みに・ミーの【みにスケール模型日記】

ミニスケールAFVを中心とした模型日記です。

王海著「我が闘いの生涯」(上)01

2013年07月13日 22時45分31秒 | 書籍
※本稿は雑誌『中国空軍』の2007年5号から6号にかけて連載された王海著「我的戦闘生涯」の翻訳である。5月号が(上)、6月号が(下)となっている。
※王海には同じタイトルの単行本『我的戦闘生涯』(中央文献出版社、2000年、北京)があるが、本稿とは別物である。単行本についてもこれに続いて翻訳したい。
※全体的には、直訳・逐語訳をできるだけ避け、日本語として自然に読めるよう適度に意訳している。
※本翻訳には政治的意図は全くない。朝鮮戦争の戦闘の経緯を明らかにする資料の一つとして訳出するのみである。原文中には中国共産党を賛美する語句も出てくるが、それはそのまま翻訳しておく。また原文中に「我が国」とある場合は誤解を避けるため「中国」と訳しておく。
※軍事用語、特に兵器名・階級名・編成名などについてはやや複雑な面があるので、翻訳しつつ検討し、適宜修正したい。
※必要に応じて〔訳注〕を加える。





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空軍の指揮官として必要なのはただ勇敢さ頑強さだけではない。
更に重要なのは、全大隊の全パイロットの「頭脳」となって、
瞬時に変化する空戦において迅速に状況を判断し、
チャンスを捉え、機敏かつ果断に指揮を執って、
集団としての戦闘力を十分に発揮させることである。
そうであってこそ、
敵を倒し自己を守るという目的を真に達成することができるのである。
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我が闘いの生涯(上) 王海

 初参戦の第4師団からの報告が次々と届き、戦列に加わりたいというみんなの思いはますます強くなった。上級部門から我が部隊に戦闘任務が一刻も早く与えられ、この手でアメリカの侵略者を懲らしめることができるようにと、みんなは首を長くして待っていた。
 そしてその日はついにやって来た!
 1951年10月20日、第4師団が後方に戻り休息するその日、我が第3師団は師団長袁彬・政治委員高厚良の指揮の下、50名のパイロットは50機のミグ15戦闘機を駆り、整然と編隊を組み、堂々と前線の飛行場に向かった。第4師団と交代して、泰川一帯の新設飛行場と、平壌から安東に至る交通運輸の援護の任務に当たるのである。(続)