”Tortadur”by Severa Nazarikhan
Severa Nazarikhan。ウズベキスタンの歌姫とのこと。
その、ややくすんだ、内に沈み込むような語り口は、吹きすさぶ砂嵐と広大に開けた不毛の荒野などの様々な歴史物語の場面場面を想起させ、こちらの中央アジア幻想気分を駆り立てるようだ。
すでに著名英国人ミュージシャンのプロデュースによるワールドミュージック・チックな派手なサウンドの盤を何枚か世に問うてきたらしいが、当方、彼女はこの盤が初対面にて、それらは未聴。こちらの盤はドタール、タンブーラといった現地の民俗楽器のみが使われた地味な音作りの作品である。自らのルーツを振り返ってみた作、なのだろうか。
古き伝承歌の調べに乗せて歌われている歌詞は古代の歌謡詞から宗教詞、はては近代にいたり、反ロシア思想詞まで多様のようだが、もちろん言葉を知らぬこちらには理解できるものではなし。
しかし、そのサウンドや歌われるメロディ、その節回しのはるかな懐かしさ、こちらの感性にぴったり来具合はどうだろう。おそらくこれがウズベクの民族歌謡のオリジナルの姿なのだろうが。
収められているのはどれも、しっとりとした情感を湛えたスローな語りもの、とでもいいたくなる内省的な歌唱ばかりなのだが、そのマイナー・キーのメロディのひっそりとした響きが、なんとも五木の子守歌というか、子供の頃に祖母の膝の上で聴かされたものと解釈したくなるような不思議な懐かしさに溢れたものなのである。
このような旋律が古来より遠い中央アジアの地で歌い継がれてきたのかと思うと、果てしない時間と空間を隔てた人々に寄せる恋慕の感情に近いものが身を切り裂いて行くのを感じる。
ハラカラよ、ハラカラよ!あれから本当に長い時が流れたが、元気でいたか。そちらにもこちらにも、それは取り戻すこともかなわぬ、長い長い旅だった・・・
ウズベクの伝統楽器たちが織り成すサウンドは、茫獏と広がる夜の闇に溶けて行くような神秘の響きがある。それはしかし、我々には見慣れた、同じ手触りのビロードの漆黒を連想させはしないか。
このバックのサウンド、稲川淳二の怪談のバックに流したら素晴らしい効果を産むんではないか、などと夢想してみる夜。酷暑の夏はアジアをジットリと覆い、惰眠を貪る。