マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

神はすべての者を愛しています

2020年05月08日 | 日記

「食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、

         また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。

                  神はこのような人をも受け入れられたからです。」

                              ローマ 14章 3節

主イエスは「信仰は食べ物に関する規則を守ったり、安息日の過ごし方などという規則で縛ることではない」

とはっきりと言われています。食べ物に汚れたものなどない。安息日に働きさえしなければいい、

と言うものでもなく、神が望まれるのは、もっと生き生きした愛であり、義であると言われています。

人間は神の前では、誰もほとんど似たり寄ったりだということを知りながら、その小さなさに悩みます。

相手とほんのわずか違うことを、私たちは怒ったり、非難したりします。神は、どんな人も使われるし、

愛されます。愚かな人も賢い人も、勇気ある人も小心な人も、だらしない人も潔癖な人も、それぞれ、

それなりに心をもって尽くしていることを知って愛し、実に巧妙にお使いくださるのです。

 

私たちがなぜ、他の人をさばいてはいけないか。その理由が、ここに書いてあります。

神がその人を受け入れておられるからです。神が受け入れておられるのに、私たちが受け入れないならば、

私たちは、神のみこころに背いている、罪を犯していることになります。

食べる人は食べない人を侮ってはならない、とパウロは言っています。自由にふるまっている人は、

制約を受けている人を見て、侮りの思いがでてきてしまいますね。

「あの人、あんなこともできないんだってさ?ばかみたい!」なんて感じです。また、

逆に、肉は食べないという制約を受けている人は、自由にふるまっている人をさばいてしまいます。

「あの人、あんなことをやっている。なんてひどいことでしょう!」とさばいてしまうのです。

このどちらもいけない、とパウロは言っています。

 

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