”Tales from Topographic Oceans”by Yes
プログレの大御所バンド、”イエス”の1973作年作品、6枚目のアルバムにあたるそうで。邦題も『海洋地形学の物語』と、ものものしい。
なんでも、イエスのファンの間では毀誉褒貶喧しい作品であるようだ。それもどちらかと言えば批判派の方がかなり優勢である。いわく、冗長である。難解である。緊張感に欠ける。などという不支持の理由を聞いた。
その辺の人々からすると、イエスの作品はこのアルバムしか持っていない、なんて私はさしずめ、”何も分かっておらん外道”てな扱いになってしまうのだろう。うん、いいっス。人間、いろいろっスから。
まあ確かに冗長と言う感想も出るわな、オリジナルのアナログ時代には2枚組のLPの、各面に一曲ずつ、どれも20分かかる曲の入った長大曲4題としてリリースされ、軽快を好むロックファンの心を憂鬱にした。
しかもそれらの曲からは、メンバー・チェンジの関係もあって、それまでのアルバムにあったような構成美やテンションの高さは、確かにうかがえなかったのだから。
でも私は、このアルバムの、その独特の”緩さ”の茫洋たる感触を愛さずには入られないのだった。
収められている各曲、どれも太洋を行く船の悠々と波頭をかき分けて行く姿など想像させるゆったりとしたリズムが基調となって繰り返される。その狭間に浮んでへ消えて行く、遥かな時と記憶との幻想。古代文明と伝説の巨人の万華鏡。
全体の運びは緩いけれども、このバンド特有の流麗な歌心は失われてはおらず、各楽器の滑らかなプレイと、ボーカルのジョン・アンダースンの甲高い、これも現実離れのした歌声が、心地良い潮風を送ってくれる。
ー やっと見つけたよ
ー 何を?
ー 海だ。太陽と一緒に行ってしまった永遠のことだ。
などと大昔、詩人のランボーは謳ったものだ。いやあ、良いと思うけどねえ、このアルバム。どちらかといえば、遠い少年時代の夏休みの記憶の一部に属する。
そして私は深夜に一人、原発の残骸が北の海に垂れ流した、信じられないくらいの大量の汚れた水の行方を思っている。それらの毒液は、どのような海洋下の地形を辿り、どこへ行き着くのか。見守る者もいない海の底で。