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針谷みきおの一言 集まり処「はんの木」情報 

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熱狂の日音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」

2010-05-04 22:25:24 | 文化・芸術・映画
連休もあと2日となり、休みをとって娘たちと熱狂の日音楽祭2010に行って来ました。フランスではじまったのでフランス語で「ラ・フォル・ジュルネ」と名づけられているクラッシックの音楽祭、3女は大学時代マンドリクラブのコンサートマスターをしていたので、5月の連休になると毎年、どこかのコンサートを鑑賞していますが、東京国際フォーラム周辺の丸ビルなどで無料コンサートも連日行なわれています。



丸ビルで開かれた無料コンサート会場、私たちはメンデルスゾーンの交響曲第4番イ長調「イタリア」など5000名のAホールフォンタナに参加しました。出演者は東京都交響楽団と17歳のバイオリニスト郷古廉(スナオ)君のコンサートでしたがすばらしい演奏でした。



今年のテーマは「ショパンの宇宙」生誕200年を記念して、ショパンの全作品のほか影響を受けたメンデルスゾーン、リスト、シューマンなど、ショパンの故国ポーランドの民族音楽などが演奏されました。
また、丸ビル7階では無料のショパン展も行なわれていたので参加してきました。



ベロタクシーも町中走っていましたよ。



町中、綺麗なフラワースポットが飾られていました。



娘と記念撮影しましたが、タイマーの失敗で私の顔は半かけです。娘は政治家でないのでぼかしてあります。








映画「いのちの山河」足立上映会

2010-04-14 20:14:58 | 文化・芸術・映画
岩手県沢内村の「生命村長」深沢まさお(晟雄)さんがなしとげた偉業といえる「いのちの行政」を映画にした「いのちの山河」日本の青空Ⅱの足立上映会が西新井文化ホールで開かれました。私も参加して感動して帰ってきました。

あらすじやキャストなどは1月14日の私のブログにも、日本の青空のホームページにもあると思うので私が感動した映画の中でも紹介された深沢まさお語録を紹介します。

私たちははげしく戦争を呪います。人を殺して得られる幸せなど断じであり得ません。
最大の人間苦をもたらす最大のものは戦争であります。
【1957年戦没者追悼式の挨拶で】


本来は国民の生命を守るのは国の責任です。しかし、
国がやらないのなら私がやりましょう。国は後からついできますよ。
【1960年医療費無料化は法律違反に反論して】


生命の商品化は絶対に許されません。人間尊重・生命尊重こそが
政治の基本でなければなりません。         
【1961年村長選挙で有権者に新えた言葉】


お年寄りを生産能力がないからと言って粗末にする、
そういう姥捨て山のような考え方では社会の秩序は保たれません。
【1961年岩手県国保連主催「保健活動事業夏季大学」の講演で】  


人命の格差は絶対に許せない生命健康に関する限り国家ないし自治体は
格差なくに平等に全住民に対し責任を持つべきである。       
【1963年保健文化賞受賞時に述べた言葉】  


政治の中心が生命の尊厳・尊重にあることを再確認し,生命尊重のためにこそ
経済開発も社会開発も必要]なんだという政治原則を再確認すべきであります。
【1965年岩手放送ラジオで年頭のあいさつ】


足立区在住の立命館大学客員教授であつた篠崎次男さんのパンフレットの言葉を紹介します。
岩手県沢内村(05年に町村合併で西和賀町となる)は、秋田県との県境にあって、山間部豪雪地帯として知られた無医村で、雪の季節には生活行動も著しく制限されました。医師への受診は多くの場合死後が多く、埋葬に必要な診断書のための受診でした。
乳児の死亡率も日本一という状況でした。


沢内村のいのちの行政にはいくつかの特徴があります.まず行政のトップの生命尊重の姿勢の明確化です。ついで村政の基本に村民の生活の重視、住民本位の行政を据える。そして行政の呼びかけに応えての村民も諸活動へ参加する。 57年に村長に就任した深沢晟雄氏は、村民の生命を守ることを最大の課題」としました。
その実現のためにみずからの姿勢を鮮明にし、村民に対しても村政への参加を呼びかけました。住民自治とか参加型村政など言葉すらない時代に、生命行政よばれた沢内の村政には、この3つの特徴が貫かれていました。

第1に
医療の機会を保障するために道路の確保を重視しました。雪から村民の生活を守るためです。冬季でも都会にでて受診できるよう、そして日常的に行き来できるようにするためです。ブルドーザーで除雪し道路を確保しました。雪の無い季節には農業用として活用し農業生産の向上に役立てました。医療政策が街づくりや産業政策と一体化しています。
 第2に、健康活動と組織づくりを進めました。当時6000人の村民に対し4人の保健婦(師)(大都会では1万人に1名程度の配置、それも減らされ続けています)、1名の栄養士と助産婦(師)を配置し、同時に地区ごとに多数の保健委員を配置しました。保健委員は地域の若妻会、老人会などの住民祖織から推薦され、保健師などと一体となり、村民の保健活動をすすめるリーダーです。同時に近隣の人びとのくらしの協同をもすすめました。今でいう、まち
づくりや保健と一体化した医療政策です。
 第3に、高齢者医療費(のちに乳児の医療費も)の無料化の実現です。最初は沢内村の国民健康保険の高齢な被保険者に対して10割給付という形で実施されました。73年に国が無料化を実施してから社保の家族にも拡大されていきました。政府は、行政改革の名のもとに、83年に老人保健法を創設し高齢者の医療費無料制度を廃止しました。その理由の一つに上げられたのが「経済的理由から高齢者の受診が抑制されることがなくなり、ややもすると健康へ
の自覚を弱め、行過ぎた受診を招きやすい結果ともなった」というものでした。こうした事実の有無はともかく、沢内村の国保被保険者一人当たりの年間医療費は、60年(この年65歳以上無料化・翌年60歳以上を無料化)当時は県平均を30%ほど上回っていました。67年に県平均まで下がると、76年には県平均より20%前後も低く抑えられるようになっています。住民参加の保健活動が浸透し、医療費の心配がなくなると、初期医療が充実し重篤化が防止でき、結果として医療費も大幅に引き下げられたのです。沢内村が医療費無料制度をはじめた当時は、国民健康保険の給付率は5割でした。それを高齢者に限るとはいえ10割にすることに対して、厚生省の指導は「国民健康保険法違反の疑いがある」というものでした。村の議会でも同様の議論がなされました。このとき深沢村長は「それはあるいは国民健康保険法に違反するかもしれませんが、末端の法律はともかく、少なくとも憲法違反にはなりません」と主張しました。「またこれをやらなければ、経済的に困っている村の人たちは憲法が保障している健康で文化的な最低生活すら守れない」として、訴えられれば最高裁まで争うとまで言いきっています。いまでいう「地方分権」「主権在民」の姿勢が見事に貫かれています。

私たち議員や行政に携わるものはこうした姿勢で行政に関わるべきだと本当に学ばされました。はじめにビデオを紹介します。




14中吹奏楽部第31回定期演奏会

2010-03-28 21:36:12 | 文化・芸術・映画
本日、午後2時から足立区立第14中学校の吹奏楽部第31回定期演奏会のご案内をいただきましたので参加してきました。



はじめに浅松校長先生があいさつ、14中の吹奏楽部の生徒たちの顧問の指導についてふれ演奏の技術だけでなく、感謝の気持ちをこめた地域のボランティア活動にも熱心にとりくんでいることを紹介しました。



玉井顧問のあいさつでは「吹奏楽だけでなく、学年・学校行事への協力も惜しまないで努力するよう指導」しているとのこと。
また、「自己中心的で自分のことしか考えない人には、他にアピールする音楽などの活動は絶対にうまくいきません。」と話され、吹奏楽部も学校教育のいっかんとして位置づけがきちんとされているからこそ、マーチングとバトンでともに全国の金賞にかがやいた実績を評価したいと思います。



今回も休憩時間でも小グループによる発表の場が与えられています。
会場はあふれる人で立見席もできるほどで1000名ぐらい参加していたのではと思います。今回のビデオは第3ステージの「シェリト・リンド」という曲で第2のメキシコ国歌といわれる民謡で、ちなみに「シェリト・リンド」とは美人を讃えるはやし言葉だそうです。
パーカッションソロが多く、聞きどころがたくさんあります。
なお、私が「沈まぬ太陽」や「ライオンキング」を連想した「アフリカ~2009マーチングバージョンはブログではデータが大きすぎるのでアップできません。
ユーチューブか針谷みきおホームページにアップします。

金管バンド「春を呼ぶコンサート」

2010-03-22 22:54:40 | 文化・芸術・映画
舎人第一小学校の児童・父母・OB、教師による金管バンドが演奏する「春を呼ぶコンサート」に参加しました。



昨年秋には読売新聞、トヨタのメセナ活動に応募し「ウィーンフィル」を呼んでコンサートを開いた舎人第一小学校の金管バンドは小学生とは思えない演奏をしてくれました。



PTAのOBで組織する金管バンド「お母さん」バンドは親になってからはじめたというトランペット、チューバ、サクソフォンなどすばらしい演奏でした。



舎人第一小では4名の歴代音楽教師が金管バンドを応援、この金管バンドを指導してきました。今回も4名の先生が演奏しました。今回は丸山先生による「オーソレミヨ」のソロはすばらしかったのでビデオを紹介しました。




「坂の上の雲」のNHKドラマを考える

2010-02-21 18:22:23 | 文化・芸術・映画
「坂の上の雲」は、昨年11月からはじまった司馬道太郎原作のNHK話題のドラマ。
番組の紹介はこうなっています。

近代国家として生まれ変わった明治の日本。混沌としたなかでも、人々は子どものような純粋さで明るい未来を信じ、力強く生きていた。日露戦争の日本海海戦を圧倒的勝利へと導いた秋山真之。その兄で、のちに「日本騎兵の父」と呼ばれることになる秋山好古。閉塞的な歌壇・俳壇に風穴を開け、日本文学に新たな地平を見出した正岡子規。



「坂の上の雲」は、国民ひとりひとりが少年のような希望をもって国の近代化に取り組み、そして存亡をかけて日露戦争を戦った「少年の国・明治」の物語です。そこには、今の日本と同じように新たな価値観の創造に苦悩・奮闘した明治という時代の精神が生き生きと描かれています。
この作品に込められたメッセージは、日本がこれから向かうべき道を考える上で大きなヒントを与えてくれるに違いありません。



しかし、この「坂の上の雲」のドラマ化に異論をとなえる人がたくさんいます。
東京大学教授の醍醐聡(だいごさとし)氏は、韓国併合100年に当たる今年、NHKが大金をかけて偏った歴史観に基くドラマを放映することに疑問を呈する記事を、「週刊金曜日」に寄せています。少し紹介します。

来年は「韓国併合」100年にあたる。この時期にあえて朝鮮侵略を美化した作品をドラマ化するNHKの見識が問われる。
原作者本人がミリタリズムが鼓舞されるのを恐れて、映像化することを拒んでいた遺志をまげることは許されるのか。
 


ドラマ「坂の上の雲」が人気キャストの演技の映像効果も併せて、日清・日露戦争は日本国民が「国の存亡をかけて戦った戦争」だったという歴史観を視聴者に刷りこみ、「列強が自国の権益をかけて争った時代だから、当時の日本だけをとらえてどうこう批判してもはじまらない」という訳知りな「戦争ずれ」人間を増やさないか大変危惧される。それだけに、「坂の上の雲」のドラマ化を、日清・日露戦争期の東アジア史を学び直す機会として能動的に生かし、「知は力なり」の流れに巻き返す努力が求められている。

司馬遼太郎の遺志を軽んじてよいのか?

司馬は生前、多くの映画会社やテレビ局から原作の映画化、ドラマ化の申し出を受けたにもかかわらず、原作を映像化することでミリタリズムが鼓舞されるのを恐れ、すべての申し出を固く断ったことはよく知られている。

 司馬氏が強くこの作品の映像化に反対していたにもかかわらず、彼の死後それを無視して夫人に働きかけ、三年もかけてのドラマ放映を強行するNHKの責任は重大であるといわれています。

『坂の上の雲』問題

 こうした経過にもかかわらず今もなお、日本政府は「韓国併合は合法」という立場をとり続けています。これは日本政府の歴史認識が問われる大問題です。「韓国併合」を正当化、合理化する議論も根強くあります。

 他国を踏みにじって安全と平和は保たれなかったことは、日本が「韓国併合」後、アジア諸国に侵略戦争を拡大していった歴史からも明らかです。私たち一人ひとりが歴史の真実を学ぶことが大切ではないでしょうか。





沈まぬ太陽

2009-12-16 23:09:57 | 文化・芸術・映画
御巣高山航空機事故を背景にJALの経営体質をきびしく告発し、働くものの立場と事故被害者の立場で奮闘する主人公を描いた山崎豊子原作の「沈まぬ太陽」を見てきました。
航空会社の労働組合委員長として「空の安全」を求め会社とたたかったがために、カラチ、テヘラン、ナイロビと職場をたらいまわしにされる主人公を描く『アフリカ篇』。520人の犠牲者を出した「史上最悪のジャンボ機墜落事故」に綿密な取材で迫り、犠牲者の無念の思い、遺族の悲しみを、ドキュメント的な小説手法で描く『御巣鷹山篇』。航空会社の不正と乱脈、政官財のゆ着、利権をめぐる争いを描く『会長室篇』。全編を通して、まともな労働組合の存在がどんなに大切なものか痛感させられます。



主役の渡辺謙さんが初日の舞台あいさつで「監督やプロデューサーの方と最初にお話をした時は、「本当にこの映画は最後まで撮影できるのだろうか」とか「この映画はきちっと皆さんの手に届くように公開が出来るのだろうか」、そんな事まで危ぶまれるような、そんな状況でした。



でも途中から、リーマンショックがあったり、経済や社会情勢がどんどん変化をして、こういう大きな時代の変革を迎える、そういう年に公開するという事になりました。政権交代もありました。そういう中で、やはり過去を風化してはならないんだという思い、もう一回日本を見つめ直さなければいけないんだという思いなのだと思います。皆が「もう一回前を向こうよ」「その前に一度、後ろを振り返ろうよ」という思いになっていただけた、そんな時代にこの映画が公開されます。」
このあいさつは実感がこもって受け止めました。



沈まぬ太陽をみてから、山崎豊子さんがなぜ、この小説を書いたのかインタビューをされているサイトを見つけました。
ちょっと紹介します。
「前作の『大地の子』を書きあげてから、主人公の陸一心さんが私の胸の中に座ってしまって何も考えられなくなっていました。学生のころからキリマンジャロを見ながら死にたいというロマンチックな気持ちを持っていた私は、自分の気持ちをなんとか動かさなければとアフリカへ行くことにしたのです。私は未知の国に行くときは、時間をムダにしないように、その国をよく知っている人を探すことにしています。そのとき後に小説の主人公の恩地元さんの原型ともいうべき人に出会いました。



 ナイロビの空港に降りたつと、古武士のような東洋人が立っていて、それが「恩地さん」でした。翌日から四輪駆動の自動車でサバンナを案内してもらい、動物の生態やアフリカの歴史を聞きました。穏やかで何をたずねても造けいが深く、ご自身の見識を持っておられ、単なるアフリカ通ではないことが感じられました。あれこれお聞きしていると、元航空会社の社員としての経歴を、ポツリポツリと話してくださいました。
 私は、アフリカの自然を見にきたのに、アフリカの大地で今の日本ではなかなか会うことができない日本人に出会えたと感慨を持って帰ってきました。
 それからあらためて、あなたをモデルに小説を書かせていただきたいとお願いにいったのですが、最初は「私の人生は、他人にわかるはずがありませんので、ご辞退します」と拒絶されました。それでも何度かお願いし了解を得て小説に書かせていただきました。
 取材を始めますと、まさに現代の「流刑の徒」だと思いました。航空会社の労働組合委員長として、「空の安全」を守るために利益優先の会社とたたかい懲罰人事で10年間も中東、アフリカへ左遷させられ、国内の組合員も一般社員から隔離され、差別される。名前を「恩地元」としたのは、大地の恩を知り、物事の始めを大切にするという意味を込めたものです。」と語っています。

韓国ドラマの魅力

2009-02-15 23:36:47 | 文化・芸術・映画
かつて、私の恩師であつた細井ゆうじ都議は足立史談会の重鎮として、足立区の歴史を研究していくと、足立区民の多くは朝鮮渡来の民ではないか、という説を唱えられていました。
私は当時、史跡や古代史には興味がなかったので、聞き流していましたが、伊興遺跡などの研究がすすむ中で、細井ゆうじさんの説が正しいのではないかと考えるようになって来ました。いまでは、日本民族の多くが朝鮮半島から来たのではないかというのが通説になっています。
昨年は高句麗建国の朱蒙(チュモン)が韓国で大ヒットし、日本でも多くのファンが生まれました。私もその一人です。2003年の「チャングム誓い」以降、「海神(ヘシン)」「商道(サンド)」「ソドンヨ」など時代劇にはまりました。
ドラマは長いのですが主題が民を守ることが貫かれていて、日本のドラマと比べるのは異論がある人もいるかもしれませんが、私は韓国ドラマの方が好きですし、人の生きる道を諭しているようであきないのです。
今は「テヨジョン」という渤海建国のドラマを楽しみにみています。

伊興歴史散歩

2009-01-17 23:47:12 | 文化・芸術・映画
西伊興の嶋圭さんが主宰している「葦立ち」という足立区総合文芸誌にかつて伊興歴史散歩という連載を私のホームページに転載してもらった。
とくに東伊興には寺町といういわれる地域がある。関東大震災のとき浅草から移転してきたお寺が多く、歴史散歩すると大変勉強になるお寺ばかりです。
今日はお正月にまわった伊興7福神のお寺はまわると楽しいと思います。