みに・ミーの【みにスケール模型日記】

ミニスケールAFVを中心とした模型日記です。

MiG-15、動翼パーツ その3

2014年10月16日 22時41分26秒 | 航空機(露・軍用機)
 また間が空いてしまいました。コンピュータがクラッシュして、Win8に買い換えたら慣れなくて使い方が分からなかったり、いろいろありまして。さてMiG-15の尾翼の話の続きです。CMKやKMCのパーツに、タミヤの方向舵の形状を修正するという機能があるかどうか、ということでした。タミヤの尾翼の問題点は、垂直尾翼前縁の後退角のみにあるのではなく、方向舵の側面形、なかんずく方向舵後縁の角度にもある。そうすると、本来は方向舵のエッジを薄くするために用いるレジンの動翼パーツを使うことで、後縁の角度も修正できるのはないか、と思いついたわけです。
 ただし、この動翼パーツを使うには、湯口を慎重にカットしなければなりません。タミヤのパーツ側も同様で、動翼部を除去する際、慎重にカットしなければなりません。なにしろ垂直安定板側にレジンの方向舵がぴたりとはまらなければなりませんので。しかしCKM・KMCともに現在入手難です。うかつにカットして、失敗したら困ります。カットは後で慎重に行うことにして、本日のところはパーツのまま並べて比較してみましょう。トップ画像がそれです。タミヤのパーツの横に置いてあるレジンパーツは、KMCのものです。もう一枚、同じ画像を回転させ、水平尾翼の取り付け位置が水平になるようにしてみたのがこれです。

いかがでしょう。いきなりですが、このパーツで見た限り、KMCの動翼パーツは、タミヤのパーツの方向舵部分と、幅に関してはほぼ同じなようです。後縁の角度も同じのようですね。これを、単にタミヤの方向舵と置き換える形で取り付けても、側面形はあまり変わらないような気がします。結局、タミヤの尾翼後縁角度を修正する、という機能はあまり期待できないかも知れません。
 しかし、問題はその接着位置です。方向舵の作動軸をタミヤのパーツより内側(つまり機首寄り)にするか、外側(つまり機尾寄り)にするかで、かなりイメージは変わるはずです。この辺りは、パーツをカットした上で検討しなければなりません。

王海著「我が闘いの生涯」(下)06

2014年10月01日 00時05分44秒 | 書籍
 1954年2月、空軍はしばしば文書を出し、基礎課目と複雑な上級課目の訓練を強化し、努力して「登坂」し〔原文は「爬坡」。坂道を登ること〕、技術の最高峰を目指して登れと、各部隊に要求してきた。その後「技術登坂」という言葉が、航空兵部隊が複雑な上級課目の訓練にいそしむ様子の比喩となったり、スローガンとして使われたりした。当時の「技術登坂」は主に、夜間や複雑な気象における操縦技術訓練と、空戦・射撃・爆撃を重点とする戦闘技術訓練、という二方面をめぐって展開された。
 その頃の訓練は実に熱気に満ち、毎日朝早くから夜中まで、大風や雷雨でない限りは、常に空に飛行機が飛んでいる状態だった。飛行訓練室の中やパイロット宿舎前の空き地では、パイロットたちが何度も地上訓練を行っていた。当時叫んでいたスローガンに「地面で苦練すれば、空中で精飛す」というのがあった。飛行課目の限られた時間内に最高の水準に達し、一度飛ぶ毎に一歩前進する、という目的を果たすことが求められていたのである。
 我が師団は数年の技術訓練を経て、操縦技術と戦闘技術の両面において長足の進歩を遂げた。しかし複雑で常に変化する空戦において柔軟に技術を運用し、兵器の性能を十分に発揮させ、「敵を撃滅し、自己を守る」という目的を達するには、さらに戦術能力を高める必要があった。
 我々は引き続いて戦術訓練を展開した。この訓練は主に、飛行訓練に戦闘の設定を与える方法で行われた〔原文は戦闘背景。単に飛行訓練を行うのではなく、そこに筋書きを設定するという意味か〕。訓練実施時にあらかじめ戦術上の設定を考慮した上で準備しておくことを強調し、さらに戦術上の設定をできるだけ部隊の受け持つ作戦任務と関連づけ、作戦対象の戦術的特徴に対応して自分たちの戦術行動と作戦策定を研究しておくよう要求したのである。理論と実際を確実に結びつけるため、我々自身も何度も戦術演習を策定した。
 「技術登坂」訓練を経て、我が師団全体の技術・戦術の水準は更に一段階上がり、部隊の戦闘力は目に見えて高まっていた。(続)