ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

合わせ鏡の欺瞞の夜

2011-02-06 02:05:20 | イスラム世界

 ”Mounqaliba”by Natacha Atlas

 昨年、ナターシャ・アトラスのこの最新作を聴いて、「しまった、あのまま聴き続けていれば良かったなあ」などと臍を噛む思いだったのだ、実は。
 初期の彼女のアルバムは、いかにもクラブ仕様みたいなクールなリズムトラックに乗って凍りついたアラビック、みたいなナターシャのボーカルが闇に響くって感じのお洒落なものだった。そいつがある種ワールドミュージックを一歩引いた場から覚めた目で見ている者の批判的な視線に感じられて、彼女のアルバムを聴くたびに、ワールドミュージックに熱くなっている頭をクールダウン、そんな気分になっていた。

 このアルバムだって、生楽器アンサンブルのバックで地味にアラブの古い曲とか歌っているから”アラブの伝統への回帰”とか解釈する人がいるけど、そういうことじゃないでしょ?それは見せかけだけのこと。もともとがアラブとヨーロッパにまたがった血と教養を持った彼女、素直に”回帰”なんてする場所はないんだよ、どこにも。どちらに身を置いてもはみ出してしまうところが出て来てしまうであろうこと、想像に難くない。いなかったところには帰れませんて。

 ピアノが演奏の中央に位置しているけど、これ、演奏のスタイルは完全にジャズピアノじゃないか。で、アレンジもアラブっぽい素材を、”その辺に理解のあるジャズマン”がそれらしくまとめたものの響きがする。
 ストリングスなんかも、あのアラブ音楽の妖しげに揺れ動くユニゾンの香気よりは西欧っぽくバランスの取れた”アンサンブル”を感じさせるものだ。で、ピアノやウッドベースが長い”ジャズィな”ソロを取る場面も中盤にある、と。
 アラブの音楽素材も使われる伝統楽器も、「借り物の表看板」扱いであり、サウンドの全体は白人ジャズマン的統制の元に、”アラブ音楽の分析と新構築”が行なわれている。

 そんなサウンドをバックに憂いを秘めコブシを利かせてアラブの古い歌を歌うナターシャ・アトラス。でも、なんかどこかに、”異国の音楽を相手に、器用に役をこなすジャズシンガー”の面影がないかな?
 このアルバム自体がそのような虚構を楽しむ趣向になってはいないか?ニック・ドレイクとかフランソワーズ・アルディなんて妙な取り合わせのカバー曲の組み合わせも、迷宮を更なる混乱に陥れる罠じゃないのか。うがち過ぎですか?

 それにしても彼女をそのまま聴き続けなかったのは、なぜなんだろうなあ?これから”中途より後追い”でアルバム集めるのもきついぜ、うん。





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