”ゆがふ”by 普天間かおり
”ゆがふ”とは、すべての人々が平和で健やかに生活が出来る、そんな世の中を表す言葉だそうな。
沖縄出身のシンガー・ソングライターである普天間かおりのバイオグラフィーを見ると、”琉球王朝の流れに生まれる”なんて書いてある。
この事に音楽上、どれほどの重さを見るべきか当方には分からないのだが、彼女の音楽自体には特に濃厚な沖縄音楽の伝統臭は感じられない。
まあ、その種のものを期待するのはワールドミュージック好きの野次馬たるこちらの余計なお世話なのであって、沖縄出身のミュージシャンが東京や大阪の同業者と同じタイプの音楽をやったらいかん、というものでもない。
それは別にしても、普天間かおりの音楽は”重厚なメッセージを込めた歌を感動的に歌い上げる”という方向に主眼が置かれているようである。公式サイトの曲目紹介にも、”この歌が歌われると感動して泣き出す人が”なんて表現も多く見られる。
根が時代遅れの裏町詩人で、”しがない歌謡曲”にこだわる当方としては、そのような志の高い音楽は苦手であって、彼女のファンになるのは諦めた次第。
普天間かおりは見た目も美しく、また”王朝の血を引く”なんて話は好きなんだけどねえ、残念だ。
でも、そんな彼女のアルバムで好きな一枚があって、それがこの”ゆがふ”なのである。
このアルバムには彼女のペンになる作品は収められていない。代わりに”芭蕉布”やら”ティンサグの花”といったスタンダードな沖縄もの、そしてさらにベタな”花”や、あるいはザ・ブームの”島歌”などという曲目までもが歌われている異色のアルバムである。
普天間かおり自身の解説文によればこのアルバムは、彼女自身が幼い頃から親しんできた民謡やわらべ歌、あるいは沖縄にちなんだ有名曲などをあえて歌ってみたものだそうだ。
つまりは一旦、”感動を与える歌い手”という立場を離れ、肩の力を抜いて自らの足元を見直し、ルーツを検証してみたアルバム、と理解したのだが。
ここに見られる普天間かおりは、まさに等身大の喜怒哀楽を歌う普段着の歌い手であって、いつもの空の高みを目指して飛翔する”感動の送り手”ではない。
彼女の、ここでは体温までも感じ取れるようであって、こんな音楽を心の一番柔らかな部分に秘めつつ、彼女は歌っているということなのだろう。
こんな音楽ばかりをやっていてくれたらなあ、などとつい思ってしまうのだが、いやいや、人は”更なる何か”を求めて、この優しい土地をある日、立ち去って行くものなのだろう。更なる高みを目指して。
まあ、進歩ない世界で安酒に呑んだくれて一生を終えるのは、根っからの裏町詩人の当方だけで十分か。