以前からこの件に関してはモヤモヤした思いを抱いていたんだけど、今回の事件が良い機会だ、あの国をこれからはビルマと呼ぼう。例のミャンマーというのは、軍事政権がオノレの都合で言い換えさせた国名だそうだからね。
日本人ジャーナリストがビルマ軍兵士に殺害された事実を知ったビルマ市民が日本大使館に花びらを投げ入れたとのこと。これには泣かされました。そんな発想、我々にはないよねえ。こちらの方が本来のビルマ民衆の心と信じたい。
それにしても我が日本の右翼諸君よ、君ら、日本の国民が他国の軍隊に正当な理由もなく殺害されたと言う知らせを聞いて、何の行動も起こさないのはなぜなんだ?腹が立たないのか、同胞が殺されたんだぜ!被害者の霊が”靖国”に収まって”軍神”とかいうブランド名を与えられなければ、やる気が起こりませんか?
今回、君らのインチキ性、満天下に明らかになってしまったけどね、そんなことにも気が付いていないんだろう、ええ?
さて。冒頭に掲げたこの写真は、ヤンゴンナウというサイト(http://www.yangonow.com/jpn/magazine/index.html)の、2003/6/3の記事から無断転載してしまったのですが(すみません!m(__)m)、いや、ビルマにお洒落な芸能雑誌が存在している事実をお知らせしたくて。
今回、話題にしたいのは、雑誌の表紙の右側に写っているチョースキンという女性歌手のアルバム。私の手元には、えーと、これがタイトルなのかなあ、”ナイチンゲール・リン”という文字が内ジャケに見受けられます。他はすべてビルマ文字なので、もちろん読めず。
このアルバムに収められているのは、マニアにはおなじみの、あの天然プログレともいいたい、のどかにして千変万化、天真爛漫にして複雑怪奇な、いつものビルマのポップスではありません。汎東アジア的とでも言えばいいのかな、たとえば香港あたりにあっても何も不思議ではない感じの、歌謡曲色の濃い普通のポップスばかりです。
急に香港なんて地名を出してしまったのは、かの地で人気歌手&女優として活躍したサリー・イップのヒット曲、”真心真意過一生”のカバーが入っていたからなんだけど。
でも、このアルバムのハイライトは、カーペンターズの”イエスタディ・ワンスモア”から山口百恵の”いい日旅立ち”のカバーへとたたみかけられるあたりかなあ。凄い選曲センス。もう、そこらのカラオケ屋じゃないんですから・・・
しかも、アレンジ等、オリジナルの丸コピーであり、ビルマ音楽の独自性等、まったく見受けられないと言っていい。もちろん、それらがビルマ語で歌われるがゆえの特異性、そんなものはあるとはいえ。
にもかかわらず。なんか、妙な魅力があるんですな、このアルバム。チョースキンの、なんだか中島みゆきなんかに通ずるような粘りつく歌い方の訴求力もあるんでしょうが、先にも書いた”汎東アジア的歌謡曲魂”のビルマ的展開具合が、非常に興味深く感じられる。
”歌謡曲魂”と書いたけど、”歌謡曲の呪縛”と表現してもいいかも知れない。
東アジアの人々が、それぞれ独自の音楽を持ちながら、でもいつかこのような世界にたどり着いて”いい日旅立ち”とか、歌うに至ってしまう、そんなアジア人の宿命というか。因果というか。”分かっちゃいるけどやめられない性”というか。
そんなものに落ち込むことの快感が、このアルバムにはある。
ややこしい話を始めちゃったな。”どうしようもない歌謡性”の泥沼的魔力について。まあいずれ、もう少し分かりやすい説明が思いつけたら語り直します。中途半端ですみません。