ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

遥かなる”俺”の呼び声

2007-09-24 00:04:58 | その他の日本の音楽


 これはず~っと前、まだCDなんかもなかったんじゃないかな?なんてくらい昔話なんですが。
 あるところでラップやらレゲやらの関係の大きなコンサートがありました。ライブというか、”××フェスティバル”みたいな名を冠されているような、でかい野外の奴。場所はよみうりランドだったような気がするんだけど、もう細かいことはすべて忘却の彼方です。

 で、そこにトリかなんかで日本のラップ界で当時、大物と言われていたラッパーが出演したわけです。
 誰だったかなんてのも、もちろん、覚えてないよ。日本のラップの歴史を書いた本でも眺めて、適当に見当をつけておいてください。というか、私のこの文章を読んで誰だか分かったら、教えてください、私にも。

 で、そのラッパーは、いろいろ社会に対する問題意識も高く、自らのラップの中にもそのような社会的なメッセージを込めているってのが評価されているみたいだった。
 もっとも、私のように、ワカモノ文化に距離を置いて眺めているオジサンにとっては、「なんだかアメリカのラップの歌詞を翻訳しただけの”問題意識”にしか見えないけどなあ」という印象しか受けなかったんだけど。なんか”アメリカにおける社会の矛盾”を、無理やり日本の現実に当てはめて”メッセージ”しているような、不自然な感じ。

 まあ、私が青少年の頃の”反戦フォーク”のヒトなんかも、直訳内容の黒人問題の歌とか、外国人の作った”ヒロシマ”の歌の日本語訳とかを歌っていたことだし、そんなものなのでしょう。パンクが流行った頃は日本の青年たちも欧米のお手本を見習って懸命に髪の毛立ててツバ吐いて、たしね。そんなもんです、”日本における社会派音楽”のありようってのは。

 で、そのラッパー氏、ステージに出て来るなり、歓声を挙げる観客たちを手を広げて押しとどめてこう言ったのだった。
 「ちょっと待ってくれ。その前に俺の話を聞いてくれ。マジな話なんだ。ちょっと静かにしてくれ」

 なにごとか?といぶかる観客に彼は、いつになく生真面目な調子で、今、彼が巻き込まれている”問題”について話し始めた。その”問題”ってなんだったかなあ?所属レコード会社との間に生じた歌詞をめぐるゴタゴタとか、そんな内容だったと記憶しているんだが。

 で、彼はステージに直立不動のままマイクを両手で握り、その”問題”について、いつもの粋なラッパーの姿はどこへやら、なんだか朝礼の時の校長先生みたいな固い口調で事情を説明していったのだった。観客は、「そんな話には興味はないけど、オヤブンが真面目に話してるから、俺らもちゃんと聞かなければなあ」みたいな中途半端な顔つきで、その話を聞いていたのだった。

 で、一応の事情説明が終わり。ラッパー氏はいつものように熱く叫んだのだ、「よ~し、堅い話は終わりだ。たのしもうぜ」とか。おう、と客席も応じ、バンドの演奏が始まり、いつもの通りのラップのライブがはじまった。ラッパー氏も、先ほどまでの仕事中の公務員みたいな立ち居振る舞いを忘れたかのようにリズムに合わせて腰を振るのだった。

 それがなんかおかしくてねえ。その”問題”は、それこそ君らの大事な”メッセージ”に関わることじゃないのか。だったらそれをラップにして歌わんかい。ライブの途中で音止めて真面目くさって演説なんかせずにさあ。
 結局、”真面目な話”はあくまでもきちんとした形でするもので、音楽などという”お遊び”と混同するような不真面目な真似をしてはしけないものと考えていたんだね。

 レゲのラップのなんのと肩肘張って新しがっている連中のど真ん中に、そんな”古い価値観に生きる融通の利かない日本人”が生き残っている。その滑稽さを、”社会的な問題意識の高い音楽”をプレイするミュージシャンの側も、そのファン連中も、なにも変だと感じなかったってわけだ。

 うん、いや、それだけの話です。昔、そんなことがレゲやらラップやらの歴史の中にあったというだけの。
 現場じゃ凄くおかしかったのよ。周りのワカモノたちが、その”変なこと”を当たり前の顔をして受け入れているのも含めて、妙におかしくてならなくて・・・なんてこと、こうして文章にしても、あの空気は伝わらないんだろうなあ。う~ん・・・

 ああ、でも・・・あの三木道三って言ったっけ、レゲ関係の男が昔歌った”一生一緒にいてくれや♪”とか言う歌、最近、女ヴァージョンとか出たみたいね。ときどきテレビやらから聴こえてきたりするから、それなりに受けているんでしょうね?
 私、あの歌が大嫌いなんだけどさ。

 嫌いな理由の一つを挙げると、リスペクトのなんのと言いながら、実は自分のエゴ、わがままを振り回す事を正当化しているだけである、そんなところ。
 白人が支配者として強権を振るう世界で、虐げられた黒人たちが人間としての権利を取り戻すために掲げた”リスペクト”って概念を、わがままいっぱいに恵まれた世界で育ってきた日本の坊ちゃん嬢ちゃんたちが安易に自己正当化のために流用するなよ、とその辺に腹が立つわけなんだ。

 で、あの歌にうかがえる、平気でエゴを振りかざす姿勢を思うと、あの時の”校長先生の訓示”みたいな態度、あれはあれで本質が表れていたんじゃないかって気もしてくるわけです。お前ら整列しろ。おとなしく俺の話を聞け。なんてね。
 メッセージがどうの、なんて言ってる連中のタマシイのど真ん中には、結構そんな権力志向が横たわってる、そんな気がしてきてならないわけです。