ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

さだめ川ランブリン・ブルース

2011-05-29 04:43:18 | その他の日本の音楽

 ”さだめ河”by ちあきなおみ

 ちあきなおみは以前、「演歌でも船村徹先生の曲なら歌ってみたい」などと言い、船村先生の作品集をリリースしたりしているのだが、彼女のそれほどまでの”船村評価”の根拠と言うのはどんなものなのだろう。船村氏のどこが好きだったの?その内容を知りたくて調べてみたのだが、見つからなかった。

 そもそもがこの船村先生というのが興味深い人物である。
 たとえば同じ演歌作曲の大家、遠藤実先生と比べてみよう。彼は家が貧しくてまともに学校に通わせてもらえず、手の届かなかった学園生活への憧憬を込めて舟木一夫の「高校三年生」を作ったなんて話があるわけだが、船村先生は地方の金持ちの息子であり、音楽学校にまで通わせてもらっているのである。それは作曲家として名を成すまでの苦闘等、さまざまあっただろうが、基本的に”天然”の人ではない、と言う現実がある。
 そんな人であるからこそ、海の向こうの新進歌手であるプレスリーの”ハート・ブレイク・ホテル”に対抗心を燃やし、小林旭の”ダイナマイトが150トン”を作ったりもするのである。それから、歌謡曲マニアにはお馴染みの”スナッキーで行こう”とかね。

 そういう人が、どちらかと言えば”天然”の人の方が有利であろう大衆音楽のフィールドで演歌に燃やす情熱、というのも内心、なかなかに屈折していると考えるほうが自然じゃないうのか。実際、船村先生のメロディ、分析的に見てみると相当に技巧的な部分が表れてきたりもするのである。
 とはいえ、エモーショナルなものがなければ長いこと演歌の作家として第一線で活躍できるわけもないし、その辺の内的構造、知りたいものだなあ。

 と、ここで取り上げるのが、そんな船村先生が書き下ろした真正面からの演歌、”さだめ河”である。温泉街盛り場育ちの身の上から言わせてもらえば、さまざまな運命に翻弄された人生の敗者たちが、ネオンの灯りとアルコールの匂いに満たされた夜の大気の中で溶けるように情愛の世界に崩れこんで行く、そんな崩壊感覚の向こうに燃える陶酔の様相が見事に描かれた傑作と思う。
 こういうものはそれこそ、”エモーショナルなもの”と技巧とのせめぎ合いの末に出てくるものなんだろうな、やっぱり。