みに・ミーの【みにスケール模型日記】

ミニスケールAFVを中心とした模型日記です。

王海著「我が闘いの生涯」(上)04

2013年07月28日 10時37分07秒 | 書籍
5対0の戦闘
 11月18日、我が大隊はまた見事な戦いぶりを見せた。
 その日の午後2時頃、米空軍の9派に分かれた航空機184機は、それぞれ永柔・清川江・安州一帯で活動し、鉄道等の目標に対して爆撃や掃射を行っていた。空軍合同指揮所は2時24分に我が連隊の22機に出動を命じ、友軍の88機と共に集団を編成し、北を侵犯する敵を迎撃させた。
 我々の集団は連隊リーダー機の林虎の指揮の下、機敏な動作で離陸し、友軍機と共に戦闘空域に向かった。粛川上空に達した時、西海岸に沿って北上中の米空軍F-84戦闘爆撃機20機余りを発見した。林虎は敵が無防備なのに乗じ、友軍機を率い猛烈な機動を行って8000メートルの高度から急降下し、一気に突進して米軍機にの編隊を乱して、各個撃破に有利な体勢を作ったのである。
 ちょうどみんなが目標を補足攻撃しようとしたその時、私は突然左前方の低空に60機余りの「油挑子」(F-84のこと。この飛行機は両側主翼翼端に一個ずつ増槽を付けていて、天秤棒を肩で担ぐのに似ていたため、我々は油挑子と呼んでいた)〔訳注:挑子は天秤棒で荷物を担ぐこと。子は名詞を形成する語尾で意味は無い。油挑子=ヨウティァオツは油の桶を肩で担ぐことを指す〕を発見した。清川上空に現れて、数機はまさに清川江の橋に投弾しようとしている。地面にはもうもうと土煙が立ちのぼり、川面には何本も水柱が上がっている。
 この時米軍機はまだ我々に気づいていなかった。これこそまさに敵の無防備に乗じて不意打ちを食らわす絶好の機会である。(続)

王海著「我が闘いの生涯」(上)03

2013年07月23日 22時14分51秒 | 書籍
 「攻撃せよ!」私は攻撃から離脱しながら指揮し、後方の三機に射撃開始を命じた。
 私の後ろにいた焦景文と周鳳性はとっくに、発射ボタンに掛けた手がうずうずしている状態だった。私の命令を聞くや直ちに発射ボタンを押した。すぐに砲弾が勢いよく流れ出す。見ると、この満身創痍の敵機は墜落炎上という結末から逃れようと、なおもふらふらしながら古巣に向かって懸命に飛行している。
 この時、劉徳林が我々に追いついてきて、敵機を狙って続けて発砲した。しかしこれも撃墜するに至らなかった。時間は刻一刻と過ぎ、敵機は今にも「三十八度線」に逃げ込んでしまいそうだ。劉徳林は両眼をぎらつかせながら「お前を落とさん限り、俺様は今日は帰らんぞ!」と叫ぶ。彼は敵機の右に回り込んで射撃したかと思うと、今度は後ろに回り込んで尾部に射撃し、敵機を動く的の代わりにしているようだった。
 劉徳林が帰還して着陸した後、私や戦友達は急いで駆け寄り、異口同音に「撃墜したのか?」と尋ねた。彼は拳を振って、「へん、スッとしたぜ。あいつが火を噴きながら落ちて行くのを見てたんだ」と言う。その言葉を聞いて我々はやっと溜飲が下がった。
 第一大隊が戦果を挙げた。しかも四人が連続で射撃して、それぞれ敵機に命中させたのだ。勝利の知らせは飛行場全体沸き立たせ、師団長や連隊長、そして戦友達が我々の大隊を祝福してくれた。
 数回の作戦出動を通じて、私はつくづく悟った。空軍の指揮官として必要なのはただ勇敢さ頑強さだけではない。更に重要なのは、全大隊の全パイロットの「頭脳」となって、瞬時に変化する空戦において迅速に状況を判断し、チャンスを捉え、機敏かつ果断に指揮を執って、集団としての戦闘力を十分に発揮させることである。そうであってこそ、敵を倒し自己を守るという目的を真に達成することができるのである。(続)

王海著「我が闘いの生涯」(上)02

2013年07月20日 19時39分09秒 | 書籍
初の敵機撃墜

 最初の参戦で連続数回離陸したが、いずれも戦果は得られず、大隊長として私の心はまるで石がずっしりとのしかかったかのようであった。そして11月9日、この日に我々はついに敵機を撃墜することとなった。午前9時44分、地上指揮所より、平壌の南に米空軍F-84戦闘爆撃機8機が旋回行動中との通報を受け、9時51分、我が第9連隊の19機が命令により離陸。副連隊長林虎の指揮でこの敵機を迎撃した。我が編隊が戦域に到達したときには米軍機は既に帰還しており、交戦の機会を逃してしまった。
 我々が機首を巡らし帰還しようとしたその時、地上指揮所から前方40キロメートルに敵FMK-8型機〔訳注:グロスターミーティアF Mk.8のことだと思われる〕一機が行動中との通報を受けた。
 このような絶好の機会を逃せるものか。皆の心はたちまち奮い立った。編隊長機の許可を得て、私は本大隊の焦景文・周鳳性・劉徳林たちを率いて前方へと飛行し、瞬く間に敵機の活動空域に到着。その敵機を一目で発見したのである。
 これは英国空軍の機体で双発。機体は太く、大きな図体をしている。まさに悠々と戦闘哨戒飛行中であった。
 我々が敵機を発見すると同時に敵機も我々に気づき、直ちに急加速して南方に逃走した。
 手にした獲物を逃してなるものか。我々は咄嗟に一百キロ余りを追跡し、鎭南浦上空で敵機に追いついた。
 私はすぐさま敵機の尾部に照準して機関砲の発射ボタンを押した。私の生涯初の敵機に対する発砲であった。満腔の怒りが砲弾と共に敵機に向けて撃ち出された。ドン!ドン!ドン!……一筋に並んだ砲弾が光の線となってまっしぐらに敵機に向かう。見る間に敵機は被弾してふらふらし始めるが、落ちようとしない。私は慌てて発射ボタンを押したが、砲弾が撃ち出される音は聞こえない。砲弾を撃ち尽くしていたのだ。(続)

王海著「我が闘いの生涯」(上)01

2013年07月13日 22時45分31秒 | 書籍
※本稿は雑誌『中国空軍』の2007年5号から6号にかけて連載された王海著「我的戦闘生涯」の翻訳である。5月号が(上)、6月号が(下)となっている。
※王海には同じタイトルの単行本『我的戦闘生涯』(中央文献出版社、2000年、北京)があるが、本稿とは別物である。単行本についてもこれに続いて翻訳したい。
※全体的には、直訳・逐語訳をできるだけ避け、日本語として自然に読めるよう適度に意訳している。
※本翻訳には政治的意図は全くない。朝鮮戦争の戦闘の経緯を明らかにする資料の一つとして訳出するのみである。原文中には中国共産党を賛美する語句も出てくるが、それはそのまま翻訳しておく。また原文中に「我が国」とある場合は誤解を避けるため「中国」と訳しておく。
※軍事用語、特に兵器名・階級名・編成名などについてはやや複雑な面があるので、翻訳しつつ検討し、適宜修正したい。
※必要に応じて〔訳注〕を加える。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
空軍の指揮官として必要なのはただ勇敢さ頑強さだけではない。
更に重要なのは、全大隊の全パイロットの「頭脳」となって、
瞬時に変化する空戦において迅速に状況を判断し、
チャンスを捉え、機敏かつ果断に指揮を執って、
集団としての戦闘力を十分に発揮させることである。
そうであってこそ、
敵を倒し自己を守るという目的を真に達成することができるのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

我が闘いの生涯(上) 王海

 初参戦の第4師団からの報告が次々と届き、戦列に加わりたいというみんなの思いはますます強くなった。上級部門から我が部隊に戦闘任務が一刻も早く与えられ、この手でアメリカの侵略者を懲らしめることができるようにと、みんなは首を長くして待っていた。
 そしてその日はついにやって来た!
 1951年10月20日、第4師団が後方に戻り休息するその日、我が第3師団は師団長袁彬・政治委員高厚良の指揮の下、50名のパイロットは50機のミグ15戦闘機を駆り、整然と編隊を組み、堂々と前線の飛行場に向かった。第4師団と交代して、泰川一帯の新設飛行場と、平壌から安東に至る交通運輸の援護の任務に当たるのである。(続)

朝鮮戦争の中国側資料について

2013年07月11日 00時00分41秒 | 書籍
 本ブログを借りて、朝鮮戦争の中国側の資料を少しずつ翻訳しようと考えている。本ブログをお読みの方にはご理解いただけようが、本稿は政治やイデオロギーとはいささかの関連もないし、中国の政治体制にいささかも賛同するものではない。ただ、従来は国連軍・米軍の資料から語られることの多かった朝鮮戦争を、相対する共産側の資料からも見てみよう、そして双方を照らし合わせることを通じて、戦闘の推移の実態を様々な角度から見直す材料にしよう、ということである。今後の東アジアの平和と安定を考える上で、過去に起こった戦争に対する客観的な研究は、やはり軽んじてはならないと考える次第である。
 朝鮮戦争の50周年に当たる2000年に、中国では朝鮮戦争に関するかなりの数の書籍が出版され、テレビの特集番組やそれを収録したDVD・VCDも出た。またネット上の記事も相当な数に上る。そこから特に、朝鮮戦争の空戦に限って重要なものを選ぶとすれば、やはり空軍上將王海(おうかい、Wanghai)の著作が挙げられると思う。朝鮮戦争では大隊長として部下を率い、自身も撃墜破9機のスコアを挙げた。彼の詳細な手記は、もちろん中国側に都合の悪いことは書いていないとは思うが、資料的な価値は高いはずである。その意味では、ソ連パイロットのエース、エフゲニー・ペペリャーエフの手記も、この分野に詳しいロシア語の専門家に是非訳していただきたいと願っている。

 ではまず、雑誌『中国空軍』の2007年5号から6号にかけて連載された王海著「我的戦闘生涯 上下」(我が戦いの生涯)をぼちぼち訳してみようと思う。

今後のブログについて

2013年07月10日 00時11分22秒 | Weblog
 さて、ずいぶん更新せずに放っておいたら七月ももうそろそろ中旬です。昨年度末の三月で大きなプロジェクトが終わったので本年度は少しは楽かと思っていたら、また次々と仕事が舞い込みます。このご時世仕事があるのはありがたいことなのですが、模型に触る時間もありません。そこで本ブログを新体制で運営することにしました。本体サイトの常連さんを一人こちらのブログに引っ張り込んで、二人体制で書くことにしました。一人は今までどおり模型の製作記や製品紹介を、もう一人は外国文献の翻訳を掲載する、という体制です。その常連さんは中国語・中国文学の先生なので、以前から日本語に訳されていない朝鮮戦争の中国側の資料を翻訳したいと思っていたそうです。ただ、一度に訳すのは大変なので、ブログの形で少しずつ公開する、ということにしました。言ってみればみに・ミーAとみに・ミーBが交代で書くことになります。どちらのエントリーがどちらの担当、ということは内容や文体が全然違うので、特に必要のない限り一々断らなくてもよいと思っています。
 忙しくても唯一の楽しみである模型や通いはやめられません。作る閑もないのに在庫は増えますね。もし本ブログが集中して取り組むとすれば、今までの経緯からして、空軍ものはMiG-15、陸軍ものはチャーチル戦車、ということになりそうです。もちろん雑食的な部分はありますけど、資料やキットの在庫はこの2分野が一番多いんです。で、これに応じて中国語資料の翻訳は、MiG-15と朝鮮戦争ということになりそうです。
 詳細はまた後ほど。