キリスト教

「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。

そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。

                      ルカ 6章 37節 

 

ここは、天の父がわたしの真似るべき存在になっています。裁き主である神ご自身が、

私たちの行ないにしたがって裁くのではなく、憐れみを示してくださいました。

だからこそ、さばかない、罪に定めない、ということが必要です。

 

あまりにも数多く人が、この世で起こっている事柄についてその現状を分析しようとしています。

これは間違っている、と罪定めを、原因探しをします。

しかし、神の命令はあら探しではなく、憐れみを示すということが私たちに対するイエス様の命令です。

そして、ここで大事なのは、その憐れみという態度に応じて自分も憐れみを受けるという報いがあるということです。

 

自分の欲望を無理やり達成しょうとするとき、人と人との間には必ず対立が生じます。

自分に敵対すると思う人には攻撃をかけ、自分の利益になると思え相手ならば、利用します。

相手を傷つけ、否定し、破壊することには、無神経。それが私たち人間の悲しい姿です。

それは、互いに助け合い補い合いながらしか生きていけない人間にとって、不幸な現実です。

主イエスは憐れみの神にねを置いた生き方に徹することを訴えます。

「神が憐れみ深いように、あなた方も憐れみ深い者になりなさい」と。

一人ひとりが、憐れみの神に結ばれて生き、神によって生かされる。それこそ、

人間がエゴイズムを克服し、平和な世界を築いていくための道となります。

 

私たちがこの地上ですることは、天において報いとなって現われます。私たちは、嘘をつくことは決してできないという神への恐れを持っていますが、

同じように、さばくことに対しても神の恐れを持つべきです。

  あなたに平安がありますように。シャローム

 

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